神山〜城峯山〜風早峠
桐生を早朝、車で出発。R462、県道吉田太田部譲原線を経由し、三波石峡の手前で神流川の深い渓谷を登仙橋にて渡る。神流川支流の鳥羽川の谷に通じる県道を上がると、山間の南向き斜面に民家が点在する山村が現れる。ここが神川町矢納(やのう)の集落だ。この辺りの川床は石組で覆われ、川岸には遊歩道が開設され、鳥羽川河川公園として整備されている。
河川公園の中程にある矢納センターの駐車場に車を置く。鳥羽川の上手には三角形の整った山容の神山が仰がれる。まだ7時前なので空気はひんやりしているが、天気は快晴で暖かくなりそうだ。Tシャツ1枚の夏山の服装で出発。まずは車道を登って城峯公園に向かう。
桜や花桃が咲く集落の中をジグザグに登る。分岐が多いが、要所に道標がある。標高が上がると、鳥羽川奥の望洋とした山並みが見えてくる。手前のこれまた整った三角形の山は両谷山(りょうがいさん)と言い、かつて両谷城があったらしい。その右奥のちょこんと尖った頂が鐘掛城(1008m標高点峰)で、さらに右の(写真では小さくて見えないが)電波塔が建っている頂が城峯山だ。今日は神山から城峯山、鐘掛城を巡る予定。険しい箇所は見当たらないが距離はたっぷりあって、歩き応えありそうだ。
城峯公園に入ると桜が満開で見頃。最上部の多目的広場から、だいぶ近づいた神山を仰ぐ。広場から展望台に登ると東屋があり、北面に神流湖と下久保ダムを見おろす好展望が得られる。対岸の山稜の向こうには鎌取山と桜山も見える。桜山は、山肌がピンク色に覆われているのが遠目にも分かる程で、あちらも桜が見頃のようだ。
公園の中をぷらぷら散歩しつつ、城峯神社に向かう。城峯公園は冬桜が一番有名だ。冬桜の品種は「十月桜」と言い、11月下旬〜12月と春の2回咲くそうである。今の時期も桜やミツバツツジがあちこちで咲いて綺麗だ。キャンプ場もあり、林間のあちこちのサイトにはテントが張られていて、朝の静かなひと時をまったり過ごすキャンパーを見かける。
城峯公園を通り抜け、三叉路から鳥居を潜って城峯神社の参道に入り、鬱蒼とした樹林に囲まれる社殿に着く。右脇には宿泊棟を兼ねた2階建の社務所が建ち、以前は泊まり掛けで参詣する講社団体が多かったことを偲ばせるが、今は老朽化して廃れた雰囲気がある。
境内に建つ案内板によると、日本武尊の東夷征討の帰路、神山に登って山嶺に矢を納め(矢納の由来)、大山祗命を祀ったのが始まりと伝えられている。天慶三(940)年に平将門の弟将平が矢納城を築いて謀叛した際、朝命で討伐に向かった藤原秀郷が賊徒平定を祈願し、平定後、城峯の社号が附されたとのこと。社殿の前には一対の狛狼が鎮座している。狼は神使「大口真神(おおぐちのまがみ)」と称され、火災盗難などの災厄を防ぐとして信仰されているそうである。
社殿の右脇から神山への登山道に入る。杉とシダに覆われた急斜面を大きくジグザグを切りながら斜上し、尾根上に出ると、反対側に雑木林を透かして神流湖を見おろす。あとは左が杉林、右が雑木林の境界の尾根を一直線に登る。途中で作業道に出、「登山道右 登山するなら今でしょ!」と妙にカジュアルな謎標語が記された古い道標がある。
作業道のコーナーを回って再び尾根上の山道に入り、グングン登る。傾斜が緩み、杉林が切り倒されてポッカリ開けた広場に出ると、そこが神山の頂上だ。奥に覆屋があり、「郷社城峯神社奥之院」の額が掲げられ、中に御影石の石祠が祀られる。右手には柵があり、柵の先は急斜面で、木の間を透かして神流湖を俯瞰する。三角点標石は柵の近くにある。杉林に囲まれて神流湖以外には展望に乏しく、地味な頂だ。しかし、城峯神社から比高230m程ある独立したピークなので、地味な頂ながら登頂した満足感はある。
