独鈷山〜三依山〜塩沢山
最近、栃木県北西部の帝釈山地にちょくちょく出かけていて、芝草山や持丸山、荒海山に登った。この山域には登ったことのない山がまだまだ多く、一つ登ると次に登りたい山が続いて出てくる。
この週末は冬型の気圧配置が強まり、日本海側の山域では大荒れの天気となるとの予報で、栃木・福島県境稜線の山々は積雪があって難しくなりそう。県境からある程度南に隔たった低山で、栃木百名山の1座でもある塩沢山に登ることを考える。ただし、塩沢山だけでは往復約4時間と行程が短く、少々歩き足りない。そこで、独鈷山と三依山も合わせて、3座を周回して登る計画を立てて出かけてきました。
桐生を早朝、車で出発。R122、日光市街を経由し、R121(会津西街道)を北上して、五十里湖の上流にある「独鈷沢ふれあい公園」の駐車場に車を置く。他の車はなし。周囲の山はすっかり冬枯れ色だ。雨上がりで路面はしっとり濡れ、上空の雲の流れが速い。寒いので今日の服装は冬仕様で、厚手の長袖シャツとトレックパンツを着て来ている。
独鈷山登山口の「猫の野仏」まで、R121を歩く。歩き始めてすぐの道端が塩沢山の登山口で、「栃木百名山 塩沢山→」の道標がある。登山道を覗き込むと杉林の中にか細い踏み跡が通じ、なんか、貧相な沢の出合を見たような雰囲気を感じる😅
さらに男鹿川の渓流を横目に眺めつつR121を歩く。車通りは少ない。「これよりみよりそば街道」の看板を過ぎ、約30分の車道歩きで独鈷沢わさび園に着く。わさび園はまだ営業時間前。国道を隔てた向かいに紫陽花と苔に囲まれて猫の野仏(金花猫大明神)がある。
傍らに説明板がある。猫様をお祀りした大変貴重かつ有難い野仏なので、テキストに起こしておこう(因みにmacOSの写真アプリでは、写真中のテキストを自動で認識表示してコピペ出来る。認識精度も高く、超便利👍️)。
国道一二一号線は「会津西街道」として昔から北陸、出羽、会津の各方面から江戸へ通ずる重要な街道でした。特に江戸時代は参勤交代の大名行列も頻繁に往来していた。
江戸時代は天保六年(一八三五)、今から一七七年前のことである。会津の殿様が参勤交代のため、ここ獨鈷の郷を通ったところ、殿様の乗った駕籠の前を一匹の猫が横切った。近侍するものに、「無礼者!ネコめ!」とその場で猫は満らえられ、一刀のもとに仕留められてしまった。
一方、江戸へ着いた殿様は、原因不明の病にかかり危篤状態が続いていて高熱にうなされていた。江戸中の医師たちに診てもらっても病状は恢復せず苦しんでいた。最後に、祈禱師に診てもらったところ、猫の祟りだという。すぐさま、国家老が直々に獨鈷村に着き、名主の君島友吉の名前で供養塔「金花猫大明神」を建てて、ねんごろに弔ったところ、猫の祟りは噓のようにえ、病は治ったという。
そして、このことがあって以来、この供養塔は「猫の神様」として、天の災いを除き、難病をも治す村の守護神となり、村人の信仰の対象ともなった。また、村人や旅人の参拝も多く、お供え物が絶えなかったそうだ。
正面には「金花猫大明神」と二本の尾をもつ猫の絵が、台座には「万人講」と刻まれ、側面には「天保六年六月十一日」、「獨鈷沢村君島友吉」とある。「大明神」号付の供養塔は、殿様の大きな援助があったといわれている。
二〇一二年一〇月吉日 独鈷沢自治会
今日もお賽銭の他、CIAOとろみ焼かつおの缶詰がお供えされていて、猫好きがお参りしていることが窺える。
猫の野仏の脇から独鈷山への登山道に入る。前回、ここに来て登山口を偵察したときは「独鈷山70分→」の道標があった(山行記録)が、今は無くなっている。すぐに「廿三夜供養」の石碑がある。享和二壬戌(1802)七月吉日の銘があり、猫の野仏よりも古い物だ。
登山道は杉林の急斜面を斜め上に登り、切り返して枝尾根の上に出る。木立を透かして、R121沿いの独鈷沢の集落が見おろせる。送電線巡視路の黄色標柱があり、この道は送電鉄塔に通じているようだ。果たして、冬枯れの林に覆われた急峻な枝尾根を、落ち葉に覆われた微かな踏み跡を辿ってジグザグに登ると、送電鉄塔に登り着く。
巡視路は送電鉄塔で終点で、この先、道型はないが、藪も皆無。枝尾根を一直線に急登すると、程なく傾斜が緩んで、広くなだらかな尾根の上に出る。すっかり葉を落とした木立の間から日が差して明るい。ゆるゆると尾根を登る。木の間から左手に冠雪した荒海山を望む。2週間前に登った際、頂上では暑い程の陽気だった。季節の急な変化を実感する。
だらだらと登って1023m標高点のなだらかなピークを過ぎ、三角点標石のある独鈷山の頂上に着く。「独鈷山 1023.9」の小さな山名標がある。木立に囲まれ、展望はアテラ沢の谷を隔てて塩沢山辺りの稜線が見える程度。雰囲気は明るいが、静けさに包まれた寂峰だ。
