羽黒山〜行道山〜馬打山
COVID-19の感染拡大のため、年末年始恒例の温泉旅行&山歩きは取り止めとなり、冬休みはステイ実家で過ごしたので、今回の山歩きが2021年の最初の山歩きとなる。前回に続き、遠出と人出を避けて足利百名山(以下、足百)巡りを考えてみる。
まだ登っていない足百で一番高いのは馬打山なので、次はこれに登ろうかな。高いとは言っても、馬打山の標高は僅か273m。この1座だけではもちろん歩き足りないので、同じく足百で未踏の羽黒山から行道山西尾根を登り、行道山に立ち寄って馬打山まで繫いで歩くことにして、出かけてきました。
桐生を朝のんびりと車で出発。県道松田葉鹿線を松田川沿いに北上し、板倉町の雷神社の広い境内に車を置く。この神社に行く途中の橋は非常に幅が狭く、車で通れる気がしなかったので、下流から迂回した(この橋は帰りにチャレンジして、ギリギリで渡れた)。
雷神社は開けた畑地の真ん中にあり、周りを取り囲む低い山並みが見渡せる。長閑な田園風景だなあ。神社の裏手に見える山が羽黒山だ。畑仕事中のおばあさんに挨拶して山の名を伺うと、やはり羽黒山と呼んでおられた。昔は道があったが、今は荒れているとのこと。羽黒山に向かって歩き出す。途中に板倉町集会所があり、こちらに駐車しても良い。
集会所の前の車道を東に進むと左側に太陽光発電所があり、それを過ぎた角に「←羽黒古墳」の道標と青面金剛像、石祠と数基の庚申塔がある。ここが羽黒山の登り口だ。
登り口から山の端の小径に入る。直ぐ先に防獣フェンスがあり、金網をスライドして通過。参道石段を登り「六之丞八幡」の額を掲げた石鳥居を潜ると、スリムな社殿に着く。傍らには「濟世救民者丈夫之本懐」の石碑がある。碑文は長い漢文で読めないが、冒頭に「堀江氏通称六之丞…」とあり、どうやら六之丞という人を讃えて祀った神社のようだ。
道があるのはここまで。社殿の右から松や雑木の林の尾根を登り始める。笹がポソポソと生えて、道型はないが藪漕ぎと言う程ではない。左手に木立を透かして松田川沿いの集落や田畑を間近に見おろす。尾根を緩く登って行くと林と笹が少し疎らになり、羽黒山の頂上に登り着く。「足利百名山第35座羽黒山」の山名標識がある他は、何もなし。行く手には、木の間越しとなるが、これから辿る西尾根が徐々に高まって行く様子が眺められる。
頂上から鞍部へ緩く下る。陽当たりが良い鞍部は、笹藪が酷い。登り返すと笹藪を抜け、短い急坂を上がって三角点標石のある241mピークに登り着く。ここも雑木林に囲まれて展望はないが、雰囲気は明るい。
さらに、なだらかな尾根を辿って、小さくアップダウンする。木の間から右側の谷間を見おろすとゴルフ場の枯草色のコースが広がり、谷を隔てて、大岩山から西に延びて障子岩のピークを起こす尾根が眺められる。
やがて露岩の多い登りとなり、木立が疎らになって、周囲の眺めが開け始める。振り返れば八王子丘陵が横たわり、秩父山地の山影を薄らと遠望する。左手には石尊山から深高山への平坦な山稜と、その左奥に少しだけ冠雪した赤城山を望む。
すぐに露岩に覆われた小ピークに到着。行く手に、行道山から大岩山にかけてのなだらかな稜線が眺められる。その手前には松が点々と生えた岩尾根があり、里山にしてはなかなか大きな岩場なので、目を惹く。
露岩と松の尾根を緩く辿ると、件の岩尾根のピークに着く。岩尾根をゴルフ場の方へ少し下ってみると、ゴルフ場の池やフェアウェイを隔てて、その名の如く岩壁を峙てた障子岩のピークが遮る物なく眺められる。里山なのでスケールはミニミニサイズだが、なかなか険しいピークだ。障子岩の尾根は昨年4月に歩いて、かなり楽しめた(山行記録)。一方、岩尾根の先は急角度で落ち込んでおり、下から登ってみるのも面白いかも。
岩尾根ピークから行道山に向かう。右側斜面は広く伐採されていて、障子岩を眺めながら進む。伐られて倒れた枯れ木にカカオ豆の様な実がたくさん成っている。枝には大きく鋭い棘が密に生えていて、迂闊に摑めない。後日調べると、ジャケツイバラの実らしい。
尾根を辿ると明るい雑木林に入り、緩急を繰り返して登る。ゴルフ場からも離れ始め、何気に奥山の雰囲気がある。やがて小さな岩場が続く尾根の登りとなる。どの岩場も容易だが、変化に富んで面白い。傾斜が増した岩尾根を登って、361m標高点のピークに着く。
ピークの少し先に木立が切れて眺めが開ける場所があり、ここで一休みして、パンとペットボトル飲料で昼食とする。行く手には行道山から大岩山に続く稜線を間近に眺め、行道山頂上の東屋や縦走路を歩くハイカーさんの姿も小さく視認できる。
361m標高点から短い急坂を下り、登り返すと再び岩尾根となる。ところどころで展望が得られ、松田川沿いの集落を隔てて、深高山から仙人ヶ岳辺りの山並みを眺める。そちらから頻りに破裂音が響いて聞こえるのは、どうも山麓に射撃場があるためらしい。
