有明山〜五里ヶ峯
五里ヶ峯は、山そのものはあまり広くは知られていないと思うが、上信越道を長野方面へ走ったことがある人は、坂城ICと更埴JCTの間にある五里ヶ峯トンネルという長いトンネルを通ったときにその名を目にしたことがあるかも知れない。坂城町と千曲市の境にある標高1094mの山で、『信州の里山トレッキング 東北信編』によると、北陸街道で善光寺まで五里(約25km)の距離にある戸倉宿の上に聳える山なので、この名があるとのこと。
五里ヶ峯から北西へ、千曲川右岸に沿って長く延びる尾根があり、中間の宮坂峠を経て、末端で有明山と一重山(ひとえやま)を起し、善光寺平に岬のように突き出して落ちる。この尾根は五一尾根と呼ばれ、登山道が通じている。有明山は今年の正月に登ろうとして、積雪のため登頂を断念した山なので、ちょっと気になっていた。という訳で、今回は前述のガイド本を参考にして、五一尾根を末端から歩いて五里ヶ峯に登ってきました。
桐生を未明の3時半頃に車で出発。上信越道を走り、途中の東部湯の丸SAにて豚汁&もつ煮定食の朝食を取ったのち、坂城ICで高速を降りて坂城神社に向かう。神社の向かって右の車道を上がると「葛尾城跡登山者 多目的広場利用者 専用駐車場」の看板がかかる広い駐車場があり、ここに車を置く。車外はキンと冷え込んでいて、水溜りが凍っている。今日は、五里ヶ峯からここに下山して来る予定である。
まずは坂城神社に参拝する。ここの狛犬一対は江戸時代中期の天和二(1682)年の作とのこと。屋根付きの台座に鎮座して、大事にされていることが窺える。
神社から門前の通りを真っ直ぐ下って、しなの鉄道線坂城駅に向かう。駅に着いて屋代駅までの切符(250円)を買い、列車の発時刻までちょっと間があるので、待合室のストーブで暖をとって待つ。ホーム越しに千曲川対岸の大林山から冠着山にかけての山並みを眺めると、昨日からの冷え込みで、上部が霧氷で真っ白になっているのが見える。
計画通り6:44発長野行きに乗車。部活で登校する高校生が多い。列車は五一尾根に沿って走り、10分程で屋代駅に到着、下車する。駅舎の背後に見える小高い丘が一重山だ。
駅から市街地を北に歩いて、五一尾根の末端に向かう。しなの鉄道線の踏切を渡って直ぐの所が蹄ヶ崎と呼ばれる末端だ。2台分程の駐車スペースあり。説明板によると、この上の山ん堂には雨乞い祈願の鼻取り地蔵が祀られているとのこと。「鼻取り」とは私は初めて聞く言葉だが、田を耕すために手綱を取って牛馬を操ることを指すらしい。
階段を上がると不動堂(山ん堂)が建つ。成田山から勧請した不動尊と共に鼻取り地蔵が祀られているそうだが、残念ながら戸締りされていて、ご本尊は拝めない。幅の狭い尾根を辿ると御嶽神社、続いて矢代神社がある。矢代神社の前は開けた広場となり、善光寺平を一望。平野の向こうには頂上付近が白くなった三峯山〜聖山の山並みが眺められる。
矢代神社から山道となり、崩れた石灯籠・石祠と「御嶽神社旧蹟地」石碑のある小ピークを越え、一旦下って柏などの雑木林の尾根を緩く登る。堀切をいくつか横切ると一重山の小広い頂上に着く。右側の斜面を見おろすと、雑木林を透かして屋代駅が真下に見える。
頂上には「屋代城跡」の説明板があり、それによると15世紀後半の応仁・文明の乱の頃に屋代氏が築城。屋代氏は村上氏に仕えていたが、村上義清の拠点の狐落(こらく)城・葛尾(かつらお)城が落ち、村上氏が敗走すると武田方に転身。屋代城は廃城となったとのこと。狐落城は訪問したことがあり、葛尾城は今日の計画に入っている。城跡にまつわる歴史には全く詳しくないが、断片的な知識が繋がってきて、少し興味が湧いてきたかも。
一重山の頂上から左寄りの急斜面をジグザグに下ると、大きなタンクのある鞍部に着く。これは県営水道の配水用貯水タンク(更埴調整池)だそうだ。タンクの前の未舗装道を左へ少し進むと「有明山将軍塚古墳↗︎」の道標があり、ここから斜面を登る山道に入る。
冬枯れの雑木林の斜面をジグザグに登る。振り返ると木立を透かして北陸新幹線の高架鉄道を見おろす。ときおりゴーッという音が聞こえて、新幹線が走って行くのが見える。
