芳賀富士・松倉山・高館山・鎌倉山・萬蔵山

〜2020年1月3日(金)
メンバー:S,S,T

正月恒例のS&Sとの温泉旅行。今回は益子温泉に2泊、板室温泉に1泊して、栃木百名山の低山5座に登ってきました。

芳賀富士

12月31日
天気:
行程:登山口 14:20 …芳賀富士(272m) 14:40 …登山口 15:00
ルート地図 GPSのログ(赤:往路、青:復路)を地理院地図に重ねて表示します。

桐生を車で出発。小山駅東口で11:52着の新幹線で来たS&Sをピックアップし、まずは昼食へ。予め目星を付けておいた「大栗屋」という蕎麦屋で鴨南ばん蕎麦を頂く。鴨肉が厚く、麺が良く煮込まれていながらのびたりせず、なかなか美味い。

昼食後、1座目の芳賀富士(はがふじ)に向かう。南麓を東西に走る道に「芳賀富士熊野神社入口」の道標があり、ここから北へ狭い車道を登る。未舗装道となり、安善寺からの道を合わせた直ぐ先が登山口の車道終点で、数台分の駐車余地がある。右斜面が伐採され、芳賀富士の山頂を仰ぐことができる。仰ぐ、と言っても残りの標高差は100m程しかない。

登山口より芳賀富士の山頂を仰ぐ
熊野神社参道入口の石鳥居

関東ふれあいの道の「安楽寺→」の道標で右に山道を分けて、正面の参道石段を登る(後日調べると、ここは関東ふれあいの道の「20 風薫る山里のみち」のコースの一部となっている)。太い注連縄が張られた石鳥居があり、脇に「村社熊野神社」の標柱が建つ。石鳥居を潜って鬱蒼と繁る森の中の石段を登ると、熊野神社の社殿に着く。

参道石段を登る
熊野神社

社殿の右から山道に入ると、広く伐採された斜面の上端に出て東面の展望が開け、雨巻山から焼森山、花香月山にかけての山並みが眺められる。斜面をジグザグに登ると「見晴らし絶景」「富士山見える」の看板があり、少し脇道に入った展望スポットから本家の富士山が見えるらしい。ただし、今日は霞がかかって、残念ながら富士山は拝めなかった。

伐採地より雨巻山を望む
斜面をジグザグに登る

登り着いた芳賀富士の頂上は、草地に覆われて明るい。疎らに生えている木は桜のようだ。三角点標石と山名標柱、登頂記念帳のポストの他、ベンチもあって、のんびり寛げる頂だ。展望は東面が開け、栃木・茨城県境の焼森山〜花香月山の連山が良く眺められる。あの稜線は昨年11月に歩いた(山行記録)。そのときは、あちらからこちら側を眺めて、低い山並みが続く中にちょこんと突き出た芳賀富士が目立ったことを思い出す。

芳賀富士頂上
焼森山(右)〜花香月山を遠望

下山は往路をそのまま戻る。往復40分の超軽い里山歩きであったが、神社を覆う森林や頂上からの展望が良くて楽しめた。これで2019年の山歩きは歩き納め。今晩の宿舎の益子舘里山リゾートホテルに向かう。

松倉山

1月1日
天気:
行程:オオムラサキ公園 11:25 …松倉山入口 11:35 …松倉山駐車場 12:15 …観音堂 12:20 …松倉山(345m) 12:35 …観音堂 12:45〜13:10 …オオムラサキ公園 13:45
ルート地図 GPSのログ(赤:往路、青:復路)を地理院地図に重ねて表示します。

明けて2020年の元旦は快晴。今日は2座目の松倉山(まつくらさん)に登る。その前に、新年を迎えたらまず初詣ということで、益子町小宅(おやけ)の亀岡八幡宮に立ち寄る。R294沿いに赤鳥居の建つ参道入口がある。ここから神社下の駐車場まで車で入ることもできるが、立派な参道を歩きたくなり、入口から入って直ぐの駐車場に車を置く。