柵に沿って頂上の先に向かうと電波中継局の建物がある。「下久保ダム管理所 神山中継局」との表札があり、山麓の下久保ダムを向いたパラボラアンテナが建つ。そちらを見おろすと、急斜面の遥か下方に桜に囲まれた管理所の建屋が小さく見える。
中継局まで作業道が上がって来ているので、下りはこれを辿る。一旦、登りの尾根道と交差してすぐに切り返し、神山の急な山腹をトラバースする。石祠を過ぎると、神山と南の655m標高点の鞍部に下り着き、林道矢納楢尾線を横断する。
林道から再び作業道に入り、山稜の南東斜面をトラバースする。一部、法面が崩れている箇所があるが、歩行には支障ない。背の高い杉林から、まだ若く丈の低い植林帯に入る。やがて開けた斜面に出て、城峯山の山頂が眺められる。頂上に向かうゆるやかな谷間がこれから辿る登路で、関東ふれあいの道が通じている。
再び薄暗い杉林に入り、緩く作業道を下って林道王城線に出る。林道を左に下って先程眺めた谷に至ると、関東ふれあいの道の道標「←宇那室・登仙橋 城峯山→」がある。ここから谷沿いの登山道に入る。関東ふれあいの道だけあって良く整備されており、要所に道標が設置されている。周囲の樹林は芽吹き始めて淡い黄緑に包まれ、道端にはコガネネコノメソウが黄色の小さな花を付けている。
沢の水量はそう多くないが、コロコロと軽やかに岩と岩の間を流れ落ちる程には十分ある。水流の脇の斜面にはハシリドコロが群生し、紫色の花を付けている。
谷は徐々に狭まり、傾斜も少し増してくる。石積の小さな堰堤数基を過ぎ、流れを数回渡って登ると、「跨ぎ仕舞い」の道標のある地点に着く。ここの説明板によると、コースはここで沢を最後に跨いだのち、沢から離れて登るため、この地点を「跨ぎ仕舞い」と称しているそうだ。登山道は細い水流を渡ると、杉林に覆われた広くなだらかな斜面を蛇行しながら登って行く。
やや単調な杉林の登りが続いたのち、林道上武秩父線に登り着く。林道を右(西)に辿り、関東ふれあいの道の道標に従って左に切り返して分岐する林道を進む。山岳ドライブ向きの林道と思うが、車やバイクはまったく走ってなく、静かに歩ける(後日調べると、2019年の台風19号の被害で、未だに通行不可の区間があるらしい)。
やがて東屋のある石間(いさま)峠に着き、ここから稜線上の登山道を登る。檜植林に覆われたなだらかな稜線を辿り、最後に木の階段道をちょっと急登すると、巨大な電波塔と一等三角点標石のある城峯山頂上に着く。城峯山に登頂するのは、10数年ぶり2回目だ(山行記録)。
まずはザックを下ろし、電波塔兼展望台に登って展望を楽しむ。展望台からは360度の眺めが得られるが、北と東は樹林の梢がちょっと邪魔になる。南には奥秩父主脈を遠望し、目を右(西)に転じると両神山のギザギザの稜線が青空を背景に一際目を引く。今日は霞が掛かってクリアな視界は得られないが、肉眼では白い八ヶ岳も見出せる。西には赤久縄山から御荷鉾山にかけての山系を遠望し、その手前には昨年春に登った塚山が横たわる。
一通り展望を楽しんだ後、時刻はまだ11時前で少し早いが、電波塔の土台に腰掛けて昼食休憩とする。今日は天気が良くて暖かいし、既に4時間歩いて喉が渇いているから缶ビールが美味い。それからカップヌードル旨辛豚骨を食べる。これはラー油の味がちょっと私の好みではないかなー。
