小梨山〜亀穴峠
先週末、鎌取山と子王山に登った際、鮎川北岸に延々と続く山並みを眺めて、その末端にグッと盛り上がった710m三角点峰に目が留まった。このピークは、地形図では山名の記載がないが、『群馬300山』では小梨山(別名、大沢山)と称して、西の小梨峠から登るコースが紹介されている。今週末はこの山に登ってみよう。小梨山だけでは少し歩き足りないので、鮎川北岸の稜線を西進して亀穴峠まで歩く予定を立てて、出かけて来ました。
桐生を車で朝のんびり出発。藤岡市街から県道上日野藤岡線(日野街道)を走って、鮎川の谷に分け入る。この谷間は、行政区画で言うと旧多野郡日野村(現藤岡市)に属し、「日野谷十里」と呼ばれている。途中の蛇喰渓谷には駐車場があり、渓谷が探勝できる。また、土と火の里公園には養蚕農家の建物が並び、いろいろ観光スポットがあるようだ。
谷が開けると、西御荷鉾山、オドケ山、赤久縄山など鮎川南岸の山々が遥か彼方まで連なる雄大な風景が広がる。日野谷に入るのは初めてで、この景観は新鮮で感動的だ。群馬県内は一通り見て回ったつもりになっていたが、まだまだ見るべき地域があった。
小梨峠登り口の馬渡戸(まつば)集落を少し過ぎた所で、県道の広い路側スペースに車を置く。寒風吹き荒んだ先週の天気とは打って変わって、今日は暖かい。フリースはザックにしまって、歩き始める。
県道を馬渡戸まで戻る。南向き斜面に民家が点在し、集落の上には小梨峠〜小梨山の稜線がそう高くなく眺められる。六地蔵橋の道路標識のある地点から集落内の坂道に入る。入口の石垣には「関東ふれあいの道」の道標がある。石垣の上には石仏が並び、数えると6体あるので、これが六地蔵のようだ。
急な坂道を上がると「芭蕉塚の碑」がある。説明板によると、緑泥片岩に「志ばらくは 花のうえなる 月夜かな 青荷書」と刻んだもので、明治三年に当地の俳人が伊賀上野の芭蕉の墓に参詣し、金二円を寄進して墓土を受け、俳塚の形式をとって建てたもの、とのこと。
後日調べると、松尾芭蕉の墓は伊賀上野ではなく、近江の義仲寺にあるようだ(藤岡市HP)。明治の1円は現在の2万円くらいに相当する。
芭蕉塚の脇の急な参道石段を登ると、実大山養浩院の山門と本堂がある。馬渡戸集落を見渡し、西御荷鉾山の眺めが良い。庫裏の庭先を通って車道に戻ろうとしたら、縁側の窓内に居られたおじいさんと目があう。会釈すると、いよってな感じで手を上げて、フレンドリーに挨拶を返して頂いた。
さらに集落を上がって行くと、養蚕農家の横手に「新勝流枝切術発祥之地」「群馬県知事 清水一郎書」と刻まれた石碑がある。新勝流枝切術って何それカッコイイ(これも後日調べると、林業で用いる枝切鉈と高枝切鎌のブランドらしい)。
陽当たりが良く、かつては畑地だった斜面は、昨今のご多分に漏れず、あちこちにソーラーパネルが敷き詰められている。最上部の民家を過ぎ、杉植林帯に入って、急斜面にジグザグにつけられた車道を登る。
お稲荷様を祀った社を過ぎ、なおも杉林を登る。途中の分岐点には「関東ふれあいの道」の道標が設置されている。未舗装道となり、山腹を右へトラバースすると、雑木の間から峠と小梨山辺りの稜線がすぐ近くに見えてくる。
程なく小梨峠に到着。未舗装道は峠を越えて、薄暗い杉林の中を吉井町側へ下って行く。峠の右手には案内看板(関東ふれあいの道の踏破制度の写真撮影ポイントに指定されている)があり、小梨峠について以下のように記されている。
この峠は、小梨峠といわれていますが、その名の由来は明らかではありません。標高は584mあり、旧日野村(現藤岡市)に位置しています。この峠道は、昔は万場町と吉井町とを結ぶ重要な道のひとつでした。また、この峠にある一本杉には、一匹の老狐が住みついて、通る人々にいたずらをしたという話が地元に伝えられています。
万場町へ行くには温石(おんじゃく)峠と石神峠も越えて行かねばならず、なかなかの道程だ。案内看板の奥の岩上に馬頭観音像がある。銘は一部欠けて「…八亥七月吉日 當所日向 施主六人」と読める。年号が安永八(1779)年己亥だとすると、かなり古い石仏だ。
峠名について:須田茂著『群馬の峠』によると、元禄国絵図(くにえず)に「小梨子峠」とあるそうである。また、天保国絵図には上日野村鹿嶋と東谷村を結ぶ道に「梨子峠」と記されている。ついでに書くと、上日野村矢懸と轟村を結ぶ道には「杦峠」(杦は杉の異体字)と記されており、これが亀穴峠である。
馬頭観音像から稜線に取り付いて小梨山に向かう。明るい雑木林の稜線を辿って小ピークを越え、岩場の下りにかかる。距離は短いが足場がなく、固定ロープを頼りに下る。このロープは古く、あまり荷重したくない感じ。岩場の下で老若男性2人パーティとすれ違う。小梨峠から小梨山を往復して来たそうだ。