参道は杉並木に囲まれて、行く手の丘へ一直線に向かっている。途中に神亀の石像と神社の由来を刻んだ石碑がある。碑文によると、源義家が奥州に向かう途上、この地で戦勝を祈願すると大亀が現れ、義家は瑞兆と喜んだ。祈願が成就して凱旋後に社殿が造営され、康平七(1064)年に亀岡八幡宮と称するようになったとのこと。なかなか由緒ある神社だ。

亀岡八幡宮参道入口
参道の途中にある神亀

石段を登って境内に着くと、亀岡八幡宮の社殿が建つ。朝のんびり出かけて来た参拝客がちらほら。境内のあちこちに亀の大きな石像が奉納されている。お参りして、参拝客に振舞われていた甘酒を頂き、盛大に熾された焚き火で暖をとりながら飲む。

参拝後、神社の隣に開けた公園のような場所があるので立ち寄ってみる。丘の上一面にロゼット状の菜の花の畑が広がり、展望が開けて周囲の里山村落が眺められる。菜の花畑に点在する小さな塚は、どれも古墳だそうだ。「ましこ世間遺産 No.39 小宅古墳群からの風景パノラマ」という立て標識がある。ご当地益子焼のベンチもあり、風景を楽しんで寛げる。昨日登った芳賀富士の小さいながらも端麗な山容も見える。風光明媚な丘で、菜の花と桜が咲く時期は益々良いだろうなあ。また、秋には曼珠沙華が咲き乱れるそうである。

亀岡八幡宮
小宅古墳群の菜の花畑
益子焼のベンチ
菜の花畑から芳賀富士を望む

寄り道を終えて、松倉山に向かう。R123から茂木市街を経由して県道那須黒羽茂木線を走り、大河の風格のある那珂川を大藤橋で渡る。支流の木須川に沿って県道牧野大沢線に入ると、木須川の洞門がある。これは、木須川の蛇行部をショートカットして岩山に穿たれた河川トンネルだ。案内看板によると、トンネルの長さは47m、幅15m、高さ2.6m。この地は那珂川氾濫時の逆流による洪水被害が大きかったため、地元住民が資金を集め、2年に渡る難工事の末、大正2(1913)年にトンネルを完成させたとのこと。房総半島にも川廻しのトンネルが多数あるが、これはかなり大きなトンネルだ。大変興味深い。

木須川の洞門
オオムラサキ公園

木須川を遡ると、谷間が開けて集落が点在する。松倉山入口を少し過ぎた所にあるオオムラサキ公園に駐車する。ここは1990年に廃校となった大木須小学校の校庭とのこと。新しいWCをお借りした後、松倉山入口に向かって車道を少し戻る。

とある民家の前を通りかかると、実家に娘・息子家族が帰省しているのだろう、小学生くらいの子供4、5人を含む親子三世代の一家10数人が、車が滅多に通らない車道の上でバトミントンをしたり、乾いた田んぼで凧揚げしたり、総出で遊んでいる。賑やかですね、と声を掛けて挨拶する。我々の服装を見て、松倉山ですか?と尋ねられたので、はいそうです、と答えて別れる。

松倉山入口には「松倉山自然環境保全地域」の案内看板がある。これによると、松倉山観音堂周辺に残るカシ林(ウラジロガシなど暖帯照葉樹林)は分布の北限に近いとのこと。ここで左に分岐する車道に入り、長閑な山村風景を見ながら山裾を辿って、菖蒲沢の谷間の未舗装林道に入る。直ぐに「←林道 参道→」との新しい道標があり、右の参道に入る。

松倉山入口
林道・参道分岐

小さな沢を橋で渡り、良く刈り払いされた階段道を上がる。斜面をジグザグを切って登り、枝尾根の上に出る。その先はなだらかな枝尾根を絡んで登る。参道らしくて楽な道だ。やがて、岩場を混えた急斜面に突き当たるが、山道はその左をゆるゆるとトラバースして登る。背後から、ヤッホーと叫ぶ子供の声が聞こえて来る。どうも子供連れの一団が我々の後から登って来ているようだ。子供は元気だなあ。じきに追い付かれるだろう。

