大峰山〜大道山(堂叡山)〜鳩ヶ峰
桐生を深夜3時過ぎに車で出発。北関東道、上信越道を走る。途中、横川SAに立ち寄り、フードコートで朝食にビーフカレー(880円)を食べる。上信越道を坂城ICで降り、上り線沿いの側道を走って跨高速道路橋(裏山橋)の袂の駐車スペースに車を置く。
今日は『信州ふるさと120山』と『新版信州の山 中部上巻』を参考にして、ここから西尾根コースで大峰山に登り、大道山(だいどうざん)、鳩ヶ峰を縦走して、和平(わだいら)高原からここへ戻って来る予定。天気は快晴で絶好の山歩き日和。周囲を見渡せば虚空蔵山や大林山、冠着山など、曽遊の山々が青空にくっきりと浮かぶ。
側道を少し戻ったところの農道の入口に「大峰山登山口」の標識がある。柴犬を連れて朝の散歩中のおばさんと出会って挨拶、犬をナデナデする。農道のすぐ先から山道に入って尾根に乗り、高速の切通しの縁に張られたフェンスに沿って登る。道型は明瞭だが細く、左右から枝葉が被さり気味。蜘蛛の巣が多いのは、まあ仕方がない。『信州ふるさと120山』によると、途中に石切場跡があるそうだが、そのようなものは見ずに通過。ゆるゆると尾根上を登ると、やがてアカマツ林に入る。今度はアカマツ林への立入禁止を示す古い鉄条網に沿って登る。「松茸山につき入山を禁ず」の掲示もある。
樹林に覆われて展望はほとんどない。木立の隙間から御堂川の谷を隔てて、大道山辺りのなだらかな稜線が見える程度だ。花も端境期に入ったようで、ヤマツツジが僅かに残る程度。鮮やかな緑の雑木林に覆われた尾根を一直線状に登る。途中、大平(おおでいら)という広場があるそうだが、それもどこと分からずに通過。展望のない尾根道をひたすら登って、緑一色の単調さにちょっと飽き始めたころ、大峰山の頂上に着く。
頂上には三角点標石と金属製の山名標識、風化した石祠、「大峰学級坂城中学校」の文字が掠れた標柱があり、周辺で数株のレンゲツツジが咲いている。南面の樹林が切り開かれて展望が開ける。目の前に太郎山〜虚空蔵山の稜線を見おろし、塩田平を俯瞰。その奥に鋭い山襞を刻む独鈷山を望み、さらに蓼科山や美ヶ原を遠望する。これほどの好展望が得られるとは予想していなかったので、すっかり嬉しくなる。
大峰山から縦走を開始し、坂城町と上田市の境界稜線を北に向かう。尾根は緑鮮やかな雑木林に覆われ、エゾハルゼミが盛んに鳴いている。良く踏まれた尾根道をゆるゆる下ると、水晶山への道と迂回路の分岐に着く。ここにも道標が建つ。
水晶山の頂上へは僅かの登りだ。頂上は低木藪に囲まれて山名標識がポツネンとあるだけで、休憩できる余地もない。顕著なピークでもないので、逆に何故、山名があるのか、不思議な位だ(後日調べると『長野懸町村誌』に水晶山の一項があり、古くから知られた山名のようだ)。ちなみに、山名標識の裏面には「坂城町平成17年度山歩き案内板等整備事業」と記されている。新しく見えるが、実は17年も前に設置された標識である。
水晶山から、先日の雨で湿って滑り易い急坂を下る。迂回路と合流し、アカマツと雑木が混じる尾根を下ると芝峠に着く。左に林道水晶線への道を分けるが、右の傍陽(そえひ)側の斜面は密な低木藪に覆われて、はっきりとした道型は見当たらない。
芝峠から尾根を直進して登る。相変わらず雑木林の緑に覆われた山道が続く。ゆるゆると登り、左(西)側の樹林が切り開かれて明るい大道山の頂に飛び出る。
大道山の頂上は小広く、中央の段の上に大きな石碑と数基の石像が建つ。石像は御嶽信仰の三座神像で、中央に衣冠束帯の座王権現、右に八海山大神、左に三笠山大神を祀る。座王権現像の台座には「堂叡山」と刻まれている。堂叡山(どうえいざん)は大道山の別名。三笠山の石像は台座から転げ落ちているが、本体は健在である。
三座神像の隣には高さ2mもあろうかという巨大な石碑があり、「堂叡山大日大聖不動明王」と大きな文字で刻まれている。この石をどうやって頂上に持ってきたのか、不思議である。少し離れて不動明王像があり、台座には「成田山」の銘がある。