左に森将軍塚古墳への道を分け、さらにジグザグに登ると、尾根上の雑木林を切り開いた場所に着く。案内板によると、ここは有明山将軍塚古墳といい、4〜5世紀初めに森将軍塚古墳に続いて築造されたものとのこと。北陸新幹線の五里ヶ峯トンネルは、ここのほぼ真下を通っている。
古墳からさらに緩く登り、送電鉄塔の脇を通る。この先で森将軍塚古墳へ下る道が分岐しているが、倒木・落木の危険のため通行止の旨の看板がある。トラロープを手摺にして短い急坂を登ると、有明山の頂上に着く。
頂上は小広い平地で、三角点標石と山名標、ベンチ代わりの丸太がある。冬枯れの疎らな雑木林に囲まれて、展望には乏しい。しかし、宮坂峠への縦走路に入って少し進むと右(西)側の樹林が切り開かれた場所があり、聖山方面が眺められる。
縦走路は枯れた赤松が多い、なだらかな尾根を辿る。先を見通してもずっと平らで、なかなか標高が上がらない。途中にケルンが積まれた平坦地があり、ここが「赤んざれ」と呼ばれる地点だろう。名の由来は何かしらん。樹林に遮られて展望に乏しい道が続く。ところどころで木の間から北アが遠望できるが、気温が上がってきたせいか、霞みがちだ。
これも由来不明の石垣のある辺りを過ぎ、641m三角点の標石を見る。少し細くなってきた尾根を登り、大月峰の山名標のあるピークを越える。一旦、鞍部に下って、急坂を登り返す。すらっと高い赤松が立ち並ぶ尾根を緩く下ると、舗装道が通じる宮坂峠に着く。
宮坂峠には中部北陸自然歩道の標識があり、後日調べると峠道が「川中島古戦場とあんずの里のみち」に設定されているようだ。峠道の日当たりの良い路面に腰を下ろして一休み。車の通りは極稀な感じ。道に沿って金網が張られ、不法投棄禁止の看板がいくつもあるのが、しかたないとはいえ、ちょっと殺風景で残念。
峠の「五里ヶ峰方面 3.9km 約3時間→」の道標から、再び山道に入る。696m標高点のピークを右から巻いて鞍部に出ると「大山祇神社」の道標があり、左に少し登った所に「大山祇神」石碑がある。これはなかなか神さびて立派な石造物だ。良い物を見ました(^^)
鞍部から急斜面に差し掛かり、掘り込まれたジグザグ道を登る。急坂が一段落し、緩い尾根を辿ると送電鉄塔に着く。ここは送電線に沿って尾根の両側が切り開かれ、貴重な展望が得られる。西側には尖ったピークの冠着山が眺められる。朝方は頂上付近は真っ白だったが、暖かくなって融けたようで、今は白いところは少ない。
送電鉄塔から程なく長生山(ちょうせいやま)の頂上に着く。この辺りから、広く薄っすらと雪が残る。縦走路はここで右折。少し先の樹林中に、山麓を向いて石祠が鎮座する。
縦走路は北山に向かって、幅広く緩い尾根を登って行く。ガイド本によると、北山の頂上の手前にも石祠があるはずなので、左右を探しながら歩く。やがて道が平坦になり、木の幹に掛けられた「北山」の山名標を発見。あれっ、行き過ぎてしまったか。戻りながら目を皿にして探すと、縦走路から西へ50m程も離れた所の青々とした檜木立の下に石造物を発見。これは初見では見落とすわ。
近付いて見ると、石祠を中心に座王権現の石像と、それぞれ「四天王神」「八大童子」「三十六童子」と刻まれた三つの石碑が立つ。石祠は西向きで、塔身には「御嶽大神」「 昭和五年四月 戸倉講建之」と刻まれている。これは見つけることができて良かった。
北山から薄雪を踏んで稜線を辿る。次の小ピークには「天狗山」の山名標がある。道標にしたがって右折。ときおりパパーンと大きな銃声が響いてきて、身が竦む。
下った鞍部には「商売池口」「これより商売池を経て福井地区に至る」との道標がある。面白い池の名前で、興味が湧く。右側の50mくらい離れた樹林の中にオレンジ色(ハンターが着ているジャケットの色)がチラリと見えた。くわばら、くわばら。
縦走路はすぐ先で左山腹をトラバースする道となる。外傾した路面を凍った雪が覆っていて、慎重に通過。この道は勘助道といい、山本勘助の軍勢が通った道だそうだ。
このトラバースは短く、すぐに道標に従って勘助道から右折。五里ヶ峯への最後の登りに取り付く。段々と傾斜が強まり、また北面のため雪も多く、一度融けた雪が凍っているので、軽アイゼンを着ける。スパッツも念の為持って来ているが、使う程の雪はない。最後は固定ロープを手繰って急坂を上がり、五里ヶ峯の頂上に登り着く。