参道を登る
なだらかな山道を辿る

左から林道が上がって来て、「松倉山駐車場」の看板が建つ広場で終点となる。ここから緑深い樹林に覆われた斜面をトラバースする幅広い道となり、程なく尾根上のT字路に着く。左の小ピークへ石段を登ると、広い境内に立派な堂が建つ。これが観音堂だ。案内看板によると、堂内には五体の木造の仏像(聖観音、観自在尊、十一面観音等)があり、室町時代から江戸時代にかけて制作されたものとのこと。堂内は残念ながら覗けないが、何れにしても山上にこれほど立派な堂があることには驚かされる。

松倉山駐車場
観音堂

観音堂でしばらく休憩していると、元気な子供を先頭にして後続の一団が到着し、見れば麓で挨拶を交わしたご一家だ。我々も登って来ました、とのこと。あちらのおじいさん(70歳代)が、S父と話をして80歳代と聞き、ビックリしていた。お互いに足が達者で何よりである。

ご一家もおじいさんの案内で松倉山山頂まで行くとのこと。我々は一足先に山頂に向かう。石段を降りて広く平坦な尾根を直進し、枝尾根の切り通しに差し掛かると左に山道が分かれる。入口にロープが張られた段差があるので、こういう個所が苦手なS母を残して山頂に向かう。急なのは最初だけで、笹の間を緩く登って直ぐに松倉山の頂上に着く。

頂上は小広い平地に石祠と三角点標石、数個の山名標識がある。樹林に囲まれて展望はないが、静かで落ち着いた佇まいの頂だ。写真を撮って、直ぐに引き返す。

松倉山の山頂への入口
松倉山頂上

切り通しに戻ると、ご一家が到着し、先頭の子供は嬉々としてロープに取り付く。子供はこういう場所は好きだよなあ。帰省の良い思い出になるのではなかろうか。再び観音堂に立ち寄って、日溜りでパンとペットボトル飲料の昼食を摂る。その間に歓声が下の道を通り過ぎたので、ご一家は下山したようだ。

下山は松倉山駐車場から林道をのんびり下る。大した距離はなく林道・参道分岐に下り着き、後は往路を戻る。ご一家はちょうど家に着いたところで、お疲れ様でした、と声をかける。子供のうち数人は、また遊び始めていた。元気が余っているなあ(^^;)

復路は林道を下る
益子舘の夕食

こうして2020年の歩き始めは、とても穏やかな正月らしい雰囲気の山歩きとなった。宿舎の益子舘に戻ると、ちょうどTVで天皇杯決勝が始まるところ。神戸の初制覇を見届けて、ゆっくり温泉に浸かる。夕食は那須野が原高原牛のすき焼きがメイン。昨日よりは少し多く運動しているので、ビールも料理も益々美味い。宿舎のWi-FiにiPadを接続し、明日登る山の情報を仕入れて、寝床に入った。

高館山

1月2日
天気:
行程:西明寺駐車場 9:00 …西明寺 9:10 …権現平 9:25 …森林公園駐車場 9:30 …高館山(302m) 9:45 …西明寺駐車場 10:05
ルート地図 GPSのログ(赤:往路、青:復路)を地理院地図に重ねて表示します。

正月温泉旅行3日目。新年2日も穏やかな快晴だ。今日は益子温泉から板室温泉へ移動しつつ、途中の高館山(たかだてやま)と鎌倉山(かまくらやま)の2座に登る予定だ。

高館山は、益子舘の東約2kmと至近の距離にある。益子舘をチェックアウトし、車で出発。丘陵の間に点在する集落を抜け、山間に入ってひと登りし、登山口の西明寺(さいみょうじ)参道入口の駐車場に車を置く。数台の駐車があり、参拝する人もちらほら。休憩所の売店はまだ営業していない。関東ふれあいの道の案内看板があり、ここから高館山に登る道も関東ふれあいの道の「19 焼物としいの木のみち」のコースの一部になっている。参道入口の脇には茎の断面が四角いシカクダケ(シホウチク)の叢がある。この竹は桐生の泉龍院でも見たことがある。

