田島川左岸尾根

2020年12月26日(土)
天気:
メンバー:T
行程:北関東道ガード下 10:00 …飯縄山 10:15 …雷電山(203m) 10:30 …示現神社 11:05 …ワイン山(213m) 12:00 …石尊山 12:30〜13:00 …227m標高点峰 13:10 …南陽山(267m) 13:35 …松月山(210m) 13:55 …藤坂山(438m) 15:00 …縦走路に合流 15:25 …388m三角点峰 15:40 …馬打峠 16:10 …北関東道ガード下 17:00
ルート地図 GPSのログ(赤:往路、青:復路)を地理院地図に重ねて表示します。

年末年始恒例の温泉旅行&山歩きは西伊豆に行く予定で、宿も予約してあったのだが、コロナの感染急拡大のため、残念ながら取り止めとなった。なので、この週末の山歩きが2020年の歩き納め。遠出と人出が避けられて安全安心な足利百名山巡りを考えてみる。

足利百名山(以下、足百と略)については、足利市北部の高い山(と言っても663mの仙人ヶ岳が最高)からぼちぼち登頂していて、未踏の中では438mの藤坂山が一番高い。藤坂山の南には標高200m級の尾根が田島川左岸に長々と続き、ココ・ファーム・ワイナリー辺りに落ちる。この尾根(ネットでは田島川左岸尾根と呼ばれている)には足百の南陽山と石尊山があり、繋げると歩き応えがあって面白そうだ。近くにある足百の飯縄山と雷電山にも次いでに登ることにし、足百5座を巡る計画を立てて、出かけてきました。

なお、今回登った足百の位置は、選定者の田中良房氏制作の「足利百名山位置図」に基づいているつもりですが、現地の山名標識と位置が一致しないなど、不確定な要素が多々あるので確認中。その結果により、この山行記録は改訂される可能性があります。

桐生を朝のんびりと車で出発。足利市街を経て県道松田大月線を北上し、交差する北関東道のガード下の広い路側帯に車を置く。のんびりし過ぎて、歩き出しが10時と遅くなった。陽は既に中天に高く、青空が広がって風も穏やか。今日の行程は長丁場で時間がかかりそうだが、絶好の山歩き日和だから、この時点では何も心配していない。袋川の小さな流れを渡り、集落内の民家の裏手から山の端の小道に入る。霜柱が溶けて、泥濘が酷い。

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県道松田大月線から
大岩山(左)と行道山を望む

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ここから飯縄神社に向かう

小道を辿って、すぐに飯縄神社の参道入口に着く。反対側からも小道が通じており、そちらから回って来た方が道が良い。入口には立派な石灯籠と石鳥居が建ち、奥に向かって参道石段が延びている。細く急な石段を登って行くと二つ目の石鳥居があり、さらに高く石段が続く。麓の北関東道から微かに走行音が聞こえて来るが、耳を澄ましてそれと気付く程度。この参道石段はなかなか雰囲気が良い。

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飯縄神社入口の鳥居

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二つ目の鳥居

三つ目の石鳥居を潜ると山頂に登り着いて、「飯縄神社」の扁額を掲げた社殿が建つ。右脇に「飯縄神社改築記念碑」の石碑があり、昭和60年に約200万円の工事費で落成したことが記されている。昭和60年と聞くとつい最近のように感じるが、もう35年も前なんだよなー。光陰矢の如し。社殿正面の格子窓の桟には精米が供えられ、最近も参拝されていることが窺える。社殿の裏手の立木に「足利百名山61座飯縄山」の山名標識がある。山頂に飯縄神社のある山だから飯縄山ということで、この山名に疑問の余地はない。

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飯縄神社

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社殿裏手にある山名標識

裏手の尾根を緩く下り、203m標高点への登りにかかる。小枝が小煩い樹林と笹に疎らに覆われ、乾燥した落ち葉と土が埃っぽい斜面を急登する。今日は、昨秋、登山靴を新調して御役御免とした古い登山靴をまだ捨てていなかったので、低山歩きならば大丈夫だろ、と履いて来たのだが、摩耗したビブラムソールは急斜面にエッジが効かず、ズルズル滑って苦戦する。古いのはやはりダメだな。今回を最後に、本当に御役御免にしよう。

登り着いた地点は、田島川右岸尾根の末端に近い。尾根上は樹林と笹に覆われ、道型はないがピンクテープが散見されるから、歩く人はいるようだ。左手の高みに緩く登った辺りが203m標高点で、田中氏の位置図ではここを足百№42雷電山(てっぺん山)としている。展望はなく、少し先に電波塔があるだけの藪っぽい頂だ。山名標識の類はない。

