わたごさま〜椿山〜松田天神山
この週末は強烈な寒気が南下して来て、日本海側は大雪、関東の平野部は晴天だが厳しい寒さとなる。寒過ぎて🥶、高い山には行く気がしない。またまた近場の里山歩きに出かけることにし、未踏の足利百名山(以下、足百)2座を尾根で繋いで歩いてきました。
桐生を車で11時過ぎにのんびり出発。三重小俣通りを走り、途中のコンビニで昼食のパンとペットボトル飲料を買う。葉鹿で左折、県道松田葉鹿線を走って、松田川の谷底平野を遡る。今日は快晴で、青空の下、里山に囲まれた田園風景の中を走る。実に長閑だ。
松田町に入り、三和(みわ)公民館の駐車場に車を置く。外に出ると、陽が高く風がないから少しは暖かいが、手袋とULダウンジャケットは外せない。公民館の前にはグラウンドがあり、広々と開けて、東には行道山がゆったりと稜線を延ばす。西には未踏の足百の1座、天神山から落ちる尾根が間近で、目を凝らすと、登り口の石鳥居が白く見えている。
今日は県道をもう少し先まで歩いて、足百の“わたごさま”を訪れ、尾根を伝って379m標高点に登り、奥の420m三角点を往復したのち、尾根伝いに天神山を経由してここに下って来る予定である。件の石鳥居に降りて来ることになるので、ちょっと偵察していこう。
石鳥居からは、鳥居を潜って真っ直ぐ上がる急坂と、鳥居の前を斜め左に上がる緩い坂の2つの山道がある。斜め左に登ると、すぐに廃れた神社がある。奥に石祠、右脇に「織姫神社奉祀記念碑」の立派な石碑が残る。鳥居に戻って斜め左に下ると、民家の裏手を通って車道に出る。ここには数基の庚申塔と1体の青面金剛像がある。この像は右手に蛇を握っているもので、あまり見たことがなく珍しい。
偵察を終え、山裾の細い車道を歩いて“わたごさま”に向かう。宗泉寺の前から県道に出て少し歩いた所に松田神社があり、立ち寄って行く。境内が広くて、格式を感じる神社だ。入口に「村社松田神社」の社号標がある。石鳥居とその先の門を潜ると、奥の石垣の上に本殿が建ち、その左脇には1本のスギの大木が聳える。説明板によると、松田神社が永正(1504〜1520)年間に現在地に遷座した際に植えられた御神木で、と言うことは樹齢500年!高さ約30m、目通り5mの見事なスギだ。この神社は訪れる価値あり。
松田神社から、さらに県道を進むと、左前方の尾根の上にもっこりと大きな樹冠の常緑樹が生えているのが見えてきて、あそこが“わたごさま”らしい。裏道に入って近づく。尾根先の斜面は綺麗に伐採され、麓からジグザグに登山道が通じ、公園のように整備されている。やまの町桐生の「わたごさま」は2008年の記事だが、当時、麓は杉林、斜面は「人類には通過不可能の藪」に覆われ、登頂できなかったそうである。それと比べるとえらい変わりようだ。
麓の登山口から直に登らず、少し遠回りして、県道沿いの八雲神社に立ち寄る。その先で左に入る車道を登り、薬師堂から清水沢に架かる仮橋を渡る。ここから直登する山道もあるが、ロープが張られる程の急斜面だ。麓を回って、大人しく登山口から登るのが吉。
登山口には杖が用意され、「わたご山登山口」の標識がある。「わたごさま=愛宕山」説が強まるな。登山道を登ると、中間に「富士見処」の標識とベンチがある。今日は残念ながら、富士山は霞んで見えないが、麓の民家や畑地を俯瞰して小気味良い眺めが開ける。登りでようやく体が温まってきたので、ULダウンジャケットを脱ぐ。
尾根上に登り着くと、大木(何の樹だろう)の根本に一対の石灯籠と新し目の石祠があり、傍の木に「足利百名山第39座わたごさま」の標識が架かる。ベンチがあるので腰掛けて、山麓を眺めながら昼食休憩。フレンチトーストを齧る。雰囲気が良い休憩適地で、道も整備されて麓から10分程で登れるので、ちょっと立ち寄るのにお勧めのスポットだ。
“わたごさま”で一休みしたのち、背後にあるフェンスに囲まれた古い配水施設の脇を抜けて、尾根を登り始める。枯れた篠竹にぽさぽさと覆われて道型はないが、藪漕ぎという程ではない。やがて、笹藪は消えて、左側は常緑樹、右側は冬枯れの明るい雑木林となった尾根をゆるゆると登る。
ほぼ真っ直ぐに尾根を登って行くと、急坂に差し掛かる(ルート地図で見ると、標高300〜350mの等高線が密な箇所)。落ち葉が深く積もった急斜面を直登。登り切って傾斜が緩むと、ほどなく379m標高点の頂に到着して、送電巡視路に合流する。頂には巡視路の黄色標柱の他、木の幹に巻かれた赤テープに黒マジックで「379ピーク」と書かれている。
