吉井三山
吉井三山とは、群馬県多野郡吉井町の南に並んで聳える牛伏山、八束山(城山)、朝日岳の三つの山のことです。牛伏山は上信越道を通るたびに東西に稜線を広げた山容が目を引く山ですし、群馬100名山にも数えられているので、機会を作って登りたいと思っていましたが、三山と聞けば、これは三山駆けをせねばなりますまいて。群馬の低山をくまなく歩いている爺イ先生のブログ「クタビレ爺イの山日記」を参考にさせて頂いて、三山を通して歩いて来ました。標高400m台の低山ですが、三つの独立した山を登ることになるので、結構歩き応えがありました。
北関東道の伊勢崎IC〜太田桐生IC間が3月8日に開通し、車で西上州方面に出かけることがますます便利になった。桐生の最寄りの太田藪塚ICから吉井ICまで高速道を使い、牛伏ドリームセンターまで約1時間。赤谷公園の駐車場に車を置く。
駐車場から偽木の階段で谷下の赤谷公園に降りると、WC、ため池、芝生広場がある。ここから眺める牛伏山は、前面の山肌が意外と急峻だ。公園を突っ切って、牛伏山に登る車道をしばらく辿る。今日は車の通行量はポツリポツリだが、沿道には千本桜と称する桜並木があるので、お花見の時期は賑わいそうだ。
途中から遊歩道に入り、偽木の階段を登る。要所にベンチがあって、よく整備されている。小尾根の上に出ると、あとは一直線の急な階段登りが頂上まで続く。これはいいトレーニングと思ってガシガシ登るが、思ったよりきつくて途中で息切れ(^^;)
登りきった所には東屋があり、ファミリーがおやつタイムにしている。右に登れば頂上はすぐだが、折角来たので付近一帯にある見所?をチェックするため、左に下って展望台まで往復することにする。
まず、天狗松という枝振りの良いアカマツがあり、その隣に牛魂碑と臥牛石像がある。この石像は地元の彫刻家が露岩を削って作ったものだそうで、重厚な感じがいい。「牛伏山の牛の由来」という説明板によると、昔、この松に住んでいた天狗が村の娘を好きになり(起)、牛に乗って会いに行ったが(承)、相手にされず(転)、とうとう山になったのが朝日岳だそうだ(結)。うーむ、身につまされる悲しい話やね。
その先には、服部良一作曲「青い山脈」の歌碑がある。説明板に書かれていた建立の経緯もほのぼの?として面白かったのだが、長くなるので省略。
さらに進むと、ミニ天守閣を模した展望台が建っている。説明板によると、1438年頃、関東管領上杉憲実によってここに一郷山城が築かれたが、1563年に武田信玄に攻められて落城。上信越道開通を期に展望台を開設したとのこと。早速、登ってみると、内部は鉄筋コンクリ製で殺風景だが、3階から四方を見渡す展望が素晴らしい。
展望台から戻って頂上に向かう。頂上の手前には、一階が休憩所(畳の間に立派な応接セットが置いてある)となっている鐘突き堂や琴平神社、小動物園(檻の中はからっぽ)、中に観音様を祀る牛伏洞窟(といってもコンクリ吹き付けの不気味なトンネル)などの、見所と言うには微妙な(^^;)施設がある。牛伏山の三角点はNHK中継所の裏手の寂しい場所にある。こちらは樹木に囲まれて展望はない。
頂上から稜線を西へ、雑木林の中の気持ちの良い山道を下り、下り専用道路(林道八束一郷線)で八束の集落に降りる。車道の途中から、こんもりとそそり立つ八束山が眺められる。
八束の集落を抜けると、左に小梨峠への関東ふれあいの道が分岐する。八束山城についての説明板が孟宗竹の藪の中に埋もれていた。この少し先、車道が峠を乗り越す手前で右手の小尾根に取り付く。入り口は放置された石碑やゴミが散乱し、ちょっと薄気味悪い。小尾根の上に道はなく、テープを目印に急な斜面を手足総動員で登るバリエーションルート。