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雷電山へ急斜面を登る

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雷電山頂上

尾根を南東の末端に向かって緩く下る。樹林を抜けると右側斜面が伐採されていて、足利市街や江川町の雷電山から両崖山にかけての山々が眺められる。麓の集落がすぐそこに見えて里山らしい景観だが、なかなか小気味よく爽快な眺めだ。

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足利市街と雷電山(江川町)を望む

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なだらかな尾根を辿る

再び樹林に入り、緩く尾根を下る。露岩と赤松が現れ、小さくアップダウンして、最後に短い急坂を上がると、新し目の石祠のある小ピークに登り着く。木立に囲まれて展望はない。足百№42の山名標識はこちらの頂にあり、「足利百名山第42座てっぺん山」と記されている。山頂の雰囲気としては石祠のあるこちらの方が好ましく思えるが、どちらが足百の頂だろう。いずれにしろ両方とも登頂したから、足百№42はクリアということでOK。

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小ピーク上に石祠あり

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「足利百名山第42座てっぺん山」標識

頂上から南へ、そこはかとなく道型のある尾根を下る。少し下ったところから、ピンクテープを追って左斜面に入り、薄暗い樹林の中を降りると、神社の社殿の裏手(正面から向かって左奥)に下り着く。大きな社殿の正面には「大明神」の扁額が掲げられている。立派な石段を下って「示現神社」の扁額を掲げた石鳥居を潜ると山麓の車道に出る。歩き始めからここまで1時間とちょっと。思ったより、時間がかかっている。

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南へ尾根を下る

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示現神社

車道を北に向かって北関東道の下を潜り、ココ・ファーム・ワイナリーの道標にしたがって右折。細々とした流れの田島川を渡り、Y字路を右の作業道に入る。左の道を行くとすぐ先がココ・ファーム・ワイナリーで、ワインを買いに何度か行ったことがある。

作業道を上がると、山腹を切り開いた平地に葡萄畑が広がる。作業道から分かれ、左の山腹に取り付いて登る。疎らな雑木林の緩斜面を、笹藪を避けつつ登ると枝尾根の上に登り着く。枝尾根のすぐ左には小平地が開けた小ピークがあり、岩根の上に石祠がある。この石祠はたそがれオヤジさんの「田島川両岸尾根」の記事にも載っており、ここまで適当に歩いて来たけれど、全く同じ所から田島川左岸尾根に取り付いたことがはっきりする。

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右の作業道に入る

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左に入る

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雑木林の斜面を登る

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飯綱神社の石祠

この小ピークには、かつて神社の社殿があったのではないかと思う。石祠の屋根の正面には「飯綱神…」の銘、台座側面には「金半円 新分 某…」等、寄進者と世話人の氏名が刻まれている。

後日調べると、半円=50銭の価値は、時代にもよるが、現在の1万円くらいらしい。寄進者の氏名をググると、なんとその内の御一方の住所が田島町であることが判明。やはり明治時代の石祠のようだ。

石祠から東へ枝尾根を登る。尾根上には明瞭な道型がある。途中、左から登って来る道型があり、これが先程の石祠への本来の参道かも。主尾根に上がって左(北)に進行方向を変える。小さなピークに着くと、行く手に意外と急なギャップを隔てて213m三角点峰(田中氏の位置図によるとワイン山)を望む。

急斜面を下って上り返すと、右(東)斜面が広大に伐採されたなだらかな尾根となり、三角点標石のあるワイン山の頂上に着く。

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ワイン山(213m三角点峰)を望む

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ワイン山頂上

頂上からは東の眺めが開け、名草川沿いの田園を隔てて、須花峠から山王山〜鳩の峰、越床峠の足利鉱山辺りまでの山並みが遮られることなく展開する。須花峠の奥に見えるギザギザの稜線は閑馬岩峰群のようだ。眺めが良いし、丁度正午なので、ここで昼食休憩にしようかとも考えたが、時間の余裕があまりないことに気づいて、もう少し先に進むことにする。今日はなんとか、藤坂山までは辿り着きたい。

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須花峠〜山王山を望む

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山王山〜鳩の峰を望む

しばらく伐採地の縁を辿り、それから雑木の尾根に入る。左から掘割状の道が上がってきて、尾根上に続く。かつては幅のある作業道だったようで、用途不明の鋼管がここそこに転がっている。現在は藪化して細々と続く作業道跡を辿る。

