438m標高点峰〜弁天山〜達磨杉峠
先週末に足利市北部の473m標高点峰〜込縄山〜秋葉山を歩いた際、名草川を隔てて438m標高点峰の低山にしては立派な山容を眺めた。私は、この438m標高点峰が足利百名山№15の藤坂山ではないか、と思って2020年12月に登っている。そのときは、山頂には1基の石祠がポツンとあっただけであったが、ネット情報によると、その後「足利百名山 №109 琴平山」と「田ノ沢山」の山名が異なる2つの標識が設置されたらしい。
438m標高点峰の山名は琴平山なのか、はたまた田ノ沢山なのか。そして、足百の藤坂山はどこなのか。これもネット情報によると、藤坂峠南東の319m標高点に「足利百名山 第15座 藤坂山」の山名標識が設置されているらしい。319m標高点も(足百の標識が設置される前の)2015年4月に踏んでいるが、縦走路の途上の何の変哲もない小ピークだったので、あすこがほんとに足百?という印象は拭えない。まあ、こんな所に、と思うような渋〜い頂で足百の標識を見つけ出すのも足百巡りの面白みの内だから、これもありか。
という訳で、438m標高点峰の山名や藤坂山の位置については未だに気になっているし、№109や№15の足百標識も一度見てみたいので、今週末も足利市北部に出かけて、これらの山々を少しルートを変えて再訪し、気になるスポット巡りも加えて歩いてきました。
桐生を車で出発。県道名草小俣線を走り、猪子峠、藤坂峠を経由して、名草上町自治会館に車を置く。ここはかつての分校の跡地で、校庭の片隅に「足松分校の跡」の石碑がある。それによると、明治8(1875)年に大橋の民家で開校。その後、当地に校舎を建てて移転。昭和57(1982)年3月に本校(足利市立名草小学校)に統合されるまで、107年に渡る歴史があったという。廃校されてからも既に40年余りが経過している。
校庭からは秋葉山と449m標高点峰(足百№112下彦間山)が青空を背景にくっきりと眺められる。良く晴れて山歩き日和だが、冷え込んで風も出ている。山上は寒くなりそうだ。
今日はまず、ここから438m標高点峰の東尾根を登ってみる。校庭の左奥から入って、笹藪の中のけもの道を登る。すぐに作業道跡を横断、さらに踏み跡を辿って、常緑樹の多い樹林に覆われた尾根に乗る。あとは尾根伝いに登る。道型はないが、樹木の小枝が少々煩い程度で藪もなく、歩き易い。
傾斜を増した尾根を一直線に急登すると、左側斜面が伐採された箇所に出て、南側の展望が開ける。名草川沿いの集落を見渡し、左岸の山並みを望む。一際ぽっこりと飛び出たピークが山王山で、その右に鳩の峰、遠く大小山が連なる。右岸奥の山は松月山のようだ。
長閑な山村風景を楽しんだのち、さらに冬枯れの雑木林の尾根を登る。左から上がって来た尾根を合わせ(合流点に古い赤テープあり)、ゆるゆると登る。小さくアップダウンし、小ピークを越えると、行く手に438m標高点峰の整った三角形の山頂が見えてくる。
尾根の弛みから頂上へ、最後の急坂を登る。右(北)側には木の間を透かして北麓の集落や、周囲に延々と広がる山並みが眺められる。北の彼方には白い雪雲が舞い、そちらの方から強い北風が吹き付けて来て、かなり寒い。
急坂を登り切ると、樹林に囲まれるが小広い平地のある438m標高点峰頂上に着く。石祠は健在で、横に木彫りのえびす様が並んで祀られている。傍らの立木に「田ノ沢山438M」と「足利百名山№109琴平山」の山名標識があり、足百の標識の裏には黒マジックで「足利百名山№109田ノ沢山438m」と書き足されている。「琴平山↔︎田ノ沢山」と書かれた木片も転がっていて、これは何を意味するのか。なお、田ノ沢は南麓の集落の名である。
次は319m標高点(足百№15藤坂山)を経て藤坂峠に向かう。この区間は既に歩いたことがある。頂上稜線を西へ辿り、小さなアップダウンの後、小岩峰に登る。北側の眺めが良く、松田川ダムとそれを取り囲む仙人ヶ岳や赤雪山が眺められる。
