冠着山・岩殿山
(この記事は筑北三山と周辺の山(1日目)、聖山・𣘹原山・四阿屋山からの続きです。)
冠着荘に宿泊して翌日。今日も予報の通り快晴だ。食堂で朝食を頂く。チェックアウトのとき、フロントのお姉さんに、昨日は暑かったですねー(因みに長野で最高気温29.5℃)と話し掛けたら、つい先日までは霜が降りていたんですよ、とおっしゃっていた。
冠着山
今日はまず筑北三山の残りの1座の冠着山(かむりきやま)に登る。棄老伝説の姨捨山(おばすてやま)としても知られる山である。登山コースはいろいろあるが、麻績村側からアクセスし易い鳥居平コースにする。山頂まで約30分の超お手軽コースである。
麻績村の中心部からR403を聖高原方面に向かい、聖湖の手前で右折。鳥居平を経て戸倉上山田温泉に至る県道聖高原千曲線に入る。一本松峠までは別荘地の中を走る。それから稜線を絡んで走り、冠着山の頂上を望む開けた峠(古峠)まで来る。
ここで問題発生。この先、県道が通行止になっている(T_T)。路肩決壊のためとのことなので、昨日の林道聖山頂線のように通行止でも実は大丈夫、とはならないだろう。ここから坊城平への道も崩落のため通行止になっているので、坊城平コースへ迂回することもできない。仕方ないので、鳥居平まで県道を歩くことにする。徒歩ならば通れないことはないだろう。元々短い行程なので、車道も歩いてちょうど良いくらいだ、と前向きに考える。
県道を歩くと、確かに路肩が崩落してガードレールが宙に浮いている個所があり、さらにその先で倒木が道を塞いでいて、これでは車は完全に通行不能だ。
あとは問題となる個所はなく、鳥居平に着く。冠着山の頂上を間近に見上げ、三方を尾根に囲まれた円形の平坦地で、成り立ちが気になる地形だ。広い駐車場があるが、当然、今日は車はなし。登山道に入り、最初は未舗装の作業道を大きく蛇行して登る。作業道の終点から山道に入り、気持ち良い樹林を登って尾根の上に出る。
ここから尾根を登る。傾斜はきついが、丁寧にジグザグが切ってあるので楽だ。いこいの森・久露滝登山口への道を左に分ける。道端にはアズマイチゲが多い。ベンチと展望図があり、その少し先の樹林の切れ間から聖山と北アが見える。白い花はコブシかな。
傾斜が緩むと草地に覆われた頂上の一角で、石祠の脇を通って冠着神社の社殿の裏手に着く。社殿の前に三角点標石や展望盤、木の鳥居や石碑などがある。草地の広場で、とても雰囲気が良い頂だ。展望は西から南にかけて開けるが、北も木立の間から善光寺平を俯瞰して一望できる。北面は切れ落ちて、高度感が素晴らしい。この展望は一見の価値があると思う。社殿にあった説明書きによると、冠着山は複輝石安山岩よりなる溶岩円頂丘だそうである。どおりで尖って切れ落ちている訳だ。
西には昨日登った四阿屋山、北には一昨年登った大林山、東は樹林に遮られるが、登山道を少し下ると五里ヶ峯が眺められる。この山域も登ったことのある山が増えて、山座同定がだいぶ楽になって来た(^^)
頂上には若い男性が居たので話をしたら、昨日から坊城平で仲間とキャンプして、坊抱(ぼごだき)岩でロッククライミングをしていたが、指を痛めたので、今日は頂上に来てみたとのこと。キャンプも良さそうだな。
展望を楽しんだのち、往路を古峠へ戻り、次の岩殿山(いわどのさん)に向かう。
岩殿山
昨晩、今朝と腹一杯食べているので、今日の昼食はコンビニで買ったパンで軽めに済ませる。麻績村を貫流する麻績川の下流に向かい、支流の別所川沿いにある岩殿寺(がんでんじ)へ。ガイド本によると、岩殿山はかつて岩殿寺の山岳修験の場として開かれ、山中にはその遺跡がいろいろあるとのこと。
岩殿寺のすぐ上流の橋を渡って、寺沢沿いの林道に入る。程なく未舗装の悪路となり、車で入り込んで大丈夫か、心細くなる。寺沢ダムを過ぎ、泥濘が酷くなって来たので、二股の適当なスペースに車を置く。ここには「←岩殿山まで?km」(?は掠れて読めない)という道標があり、正しいルートに乗っていることが確認できて安心する。
林道をさらに奥へ歩くと、砂防堰堤に突き当たって終点となる。ここから山道となり、堰堤を越えて土砂で埋まった河原を横断。単管で組んだ梯子段を上がると、渓谷に沿って山腹をトラバースする細道となる。
周囲の山々はそんなに高くないのだが、渓谷は深く低く穿たれて、両岸は急峻。高いところをトラバースしているので気が抜けないが、下を覗くと幅広い河原に細々とした水流が見える。低山にしてはなかなか険しい渓谷で、面白い。
足場板で水流を渡り、傾斜を増した谷を遡ると、谷を塞ぐ巨岩の基部に九頭龍社の説明板がある。曰く「九頭龍権現を祀る。戸隠より分けてもらった水樽が納めて岩殿山権現の閼伽水という。旱魃の時は巨岩の下から湧き出る水を搔きまわし雨乞い祈願をすると不思議に雨となり、田畑を潤したと伝えられる。」とのこと。
