岩櫃山
ぐんま百名山で、私がまだ登っていない山の一つに岩櫃山がある。岩櫃山に行くなら紅葉の時期が一番良さそう。毎年11月3日に平沢の登山口広場で『紅葉祭』が開催されるそうなので、この秋こそはと思って、3日に登る計画を立てる。ところが、週間予報によると3日は曇りで天気が今ひとつかも。という訳で、計画を少し前倒しして出かけてきました。
JRで桐生6:24発。新前橋で吾妻線の列車に乗り換えて、郷原(ごうばら)8:30着。運賃は片道1,320円也。今日は快晴無風の良い天気だ。駅前から、朝日を浴びて聳える岩櫃山の大岩壁を仰ぐ。他のハイカーさんも5人程が下車して、三々五々、岩櫃山に向かって出発。駅前の国道を左に進み、すぐに踏切を渡って、山麓の集落の中の道を辿る。要所に新しい道標あり。岩櫃山の岩峰を見上げては、カッケー!マジ、カッケー!と感嘆し、写真を撮る。紅葉もそこそこ期待できそうである。
途中に登山者用駐車場があり、周囲に「歓迎 2016年大河ドラマ『真田丸』に決定!真田幸村×三谷幸喜 東吾妻町 岩櫃」との幟が多数立つ。地元で今からいろいろ盛り上げようとしているらしい。駐車場も最近、拡張整備されたようで、20台位のキャパがある。
この先に「←密岩神社」の道標があり、ちょっと回り道して立ち寄ってみる。小さな丘の上に出ると、岩櫃山を背にして密岩神社里宮の小さな社殿が建つ。
神社の謂れ書きによると、岩櫃城主斎藤基国は真田幸隆に攻められ、奥方、若姫君と城から逃れるが離散。懐妊していた奥方は、岩櫃山中の洞穴で子を産んで育てた。夫基国を慕う奥方は子を里人に託し、夫を探す旅に出たが会うこと叶わず、洞穴に戻って亡くなった。奥方を哀れに思った里人は、密岩権現として洞穴(奥宮)に祀った。近年、奥宮は落石のため参拝できなくなったので、この地に里宮が建てられた、とのこと。とゆーことは、真田家は地元の古い仇に当たるのかな、という気がしないでもない。
集落と畑池の中の道を歩いて山の端に辿り着くと、「密岩通り登山口」の標識があり、ここから杉林に入って山腹を急登する。「岩ヒバ(岩マツ)の採取厳禁」の看板あり。岩ヒバって何?と考えて、羽賀場山に登ったとき、登山口の長安寺の石段にビッシリ生えていたのを見たことを思い出す。あれは造園用に人気が高いだろうな。
杉林を抜けると、色付き始めた雑木林の急登となる。岩場には鎖が張られているが、使うほどではない。右手には大岩壁が覆い被さるように聳え、日陰となった谷間を上がる。この風景は、西上州の立岩を思い出させる。
やがて、尾根上の鞍部に登り着く。「山頂 0.8km →」の道標あり。距離は短いが、ここから頂上まで、岩場が続く核心部だ。尾根を急登し、鎖場と梯子を登ると、左は天狗の架け橋、右は迂回路の分岐点に着く。左からご夫婦ハイカーさんがやって来て、右へ向かう。どうやら、天狗の架け橋を渡るのを断念して、戻って来たようだ。どれどれ、どんな橋かな。ワクワクしながら左に進む。
左にトラバースして岩尾根の上に出ると、幅50cm、長さ2m程の蟻の塔渡りになっている。両側は切れ落ちて、落ちたらアウトの難所だが、戸隠山の本家「蟻の塔渡り」に比べれば、スケールは1/10である。息を整えて、ササッと渡る。振り返ると蟻の塔渡りの下は抉れて穴が開いており、確かに橋になっている。これは面白い自然の造形だ。
迂回路と合流。すぐに岩稜の鎖場となり、これを登ると頂上がすぐ目の前に現れる。しかし、まだまだ気は抜けない。下った鞍部には「↓鷹の巣遺跡」の道標あり。距離が判らなかったので割愛。登り返すと大きな岩場に突き当たり、鎖を手繰って上がると、ポッカリと開いた穴が岩場の向こうに通じている。ここが御厩と呼ばれている場所で、これも面白い自然の造形だ。
登山道は岩穴を潜って進む。鎖場と梯子で岩稜に上がると、反対側は断崖絶壁で、眼下に山麓の集落や蛇行する吾妻川を俯瞰する。道は絶壁の縁をトラバースしており、手摺はあるものの、高度感が半端ない。
このトラバースは、岩櫃山の頂上ピークの南面直下を西から東に巻いており、頂上へは東から取り付く。岩稜上の長い鎖場を登ると、岩櫃山の頂上に登り着く。