小岩峰を下ると、左(東)側の斜面が広大に伐採された尾根となる。この伐採も前回以降のことで、辺りはすっかり様変わりしている。おかげで、一時的に道を間違えたが、好展望も得られる。伐採地の遥か下方に田ノ沢の集落が眺められ、その向こうには山王山から鳩の峰、大小山に至る山並み、さらに薄らと筑波山の山影まで展望できる。また、前回、438m標高点峰に登った時に歩いた田島川左岸尾根も一望。ここの展望はなかなか良い。
伐採地に沿って下ると田島川左岸尾根に合流し、松月山から通じているハイキングコースに出る。この地点には、「江保地 日光神社 2時間」と黄色テープに書かれたマーキングがある。後日調べると、日光神社に南陽山の登山口があるらしい(YAMAP「名草城の峰から巨石群へ」)。ハイキングコースと言ってもか細い踏み跡を辿ると、よく整備されたハイキングコースの関東ふれあいの道に出る。
関東ふれあいの道を北上して藤坂峠に向かう。冬枯れの明るい雑木林と薄暗い杉林の境界を進む。道標を過ぎると急坂の登りとなり、木の階段が現れる。登り着いた小ピークには石祠がある。ベンチもあり、雰囲気も明るくて休憩適地だ。ここで昼食とし、パンを齧る。ちょんと尖って石祠が祀られた頂なので、ここが足百№15の藤坂山なら納得できる。
縦走路はこのピークを越えると木の階段道を急降下する。一旦、登り返して小ピークを越えると、また階段を急降下。雑木林に疎らに囲まれた小平地が319m標高点で、「足利百名山 第15座 藤坂山」と「319m」の標識がある。木立を透かして438m標高点峰が高く仰がれる。やっぱり、どうみてもあっちの方が足百っぽいよなあ。まあでも、あちらも番外とは言え足百入りしたので、ここも足百でヨシとしよう(などと一人勝手に納得😅)。
319m標高点から、さらに階段道を急降下する。笹が刈り払われた道となり、行く手に弁天山が高い。ほどなく、藤坂峠の深い切り通しに突き当たり、右に階段道を下って峠越えの車道(県道名草小俣線)に着く。切り通しの中程に「藤坂峠開通」記念碑があり「栃木県知事横川信夫書」の銘がある。
藤坂峠から県道を下って駐車地に戻ることも可能だが、まだ時間と体力に余裕があるので、さらにこの先の足百№4弁天山を再訪し、達磨杉峠まで足を延ばしてみよう。気になるスポットもこの先にある。県道から木の階段道を急登して尾根上の道に復帰する。
関東ふれあいの道の石標を過ぎると、冬枯れの雑木林で明るい尾根道となる。しばらく緩い登りが続くが、426m標高点への登りに差し掛かると階段の急登となる。一頻り登って振り返ると、がっくり高度を落とした藤坂峠の向こうに438m標高点峰が大きく盛り上がっている。急坂を登り切ると、程なく426m標高点の頂上で、ここにもベンチがある。行く手には木立を透かして弁天山が間近に迫って高い。
関東ふれあいの道はこの先の湯ノ沢分岐で右に下って、名草の巨石群に向かう。分岐にもベンチあり。ここは直進して、足百№4の弁天山に向かう。ヒサカキが下生えの杉植林帯の急斜面を一直線に直登。道型は明瞭で、良く踏まれている。
標高差約100mを約10分で登り上げ、弁天山のなだらかな頂に着く。ここは2020年4月以来、2回目の登頂。植林帯に囲まれているが、頂上部だけ雑木林で、雰囲気は明るい。足百標識は健在。積もった落ち葉の間に丸い花崗岩が点在する。落ち葉に腰を下ろして一休み。小腹が空いたので、チョコビスケットを齧る。
弁天山から、さらに北へ稜線を辿って、達磨杉峠へ向かう。この区間は初めて歩く。なだらかな稜線を辿ると、左斜面に花崗岩の石切場の跡がある。ここが気になるスポットの一つめだ。巨石に切り取り線の様に一列に矢穴が穿たれており、岩を割る作業の痕跡が残っている。また、この辺の右斜面は名草の巨石群のある弁天沢に面して急峻で、植林帯に覆われて薄暗い急斜面には花崗岩の巨石がゴロゴロ存在する。
左斜面の雑木林が若い植林帯に変わると陽当たりが良くなったせいか、稜線は笹藪に覆われる。幸い、歩く人(または獣)が多いようで、明瞭な踏み跡が通じ、藪漕ぎはせずに済む。499m標高点はそれと気づかず通過。杉林の緩斜面で踏み跡が拡散し、適当に左側の作業道を利用して、林道入山長石線に出る。