西明寺駐車場
参道石段の入口

緑深い樹林に覆われた参道石段を登る。両脇の大木は椎とのこと。境内に登り着くと藁葺き屋根の楼門が建ち、左には三重塔がある。何れも室町時代の特徴を残しているとのこと。楼門を潜ると本堂が建つ。前面の一間にはお守りの授与所があるが、準備中。まだ朝早いせいか、参拝者はいなくて静か。

西明寺三重塔
西明寺本堂

境内右手には、これも藁葺き屋根の閻魔堂が建ち、堂内に大きくて真っ赤に塗られた閻魔像を祀る。「笑い閻魔」というそうだが、やはり恐ろしげだ(なお、堂内には奪衣婆像もあったそうで、知っていれば見たかったが、残念ながら見逃した)。

西明寺閻魔堂
閻魔堂の笑い閻魔

本堂右脇にはコウヤマキの大木があり、その奥から山道に入る。常緑の広葉樹林に覆われて、雰囲気の良い道だ。程なく芝生の広場に出る。ベンチや展望台もあり、ここが権現平のようだ。周囲の樹林が育って展望は限られるが、益子市街や冠雪した日光連山の方面が良く眺められる。

本堂右脇より山道に入る
鬱蒼と繁る樹林を登る
権現平
権現平からの展望

権現平から僅かに登ると車道(県道益子公園線)に出る。車道の左向かいに駐車場があり、「益子町森林公園案内板」が建つ。それによると、この辺り一帯にキャンプ場や多目的広場などの公園施設があるらしい。ただし、案内板の老朽化具合や周囲の雰囲気から察するに、利用者がいなくて廃れていそう。

「西明寺城跡(高館城跡)」の説明板や「益子城懐古」の石碑もあり、それによると西明寺城は高館山の山頂を中心とする中世の山城で、関東六城の一つとして『大日本史』に紹介された名高い城だそうだ。

県道益子公園線に出る
森林公園駐車場から頂上に向かう

石碑の右手の階段を登ると高館山の平坦な頂上部の一角に着き、開けた広場にベンチがある。左手に進んで、曲輪の削り残りの瘤のような場所が高館山の最高点で、三角点標石といくつかの山名標識がある。樹林に囲まれて展望は全くない。

高館山の平坦な山頂部
高館山頂上

頂上からは先に進んで、ぐるっと周回して森林公園の駐車場に戻る。途中、右へ益子の森に通じる良い山道(関東ふれあいの道)を分ける。西明寺に戻ると参拝客が増えていて、駐車場はほぼ満杯になっていた。ササッと駐車場を出て、次の鎌倉山に向かう。

鎌倉山

1月2日
天気:
行程:ふるさとセンター茂木 10:55 …大瀬登山口 11:10 …菅原神社 11:45 …東屋 11:50〜12:15 …鎌倉山(216m) 12:20 …菅原神社登拝口 12:35 …ふるさとセンター茂木 12:55
ルート地図 GPSのログ(赤:往路、青:復路)を地理院地図に重ねて表示します。

R294を北上し、県道芳賀茂木線に入って東進。飲料を購入したいのだが、ずっと山の中でコンビニがない。鎌倉山の北を通り、大瀬橋で那珂川を渡った先にようやく自動販売機を見つけて、ペットボトルのお茶を仕入れる。大瀬橋の方へ戻ると、正面に那珂川を隔ててすっくと聳える鎌倉山が眺められる。しかし、小さな山なので、これは楽勝だな(^^)

大瀬橋の袂から枝道に入り、公共の宿「ふるさとセンター茂木」の駐車場に車を置く。駐車場の路面には乾いた泥が薄く広がって埃っぽく、様子がおかしい。昨秋の台風19号で那珂川が氾濫し、ここまで浸水したようだ。宿も営業している気配がない(後日調べると、1階まで大きく床上浸水したそうである)。隣接する観光やなも壊滅している。なお、すぐ先の大瀬園地も駐車可能。そちらには氾濫を想定した高床式のWCがあり、使用できる。

那珂川を隔てて鎌倉山を望む
大瀬園地から仰ぐ鎌倉山

鎌倉山には、大瀬登山口に架かる橋で渓流を渡って取り付く。すぐ下流には白糸の滝と称する滑滝がかかる。最初から急斜面の階段道の登りとなる。丁寧にジグザグを切って、良く整備された歩道が続く。ここも関東ふれあいの道の「22 アユおどる清流のみち」のコースの一部になっている。