頂上は岩峰の天辺の狭い平地となり、展望盤が置かれている。奥の小さな岩場の上が最高点で、山名標と旗竿が立つ。岩場に上がって反対側を覗き込むと、さっきのトラバース道から俯瞰した風景がさらに高度感を増していて、恐ろし過ぎる。展望は岩場を降りて、のんびり楽しもう。
頂上からの展望はまさに360度である。北東には中之条市街や嵩山を望み、赤城山や日光白根山、武尊山を遠望する。左に目を転じると、谷川連峰は霞の中だが、北には白砂山辺りの上信越国境稜線の山並みが見える。北西には峰続きの薬師岳と吾嬬山のもっこりとした山容があり、その左に草津白根山と四阿山を遠望する。南には榛名山が大きくどしっと腰を下ろしている。
登り着いた時は誰もいなかったが、展望を楽しんでいる間にハイカーさんが続々と登ってきて10人程となり、賑やかになる。中には、よく頂上直下の鎖場が登れたなあ、と思う程の年配の方もいらっしゃる。ペットボトルのお茶とミカンで喉を潤し、展望も満喫したので、そろそろ下山するとしよう。
頂上から鎖場を慎重に下り、群馬原町駅方面への道に入る。登り返すと痩せた岩稜の上に出て、こちらも展望が良く、ハイカーさんが休憩中。振り返ると岩櫃山の頂上や、直下の鎖場を上り下りしているハイカーさんが見える。
この先、危ない岩場はない。尾根を絡んで下ると八合目の石碑と標識があり、ここから谷間を下る。
七合目の石碑を過ぎると、両側に岩壁が切り立つゴルジュ状の谷間となる。この地形を「岩櫃」と呼んでいるのかも。岩の割れ目を通り抜ける。見上げる岩壁は高く、周囲の樹林は紅葉して、佳い眺めである。
六合目の石碑を過ぎ、短い梯子を下ると「天狗の蹴上げ岩」の標識がある。見上げるような高さの岩峰に囲まれ、「櫃の口」とも呼ばれている。ここで沢通りのコースから別れて、右の尾根通りへのコースに入る。
すぐに尾根上に出て、右に赤岩通り経由の郷原駅へのコースを分け、左に進む。緩い下りの尾根道となり、頃合いの紅葉を眺めながらのんびり歩く。途中に岩場があり、丁寧に迂回路もあるが、大したことはない。
登山道の真ん中に突き立つ「天狗岩」という岩塔を過ぎると、尾根はさらに緩んで里山の雰囲気。木立の間から、中腹に岩場と紅葉をちりばめた岩櫃山を振り返る。
紅葉の雑木林から杉植林帯に入ると、程なく岩櫃城本丸址に着く。まだニスの新しい立派な木製の碑と説明板、近くには東屋があり、「真田丸」関連の幟もたくさんある。
この城跡は、素人目にも遺構が大きく、それと分かり易い。堅堀や二の丸跡、中城跡を巡ると山麓の畑に出て、一本松登山口に着く。周囲には休憩所や新しいWC、5台分程の駐車余地がある。車道を少し下った所にも登山者用駐車場(50台)があり、3日にはそちらが『紅葉祭』の会場となるようだ。
休憩所に置いてあった案内図を見ると、群馬原町に降りる近道があるようなので、辿ってみることにする。近くに岩櫃神社があるので、それにも序で立ち寄る。小さな丘の上にヒノキ林に囲まれて社殿が建つ。傍らの畑地から眺める岩櫃山は、中腹に岩峰がニョキニョキと突き立つものの、全体的には穏やかな山容で、南面の山麓から仰いだ時のような威圧感は全くない。
長閑な田園の中の車道を辿ると、東京電力原町発電所の調整池の左横を通り、ちょっと藪っぽい道に入る。東の木戸跡という標識があり、案内図によると、ここが城下町の東の固めだったそうだ。
道は緩く下って行く。途中、草藪が被さる区間もあるが問題ない。この坂は番匠(ばんじょう)坂と呼ばれていたそうな。坂を下ると「岩櫃山」の銘のある石灯籠や庚申塔、大黒天の石碑があり、山麓の集落に出る。あとは山の端の車道を辿って、岩櫃城温泉くつろぎの館へ(400円)。公共交通機関利用で登れ、下山地に温泉があって汗を流して帰れるとは、なかなか優れものの山である。
温泉にゆっくり浸かったのち、館内の食堂で昼食をとる。今日の行程は3時間と短いので、当初から下山後に昼食の予定で、ザックにはペットボトル飲料と非常食のお菓子しか入れていない。生ビール2杯、揚げ出し豆腐、モツ煮、やまと豚カレーを食べたら、往復の交通費より高くなった(^^;)。まあ、風呂上がりのビールは最高だし、料理も美味いから良いのだ。群馬原町駅へは歩いて10分。13:34発の列車に乗車して、桐生への帰途についた。