檜洞丸
GWの後半は横浜の実家に帰省するので、ついでに実家から近い山域で日帰りの山歩きをすることにする。昨年のGWは西丹沢の畦ヶ丸に出かけたので、今年は檜洞丸に出かけてきました。
未明に実家を車で出発。東名を大井松田ICで降り、コンビニに立ち寄って朝食のパンと昼食のカップ麺を買い込んだのち、R246を走って県道山北藤野線に入る。頭上では河内川の深い谷を跨いで新東名の河内川橋(仮称)が建設中。日本最大級のバランスドアーチ橋だそうで、両側から延びたアーチが真ん中で繋がって完成に近づきつつある(2027年開通予定)。丹沢湖、中川温泉を通り抜け、箒杉公園の駐車場に車を置く。早朝なので、ここまで渋滞なし。駐車場にも他の車はない。
箒杉から西丹沢ビジターセンター(以下、西丹沢VC)まで県道を歩く。少し進んだところに河内川に架かる箒沢公園橋があり、石棚山稜を経て檜洞丸に至る登山道を分ける。今日は、西丹沢VCからつつじ新道で檜洞丸に登り、石棚山稜を下って、この地点に戻ってくる予定である。


昨年のGWに西丹沢VCに来たときは、VCの周辺の駐車場は満車だった。今年も案の定、満車で、溢れて引き返す車もある。VCのWCをお借りしたのち、さらに河内川に沿って県道を歩く。河内川の河原のオートキャンプ場は、連休3日目とあって、キャンパーのテントで埋め尽くされている。河内川の上流には、一昨年登った大室山の雄大な山容が眺められる。程なく、つつじ新道の登山口に到着。熊出没の看板があるので、熊鈴を取り出してザックに付け、登山道に入る。


最初はナメのある小沢に沿って登り、すぐに切り返して山腹を斜上し、尾根上に出る。山腹を横切る道となり、樹林の間から東沢の広い河原を見おろし、緑に包まれた石棚山稜を仰いで進む。




途中、西丹沢VCへの近道を右に分ける。この近道は渡渉箇所があり、増水時は通行困難とのこと。さらに山腹をトラバースして行くと徐々に下り始める。やがて東沢の河原に着き、石積みの古い砂防堰堤を越えると「ゴーラ沢出合」の標識がある。大量の大石で埋め尽くされた、だだっ広い河原に出て東沢の渓流を飛び石伝いに渡り、続いて左岸から出合うゴーラ沢を渡る。こういう広い河原があるのは度々の水害のためだが、如何にも丹沢らしい風景でもある。




尾根末端に階段で取り付き、東沢とゴーラ沢に挟まれた尾根を登り始める。「この先は急登の連続で経験者向き」の看板や「注意!遭難多発場所」の幟があり、物々しい。しかし、特に急なのは最初だけ。ベンチを過ぎると、ブナやアセビの緑に覆われて、しっとりした感じの良い尾根道となる。数組のハイカーと交差したり追い抜いたりするうちに、展望台の標識とベンチのある地点につく。樹林に囲まれて眺めは限られるが、右手に石棚山稜を望んで、山奥の雰囲気が強まる。




さらにブナ林に覆われた尾根道を登る。傾斜が増し、階段道が断続する。ベンチを過ぎると尾根道は右に曲がって、石棚山稜まであと少しとなる。ここまで快調に登ってきたが、丹沢名物の構造化階段が現れると、段差で疲れて脚が重くなってくる。程なく、石棚山稜の登山道に合流。ここから檜洞丸を往復する。




緩くなだらかな稜線を登り、コバイケイソウが繁茂する緩斜面の木道を歩く。最後に階段をひと登りして、檜洞丸の頂上に登り着く。
檜洞丸に登頂するのは、1975年に1泊2日で塔ノ岳〜丹沢山〜蛭ヶ岳〜檜洞丸を縦走して以来、50年振りだ😅。朧な記憶だが、以前はブナ林が鬱蒼と茂って、薄暗い感じだったような気が……。現在はなだらかな平地を覆うブナ林はスカスカで、明るく開けている。また、踏み荒らしによる裸地化を防ぐため木枠で囲って砂利が敷かれたり、ベンチが多数設置されるなど、整備の手が良く入っている。ベンチに腰掛け、昼食にはちょっと早いので、チョコを齧って小腹を満たす。
(後日、奥野幸道著『丹沢今昔』を読み返すと、酸性雨霧の影響でブナが枯死したらしい。)