白糸の滝
大瀬登山口に架かる橋
大瀬登山口
急斜面を階段道で登る

小さな山と侮っていたが、この登りは結構険しい。S母は途中まで登ったところで待つと言い始めるが、なんとか登って、展望台に着く。ここは那珂川に面した岩場で、ゆったりとカーブして流れる那珂川の大河っぷりと周辺の長閑な山村を俯瞰する眺めが素晴らしい。また、今はよく晴れているが、川霧によって生ずる雲海の撮影地として有名そうだ。ただ、川沿いの平地を良く見ると浸水の跡が残っていて、氾濫の威力には驚かされる。

那珂川上流方向の展望
那珂川下流方向の展望

展望台には年配のご夫婦がいらっしゃる。普段着なので多分地元の方だ。ご挨拶して話を伺うと、お孫さんが受験なので、菅原神社に合格祈願に来て、ついでに展望台に立ち寄ったそうだ。また、山には車で上がって、ここまですぐとのこと。地形図を見ると、車道を下っても大した距離はない、ということで下山は車道を下ることにする。往路の急な道を下らずに済むので一安心である。あと、那珂川の上を飛んでいるトンビのような鳥を指して、サシバと教えて頂いた(後日調べると、タカの仲間だそうだ)。

展望台
菅原神社

菅原神社は展望台のすぐ先の岩鼻の上にあり、小さな社殿が建つ。神社の前の尾根を辿ると直ぐに東屋があり、車道がここまで来ている。東屋は日差しが良く当たって眺めも良いので、ここで一休み。ペットボトル飲料とパンで軽く昼食を摂る。

なお、東屋の脇には関東ふれあいの道の「鎌倉山」の案内板があり、ここが頂上と間違えそうになるが、南の216m標高点が真の鎌倉山頂上らしいので、私だけピークハントに向かう。と言っても、車道の擬木柵の隙間から少し下って登り返して、すぐに着く。頂上は樹林に囲まれて展望はない。「本鎌倉山」の新しい山名標識(令和元年と裏書き)がある。

車道終点の東屋
擬木柵の隙間から頂上に向かう
鎌倉山頂上
車道を下る

下山は、明るい冬枯れの雑木林の中の車道を降りる。途中、左に鷹ノ巣、鷲ノ巣への関東ふれあいの道を分ける(ただし、現在は倒木のため通行止め。迂回路が設定されている)。程なく山麓に下り着き、大規模な養鶏場を左に見ながら車道を歩く。鎌倉山の裾を回り、登山口の前を通って、車を置いた「ふるさとセンター茂木」に戻る。

菅原神社登拝口
山麓の車道を歩いて戻る

これで今日の山歩きは終了。今晩の宿の板室温泉に向かう。那須塩原駅前を経由し、黒磯板室IC入口を通過しようとしたところ、渋滞に巻き込まれる。何事かと思ったら、那須ガーデンアウトレットに買い物客の車が集中しているのが原因だった。

IC入口を過ぎれば、後はスイスイ。行く手には薄らと白く雪が積もった山並みが連なり、その頂は灰色の雪雲に覆われている。今日歩いてきた里山とは風景が一変する。

小雪がちらつく中、板室温泉に到着。私は板室温泉には、積雪期の鴫内山に登った後、1泊したことがあり、非常に思い出深い。しかし、その時の宿は3.11の風評被害で客足が遠のいたまま回復せず、廃業してしまった。今回の宿は大黒屋で、広い敷地に平屋が並ぶ、一等高級そうな宿だ(^^)。早速、温泉で温まり、部屋で夕食。メインの那須高原和牛を、ここでは陶板焼きで美味しく頂く。明日は、大田原市東部の萬蔵山に登る。

萬蔵山

1月3日
天気:
行程:参道入口 11:00 …雲光教寺 11:10〜20 …萬蔵山(534m) 11:35 …参道入口 11:55
ルート地図 GPSのログ(赤:往路、青:復路)を地理院地図に重ねて表示します。