ここと420m三角点の間は逆コースで一度歩いたことがある(山行記録)が、あまり記憶にない😅。巡視路の道型は明瞭だ。一旦下って、落ち葉に覆われた坂を登ると送電鉄塔(新栃木線142号)に着く。鉄塔の基部は陽当たり良好のせいで枯れ薄藪が酷いが、そこをガサゴソと突破すると、その先ですぐに良い道に戻る。
木の間を透かして深高山を眺めながら坂を下り、さらにプラ階段を下って、林道粟谷(あわのや)松田線の切り通しに降り立つ。正面の切削面は登れないので、どっちから巻くかな〜、と迷って右に進む(あとで左が正解と判明)。東に山麓の集落やその向こうの馬打峠を眺めたのち、適当に斜面を登って尾根道に復帰する。
尾根道を辿ると小さくアップダウンし、赤松と露岩の瘤を過ぎる。ザレた急斜面をジグザグに登って、三角点標石のある頂に着く。頂上には「三等三角点 松田山 419.60m」と刻まれた古い標識がある他、標石の傍らの立木には真新しい山名標識が掲げられ、「足利百名山 椿山 NO.120」と書いてある。ほえ〜、このピークにそんな山名があったとは知らなんだ。山名があるのは嬉しいが、由来は何だろう。周辺に椿の群落があるのかな。
後日、「椿山」でネットを検索すると、YAMAPのakio氏が1/8、マコスケ氏が1/28にそれぞれ登頂していて、この山名標識について書いておられる。それによると、どうも1/7に設置されたものらしい。
余談だが、近年、足百の標識で付番が100越えのものを良く見かける。masa氏の山行記録によると、私が足百№15藤坂山ではないかと思っている438m標高点にも足百№109琴平山の山名標識が設置されたそうである。そちらもまた興味がわく。閑話休題。
小休止ののち、下山にかかる。途中、林道粟谷松田線を横断するところは、道なりに進むと最後は右に下って林道に降りる。この地点には「深高山・仙人ヶ岳→」の道標あり。林道を横断し、尾根道に復帰。379m標高点まで往路を戻る。
379m標高点からは黄色標柱の案内に従って西へ、尾根上の巡視路を辿る。やがて、右斜面に送電鉄塔(新栃木線142号)が見えて来る。それで思い出したが、前回はあの送電鉄塔から道無き道を北西の谷へ下って林道に出たんだった。送電鉄塔への分岐には黄色標柱があり、次の送電鉄塔に向かって尾根上に巡視路が続く。
尾根上の巡視路を進み、すぐに南に分岐する枝尾根に入って、天神山に向かう。この尾根は幅広く緩やかで、冬枯れの雑木林に覆われて陽当たり良好。ザレ地に積もった落ち葉をガサゴソと踏んで快適に下る。
やがて、右斜面が広く伐採された尾根となり、谷間の民家や一本向こう側の247m三角点(足百№32東山)に連なる尾根、その向こうには彦谷湯殿山が眺められる。展望を楽しみつつゆるゆると尾根を下る。振り返ると石尊山〜深高山のほぼ平坦な稜線が眺められる。
伐採地から杉林に入るが、すぐに抜けると、今度は篠竹が尾根上と右斜面を覆う。冬枯れの山にあっては黄緑色の葉が鮮やかだが、この藪はちょっと酷い。腰から胸の高さの笹を搔き分けて、高みを目指す。この辺が天神山(241m標高点)の頂上のはずだが……。笹藪を一回りして、立ち木にねじ止めされた「天神山 241m」の山名板を発見する\^o^/。
頂上から立ち木の赤テープを目印にして笹藪を少し下ると、すぐ先の杉木立の下に石祠と「足利百名山 第34座 松田天神山」の山名標識がある。笹と樹林に囲まれて、“わたごさま”のような展望はないが、頂に石祠があるとやはり趣が感じられて良いものである。
頂上を後にして、さらに笹藪を下る。方向を定め難いが、赤テープが点々とあって助かる。ようやく笹藪を抜け、ヒサカキや杉の樹林帯に入ると、明瞭な道型が現れる。
少し傾斜が強くなると、左側が伐採地となって眺めが開け、山麓の集落を間近に見おろし、馬打峠から行道山にかけての稜線を見渡す。長閑で良い眺めだなあ。
伐採地に沿って山麓を眺めながら下る。樹林帯に入ると廃れた神社に着く。破れ放題の本殿の中には木の社が3基。まだ朱が残り、千羽鶴が掛けられているが、神様は別の場所に遷されている模様。荒れ果てた様子が物悲しい。
ここから、かつての参道の坂道が麓に向かって真っ直ぐ下っている。途中の右手に、往路で既に探索した織姫神社跡の本殿が見える。石鳥居を潜って山麓に下り着き、三和公民館の駐車場に戻る。
今日は約3時間半の軽い行程の山歩きであったが、足百2座に登頂できたし、無名と思っていた峰に思いもかけず山名がある?ことが分かり、なかなか充実した。足百巡りは、毎回、何かしら新しい発見があるから面白い。近くの足百の要害山の登山口を偵察してから、桐生に帰った。