作業道跡は急坂を登ったのち、ピークの左肩を乗っ越す。作業道を離れてピークに登ると、樹林に囲まれて「足利百名山第29座石尊山」の山名標識がある。しかし、それ以外には何もなく、展望も皆無。後述のように、この山名標識の位置はかなり怪しい。

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尾根上の作業道跡を登る

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登り着いたピークにある山名標識

作業道の痕跡はこのピークから少し下ったところで尽き、その先は道のない尾根を辿る。ところどころで笹が多いが、藪と言える程ではなく、尾根もなだらかで歩き易い。尾根が左(西)に折れると短い急坂となり、樹林に囲まれた小平地のある頂に登り着く。

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道のない尾根を辿る

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石尊山への登り

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石尊山頂上

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石尊山頂上の不動明王像

この頂には3基の石祠と水盤、石仏が小平地を取り囲むように建ち並び、摩訶不思議な雰囲気を醸している。ここで昼食にして、その後にじっくり調べよう。と思って鍋焼きうどんを作ろうとしたら、ガスストーブを持って来るのを忘れたことが発覚。同じ様な黒い袋に入っているチェーンスパイクを持ってきていた(^^;)。まあ、缶ビールを飲み、レトルト鯖味噌煮と非常食のブロックチョコを食べたら十分腹が膨れたから、大事はなかった。

水盤には「明治六癸…六月…」、石祠の一つには「明治六癸年十一月」の銘があるから、他の石造物もその頃の造立だろう。石祠には南猿田の某、北猿田の某との銘もある。石仏は不動明王像で、台座に「天王山大寳寺」の銘がある。位置図の足百№29石尊山(天王山)はこの山頂を示しているということで、間違いないだろう。

後日調べると、猿田はJR足利駅の南東、渡良瀬川沿いに猿田町があり、その辺りの地名らしい。天王山大寳寺は東麓の名草中町にある大宝寺(現在は廃寺?)ではないかと思う。

石尊山からなだらかな尾根を辿ると、密な笹藪に突入。獣が通るのか、一筋の細い切り開きが通じ、藪漕ぎは避けられる。藪のトンネルを抜けると冬枯れの雑木林を透かして、左手の谷間にゴルフ場を見る。プレー中の人がいるようで、微かに話し声が伝わってくる。

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笹藪の間の獣道を辿る

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左手にはゴルフ場

227m標高点の頂上は平坦で、細い雑木が繁茂する。ここに「足利百名山第25座南陽山」の山名標識があるが、位置図によると南陽山は267mで名草城跡と記載されているから、この標識もダウトだ。

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227m標高点峰への登り

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227m標高点峰頂上にある山名標識

さらに尾根を小さくアップダウンしてゆるゆる辿り、267m標高点峰の頂上に登り着く。ここも樹林に覆われて、展望はない。頂上は低い土塁に囲まれた小平地となり、城跡については良く知らないが、それらしく見える。また、立木に巻かれた赤テープにマジック書きで「足利百名山第25座南陽山」と書かれている。足高山の会さんによると、以前は高尾山と呼ばれていたらしい。毎年4月にお祭りが行われていたそうだが、それに関係しそうな宗教的モニュメントは見あたらない。

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なだらかな尾根を辿る

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南陽山頂上

南陽山頂上から段々(これも城跡の遺構?)を下り、相変わらず同じ様な尾根を辿る。右(東)に尾根が派生する分岐点に「この尾根道は松月山ハイキングコースです」との案内標識がある。時間の余裕はだんだん少なくなっているが、折角なので立ち寄ってこよう。

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松月山分岐

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東へ尾根を辿る

幅広く平坦な尾根を辿ると、程なく「松月山頂上 標高220m」と書かれた標柱のある地点に着く。尾根はこの先で切れ落ちて、山麓の集落が俯瞰される。なかなか雰囲気の良い頂で、立ち寄った甲斐があった。

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松月山頂上

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松月山から山麓を俯瞰

分岐に戻り、主尾根を北西に向かうと「N 名草田ノ沢 S 田島一の沢 出合い」という標識のある地点に着く。南へ下る作業道跡があるが、「この先道なし」という標識が掲げられている。多分、ゴルフ場で道が断たれているのだろう。

尾根を辿ると「松月ハイキング馬ノ背コース」や「関東ふれあいの道 合流点まで800m(25分)」などの案内標識が点々と設置されている(途中、藤坂山に立ち寄ったので、合流点まで実際には1時間10分程かかった)。いずれもNPO法人名草里山の会が設置したもののようだ。ハイキングコースと言っても、はっきりした道型がある訳ではなく、藪のない尾根をひたすら歩く。

