毛無山〜三角山〜大源太山〜平標山〜松手山
桐生を深夜に車で出発。関越道・赤城IC〜月夜野IC、R17を経由して二居(ふたい)に向かう。今日は「宿場の湯」のある二居に車を置き、路線バス(南越後観光バス・湯沢駅-浅貝-西武クリスタル線)で浅貝に移動。三角山登山道→平標山→松手尾根と歩いて二居に戻り、宿場の湯で日帰り入浴して山行を締め括る予定である。
二居に5時半に到着し、田代ロープウェイ山麓駅の広い駐車場(閉鎖中)と車道を隔てて二居川の側にあるだだっ広い駐車場に車を置く。日の出の直前で周囲の山はまだ暗いが、上空は明るく、青空が広がる。山に纏わり付いている雲も薄く曙色に染まり、時が経てば消えるだろう。天気予報の通り、今日は絶好の登山日和だ。準備を整え、R17に出たところにある二居田代スキー場前バス停で、6:36の西武クリスタル前行のバスをのんびり待つ。
周囲の山にも徐々に陽が当たり始め、ほぼ定刻にバスが到着。乗客はソロハイカーさんが二人のみ。二人とも平標登山口バス停で下車。車窓からチラリと見えた平標登山口の駐車場には、既にかなりの車がある。苗場スキー場の前を通り過ぎ、浅貝の街並みに入って、浅貝バス停で下車する。運賃は290円也。街並みといっても専らスキーで栄えているところだし、朝早いこともあって、表には人っ子一人見かけない。
バス停から、旧三国街道の標識のある裏通りに入る。左手に浅貝スキー場跡の、今は草に覆われた斜面が現れ、「三角山登山口 所要時間2時間30分 平標山←三角山→三国峠」の道標が立つ。
登山口から、スキー場跡の中の舗装された作業道を登る。スキー場の跡地というものは、かつてのスキーブームを思うと侘しく感じるが、ススキの穂や色づいた草葉が秋の深まりも感じさせて、風情がある。振り返れば、浅貝の高層ホテル群の向こうに苗場スキー場(こちらは健在)が見え、その右には苗場山の頂が僅かに覗いている。
作業道を大きく蛇行して登ると「三角山登山道」の道標があり、右に登山道が分岐する。道標の隣りには「毒キノコに注意!」との新し目の看板が湯沢町の名義で立てられている。曰く、猛毒のカエンタケが発生しており、触れるだけで皮膚が爛れるので、絶対に触るな、とのこと。カエンタケの写真付き。カエンタケがあるなら、是非見てみたい。
登山道に入り、スキー場跡を抜けて山腹をトラバースし、広葉樹林に覆われた尾根を登り始める。所々に「KWV 浅貝新生会」と記されたプレートがあり、急坂にはロープが張られて、良く整備された登山道が続く。木々の葉はほんのり色付き始め、もう少し経てば良い色合いになりそうである。
やがて、石組の台座が現れる。台座の上面はブロンズのプレートで、「丸瀬康郎追悼碑 慶應義塾大学工学部昭和47年卒 昭和53年1月10日没 慶應義塾大学ワンダーフォーゲル部」と記されている。何が起こったのかは定かでないが、KWVが何の略かだけは解った。
さらに尾根を急登すると小ピークに着き、その先は平坦な尾根となる。右側の樹林が切れて、小さく突き出たピークが目を引く向山(1432m)や、その奥の稲包山が眺められる。
行く手に巨大な送電鉄塔を見上げて進むと、毛無山の頂上に着く。樹林に囲まれて展望はない。山名標識の他に記念プレートがあり、次のように記されている。
この山道は青年会新道という。昭和34年浅貝と三国山脈を結ぶ最短のルートとして浅貝青年会が開発したが、歩く人無く笹薮に戻った。平成10年KWV有志により再開発され、浅貝新生会が維持している。末永く多くの人がこの道を歩き続けることを願う。平成22年8月 浅貝新生会 慶應義塾大学ワンダーフォーゲル部
ありがたく歩かせて頂いております。自然林が美しく、静かで良い道だとしみじみ思う。
頂上から少し進むと再び右側の樹林が切れ、大源太山と三角山の頂上を高く仰ぐ。すぐに、河内沢から上がってきた林道終点を過ぎ、続いて送電鉄塔を見る。鉄塔の脚の間から苗場山を覗き、鉄塔の先でカラマツの梢越しに今日初めて平標山と仙ノ倉山を望む。平標山はかなり遠くに感じる。登山道の陽当たりの良い区間は少し草藪に覆われるが、道型は明瞭で良い道が続く。