頂上に到着したときは誰も居なかったが、昼食の間にトレランのおじさんや、ソロの女性ハイカーさんなど、数パーティが上がってきた。エネルギー充塡完了。そろそろ腰を上げて、後半の行程に臨むとしますか。
稜線を西へ辿り、緩く下って城峯神社に着く。今日、二ヶ所目の城峯神社なので、由緒や祭神などを比較してみよう。こちらも平将門伝説に重なる由緒をもち、天慶五(942)年、平将門を討ち取った源(藤原)秀郷が創建したとのこと。春日四柱の武甕槌命(たけみかづちのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、経津主命(ふつぬしのみこと)、比賣命(ひめののみこと)を祭神とする。お犬様を眷属とし、肋骨が浮き、腹を減らして獰猛そうな狛狼が祀られている。日本武尊の東征に関わる記録はないとのこと。矢納の城峯神社との相違点がわかった。
ここにもキャンプ場(城峯山キャンプ場)があるが、昼間だからか、テントは見当たらない。杉並木を通り、右に石間・吉田町方面に下る表参道を分け、石間峠へ向かって車道を歩く。途中、南尾根コースを右に分ける。前回は南尾根を登って表参道を下った。その当時は南尾根はまだマイナーなコースだった。懐かしい。
石間峠に戻り、東屋の脇から東尾根の関東ふれあいの道に入る。なお、石間峠のWCは、再三、ゴミが投棄されたため、管理者によって閉鎖されている。実に嘆かわしい。
尾根上の道は最初は作業道で、幅広く、傾斜も緩い。やがて、最初の小ピーク(山と高原地図では中城峯山と表記されている)に差し掛かり、右に巻道を分けると、木の階段道の急登となる。小ピークを越えて巻道と合流。次のピークに差し掛かると「まき道 西門平→」の道標があり、再び右に巻道を分ける。尾根上を直進すると、さっきより長く急な階段道となり、息を切らせて登り着いた頂上に「鐘掛城 1003m」の山名標識がある。檜植林に囲まれて薄暗く展望に乏しいが、振り返ると城峯山の電波塔がもう遠ざかって見える。
ここで右に西門平に至る関東ふれあいの道を分け、「奈良尾峠 風早峠→」の道標にしたがって、尾根を直進する。すぐに尾根が分かれるが、道標に従って右の尾根に入る。ここは道標がないと進路を迷う地点と思うので、道標があって助かる。
分岐点の先は急坂の大下りとなり、途中の段を経て標高差約150mを下り、ようやくなだらかになる。尾根道を小さくアップダウンして辿り、左下の杉林の中にベンチや遊歩道(後日調べると、100年の森ウエルカムストリートの設備)を見ると、825m標高点への急登となる。これを頑張って登ると、すぐに同じだけ急降下してガックリ。まあ、トレーニングだからいいけど。このピークは左からすんなり巻けると思われる。
送電線巡視路に合流し、送電鉄塔を潜る。石祠と「←風早峠 高牛橋」「奈良尾集落 秩父華厳の滝 ♨︎日帰り温泉→」の道標のある地点に着き、左に下る。広い駐車スペースがあり、ここはバイクで来られるのだろう、ツーリング中の兄貴二人組がランチシートを広げて昼食中。広場を通り抜けると林道上武秩父線に出、右に林道を辿って、すぐに奈良尾峠に着く。右から林道奈良尾線が合流してくるだけで、展望もなく、峠の風情はあまりない。
峠の切り通しから稜線上の踏み跡にはいると、杉林の急斜面の一直線の登りとなる。今回の行程中、一番の急坂だ。左にジグザグに登る新しい作業道が通じているので、そちらを下から登っても良い。稜線上に登り着くと、あとは緩やかな尾根道となる。
小さなアップダウンのある稜線を辿る。途中でソロハイカーさん、続いてグループのハイカーさんと交差する。雑木林と檜植林の境界の地味な尾根道が続く。笹原がポソポソ現れ、少し登って広く平坦なピークを越える。