独鈷山頂上から少し下ったのち、再び登りに転じて、相変わらず冬枯れのなだらかな尾根を辿る。行く手には高い山影が見えてくるが、どれが三依山だろう。左手には終始、荒海山と整った三角形の芝草山、山麓の中三依の集落が垣間見える。会津側から飛んできた雪粒に日が当たり、虹が架かって綺麗だ。写真に撮ろうとしたが、木立が邪魔で難しい。
ゆるくて全然疲れない登りが続く。やがて、薄くシャーベット状に積もった雪が断続的に現れる。一応、スパッツを持参しているが、使う程の積雪ではないと判断して、そのまま進む。途中、ブナの幹から別のブナの根が生えたかのような異形のブナを見た。遊星からのブナ星人などと連想。ちょっと不気味。
やがて低い笹原となり、その中の微かな踏み跡を辿る。尾根幅が狭まり、傾斜も少し増す。笹に積もった雪でトレックパンツの裾が濡れて、靴の中もじんわり冷たい。やっぱり、スパッツを着けた方が良いかなあ、と迷っているうちに三依山の頂上に到着する。
頂上には栃木の山紀行さんや山部さん他、3つの山名標がある。木立に囲まれて展望はないが、切れ間から白くなった七ヶ岳を遠望する。三角点標石もあるはずだが見当たらないな。ちょっと探して、笹の間に半ば埋もれていたのを見出す。笹の上に雪が積もって腰を下ろせる場所がないし、北風が吹き抜けて寒々しいので、ゆっくり休憩できない。もう少し先に進んだところで昼食にしよう。
三依山の東のピークが今日の行程の折り返し点で、ここから塩沢山へは南西に向かうが、反対側の稜線から高原山の展望が得られそうなので、ちょっと寄り道。スケールを小さくした八ヶ岳という感じで、前黒山、明神岳、釈迦ヶ岳、鶏頂山などの峰が連立して眺められる。スキー場(ハンターマウンテン塩原)はまだ雪が少なく、オープンは先のようだ。
塩沢山に向かって南西へ稜線を辿る。こちらも樹林は冬枯れだが、下生えが笹原の黄緑に覆われ、段々晴れて日が差してきたこともあり、雰囲気がぐっと明るく感じる。右手には三依山の円い頂が青空を背景に眺められる。天気は晴れに向かっているようだ。
ゆるゆると下ると雪が消える。日溜まりの小平地があり、ここで昼食休憩とする。鯖味噌煮をつまみに缶ビールを飲み、冬の定番、鍋焼きうどんを食べる。熱々の麺と天ぷらが崩れて溶け込んだスープが美味く、身体の芯から温まる。
この先は笹が下生えの小さなアップダウンが塩沢山まで続く。途中、低木帯の小枝がちょっと被さる区間があるが、藪とまではいかない。笹の間に踏み跡が続くが、これはけもの道だろうな。マーキングの類は少ない。左には大塩沢の意外と深い谷を隔てて、日光・那須塩原市境稜線が横たわり、その向こうになだらかな山裾を広げた高原山が見える。
ブナと笹に覆われた尾根を辿ると、大きな登りもなく三角点標石と山名看板のある塩沢山の頂上に着く。頂上の南は急斜面で、木の間から五十里湖の水面が光っているのが俯瞰できる。また、樹林の切れ間から高原山も眺められる。頂上は狭いが、居心地は悪くない。
頂上で小休止したのち、下山にかかる。あとは栃百のガイド本にも掲載されている一般登山道だから楽勝、と思っていたが、然うは問屋が卸さなかった。
まず、頂上から西尾根を下る。笹原に明瞭な道型が通じ、快適に高度を落とす。カラマツ林に入り、ところどころで五十里湖を眺める。ちょっと登り返し、平坦なピークで左(南)の尾根に向きを変える。ここからの下りが結構、急である。
尾根が急峻なため、登山道は右斜面をジグザグに下り始める。道型は細く微かで、落ち葉も厚く積もる。滑落したら止まらないような急斜面なので、一歩一歩慎重に歩く。ここが今日の行程で一番の難所だ。
尾根に復帰し、ちょっと登った小ピーク上に「遊雪の君」の標識がある。地名の由来は知らないが、あの急斜面に雪が積もっていたら遊ぶどころではなく危険だろう。
この先の尾根の下りも急だが、左の斜面をジグザグに下る道もあるし、尾根通しに下ることも可能。やがて「一服ウチワ」の標識があり、ここで尾根から右に外れて、水のない急峻な谷間をジグザグに下る。落ち葉に隠れて転石が多いので、石車に乗らないように注意。谷間を下り切って、小さな沢を渡る。
沢の左岸を辿ると、山腹の高いところのトラバース道となる。杉林に入り、大きく切り返して下ると、今朝、通ったR121沿いの登山口に着く。入口の様子からは思いも付かない険しい登山道であった。ここから駐車地の独鈷沢ふれあい公園は目と鼻の先である。
帰りは、持丸山に登ったときに続いて、道の駅湯西川の温泉「湯の郷」に日帰り入浴で立ち寄る。今日は寒かったから、ゆったりと湯に浸かって身体を温めるのは極楽。その後、観光客で賑わう日光市街を抜け(渋滞なし)、R122を経由して桐生に帰った。