山上ヶ岳
(この記事は奈良県の山1日目と2日目、大和葛城山・金剛山からの続きです。)
下市口の宿を朝6時に車で出発。コンビニで朝食と昼食のパンと飲料を買い込み、R309を走って洞川(どろがわ)温泉に向かう。峻険な紀伊山地の奥深くに分け入って行くが、道路は良く整備されて幅広く、途中の山越えは長大なトンネルで抜けるので、運転は楽だ。
下市口から45分程で洞川温泉に到着。意外と開けた谷間に温泉旅館が軒を連ねる。まだ朝早く静かな温泉街を通り抜けてさらに奥に進み、大橋茶屋の有料駐車場に車を置く。既に登山者の車が多数ある。すぐに駐車代の徴収に人が来て、日帰り料金1000円を払う。駐車場から谷間の奥に山上ヶ岳を仰ぐ。これは素晴らしい山岳景観だ。しかし、気になる天気の方は上空を灰色の雲が厚く覆い、頂稜にも雲が掛かってイマイチ。今日は雨に降られなければ御の字という空模様なので、ここから最短経路で山上ヶ岳を往復するつもりだ。
朝食にパンを食べたのち、出発。轟々と流れる谷川を清浄大橋で渡り、多数の記念碑・供養塔の間を抜けると、女人結界門が建つ。山上ヶ岳はよく知られているように女人禁制の山で、女性は登頂できない。ここに「登山者へお願い」という看板があり、その理由が記されている。山上ヶ岳自体の良い説明にもなるので要約すると「山上ヶ岳は1300年前に役行者が開山して以来、修験道の根本道場として多くの崇敬を集め、菩薩行の心と修行の法を伝えて今日も厳格な修行が行われている。その歴史の中で女人結界を持つ聖地という宗教的伝統が作り上げられ、結界が維持されてきたので、ご協力を」ということだそうだ。
女人結界門を潜って進むと最初の内は舗装された山道で、杉林の中を緩く登る。ここも先日の台風の影響で、折れて落ちた杉の枝葉が道を覆う。途中の小広い平地は一ノ世茶屋の跡で、今は小さなお社だけが残る。
山道は杉林に覆われた山腹をトラバースする。マルバノテンニンソウの花が多い。いくつかの沢や桟道を渡りつつ、山腹を延々と横切って緩い登りが続く。早くも山から下ってきた(上で泊まったと思しき)登山者や白装束の修験者と交差する。私は登山者とすれ違うとき、普段は「チワッ」と挨拶しているのだが、ここでは皆「よーまいりー」と声を掛けてくるので、それに習う。しかし、皆の関西弁っぽい発音とはどうも微妙にイントネーションが違うように感じて、何となく据わりが悪い(^^;)
変化のないトラバース道に少々飽きかけたころ、一本松茶屋に到着。登山道を覆うように建ち、中は広くて、雨風を避けてゆっくり休める造りになっている。中には役行者を祀る行者堂がある。まだそんなに疲れていないので、ここでは休憩せずに通過する。
このあとも相変わらずトラバース道が続く。「役之行者慈悲乃助水」の石碑のあるお助け水は、柄杓が置かれて水が汲めるようなっているが、飲用なのかどうかは知らない。
やがて右側は稜線に近づき、左側のすぐ下には沢が流れるようになる。二少年遭難碑と書かれた道標があり、不動尊と地蔵尊が祀られている。
沢沿いの道から七曲りと呼ばれるジグザグ道を登って稜線上に出、洞辻(どろつじ)茶屋に着く。ここも登山道を覆って小屋が建てられ、中の売店には人がいて飲食物などを売っている。稜線上はさすがに風が強く、Tシャツでは肌寒さを感じる。小屋の中はぬくぬくと休憩できてありがたい。WCを借りたのち、長袖シャツを着て歩き出す。小屋を出たところに洞辻出迎不動尊が祀られる。
ここからは大峯奥駈道に合流し、吉野から熊野への全行程約80kmのうち、山上ヶ岳までのごく一部の区間を歩く。良く踏まれた道で小ピークを巻いて稜線を辿り、「大峯修行三十三度供養塔」などと刻まれた多くの石塔の脇を通ると、次の陀羅尼助(だらにすけ)茶屋が現れる。後日調べると、陀羅尼助とはキハダを原料とする和漢胃腸薬だそうだ。
