芝山物見〜大辻・ヤシオ山

天気:
メンバー:T

先週、柳田貞夫著『松田城と松田 ー足利地方の戦国時代ー』という書籍に記された「芝山物見があったと伝わる山」に登ったのだが、後日、読み込みが足りなかったために芝山物見の位置を誤認していて、別の山に登っていたことが判明した(山行記録)。鉄は熱いうちに打て、と言う訳で、この週末に仕切り直して、再度、芝山物見を目指す。

ついでに尾根続きの山で、無名峰(言わばモブ)であった388m三角点峰(点名:大辻)が、最近「足利百名山№116大辻」の山名標識が設置されてネームドに昇格したので、芝山物見と繋いで再訪。帰り道でヤシオ山に立ち寄り、旬のアカヤシオを観賞してきました。

芝山物見〜大辻

行程:旧松田小学校 10:20 …芝山物見 10:50 …大辻(388m) 12:25 …旧松田小学校 14:05
ルート地図 GPSのログ(赤:往路、青:復路)を地理院地図に重ねて表示します。

先週、芝山物見を目指したときと同じく、旧松田小に車を置く。前回は誰もいなくて、廃校の寂しい雰囲気を感じたが、今日は駐車がいっぱい。グラウンドでは年配の方々が草野球に興じているし、体育館ではブラスバンドの練習をしていて、活気に溢れている。地域の方々に活用されていて、何よりである。

旧松田小学校に駐車
先週登った250m圏峰を望む

旧松田小から県道を北上。芝山物見への取り付きは、予め、Googleマップで目星を付けていたのだが、うっかり通り過ぎて、小寺橋まで行ってしまう。しかし、ここから、頂上を鉢形とも称する芝山物見の如何にもな山容の写真が撮れたから、結果オーライだ。橋上から松田川の上流を眺めれば、ぽっかりと開けた平地を山並みが取り囲む。長閑な山間の風景が、これもなかなか好ましい。

小寺橋付近から芝山物見を望む
小寺橋から松田川上流の風景

県道を少し戻って、目星を付けていた路地に入る。路地は立派な民家の前で終点となり、これまた立派な庭木がある。この木は何の木か、気になる。

県道からこの路地に入る
路地終点の庭木

路地終点から敷鉄板の橋で松田川を渡る。Googleマップの航空写真でこの橋の存在まで判っていたから、世の中、便利になったもんだ。

松田川を敷鉄板の橋で渡る
対岸の小さな窪を登る

杉林に覆われた対岸の小さな浅い窪に入る。登り口の左手には古い石碑や石仏が建ち並ぶ。その少し先にも、先週、精霊様の墓塔群を訪ねたときに見たのと同様の串おでん🍢型の墓塔が3基建ち並んでいる。もしかして、これも戦国時代の物だろうか。

登り口の精霊様
稜線まで一直線に登る

浅い窪を稜線まで一直線に登る。道型はないが、藪もなくて登り易い。それに、昨日は久し振りに纏まった雨が降って適度なお湿りとなったので、土埃が立たず快適だ。

程なく登り着いた稜線は笹が刈り払われた様子があり、反対側から荒れた作業道が登って来ている。右手に僅かに登ったところが、芝山物見の頂上だ。杉林に囲まれて眺めは全くなく、笹藪にポサポサと覆われた地味な頂だ。しかし、平坦で広い頂は、物見があったとしてもおかしくはない。

稜線に登り着いて右へ
芝山物見頂上

何か石造物の類がないか、広い頂上をあちこち歩き回るが、特に何もなし。でもまあ、芝山物見に登るという課題は、これでクリアできたと思って良いだろう。

次は尾根を伝って関東ふれあいの道、さらに大辻に向かう。鞍部へ稜線を戻り、そのまま直進。急斜面を登る。少し笹藪があるが、問題にならないレベル。

稜線を戻って……
……急斜面を登る

短い急坂の上は平坦な稜線となる。左(北)側斜面は雑木林で、木の間を透かして上松田(中井、久保、湯ノ沢の集落)を俯瞰する。前掲の文献によると、上松田の辺りは戦国時代、足利長尾氏の領地で、一名を藤坂と称し、領地の北方を守護する城塞として湯ノ沢山に「湯ノ沢松田城」が築かれたとのこと。以前、湯ノ沢山に登ったときは、なんでこんな地味な山が足利百名山№13に選定されているのか、腑に落ちなかったが、(そして今でも十分に理解している訳ではないが)実は深〜い歴史を秘めているのであった。

平坦な稜線に登り着く
木の間越しに上松田を俯瞰

雑木林と杉林の境界の尾根を辿って小ピークに登り着くと、鉄製の簡素な鳥居と石組み、木の祠の残骸が残る神社跡がある。何の神様を祀っていたのかは判らない。

鉄製鳥居が残る神社跡
まだ冬枯れの雑木林の尾根

さらに小さなアップダウンのある尾根を辿る。変化に乏しいが、なだらかで歩き易い。明るい雑木林の尾根となると、最近の陽気に誘われてツツジ類が芽吹き始めており、足元に一輪のスミレの花を見る。