頂上からは西側の眺めが素晴らしい。西面は急峻で、坂城の市街と千曲川を眼下に俯瞰する。千曲川を挟んで大林山から冠着山の青々とした山並みを間近に望み、その向こうに、まだ雪を冠した北アを槍穂高から蓮華岳、爺ヶ岳あたりまでズィーと一望する。昼食には早い時間だが、レトルト鯖味噌煮をツマミに缶ビールを飲みながら、大展望を楽しむ。
頂上には「堂叡山道口(坂城町四ツ屋)→」との道標があり、西へ下る良い道を指し示している。麓から参道があるようで、興味を惹かれる。
大展望と山岳信仰の石造物を堪能した後、縦走を再開。頂上から北へ僅かに下ったところに「三十六童子」の石碑がある。北峰との間の鞍部は小広く、道型が薄い。その先ははっきりした尾根上の道となり、すぐに林道横引線への道を左に分ける。ここも道標あり。
さらに鳩ヶ峰に向かって、尾根道を辿る。一段短い坂を登ったあとは、ほとんど平坦な尾根が続く。やがて丈の低い笹が現れ、笹原の中の踏み跡を辿ると、三角点標石と山名標識のある鳩ヶ峰の頂上に着く。樹林に覆われて、展望は全くない。大峰山、大道山と比べると宗教モニュメントもないし、地味〜な山である。写真を一通り撮って先に進む。
三角点のすぐ先が僅かに標高が高いが、笹原が深く藪っぽい。休憩中のおばさん数人グループに会う。最高点は笹藪の中で、何にもない。少し先に「和平高原登山口 鳩ヶ峰」の道標があり、ここで稜線は左に折れる。オシダと笹が繁茂する斜面を一直線状に下る。道型は微かで、笹原の踏み分け程度。しかし、藪漕ぎまでは至らないので、楽しく下れる。
笹原を搔き分け、低木の小枝を躱しつつドンドン下る。樹林に覆われて相変わらず展望はない。左に小さい窪地を見て過ぎると、尾根の左側に短い草に覆われた作業道が現れる。
作業道を辿っても和平に行けそうであるが、すぐに右に山道が現れ、道標もあるので、そちらに入る。低木に覆われて藪っぽい山道で、1164m標高点に向かって結構登る。
1164m標高点を越えるとなだらかな下りとなり、山中に忽然と現れた草地の広場に突き当たる。道標があり、直進方向は「和平高原登山口」、斜め右前は「和平高原(キャンプ場)」と書かれている。直進方向に広場を突っ切ってみたが、続きの道を見つけられなかったので、広場の右奥の作業道を下る。
窪地に沿って下り、廃屋を過ぎると真田町境の峠(和平峠?)に着き、坂城町から上田市真田町傍陽へ越える未舗装道に出る。直進する尾根上には鏡台山への登山道が通じ、「鏡台山登山口」の道標がある。写真を撮っていると、大道山方面からトレランのお兄さんが走って来て、鏡台山へ向かって行った。元気だなあ。
坂城町の側へ未舗装道を辿る。和平”高原”と称するだけあって、山上に広々とした平地が広がり、一部は畑地として作付けされている。左手には鳩ヶ峰辺りのなだらかな稜線を眺め、高原情緒に溢れる。一面に陽射しを浴びて日陰がないので、暑い。
「坂城町 南日名↔︎真田町 長野真田線」の古い道路標識を過ぎ、緩斜面の畑地の間の未舗装の悪路を緩く下る。蓼科山から美ヶ原、北アまでぐるりと山岳展望が開ける。やがて、舗装道に出ると3台駐車がある。車で来られるのはここまでと言うことだろう。左に林道不動建線を分ける。「和平高原登山口」は、この地点を指すようである。
細い舗装道を下ると畑地から林間に入って、和平高原山の家の前を通る。週末キャンプに来た車と人が多い。周辺は和平公園として整備されている。農作業小屋が立ち並ぶ路地を過ぎ、耕作地越しに北アの眺めを楽しみながら下る。右に葛尾城跡への車道を分けると高原は終わり。樹林に覆われた山腹を斜めに下る車道となる。
最初のヘアピンカーブに「平沢2Km やまびこ会→」の看板があり、左に分岐する車道に入る。幅の狭い車道で、杉林に覆われた山腹をトラバースして行く。やがて民家が現れ、切り開かれた斜面にやまびこ共同農場の他、数軒の建屋が点在する。見上げる鳩ヶ峰の稜線は結構高い。ここが平沢の集落だ。
左に未舗装林道を分け(「堂叡山→」の道標あり)、林間を下ると明るく開けた窪状の斜面に出る。廃屋となった立派な民家があり、その背後の大きな杉の木立の中に玉垣に囲まれた石祠と石碑が建つ。「稲玉徳兵衛開墾の碑及び昌信(まさのぶ)社」と題する説明板がある。石碑には中央に大きく「開墾」、右上に「稲玉徳兵衛」と刻まれている。江戸時代に大変な努力で開墾された土地とのこと。現在はその一部がりんご畑として利用され、住人は既に山を降りて、通いで手入れされているようである。