ゆるゆると下ってなだらかな鞍部から尾根の登りにかかる。林床に笹が繁茂しているが、良く刈り払いされた山道が続く。樹林の切れた箇所からは、稲包山から上ノ倉山にかけての上越国境稜線が眺められる。
尾根上にはほんのりと黄葉が始まったブナが多く立ち並ぶ。カエンタケは見つからないが、足元にクチベニタケを発見。名の由来は見ての通り。初めて見るきのこで珍しい。
ブナと笹に覆われた尾根を急登し、三角山の頂上に飛び出て縦走路に合流する。三国山脈の途中にちょこんと突き出た小ピークで360°に展望が開け、周囲の紅葉も見頃で素晴らしい。ソロハイカーさんが休憩中で、この大展望にカメラを向けて居られる。
北にはすぐ隣に大源太山がのっそりと高い。その左奥には平標山と仙ノ倉山がゆったりと稜線を拡げ、広大な笹原の斜面の中に笹穴沢源頭の一筋の水流が細く見える。
南にはゆるやかな主稜線が丸みを帯びた台形の三国山へと続く。南から東にかけては吾妻耶山や大峰山、三峰山、子持山、遠くに赤城山の山影を望み、西には上ノ倉山から苗場山にかけての上信越国境稜線の山々を見渡す。
三角山からの展望を楽しんだのち、縦走路を平標山に向かう。縦走路は笹尾根を辿り、大源太山の西斜面の樹林に入って山腹を巻く。巻き道の途中に道標があり、大源太山への道が分岐する。ここから大源太山を往復する。
樹林の中を登ると頂上稜線の一角に出て、笹原から南面の眺めが開け、三角山の頂上が見おろせる。三角山から三国山、稲包山へと延びる上越国境稜線を望み、浅間連峰の山影を遠望する。笹原と紅葉した低木の稜線を緩く辿って、大源太山の頂上に着く。
大源太山に登頂したのは、川古温泉から仙ノ倉山〜平標山を周回したとき以来、17年振り2回目。前回も谷川連峰の眺めが良かったことが記憶に残っているが、今回は紅葉の時期で快晴だから展望がクリアで、さらに素晴らしい。特にエビス大黒ノ頭の南面の険しい岩肌が印象的だ。その右奥には万太郎山の三角形のピークが見え、奥には谷川岳を遠望する。
一通り展望をカメラに収めて縦走路に戻り、平標山に向かう。山腹の巻き道から主稜線上に出ると、木立が低くなって展望が開け、再び谷川連峰のパノラマが展開する。歩を進めるとグングン近づく平標山、仙ノ倉山の眺めが素晴らしい。右にはスラブやナメ滝が連続する笹穴沢を見おろす。振り返って眺める大源太山も良い色合いに染まっている。
明るく爽快な尾根道を辿って平標山ノ家に着く。小屋の周囲のベンチやテーブルでは、大勢のハイカーさんが休憩中。ここから平標山のメインコースとなり、ハイカーさんの数がグッと増える。小屋の外に仙平清水と称する水場があり、塩ビパイプからバンバン流れ出す冷たい水を掬って飲む。テン場もあり、数個のテントが張られている。WCはチップ制。
しばらく休憩したのち、平標山への登りに取り付く。ほぼ頂上まで見通せて、笹原の中に一直線に木の階段道が続く。メインコースなので大勢のハイカーさんと交差する。この階段は段差があって、なかなかきつい。下りに取るのが吉だ。
振り返ると笹原を一直線に下る階段道とハイカーさんの列を望み、山ノ家を俯瞰する。その先には大源太山、右奥には三国山を望む。傾斜が緩まり、最後に一頑張りして、ハイカーさんで大賑わいの平標山の頂上に登り着く。
頂上からは、遮るもののない正に360°の展望が開ける。南西には苗場スキー場を俯瞰し、その奥に上ノ倉山を遠望、右に佐武流山、苗場山と長大な山並みが続く。
北には魚沼盆地を遠望し、東にかけて越後三山、巻機山、朝日岳が折り重なって眺められ、茂倉岳や一ノ倉岳も見える。東には仙ノ倉山がゆったりと大きく、笹原の中の一条の木道がそちらへ延びて、行き来するハイカーさんの列が見える。今日はちょっと疲れたので、仙ノ倉山の往復は割愛する。
そろそろ正午なので、ここで昼食休憩とし、頂上の広場の縁に腰を下ろす。大勢のハイカーさんが休憩中で、あまり余地はない。まずは鯖味噌をつまみに缶ビールを飲み、カップ麺の鶏白湯うどんを食べる。これはスープが薬臭くてイマイチだな。