木立を透かして、斜め右前方に大辻の平坦な稜線が眺められる。また、遠くには行道山辺りの山塊の山影が大きい。

小さくアップダウン
主稜線に向かって傾斜が増す

最後に露岩を交えた短い急坂を登って主稜線上の小ピークに着き、関東ふれあいの道に合流する。ここは先月、来たばかりの場所だ(山行記録)。石祠とベンチがあるピークで、居心地が良くて気に入っている。ベンチに腰掛けて、ペットボトルのお茶とパンで軽く昼食を済ませる。藤坂峠の方から年配のグループが到着したのを潮に出発。大辻に向かう。

関東ふれあいの道に合流
石祠がある

木の階段道を下り、なだらかな稜線を絡んで進むと、松月山への分岐点がある。どこで分岐するか分かり難いが、左手の植林帯の中に「松月山ハイキングコース」と書いた簡易な標識があり、目印になる。この標識は「名草里山の会」が2018年に設置したもので、ハイキングコースが田ノ沢山、松月山を経て名草松月広場まで通じていることを表示している。この田ノ沢山は、438m標高点峰とは異なるピークを指しているから、ややこしい。

松月山分岐付近
松月山ハイキングコースの標識

この先の関東ふれあいの道を歩くのは、一昨年、田島川左岸尾根の復路で歩いたとき以来だ。そのときは夕暮れに急かされて歩いた。今日は時間の余裕がたっぷりあるから、なだらかな稜線を至極のんびり歩く。平坦な稜線上の僅かな出っ張りの上にベンチと三角点標石がある。ここが大辻の山頂だ。

なだらかな稜線を歩く
大辻頂上

頂上には「足利百名山№116大辻」の他、「大辻山388.0M」の山名標識もある。山名標識を見つけるのは里山歩きの大きな楽しみだし、モブとネームドでは登頂のモチベーションが段違いなので、設置頂いた方の労は多とするが、「大辻」と「大辻山」のどちらの山名を採るか、悩ましい。

同様の状況は438m標高点峰にもあり、こちらは「足利百名山№109琴平山」と「田ノ沢山438M」の二つの山名標識がある。

「足利百名山№116大辻」の山名標識
「大辻山 388.0M」の標識もある

そのうち、家族連れが追い付いて到着したので、先に進む。すぐに尾根が痩せた箇所があり、左側は急斜面となって意外と深く田島川に切れ落ち、眼下に右岸尾根が横たわっているのが見える。再び、広くなだらかな稜線となり、良く整備されたハイキング道をゆるゆると下る。左に派生する枝尾根上には、ネット情報で「足利百名山№111達磨山」の山名標識が設置されている、と知った303m標高点峰があるが、今回は立ち寄らずに通過。

痩せ尾根を通過
「関東ふれあいの道」の石標

馬打峠からの車道歩きをショートカットするため、峠の手前で右に派生する平坦な枝尾根に入る。道型はなく、低木の小枝が少々煩いが、最初のうちは藪もなく歩き易い。しかし、高度を落とすに連れて笹藪が蔓延り始める。左下に馬打峠越えの車道(県道松田大月線)のヘアピンカープをチラ見した地点で笹藪にギブアップして、右斜面の小さな窪を下る。こちらも下の方に谷底を通る作業道がチラ見できる。

馬打峠の手前で枝尾根に入る
右斜面の下に作業道が見える

窪は途中で崩れているので右斜面に逃げて、微かなけもの道と立木を利用して下る。作業道に下り着き、振り返って見上げれば、稜線が見えている。この下りはちょっと緊張したが、あとは作業道だから問題なし。すっかりリラックスして作業道を歩いていると……

下ってきた斜面を振り返る
作業道を下る

ギェェー、道端にシカの死骸が😱。死後数日でまだ綺麗な死骸だが、死に方がホラー映画 Final Destination のそれを連想させるもので、誠に以て気の毒。トラウマになりそう。

すぐ先には石仏や石祠が建ち並び、古い墓地のようだ。石仏の一つには「皈 圓室妙…」と戒名らしい銘が読み取れる(皈は帰の異体字)。斃れていたシカの分も手を合わせる。

石仏・石祠が建ち並ぶ
石仏
皈 圓室妙… 元文五申天(1740年)十二月

杉林に覆われて陰気な谷から、開けて明るい谷戸(足利では「がいど」と読む)に出て、松山の集落に入る。釣り堀があり、少なくないお客さんが釣り糸を垂れている。

松山集落に下り着く
釣り堀・松田憩いの池

谷戸の上手へ向かう松山林道の入口を過ぎ、谷戸の下手に向かって舗装道を歩く。途中にも石碑と石仏が纏まって建つ。石仏は地蔵尊で、そのうちの一つの台座には「奉造立念佛供養 宝暦十二壬午年」の銘がくっきりと刻まれている。石碑は真ん中にずらーっと一列に梵字が刻まれたもので、私は初めて見る珍しい物だ。その他の銘は読み取れて、写真のキャプションに記したとおり。後日、梵字の読み取りを試みると、最初は馬頭観音の種字のहूं(ウーン)かな。うーん、あとは挫折😅