急坂を上がって頂上の肩に登り着く。北面は切れ落ち、雑木林を透かして吉井町側の山林を見おろす。700m級の山にしては、なかなか険しい。小さな瘤をいくつか越え、三角点標石のある小梨山の頂上に着く。木立に囲まれて展望に乏しいが、南面には日野谷の集落を俯瞰する。また、東には少し距離を置いて同程度の標高の峰(大沢山)が垣間見える。
小梨峠に戻り、昼食休憩とする。北風を避けて峠の南面の陽だまりに陣取るとポカポカと暖かく、缶ビール(小)がうまい。ガソリンコンロでお湯を沸かし、カップ麺の坦々麺を作って食べる。程よい辛味がこれまたうまい。
一息入れたのち、鮎川北岸の稜線を西へ、亀穴峠に向かう。小梨峠から一段上がると、欅の大木の脇に石祠と2基の石碑がある。石祠を過ぎると今日一番の急登となり、強引に直登して平坦な稜線の上に出る。
あとは淡々と、小さなアップダウンを辿って稜線を進む。藪はなく、歩き易い。北には木立を透かして、吉井三山の朝日岳を見おろす。頂上直下の帯状の岩壁が目立つから、どこの山か分かり易い。
行く手には、これも木の間越しに700m三角点峰が丸みを帯びた頂をもっそり擡げているのが見える。緩く登って南の肩に着き、右へひと登りして700m三角点峰の頂上に着く。
頂上は赤松に囲まれた小平地で、中央に三角点標石、その脇に「裡山」の山名標識と後ろ向きの石碑がある。山名標識の重石代わりに置かれた錆びた鉄製滑車は、林業の遺物だろう。樹林に覆われて展望は全くない。
なお、山名標識の「裡山(うらやま)」は700m三角点の点名から取ったと思われるが、裡山=裏山なので、そのまま山名と看做して良いかどうかは疑問の余地ありと思う。
石碑の表に回ると「摩利支天尊神 明治…」との銘が読み取れる。この石碑の存在は、爺イ先生のブログの記事で知って、是非見たいと思っていたので、実際に拝めて嬉しい。
南の肩に戻り、藤岡市境の稜線をさらに辿って、亀穴峠に向かう。左側に赤松が立ち並ぶ稜線を緩く下ると、新屋(にいや)峠(別名、鳥屋(とや)峠)に着く。稜線を横切る道型の窪みが明確な他は、峠を示すようなものはない。南側には杉林と雑木林の境目に道型が通じる。また、北側も雑木林の落ち葉に覆われた緩斜面に微かな道型がある。
稜線を直進して二つの石標のある小ピークを越え、だらだら下った辺りが亀穴峠だ。峠を示す明確な印は見当たらない。南面には杉林の中を斜めに下る道型が微かに残る。
この道型を辿って下ると、先程見た新屋峠の峠道と合流し、石の道標が建っている。日野側から登って来ると、この地点で亀穴峠と新屋峠に道が分かれる。道標の亀穴峠を向いた面は苔に覆われて「左小幡」までしか読めないが、岩佐徹道著『群馬の峠』によると「左小幡富岡道」と刻まれているそうだ。新屋峠を向いた面には「新屋天引道」、裏面には「大正十五年 田本矢掛青年會」と刻まれている。田本、矢掛とも日野谷の集落の名だ。
道標から落ち葉に埋もれた道型を辿り、緩斜面を緩く右回りして下る。この辺りに開拓一家の跡の二階家があるそうだが、見過ごしたのか、見当たらなかった。石垣を過ぎるとスズタケ藪に突き当たるので、その手前で左折して、杉林の境目に沿って下る。緩斜面の杉林に入って突っ切ると作業道に出る。
作業道は雨裂が深く、出水があったのか岩石の押し出しも多くて、荒れ気味。歩くのに支障はない。途中、路盤が大きく流出した個所があり、水量の少ない沢を渡って対岸の作業道に復帰する。あとは良い道となり、舗装されたS字状の坂道を下って、県道に着く。
あとは駐車地点まで、鮎川に沿って県道を歩く。途中、散歩中のおじいさんに会い、山を歩いて来たのか、と尋ねられたので、小梨峠から亀穴峠を回って来たと答えると、そこから立ち話が始まって、いろいろ面白い話を伺う。
曰く、日野から峠を越えて甘楽に嫁いだ人が多く、あちらには親戚が大勢居る。昔は4月28日に妹ヶ谷の不動尊、白倉神社、御荷鉾山の祭日が重なって、年によって出かける先を変えていた。御荷鉾山には日野の不動尊もあるが、万場のものに比べるとしょぼい(笑)。昭和30年代には植林が盛んで、杉の木1本が当時の金で300円(600円だったかな)で売れたが、今は1000円しかしなくて、林業ではやっていけない(物価は約8倍違う)。御荷鉾山に登って、酒を飲みながら富士山を眺めるのが楽しみ。ここから縦走して杖植峠まで行った大学生がいる(何泊かかるのだろう)、等々。
すっかり話し込んで、約40分も経過。興味深い話を伺ったお礼を述べてお別れする。駐車地点までは約1kmで、僅かな距離である。
帰りは猪ノ田温泉 絹の湯 久恵屋旅館に日帰り入浴で立ち寄る。鮎川沿いに県道を戻り、途中で左折。丘陵に分け入って、杉林に覆われた薄暗い谷を進む。少し谷間が開けると、瀟洒な一軒宿の久恵屋旅館が建つ。駐車が多く、結構お客さんが来ている。お湯は透明で、びっくりする程ヌルヌルする素晴らしい泉質。群馬にもまだまだ知らない秘湯があった。新しい発見がいろいろあった山歩きを振り返りつつ、桐生への帰途についた。