昼食を取ってゆっくり休み、元気を回復。そろそろ下山にかかろう。平標新道を右に分け、松手山に向かって下る。笹原に覆われて開けた尾根を、正面に常に苗場山を眺めながら下る快適な道だ。左手のヤカイ沢の源頭斜面は二昔も前だがスキーで滑ったことがあり、とても懐かしい(山行記録)。そう言えば近年は暖冬少雪続きで、スキーや雪山とご無沙汰だなあ。
コブを一つ越えて下り着いた小さなザレ地には九合目の標識があり、登りの途中と思しき大勢のハイカーさんが休憩中。ここには大山祇の石碑がある。
少し急な下りとなり、ジグザグの木の階段道も現れる。八合目は坂の途中。眼下の松手山への尾根は真っ赤に紅葉して見映えがする。傾斜が緩むと七合目の標識がある。
七合目からゆるゆると下り、ちょっとだけ登り返して、三角点標石のある松手山に着く。振り返れば平標山の頂がもう遥かに高い。水を飲んで一休みしている間に後続のハイカーさんも次々に到着する。
松手山からは、元橋駐車場への道を左に分け、二居に向かって北に延びる松手尾根を下る。この尾根を歩くハイカーさんは稀だろう。すぐに熊出没注意!の警告があり、人の多い区間では外していた熊鈴をザックに取り付ける。
ブナ等の樹林に覆われ、そう急ではなく一定斜度で直線的な尾根の下りが続く。笹は広く刈り払われ、路面は柔らかくて歩き易く、気持ち良い下りが続く。ところどころ滑り易いのは注意。単調な下りで睡眠不足がどっと出て、道端にシートを敷いて一眠りしていたら、歩く人はいないと思っていたのに、ソロハイカーさんが下って来た😅
傾斜が増してジグザグに下ると程なく道標が現れ、尾根上から離れて右に下る。すぐに林道終点に付き、「松手山林道終点」の標識がある。あとは林道を下る。未舗装道だが路面は良好で、車でも走れそう(ただし、山麓にゲートがあって侵入不可)。
尾根の直下を進むと、頭上に巨大な送電鉄塔が現れる。この送電線は毛無山の送電鉄塔を通るものと同じ。林道は右に切り返して、急な山腹を斜めに下る。谷に近づくと樹林が切れて、平標山の頂が見上げるような高さにある。いやー、随分下って来たなあ。ここと頂上の標高差は1000m近くある。平標山から北へ峰続きの日白山や東谷山も仰がれるが、見える地点は限られる。
大きくジグザグを切って、ようやく谷底に下り着き、枯れ沢を渡ると林道分岐に着く。道標あり。舗装された林道を下り、地王堂川に架かる橋を渡る。この橋の欄干は太いL字鋼だが、ぐんにゃりとひしゃげて、積雪の多さと重みが察せられる。
地王堂川沿いの林道に合流すれば、あとは東谷山〜日白山を歩いた際に下ったことのある道だ。すぐにゲートがあり、ここから上流側へは車は入れない。
杉林の中をてれてれ歩いて二居集落に下り着く。林道入口には「←松手山を経て平標山」との道標が立つ。下りでも長くてしんどかったので、ここから平標山へ登ろうとする人は、かなりの好事家だろう。しかし、松手尾根も三角山登山道と同じく、自然林が美しく、静かで良い道だと思う。
二居集落の中程には立派な古民家が建ち、「三国街道二居本陣富沢家」との説明板がある。三国街道を参勤交代する大名一行のうち、藩主が泊まったとのこと(家臣は村中の家に分宿)。現在の建物は、慶応四(1868)年の戦火で消失した後、翌年に以前のままの形式で再建されたもの。三国街道の歴史が感じられるスポットだ。
車がビュンビュン走る現代の三国街道を小走りで横断し、車を置いた駐車場に帰着する。今日は終始、穏やかで爽やかな好天に恵まれ、大展望と見頃の紅葉を満喫した。宿場の湯はそう混んでいなくて、ゆったりと湯船に浸かる(600円)。
帰りは下道で行こうとしたが、R17でJR岩本駅の手前あたりから混み始めたので、昭和IC〜赤城ICで関越道を使う。高速も8月に走った時と比べて車が多く、緊急事態宣言が9月末で解除されて人出が増えたようだ。コロナ禍は終息して欲しいが、渋滞の復活は嫌なので何とかならないか、などと思案しつつ帰桐した。