頂上は芝生の広場となり、西から北にかけて展望が開ける。西には正月に宿泊した戸倉上山田温泉を俯瞰し、正面にツンと尖った冠着山、その奥の左に四阿屋山、右に聖山を望む。この三座(筑北三山)はいずれ登ってみたい。さらに奥には北アが見えるはずだが、今日は雲に隠れて見えない。うーむ、残念。
北には歩いて来た五一尾根が見え隠れし、その先端に有明山の陣笠型の頂がポツンと見える。標高差は小さいが距離は結構歩いたなあ、と満足を覚える。善光寺平も見え、その奥に横たわる白銀の連山は戸隠、高妻、飯縄辺りの山々だろう。
他にハイカーさんはいないので、頂上を独占して休憩。ノンアル+鯖味噌煮とカップ麺の豚汁うどんで昼食とする。しまった、朝も豚汁を食べたんだった(^^;)。風もなく良く晴れてポカポカと暖かく、黒いトレックパンツを着ていると日光を吸収して熱いくらいだ。
下山は葛尾城址を経由して坂城神社に戻る。頂上直下の平地や鏡台山へ続く稜線には雪があるが、葛尾城址に向かう南尾根を下り始めると雪はもうなく、軽アイゼンは不要だ。ところどころ雪融けでズルズル滑る登山道を下る。途中、数組のハイカーさんと交差する。
送電鉄塔で「陰の松経由千曲市磯部」へ下る道を右に分けると、林道北山線の終点に着く。終点には5台程の駐車があるが、いずれもハンターの車のようだ。
林道終点からしばらく進むと細尾根となり、葛尾城の堀切や土塁の痕跡が現れる。結構険しい尾根で、しかも山麓からの比高が350mもあるので、かつてここに詰めていた武士は、日頃から上り下りが大変だっただろうな、と想像する。
葛尾城址の主郭は開けた平地となり、石祠や石灯籠、東屋がある。ここからの展望は素晴らしい。東側は坂城町の市街を俯瞰し、坂城駅も指呼できる。また、坂城を取り巻く虚空蔵山、大峰山、大道山(堂叡山)の山並みを一望し、微かだが蓼科山も遠望できる。西側は千曲市の市街から善光寺平まで眺め渡し、五一尾根の先に有明山も見えている。
東屋から切岸(きりぎし)と呼ばれる守りのための急斜面を一段下ると、右に磯部への道を分け、葛尾城址の標高805mの三角点標石がある。その先の傾斜を増した尾根を下ると、左に坂城神社への道を分け、尾根を直進して下る方には「姫城跡」の道標がある。
ここでルートを勘違い。姫城跡を経由しても坂城神社に下れるかもと考え、そちらへしばらく下ってみるが、方向がかなり違う。だいぶ下ったところで、これはダメかもと考え直し、登り返して分岐まで戻る。ここが今日一番応えた急登でした(^^;)
分岐から坂城神社に下る正規のルートも、露岩と岩砂に赤松が生えたかなりの急斜面を下る。丁寧にジグザグが切られていなければ、上り下りとも困難だろう。やがて白砂に松の緑が鮮やかな景勝地に下り着いて、ここから尾根の左に降りる。
なお、景勝地から尾根を直進すると飯綱山と呼ばれる岩稜があるそうだが、そちらは入口がビニル紐で通せんぼされているので、止めておく。また、「姫城跡」の道標もあるが、そちら方面の道は少々荒れているようだ。
尾根の左をトラバースすると、大きな岩場の基部に着く。岩壁の岩棚には石祠がある。この上が飯綱山のようだ。登山道はここで左に切り返して、山腹をトラバースして下って行く。やがて展望が開け、坂城市街を眺めながら下って、坂城神社の裏手を通り、登山者用駐車場に帰着した。出発時に凍っていた水溜りは、すっかり融けていた。
帰りは坂城町のびんぐし湯さん館に日帰り入浴で立ち寄る(500円)。この温泉に来るのは、一昨年春に自在山〜大林山〜摺鉢山を歩いたとき以来、2回目だ。千曲川右岸のびんぐし山(519m)の南鞍部にあり、露天風呂からの眺めも良くて、大変人気が高い。私もお気に入りの温泉である。
湯上がり後、まだ早い時間帯なので、湯さん館のすぐ裏のびんぐし山に登ってみる。散策道が整備されているので、カメラだけ持って空身のスポーツサンダル履きで登る。
神社のある頂上を挟んで西と東に展望台(東屋)があり、西展望台からは千曲川を隔てて五里ヶ峯の眺めが良い。今日歩いた五一尾根を目でなぞって悦に入る。東展望台からは同じく千曲川を隔てて、未踏の大道山や大峰山が眺められる。次はどこに行こうかな、と考えつつびんぐし山を降り、桐生への帰途についた。