耕作が放棄されたエリアにはハルジオンが一面に咲いている。ありふれた花だが、これだけまとまって咲いているのは、あまり見たことがないかも。よく見ると白や薄紫など、微妙に花の色が違って綺麗である。
少し下ったところにはアメリカオニアザミが繁茂している。全身が棘で覆われ、触るんじゃねえオーラを放つ物騒な草だ。なお、ハルジオン、アメリカオニアザミとも侵略的な外来種で迷惑視されている。
畑地を抜けて林間に入り、左に分岐する未舗装道に入る(ルート地図の「廃道開始」地点)。小さな沢を渡り、廃屋の横を通って耕作地跡の開けた草地を横断する。
樹林に入り、微かに残る道型を辿る。湿気った落ち葉が積もり、踏むとグニュグニュして気持ち悪い。やがて廃屋が点在する杉林に入り、道型が消えるが、下れば再び道型が現れる。この辺り、地形図では実線路で記載されているが、道型は消滅寸前である。
ようやく舗装道に出る(ルート地図の「廃道終了」地点)。最短路と思って廃道を辿ったが、物好き向き。少し遠回りだが一本東の林道を歩いても良かった。まあ、面白かったから良しとする。
あとは車道を歩く。尾根を越えると、下に上信越道のPAが見える。ほとんど山麓まで下って来て、暑い。気温は何度あるんだろう(ちなみにこの日の桐生の最高気温は27.1℃)。
山麓に下り着いて、葡萄畑の上端に出る。左に分かれる道の少し先に看板が立っているのにフト気付く。行って見ると「堂叡山のいわれ」と登山道略図の案内看板だ。脇に参道石段があり、堂叡山の里宮があるとのこと。これはガイド本に記載されていなくて、知らなかった。「堂叡山のいわれ」には、次のように記されている。
大道山一、二九〇米の頂上にある、国常立尊座王大権現は文久元年(一八五九)講中の先達で、村の塚田周七郎翁外主だった信者の熱意により、山城の国醍醐寺に参り北村伊賀守より御墨付をいただき、山号を堂叡山と下し賜りました。又村の中央に堂叡山道の碑あり、是より二、〇〇〇米登ると里宮あり明治二十五年造営したもので、ここより一米余の石に一合目二合目と刻まれて、頂上まで約四〇〇〇米、春の登山道付近にはフキ、ワラビ、ウド、タラの芽等山菜多く、秋は紅葉と茸狩りに、ハイキングとして絶好のお山であります。頂上より直下に見る坂城町の全貌は躍進の姿誠に頼母しいかぎり、秋晴れの日直視するなれば眼前に、槍ヶ岳以北白馬岳に至る二十余のアルプス連峰、左に富士山を拝した時は何とも形容いたし難い。一度登山して郷土の歴史と体力増強に努めましょう。
昭和五十四年五月吉日
平成十五年五月吉日改修
四ツ屋文化財保存会
登山道略図によると、反時計回りに周回する登山道があるらしい。大道山頂上の道標に記されていた堂叡山道の登り口もここと判明して、ますます興味を惹かれる。
参道石段を登ると樹林に囲まれた境内があり、倒れた鳥居の奥に数基の霊神碑や行者像、「一合目」や「堂叡山開闢記念碑」の石碑、それと社殿が建つ。社殿には注連縄が張られ、紙垂が下がっていて、信仰が続いている様子が窺える。
里宮の参拝を終え、葡萄畑の間を下って、上信越道脇の側道に出る。あとは側道を辿って、駐車地点に戻る。葡萄畑から振り返ると、大道山のなだらかな山容が大きい。今日、登頂したばかりだが、里宮からもいつか登ってみたいな(後日調べると、里宮から大道山に登った山行記録がいくつかあるが、ルートは荒れて怪しいらしい)。
御堂川沿いの歩道で近道し、車道に出てすぐ右に坂城ICがある。ICの手前から側道に入り、駐車地点に戻る。山頂からの展望と山岳信仰の石造物を堪能し、歩き応えも十二分にあって楽しめた。昼食にはカップ麺を持って来ていたが、暑くて食欲が失せ、朝食をガッツリ摂って腹が保ったせいもあり、結局食べず仕舞いだった。
帰りはびんぐし湯さん館に久し振りに立ち寄る。前回は2018年に有明山〜五里ヶ峯を歩いた際で、ここから大道山や大峰山を眺めて登ってみたいと思ったが、4年後に実行できて感慨深い。ゆっくり湯船に浸かって汗を流したのち、明るいうちに桐生への帰途についた。