小ピークに登り着くとその先にはまた小ピークがあり、岩場が断続する尾根の小さなアップダウンが続く。尾根の左側が岩壁となって切れ落ちた箇所もあるが、危険は全くない。岩尾根の楽しい登りが続く。
登り着いた小ピークから振り返ると、辿って来た西尾根がうねうねと延びて落ち、その向こうに八王子丘陵や関東平野を遠望する。行く手には行道山付近の主稜線が近い。
小鞍部に下って急坂を登ると、植林に覆われた緩やかな主稜線に着き、登山道に合流する。行道山西尾根は、後半に岩尾根が続いて面白かった。お勧め。
主稜線を右(南)に辿り、浄因寺から登って来た関東ふれあいの道(以下、関ふれ道と略)を合わせ、ひと登りして行道山(石尊山見晴台)の頂上に着く。ここに登るのは6年振り(前回の山行記録)。石祠、東屋とベンチ、三角点標石の他に「足利百名山第7座行道山」の標識が増えている。
今日は冬らしく空気が澄んでいるので、眺めが良い。関東平野から秩父山地、赤城山、袈裟丸山を遠望する。展望を楽しんでいると、大岩山の方からソロの女性ハイカーさんが到着。挨拶して話を伺うと、南からずっと縦走して来たとのこと。健脚な方だ。
行道山を辞して主稜線を戻り、馬打山に向かう。浄因寺分岐を過ぎ、主稜線通しに進む。こちらの道は関ふれ道から外れているが、良く整備されている。
道はやがて大きな下りに差し掛かり、檜植林の中を急降下。途中、右側斜面が広く伐採されて、昨年歩いた田島川左岸尾根や山王山〜鳩の峰など、安蘇山塊の山並みが折り重なって眺められ、筑波山の山影を遠望する。
再び樹林帯に入り、傾斜の緩んだ主稜線を辿る。滑り易い坂道を下ると、左右に峠道が通じる行道峠に着く。左の松田川側の峠道は笹が刈り払われた良い道なので、歩いてみたくなる。馬打山を端折って下っちゃおうかとも思ったが、ここは予定通り主稜線を直進。
行道峠から笹の切り開き道を登る。310m標高点を過ぎ、さらに少し登って、浄因寺を経由して来た関ふれ道に合流する。平坦な主稜線を北へ、しばらく関ふれ道を辿る。
程なく、関ふれ道は右折して馬打峠へ下るので、主稜線を直進。そこはかとない踏み跡を辿り、ほとんど登りなく馬打山の頂上に着く。およそ頂らしくなく、「足利百名山第23座馬打山」と「馬打山273m」の二つの山名標識があるだけの地味な頂上だ。まあ、足百が目当てのピークハンターくらいしか、訪れる人はいないだろう(^^;)
馬打山からは西へ尾根を下る。そろそろ陽が傾いて、雑木林に差し込む光も赤味を帯びてきた。地形図では尾根上に破線路があるが、道型はほとんど見あたらない。小枝が煩い林の中を下って行くと、荒れた作業道に出る。作業道は右へ下って行き、尾根を直進しようとすると隙間のない猛烈な笹藪が行く手を塞ぐ。尾根通しは無理だな。作業道を下ろうか、そうすれば馬打峠越えの車道に下れるだろう……
……と思ったが、尾根の左をトラバースして作業道跡が通じていることに気付く。こちらも笹藪が大概だが、ま、ダメ元で行ってみますか。
作業道跡を辿ると、しばらくして終点となり、そこから雑木林の間を少し登って尾根の上に復帰する。密な笹藪は消えて、歩き易い。なだらかな尾根を辿り、杉植林を抜けると伐採地に出て、直下に作業道が通る。ここは左へ。雑木林の中を進むと再び笹藪が濃くなり、尾根の末端に着く。右に折れる尾根は少し高くなって240m標高点に向かう。ここは左に折れて下る。
常緑樹を含む雑木と笹藪の尾根を下る。途中の木の枝に、片玉が外れたメガネがぶら下がっているのを見た。この藪尾根で難に遭ったハイカーさんが残した物だろう。ナムナム。
馬打山から西尾根を下ったのは失敗だったなー、と思いつつ、笹藪を搔き分けて下ると、突然、祠が建つ開けた場所に出る。祠の中にはお稲荷さんの置物がたくさん供えられているから、稲荷神社かな。この先には立派な参道があり、信仰を集めていることが窺える。最後に良い物を見ることができ、終わり良ければ全て良し、という気分になる。
参道を下ればすぐに山麓の車道に出て、行道山を眺める。あとは車道を歩き、県道松田葉鹿線を辿って雷神社に戻る。松田川と付いたり離れたりして県道を歩く。行道山から右に、今日、登った西尾根のスカイラインが延びる。正面から西日に照らされても、尾根の直下は黒々とした陰になっていて、なかなかの険しさが窺える。
途中、足バスのバス停を数えたり、松田川の開けた淵に浮かぶマガモの群れを眺めたりして、車道歩きの単調さもあまり感じなくてすむ。秩父山地に沈もうとする太陽に向かって県道を歩き、左折。松田川に架かる羽黒橋を渡って、雷神社に帰り着いた。
馬打山はともかく、行道山西尾根は変化に富んで面白かった。遠出は当面、難しそうだが、近くの低山でも十分に楽しめるのはありがたいと感じつつ、桐生への帰途についた。