虚空蔵山
長崎に所用があり、その帰り掛けに周辺の山に登ることにした。西九州には所用でちょくちょく来る機会があり、その度に山歩きも楽しんでいるので、この辺りの主な山には大体登っていたりする(多良岳〜経ヶ岳、雲仙岳、黒髪山・天山)。今回は、長崎県東彼杵(そのぎ)郡川棚町の虚空蔵山に登ることにする。標高608mの低山だが、大村湾を望む鋭鋒で、一帯のなだらかな山並みからは一頭地を抜いて存在感のある山である。九州百名山の一座にも選ばれている。
朝9時に長崎駅前からレンタカーで出発。長崎市街を抜け、長崎バイパス、長崎道を経由して、東そのぎICに向かう。この数日の長崎県の天気は不安定で、多良山系の1000m級の頂きは雲の中にすっぽり隠れている。しかし、虚空蔵山は低いから、天気は大丈夫だろう。
東そのぎICで高速を降り、大村湾に沿ってR205を走る。川棚の市街に入って右折、石木川に沿って上流に向かうと、行く手に虚空蔵山が見えてくる。仏像の光背を真横から見たような尖った山容が特徴的だ。
石木川上流の木場郷(この地域にはなんとか郷という地名が多い)に入ると、山あいに民家が点在し、棚田が広がる。急斜面に石垣を高く組んだ見事な棚田で、「日向の棚田」と呼ばれている。しかし、ここにはダム建設の計画があるようで、それに反対する看板があちこちに建つ他、今日はたまたま反対派の集会があるらしく、ダム反対のゼッケンをつけた人々が大勢集っていた。通りすがりのハイカーの感想だが、こんな素晴らしい景観をダム湖の下に沈める意義は全くないと思う。
棚田の間の急坂を登ると、虚空蔵の水汲み場という石積みの小屋がある。中には水神宮が祀られ、湧水が引かれて、集落の人が生活に利用している。
さらに急傾斜の林道を登る。最近の雨で路面がぬめり、車でも滑りそう、山腹をトラバースする広域林業道にT字で合流する地点が木場登山口で、広い駐車場と水場、WCがある。平日にも拘わらず駐車が一台。先行のハイカーさんがいるようだ。
車を置き、出先で山歩きするときの定番の軽装(トレランシューズ、布製ザック)で出発する。高く育った杉林の急斜面を登る。下生えにはアオキが繁茂して、人工林でも自然林に近い雰囲気がある。天気は雲が多いが、時々日が差し込んで、だんだんと回復しているようだ。また、南国らしい蒸し暑さはあるが、酷暑というほどではない。久し振りの山歩きでもあるし、里山の雰囲気を楽しみながらゆっくり歩く。このところの雨続きで転石がぬめって滑りやすく、足元には注意。
やがて、冒険コース(新道)と家族連れコース(旧道)の分岐点に着く。ここは右の冒険コースへ。岩壁の基部を通ったり、岩壁の割れ目の中を登ったりと小さなスリルがあり、子供が喜びそうな楽しい道が続く。ただし、「マムシに注意して下さい」との看板にはビビった。梯子で大岩を越え、しばらく杉林の斜面をトラバースすると、寺屋敷跡との標識がある。天正2(1574)年にヤソ教徒によって焼亡された寺の跡だとか。長崎らしい歴史がある。
ここから左に折れて小尾根の登りとなり、鎖の掛かる岩稜が現れる。鎖に頼らずとも登れる程度だが、低山にしては変化があって面白い。樹林に覆われた痩せた尾根を辿ると、左から登ってきた家族連れコースと合流する。ここから石段をちょっと登り、稜線を右に僅かに進むと虚空蔵山の山頂に着く。
山頂は露岩が多く、眺めが開け、石祠や石仏が建つ。石祠の一つは愛宕神社で、石仏の一つは虚空蔵菩薩である。その他にも石碑や石灯籠が建ち、信仰を集めている様子が窺える。石造物の奥に一等三角点の標石があり、さらに山名標識と展望表示盤がある。頂上の左側はすっぱり切れ落ちて高度感があり、当然ながら展望が良い。正面には大村湾や川棚の市街を俯瞰し、その左には雲を纏う多良山系の山々、右には黒髪山を望む。これは期待以上になかなか良い山である。
コンビニで買い入れたパンとペットボトルのお茶で軽い昼食をとったのち、下山にかかる。頂上直下の分岐は家族連れコースを選ぶ。急な石段を降り、尾根を下る。右に嬉野温泉方面への下山道を分け、杉とアオキの林を下ると、冒険コースとの分岐に戻る。あとは木場登山口まで、少しの下りである。
山歩きののちは温泉へ。川棚町から大村湾に突き出た大崎半島にある川棚大崎温泉しおさいの湯に立ち寄る。浴室から眺める大村湾は入り組んだ海岸線と丘陵に囲まれ、山あいに集落が点在する様子はおとぎの国のようである。
極短い行程の山歩きで時間が余ったので、あとはちょっと観光。西海橋までドライブすることにする。大村湾が外海と繫がる針尾瀬戸(伊ノ浦瀬戸)に、西海橋と新西海橋の二つの大きなアーチ橋がかかり、袂の公園(無料駐車場有)から遊歩道で周回できる。橋から見下ろす針尾瀬戸は日本三大急潮の一つとされ、今しも渦を巻いて深く速く流れ、恐ろしい程。近くには三本の巨大なコンクリート塔が建ち、空想的な眺めだ。これは針尾送信所といい、旧海軍が大正11年に建てた物とのこと。
観光を楽しんだのち、長崎空港に向かってレンタカーを返却。空港のレストランで宴会をしたのち、羽田への最終便で帰宅の途についた。