頂上から蛭ヶ岳側へ少し下ったところに青ヶ岳山荘がある。山荘まで1分半との標識があり、そんなに近くなら立ち寄ってみよう。尾根道を緩く下ると、すぐに青ヶ岳山荘に着く。ここもブナ林が薄くなって、展望が開けている。小屋の前のテラスでは、スタッフと登山者が四方山話に興じている模様。周囲にはベンチがあるが、小屋の客専用となっている。また、チップ制(100円)のWCあり。


檜洞丸の頂上に戻り、石棚山稜で下山にかかる。すぐにつつじ新道を右に分け、直進して石棚山稜の尾根道を下る。前回、檜洞丸に登った際もこのルートで下山したのだが、険しい道だったという印象が微かに残るのみで、ほとんど記憶にない😅。つつじ新道と比べて利用者が少ないのか道は細いが、道型はしっかりしている。


山稜の右斜面が崩壊した箇所があり、今日登って来た河内川の側を俯瞰したり、頂上に少し雲がかかる大室山を遠望する。ブナ林に覆われた幅広く平坦な稜線となり、楽で行程が捗る。途中、コバイケイソウの群生地の中に古く苔むしたベンチがあり、左に丹沢の秘境、同角山稜を経由してユーシンへ下る道を分ける。
(丹沢湖東岸の玄倉とユーシンを結ぶ玄倉林道は水害で長らく通行止めだったが、昨年末に通行可能になったそうである。行ってみたい。)




1491m標高点Pを巻いて少し下ったところに「テシロノ頭」の道標がある。しばらく細い稜線を辿り、再び幅広くなだらかになってベンチのある広場を通り抜ける。左斜面が崩壊地となって、玄倉川の谷の側の眺めが開ける。丈の低い草地に覆われた緩斜面の階段道を蛇行して下る。




下り着いた鞍部は広く平坦で、地面は湿気を含み、鮮やかな黄緑の苔に覆われた樹木がある。なだらかな稜線をゆるゆると下ると「石棚山」の道標があり、登山道の左に三角点標石がある。ここも左の玄倉川の側の展望が開け、檜岳山稜が眺められる。




この先で左に玄倉へ下る道を分け、右へ下ると「ヤブ沢ノ頭」の標識がある。そろそろ腹が減って来たので、この辺りで昼食休憩にしよう。カップ麺を食べているとソロハイカーが下っていった。ここまで、登って来たハイカーともポツポツ交差しており、そこそこ人が多いのはさすが丹沢。


昼食を終えて下山を再開。往路の階段の登りが効いたせいか、休んだ間に脚の筋肉が固まっている(要するに早くも筋肉痛)。小さく登降しつつ、稜線を下って行く。青空が広がり、ブナの新緑が鮮やかに映える。標高が下がったこともあって、だいぶ暑くなってきた。左側の樹林が切れると丹沢湖方面が見通せて、頂上が狐色のカヤトに覆われた大野山が眺められる。




檜林が現れ、露岩の多い細尾根を辿る。板小屋沢ノ頭は手前から左側斜面を巻く。ピークの直下に「板小屋沢ノ頭」の標識がある。檜洞丸からここまでだらだらと下って、標高差でようやく半ば。登山道はここで左に折れると、急斜面を一直線状に下り始めて、残りの標高差を一気に片付けにかかる。道は小さくジグザグを切って歩き良いから、快調に下る。


40分程で板小屋沢に下り着いて、ようやく急降下は終了。あとは沢沿いの下りとなる。石積みの砂防堰堤を過ぎ、しばらく細いトラバース道が続くが、「箒沢公園橋 0.8km →」の道標を見ると緩斜面の下りとなる。


やがて、砂防堰堤上流の河原に出る。本流と勘違いしそうに広い河原だが、板小屋沢右岸の支流だ。河原を渡り、堰堤を鉄梯子で下る。


すぐに板小屋沢を左岸へ渡る。杉植林帯の中を下り、板小屋橋を渡って大石キャンプ場に入る。既にキャンパーが帰った後だからか、キャンプ場はひと気が少ない。キャンプ場を通り抜け、河内川に架かる箒杉公園橋を渡る。あとは県道を歩いて、箒杉駐車場に帰着した。




後日、紙ノートの「登山日誌」で50年前の山行記録を読み返すと、当時、西丹沢方面のバス路線の終点は箒沢集落の西丹沢バス停で、臨時便の16:30発のバスに乗ったと書いてある。このときは、下山してからの帰路が大変だった。バスと電車を乗り継いで、途中、登戸駅で夕食。帰宅したのは(当時は世田谷区に在住)21時過ぎであった。
今ではマイカーなのでアクセスは格段に手軽になったが、その分、山の奥深さの感じは減ったかも。東名で少し渋滞に捕まったが、2時間弱で実家に着いた。