達磨杉峠へは、林道を左(北)に辿る。足利市松田町と佐野市飛駒町を結ぶ林道長石線にT字路で合流。右に進むとすぐに達磨杉峠の切り通しに着く。
ルート地図を見ると、この辺りでGPS軌跡が林道から大きく外れているが、マップを写真に切り替えると地形図の林道の位置が実際と違っていて、GPS軌跡の方が正確であることがわかる。
切り通しの左(西)側に赤雪山の登山口があり、「ダルマ杉峠」の小さなプレートが掲げられている。一方、少し先の右(東)側には「足利百名山 第3座 駒戸山 0.53K→」の道標がある。ここから0.53kmの距離にあるのは572m標高点峰(足百№127奥駒戸山)で、駒戸山はその先のずっと遠いところにあるから注意。
この道標から山道をちょっと登ると、切り通しを見おろす朽ちたアカマツの根本に石標がある。これが気になるスポットの二つめだ。倒れていて、正面の碑文が読めないので、重い石標を何とかひっくり返すと「根本山神社」と深く刻まれた文字が現れる。
ヤマレコthoughtmay氏の「名草巨石群と2つの峠 (達磨杉と老越路)」によると、側面には「天保七丙申(1836)年」の銘があるそうである。
気になるスポットの三つめは、名草の巨石群の北にある490m圏の無名峰だ。地形図を見ると、名草川の源流と弁天沢に三方を取り込まれて孤立した山容で、何となく気になる。ただし、上記のヤマレコの記事によると、ピークには取り立てて何もないらしいので、期待はあまりしないでおく。
達磨杉峠から引き返して、林道入山長石線を戻ると、稜線上の三差路で左に林道入山線を分ける。ここは白坂峠と呼ばれている(激坂さんの「入山林道と白坂峠」の記事)。林道入山線は通行止になっているようだが、入口のバリケードは強風で倒れてしまっている(後日調べると法面工事のため3月末頃まで終日通行止とのこと)。
三差路から尾根に取り付く。すぐに左斜面が伐採地となり、達磨杉峠から奥駒戸山にかけての市境稜線が眺められる。特に松と岩を配した尖ったピークの奥駒戸山が印象的。ここの展望はなかなか良い。
伐採地の縁を登って植林帯に入り、広くなだらかな尾根をだらだらと登って、490m圏峰の頂上に着く。展望皆無。期待はしていなかったが、本当に何にもなくて、地味〜な頂だ。
ここから南東尾根を辿る。ずっと植林に覆われて、展望はない。右手に木立を透かして、弁天山の山影が高々と眺められる程度。杉の下枝が少々煩いが藪はなく、おおむね快適に下れる。ほぼ一定傾斜で、淡々と高度を落とす。
尾根の末端は急斜面となり、注意して下ると、下方に厳島神社入口の駐車場が見えてくる。最後は林内に苔むした石のベンチがある園地のような場所があり、階段で休憩舎の脇を下って駐車場に着く。人目のある場所で、突然、道のない斜面からずり落ちて来たりすると怪しまれるので、この階段があって助かった。
あとは車道を歩いて駐車地に戻る。藤坂峠への分岐のすぐ手前の道端には阿夫利神社があり、背後の尾根末端には階段がある。この階段の上には何かありそう。この尾根は、先日登った473m標高点峰に繋がっている。
分岐の近くの路地の角には旧道の石造りの道標があり、「左三和村松田 右弁才天社田保坂越飛駒」と刻まれている(以前の山行記録でも紹介)。路地の先は藤坂峠の旧道だろう。昔の地形図を見ると、旧道は沢沿いに通じていたが、峠の位置は現在と変わっていない。
勘定谷戸の県道からは、438m標高点峰の山容が丸ごと仰がれるから、地元の呼称があるんじゃないかなあ、と思う。誰かに会えば伺いたいのだが、誰にも会わない(;_;)。先週登った473m標高点峰に山名があるのかとか、夏畑の読み(なつはた or なつばたけ?)も知りたいのだが。何方か、ご存知ないでしょうか。
そうこうしているうちに、名草上町自治会館に帰り着く。車道歩き50分を含む約5時間半の軽い行程であったが、急登や大きなアップダウンもあって、いい運動になった。帰りは県道名草小俣線を戻り、サクッと桐生に帰宅した。