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「出合い」と呼ばれる地点

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行手に388m三角点峰を望む

短い急坂を登ると、小さな岩場のある小ピークに着く。山とんぼさんの記事に梵天ピークと記されている地点だ。今は梵天はないが、岩場の陰に石祠がひっそりとある。「文化二乙丑天(1805年) 三月吉日」の銘あり。西には田島川源流の意外と深い谷を隔てて、388m三角点峰がちょこんと聳えて見える。

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梵天ピークから388m三角点峰を望む

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梵天ピークの石祠

地形図上の破線路の五叉路の地点は気付かずに通過。名草里山の会が設置した案内標識は松月山からずっと続けてある。「田ノ沢山山頂」と記された案内標識を見るが、あまり山頂という感じの場所ではない。左の田島川源流の谷は「宮ノ下谷」と呼ぶらしい。

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長々と続く尾根を辿る

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「田ノ沢山山頂」の案内標識

延々と尾根を歩いて来て、だいぶ疲れてきた。ゆるゆる登ると、なだらかであまり顕著でない尾根の分岐に着く。右(北)に派生する尾根を進んで藤坂山(438m標高点)に向かう。標高が400mを越え、北から寒風が吹き付けて、流石に寒い。小岩峰に登り着き、松田川ダムや仙人ヶ岳、赤雪山を遠望する。藤坂山の頂上も近くに見える。小さなアップダウンを経て、藤坂山の頂上に到着した。

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藤坂山への分岐点

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小岩峰から仙人ヶ岳と赤雪山を遠望

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小岩峰から藤坂山を望む

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藤坂山頂上

時刻は既に15時で、傾いた陽が冬枯れの雑木林に差し込んでオレンジ色に照らし出している。なだらかな頂上の真ん中に石祠が1基、ポツンとある。雑木林に囲まれて展望はないが、木立を透かして名草川沿いの集落を俯瞰し、足利・佐野市境稜線を望む。低山ながら、なかなか大きな根張りをもつ山で、良い雰囲気の山頂だ。

足百№15藤坂山についてネットを検索すると、藤坂峠南東の319m標高点に「足利百名山第15座藤坂山」の山名標識があるらしい。藤坂山については確認中だが、どちらが名山に相応しいかというと、それはもう間違いなく438m標高点の方ではないかと思う。

日没まであと一時間半しかないのに、行程はようやく半分だ。尾根の分岐に戻り、西進して程なく縦走路(関東ふれあいの道)に合流する。合流の直前まで名草里山の会の案内標識があるが、合流点には何も目印がないから、逆コースの場合は地形を読む必要がある。

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分岐点に戻って西に尾根を辿る

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縦走路(関東ふれあいの道)に合流

あとは関東ふれあいの道を南に辿る。ここは2回歩いたことがある(前回の山行記録)。良く整備されて歩き易く、道標も完備されたハイキングコースを辿る。緩やかな尾根を辿り、388m三角点峰(点名:大辻)の頂上に着く。ベンチがあるので、ここで一休み。地形図を取り出して、下山ルートを検討する。当初は行道山と大岩山を越えるつもりだったが、日没まであと一時間だから無理だ。馬内峠から県道松田大月線を下るしかない。まあ、足百5座を登る目的は達成しているので、あとはサクッと下るのが吉だ。

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行道山浄因寺へ4.0km

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388m三角点峰頂上

時刻が遅いせいもあり、縦走路でも人っこ一人見かけない。夕暮れが迫って気は少し急かされるが、一方で物寂しい雰囲気が感じられるのは結構好きだ。319m標高点の手前から南に下る破線路(県道へのショートカットルート)の入口は判然としなくて通過。馬打峠の切り通しに突き当たり、左に回り込んで県道に降りる。あとは県道を駐車地点まで歩いて戻る。最初からここを歩くつもりなら、峠に自転車をデポしておけば快適なダウンヒルが楽しめた。まあ、歩いた方が運動不足解消の一環にはなるだろう。

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夕焼け色の稜線を辿る

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日がだいぶ傾いてきた

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馬打峠

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峠から県道を下る

車道歩きの途中で日没となり、残照の空に明るく輝く月を仰ぎつつ、LED街灯が点灯し始めた山間の集落を通り抜けて歩く。広い谷間に出ると北関東道の高架が見え、ゴール地点がわかってホッとする。やっぱり長い車道歩きはちょっと辛かった。馬内峠から約50分の車道歩きで、駐車地点に戻る。とっぷりと暮れた中、桐生への帰途についた。


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