八束山の南面を直登して、ポンと頂上の一角に出る。北面は伐採地で、一気に展望が開ける。かつての山城の遺構らしい空堀を越え、八束山の頂上に到着した。木立に囲まれているが、冬枯れのこの時期は日が差し込んで明るい。石祠が祀られている他、山名標や丸太のベンチがあり、整備されている様子が窺える。ベンチに腰を下ろして、まずは缶ビール。急登で汗をかいたので、うま〜い。餅入りもつ煮を作って昼食にする。
八束山からは吉井町まちづくり推進委員会(2019-05-19追記:リンク切れ)の皆さんによって整備された西ルートを下る。痩せ尾根に丁寧に道が付けられていて、急な箇所にはロープが下がっている。やがて左側が伐採地になって眺めが開け、山麓の道路や畑、民家を隔てて、向こうに朝日岳が聳えているのが見える。
尾根を末端まで下って杉林を抜けると、登山口の道標がある。畑の間を通って川を渡ると、懐石やじまの前で県道に出る。この西コースは途中からの眺めも良いし、変化もあって面白かった。おすすめ。
県道を南に歩いて落合の集落に向かう。途中の住吉神社とその裏手の東谷(ひがしや)渓谷に立ち寄る。東谷渓谷は大沢川が岩盤を穿ったちっちゃな渓谷だが、深い淵の底に陽の光が差し込んで、さざ波に揺れる様子が奇麗だった。
朝日岳へは、落合の集落を通り抜け、墓地のある曲がり角から取り付く。孟宗竹の林を抜けて、尾根の右側の斜面を絡むように登って行く。山肌は急で、注意して歩く。
やがて尾根上に大きな岩塔が現れ、その基部を通る。急な登りで尾根上に出ると岩場があり、振り返ると先ほどの岩塔の向こうに八束山がこんもりと盛り上がっている。谷間に落合の集落が箱庭のように見える。ここから稜線上を詰め上がると、最後は急坂となって朝日岳頂上に到着した。
朝日岳の頂上は南側が岩壁で展望が開け、眼下に東谷ダムの湖面が見えている。対岸の山並みは小梨峠のあたりだろうか。頂上は狭く、アカマツの幹に朽ちかけた山名標があるだけだ。あまり長居をせず、北峰に向かう。
雑木林に覆われた尾根を北に辿り、深い空堀を越えて北峰に登り着く。こちらのピークも雑木林に囲まれて、木の間から八束山と牛伏山がかろうじて見える程度だが、広い平地になっていて休憩には良い。三等三角点の標石と、「朝日岳北峰(天引城跡)」と記した山名標が木からぶら下がっていた。枯れ草の上に腰をおろして、でこぽんで喉を潤す。急登で汗をかいたので、水気のあるものが美味い。後は下るだけなので、楽だろう。
…と思ったが、最後までお楽しみが残っていた。朝日岳北峰から北東に尾根を下る。最初は杉林の中の普通の尾根だったが、石切り場に突き当たって右から巻いて降りる辺りから足元が悪くなる。古い林道が尾根上に付けられているが、荒れ果てていて歩きにくい。山肌もぼろぼろだ。古いトタン小屋があったり、錆び付いた鉄タンクや鉄パイプが散乱している。昔は鉱山か何かがあったのだろうか。
道型は判然としないが、頻繁に目印のテープがあるので大変助かる。途中のザレた斜面には油のしみたロープも張られていた。尾根の末端近くには石祠と石碑(文字が刻まれているが読めない…)があったので、昔からの尾根道ではあるようなのだが。
最後は民家の私道に出て、そこから県道沿いの神戸バス停まではわずかの距離だった。このコースを登路にとった場合は、取り付き点を見つけるのが難しいかも。
ここからドリームセンターまでは車道を歩いて戻る予定だったが、バス停の時刻表を見ると、なんと5分後にドリームセンター行きの町営バスがあるでないの(日曜・祝日は運休)。ありがたく乗ることにする。定刻より少し遅れて、東谷から折り返して来たマイクロバスに乗車。ドリームセンターまで200円でした。早速、ドリームセンターの風呂に入って、汗を流した。