温泉旅行の最終日。S&Sの帰りは小山駅15:32発の新幹線を予約しているので、短い行程の山歩きとする。大黒屋をチェックアウトし、アウトレットを避けて南下。黒磯市街を経由して萬蔵山に向かう。萬蔵山には西麓の尻高田から登っている山行記録が多いが、時間短縮のため、南麓の塩畑から林道八溝縦貫線に入って、中腹から登ることにする。途中(堂平)にも萬蔵山への道標があるが、藪に覆われてほとんど廃道化している。その先、尻高田から登る道と林道の交差点の路側に車を置き、「満藏山参道」の石碑から山道に入る。

板室温泉大黒屋
萬蔵山参道入口

高い杉林に覆われて、ちょっと寒々しい雰囲気の谷間を登ると、すぐに「白糸の滝」の標識がある。この滝は雨が降ったとき限定の滝らしく、今は水が全くない。

杉林の谷間を登る
白糸の滝(幻の滝)

白糸の滝から右へ向かい、切り返して登ると、急な参道石段が現れる。石段は苔むして微妙に傾ぎ、年代を感じさせる。石段を登り詰めると小広い境内に着き、雲光教寺の本堂が建つ。柱組には薄く苔が付いて老朽化し、堂内は吹き曝しで荒廃気味だ。しかし、こんな山中に立派なお堂が建つとは、やはり昔の人の信仰心の篤さに感服するしかない。

雲光教寺参道石段
雲光教寺本堂

堂の左前には「戦勝祈願」と刻まれた灯籠と如意輪観音の石像、右奥には立派な宝篋印塔と石祠、「満藏山改修記念碑」の石碑が建つ。この石碑によると、倒木のため本堂が破損したので大改修を行ったとのこと。碑の建立は平成八年だから、そう古い話ではない(と思ったが、四半世紀も前だ^^;)。さらに奥には改修時に寄進されたと言う不動尊がある。

宝篋印塔
不動尊

頂上への道は、一部に少し急な所があるので、S母は雲光教寺で待つことになる。枯れた低木がポサポサ繁る杉林を登る。細い作業道が交錯するが、テープを目印に登って行くと、15分程で萬蔵山頂上に着く。

頂上には数枚の山名標識と流造の石祠があり、祠の前には酒瓶が転がっている。その先は広大な伐採斜面の上端に出て、東から南にかけて展望が開ける。東方には北から南へなだらかに高度を下げて尾根が幾重にも折り重なる。目ぼしいピークは見当たらない。南方には、霞んで微かにだが、筑波山の双耳峰を遠望する。中景にあって、鍋を伏せたような山容が少し目立つ山は、地図で見ると高倉山と言う山らしい。

山頂への登り
萬蔵山頂上
頂上から東方の展望
頂上から南方の展望
中央左は高倉山(501m)

往路を雲光教寺に戻り、お待たせしていたS母と合流。参道石段は右にある巻道を下る。途中にこれも立派な石塔が建ち、正面に「権大僧都法印尊慶不二位」、側面に「旹寛保三癸亥歳(1743)正月初三日」と刻まれている。「旹」は初めて見る文字で、最初、判別できなくて、後日、偏平足さんの記事を読んで知った文字だ。「時」の古字らしい。

石段巻道の石造物
往路を下る。

あとは往路を下って、あっと言う間に参道入口に戻る。これにて正月温泉旅行の山歩きは終了。4日間とも穏やかな晴天に恵まれたのは幸いだった。

帰りは黒羽市街を経由して那珂川沿いにR294、それからR293を走って、途中の「道の駅きつれがわ」で一休み。大賑わいの直売所で土産物を買う。その後、R4を走り、小山駅でS&Sと別れて、R50で帰途につく。途中、佐野プレミアム・アウトレットの入口でまた渋滞に巻き込まれたが、その他はどこも快調に走れて帰桐した。

参考URL:偏平足さんの「石仏774萬蔵山(栃木)慶尊、宝篋印塔」、「石仏番外 萬蔵山(栃木)石祠」の記事。