九頭龍社から急傾斜の枝尾根に取り付いて、ジグザグに登る。すぐに岩陰に台座のみ残る雷神社がある。説明板には「岩殿山はこの地方の水別離であり五穀豊饒の祈願体である。風雨順次豊作への必須条件であり、風雨を司る風の神及び雷神を祭ってある。地方の者はこの神を(なる)神様と読んでいる。」とある。
なおも枝尾根を急登。ちょっとした岩場の登りがあるが、階段が刻まれていて問題ない。
学文行者墓地は尾根の小突起の上に四基の五輪塔が建ち並ぶ。「岩殿山石像五輪塔」の標柱があり村指定有形文化財とのこと。枝尾根を登り詰めると稜線に出て、石灯籠と共に本堂跡(拝殿)の説明板がある。山火事の類焼で消失し、現存しないとのこと。
ここでびっくりしたことに、年配のハイカーさん20人くらいのグループが休憩中。岩殿山から戻って来たところらしい。結構険しい岩山だが、皆さん元気でお達者だ。
岩殿山は稜線を左(南)に向かうが、その前に右にある三社権現(岩殿山奥の院)を参拝しよう。平坦な稜線を進んですぐに大きな岩屋があり、中に木の社が建つ。岩屋の壁面には天然で蜂の巣状の多数の穴があり、珍しい。三社権現の裏手の山頂に向かってみたが、険しい岩場が続くので止めておく。また、三社権現の手前に「千手観音洞窟 この真下50m」の道標があり、踏み跡が続いているので下ってみたが、三社権現から大きな岩尾根が続くものの、件の洞窟がどこかは分からなかった。
三社権現でだいぶ道草を食ったが、ここで疲れては本末転倒である。岩殿山へも険しい稜線が続くという。心して向かう。
稜線を絡んで良く踏まれた道型を辿ると、まず開山塔がある。説明板には「岩殿寺開基慈覚大師円仁の塔なり。朝日さす夕日輝くの伝説あり。黄金千べんが入れてあったと伝える五輪の塔である」とあり、五輪は近年修復されたとのこと。こんな所にも朝日夕日伝説が伝わっているんだ。
稜線を辿ると天狗岩の大きな岩場に差し掛かる。まず岩場に刻まれた石段を登り、スラブ状の岩場をトラバース。手摺の鎖もあるので安心だが、下はかなり切れ落ちている。三社権現の方を振り返ると大きな岩尾根が見える。ここはなかなかの景勝地である。説明板には「役の行者の使いである天狗の休む岩と云う。又千駄焚き岩と称す。柴灯護摩の祈禱を修した岩である。学問行者の旧跡がある。学問行者は役の行者の弟子で岩殿山開山者である」とある。
天狗岩を越え、大きな岩場の脇を下る。この岩場の基部には「兜岩」の標識がある。正面には針葉樹を交えた凹凸の稜線が岩殿山へ続いているのが眺められる。そう遠くはないが、アップダウンが多そうである。
赤松の生えた岩場を下り、少し登り返すと左に別所への登山道を分ける。この辺りから満開のヒカゲツツジが現れ始める。左(東)側が岩壁となって切れ落ち、その縁を歩く。東の眺めが開け、新緑に包まれて山桜をちりばめた低い山並みの彼方に四阿屋山を望む。
一ヶ所、岩稜を抱えるようにして通過する所がある。ヒカゲツツジの群落が現れて見事。これだけまとまって咲いているのを見たのは、私は初めて。
岩場と赤松が多い稜線を辿ると小ギャップがあり、一旦左に下って稜線に復帰。断面が新しい大きな落石が転がっていて、思わず上を見る。右斜面の松林は止め山になっており、立入禁止の張り紙があり、ロープが張られている。松林の間にもヒカゲツツジの群落がある。岩殿山頂上の最後には馬の背状の岩稜がある。ガイド本には跨って通過している写真が掲載されているが、現在では少し手前から右へ巻き道がある。
登り着いた岩殿山頂上には三角点標石と山名標がある。赤松に覆われて展望はない。ここまでの険しい稜線に比べて、なんか呆気ないような、平凡な里山風の山頂だ。今日は多くのハイカーさんを迎えた頂だが、今は他に誰も居なくて静か。
水を飲んでしばらく休憩したのち、往路を戻って下山する。終わってみれば計3時間15分の短い行程の山歩きだったが、スリルと変化に富み、満開のヒカゲツツジを見ることができて実に充実した山歩きであった。
帰りに岩殿寺に立ち寄る。山門にある馬に跨った馬頭観音像?が興味を引く。本堂の前にも馬の像が奉納され、今では山岳修験ではなく、馬に縁の深い寺なのかも。
二日間の山歩きの最後は、近くの差切峡♨坂北荘に日帰り入浴(410円)。差切峡は、麻績川が犀川に流れ込む前に山に狭められた峡谷。いろいろ見所があるそうなので、探勝は山歩きと絡めてまたの機会としよう。一風呂浴びてさっぱり汗を流した後、麻績ICから高速に乗って桐生への帰途についた。
参考ガイド:信州ふるさと120山(信濃毎日新聞社、2011年)