石碑と地蔵尊3体
奉造立念佛供養 宝暦十二壬午(1762)年
石碑
元文五庚申天十月十三日
施主敬白十一人

明るく開けた谷戸を歩いているうち、気分も晴れてきた。谷戸の奥には大辻が見える。地元でどう呼ばれているか、気になる。馬打峠越えの県道に合流し、松田川を渡る。正面にはわたごさま、左手には松田富士が見える。登っているハイカーさん、いないかな。

松山集落から奥に大辻を望む
馬打橋から松田川上流を望む
八雲神社とわたごさま
松田富士を望む

あとは松田川に沿って、県道松田葉鹿線を上流に向かい、旧松田小に戻る。途中の路傍にも、石碑や石仏の類が多い。神社名の石碑は道案内だろうか。神社がどこにあるか、気になる。途中の青面金剛像2体は、風化が進んで銘が読み取り難い。写真のキャプションはすずき@東毛さんの両毛の青面金剛を参照させて頂いた。

「大手神社 足尾神社」石碑
明治四十二年霜月 田島宗兵衛
中手橋南の石仏・石碑
青面金剛像(六臂・日月・二鶏・三猿)
元禄14年(1701)
青面金剛像(六臂・日月・邪鬼・三猿)
明和8年(1788)
中手橋袂の「馬頭観音」碑
天保十二辛丑(1841年)九月
旧松田小から芝山物見を仰ぐ

写真を撮っているうちに、大した距離を感じないまま、旧松田小に帰り着く。草野球は終わっていたが、ブラスバンドはまだ練習中だ。帰りは県道名草小俣線で猪子トンネルを抜けて、小俣に向かう。

途中、仙人ヶ岳の岩切登山口付近は、まだハイカーさんの駐車が多い。みー猫さんが3/10にヤシオ山に行った記事を思い出す。それによると、今日辺り、アカヤシオが見頃に違いない。時刻も14時を回ったばかりで、まだ早いから、ヤシオ山に立ち寄ってみよう。

ヤシオ山

行程:叶花集会所 14:30 …ヤシオ山 15:00〜15:15 …叶花集会所 15:40
ルート地図 GPSのログ(往復なので往路のみ)を地理院地図に重ねて表示します。

ヤシオ山の登山口の叶花(かのうけ)集会所は、アカヤシオの開花期ともなると県内外からハイカーさんがやって来て、広い駐車場は満杯となり、路側まで車が溢れたりする。しかし、さすがに14時を過ぎると、既に皆さんはお帰りになっており、車は数台しかない。

小俣川沿いの道をカタクリ群生地に向かう。青空にくっきりと浮かぶ石尊山を仰ぐと、頂上直下の石尊宮の建屋までよく見える。改めて眺めると、なかなか急峻な岩山である。途中の民家には数十匹の犬が飼われていて、そのうちの一匹にカメラを向けたら、お前何すんだ、と言いた気にガン見される。かわいい。

小俣川沿いの道から石尊山を仰ぐ
ワンちゃんこちらをガン見中

谷間に入って、カタクリ群生地へ。カタクリも見頃で、一面に咲いている。午後遅いので花びらが開き切って、そっくり返っている。フェンスで保護されて近づけないが、越境した逞しい花に近づいて撮影できた。

カタクリ群生地
カタクリ

谷間を詰めて、急斜面を登る。途中、帰って来るハイカーさん数組とすれ違う。鞍部に登り着き、稜線を右へ、ヤシオ山に直行する。松林のザレた斜面を登ると、左側に山麓のゴルフ場、その向こうに八王子丘陵が眺められる。気温が高く、春霞がかかっている。

稜線上の鞍部に登り着く
八王子丘陵を望む

ヤシオ山に登り着くと、期待通りアカヤシオが見頃だ。昨日は雨だったが、全く落花していない。蕾も少し残りつつ満開に近く、花弁も瑞々しくて実にフレッシュだ。これはベストタイミング。花付きも良くて、今年のアカヤシオは当たりを予感させる。ソロの女性ハイカーさんがいらして、これは素晴らしいですねー、などと話をしながら写真を撮る。

ヤシオ山のアカヤシオ
丁度見頃のアカヤシオ

アカヤシオを堪能して下山する。今回、初めて気がついたが、頂上直下に眺めの良い岩場があり、山麓の叶花を俯瞰して、その向こうの彦谷湯殿山がよく見える。

頂上直下の岩場から湯殿山を望む
下り口の道標

既に薄暗くなった谷間の道を下り、叶花集会所に戻る。アカヤシオの開花は、仙人ヶ岳、鳴神山、西上州、赤城山、袈裟丸山と続く。全部は追い切れないが楽しみだな、と考えつつ帰宅した。