次のピークが777m三角点峰で、三角点標石は右に少し登った最高地点にある。少し細くなった稜線を緩く下る。
左下に並行して走る林道上武秩父線が見えると、程なく「城峯山東尾根 風早分岐」の道標のある地点に着く。右には「小松分岐 満願の湯」への山道を分ける。左に下ると林道上武秩父線に出る。逆コースの場合、登り口にはかつては道標があったようだが、現在は柱が残っているだけで、取り付き点が分かり難い。
風早峠も林道が通過し、「広域基幹林道 上武秩父線 開設記念碑」の石碑があるくらいで、峠の雰囲気に乏しい。石碑の左脇から尾根上の作業道に入ると、すぐに「←浜ノ谷・鳥羽11.5K 風早峠9.0K→」の道標があり、左の杉植林の斜面に細いが明瞭な道型が下っている。風早峠から下る峠道は、事前に調べても様子がいまいち良く判っていなかったので、明瞭な峠道があってシメシメと思う。それにしても、「風早峠9.0K」は逆コースで見たら、道を間違えたかと思ってビビるだろうな😅
斜面をトラバースして下ると、やがて幅のある尾根上をジグザグに下る道となる。部分的に堀割状で、良く踏まれた峠道であることが窺える。それを裏付けるような石仏が路傍に建つ。素朴な感じの地蔵菩薩で「天明六(1786)年」の銘が読み取れる。
石仏から尾根を外れて右に下ると、作業道に下り着く。ここも逆コースの場合、取り付き点が分かり難い。作業道を右に進むと、すぐに広大な伐採地に出る。峠道の続きを探しながら作業道を歩くが、どうも分岐を見落としたようだ(後日、GPS軌跡を見ると、送電線を潜る手前に分岐があったようだ)。まあ、分岐が判ったところで、その先の道は廃道化していないとは限らない。少し遠回りになるが安全確実に作業道を辿って、車道に出る。
あとは車道をのんびり歩いて矢納センターに戻る。神山を正面に見て車道を下ると、浜の谷(はまのかい)集落の上端に出る。南向きの緩斜面に畑地や草地が広がり、あちこちに桜やミツバツツジが咲いていて、美しい山村風景が広がる。素晴らしい。
途中の三叉路に「←高牛橋 風早峠・城峯山→」の道標が建つ。神泉村(2006年に神川町と合併)が設置したもので、かつて、古の峠道を城峯山へのハイキングコースとして整備したのだろう。今回ミスった峠道は歩き直したい気もするが、機会はあるだろうか。
山村内をジグザグに下る車道の道端には、スイセンやミツバツツジが植えられていて、今が満開。神川町営バスの浜の谷バス停(WC有)を過ぎ、道端の見事な桜並木を眺めながら下る。ドライブで桜見物に来ている人も居られる。
谷間の道となり、神川町営矢納体育館を過ぎると鳥羽川に合流。橋の袂に高牛橋バス停がある。左に車道を少し登り返して、駐車地点の矢納センターに帰り着く。いやー、良く歩いた。標高差が大きな山歩きではなかったが、小さなアップダウンや急坂は多かったし、距離は結構長かったので、良いトレーニングになった。桜が見頃の山村風景も楽しめたのもとても良かった。
帰りはいつもの桜川♨絹の里別邸に立ち寄ったら営業していない(後日調べると、1/31から休業中らしい)。久し振りに「白寿の湯」に行こうかなとも考えたが、近くの「かんなの湯」にはまだ行ったことがなかったので、今回はそちらへ。神流川の堤防を背景にした田園の中にあり、規模が大きい日帰り温泉だ(930円)。お客さんが多くて繁盛しているが、浴室は混み合っていない。露天風呂やいろいろな種類の薬湯が楽しめる。ゆったり浸かってさっぱり汗を流し、桐生への帰途についた。