もう一つ小屋を過ぎると、道は左右に分岐する。右は平成新道と呼ばれる下山道で、ここは左の行者道を行く。多くの石碑を見ながら進むと急な階段道となり、草付きの斜面をジグザグに急登する。さらに鎖場に差し掛かり、濡れて滑り易い岩に注意して登る。
鎖場から僅かで鐘掛岩の基部に着く。右から巻いて登り、左の脇道に入ると鐘掛岩中段の舞台に出る。ここは晴れていれば絶好の展望台になりそうな場所だが、あいにく白い雲の中で何も見えない。鐘掛岩基部の役行者像の前で真言を唱える修験者が見聞きできるくらいである。
さらに登って左の脇道に入り、岩稜を渡って鐘掛岩の天辺にでる。岩場の端から覗き込むと、先程行った中段の舞台が真下に見える。鎖がぶら下がっていて、もしかして直登ルートがあるのかしらん。これはスリルありそう。
平成新道の分岐を過ぎると緩やかな登りとなる。木の階段道を登ると、脇に石垣で囲まれた一画がある。往路ではうっかりして気づかなかったが、この石垣の中に御亀石がある(復路で確認)。岩が露出した道を登り、等覚門を潜る。
その少し先、右側の大きな岩場が修行場として有名な西ノ覗だ。岩場の頂上には多数の石碑・石像が建ち並び、その向こうは断崖絶壁になっている。崖っぷちから離れた安全な場所から覗き込んでみる。白い雲の中で、下がどれくらいあるかはわからない。
この先で道は二手に分かれ、宿坊を経由して山頂に向かう左の道を進むと、緩い斜面に段を切って宿坊が建ち並ぶ。一つ一つが大きな唐破風屋根の玄関を持った立派な建物で、古びた佇まいが長い歴史を感じさせる。
宿坊の間の石段を登り、先程分かれた道と合流して、幅広い参道石段を上がる。妙覚門を潜り、大峯山寺(おおみねさんじ)の本堂や絵馬堂のある広い境内に登り着く。麓から最短でも3時間かかる険しい山の上に、これだけの規模の寺院があるのは驚きだ。本堂の中は薄暗く、蠟燭の揺らぐ灯りの下で祈禱が行われている。
絵馬堂にも入って見ると、中には多数の扁額や絵馬が保存されている。写真の「堺鳥毛」の扁額は嘉永五(1852)年の銘があり、江戸末期の物だ。額の大きさが当時の信仰登山の隆盛を偲ばせる。
本堂の軒先を借りて昼食のパンを食べたのち、最高地点に向かう。と言っても、最高地点は絵馬堂のすぐ裏手だ。「頂上お花畑」という石標から笹原の中の細い踏み跡を辿ると、周囲を樹林に囲まれて、三角点標石と「聖蹟湧出岩」と記された玉垣に囲まれた岩がある。そう言えば、昨日登った金剛山にも湧出岳があった。
最高地点からお花畑ならぬ笹原を緩く下り、レンゲ辻・稲村ヶ岳への道を左に分けると、日本岩に着く。稜線の西側に張り出した岩場で、先端に立つと下からの強風に乗って雲が吹きつける。景色は何も見えないが、しばらく粘っているうちに雲が途切れ、木々が少し色づき始めた谷を俯瞰して大橋茶屋の駐車場や遠くに洞川温泉の市街が見えた。この展望はすぐに雲に隠れて見えなくなってしまったが、山奥深い様子が垣間見られて良かった。
日本岩から石畳の参道に出て、あとは往路を戻る。まだまだ登ってくる登山者や修験者と交差する。往路で見そびれた石垣の中の御亀石を確認。平たくツルツルの岩だ。その下には「おかめいし ふむなたたくな つえつくな よけてとおれよ 旅の新客」との短歌の立札があり、そういう訳で石垣で囲ってあるらしい。
この先で左に分岐する平成新道(下山道)に入り、急斜面に付けられた階段を下る。だいぶ降って木の間から振り返ると、雲を纏った山上ヶ岳のピークが朧に眺められる。こうやって見ると、なかなか険しい山だということが改めてわかる。
洞辻茶屋に帰り着く頃には、雲が上がって周囲が眺められるようになっていた。売店で葛湯(300円)を買う。お椀に吉野名産の葛粉を入れて出され、あとはお好みの量でお湯を入れ、搔き混ぜて出来上がり。ドロッとして、サッパリした甘味で温まる。
大橋茶屋へ下って行くと、時々日も差し込む天気となった。往路では雲に閉ざされて全く見えなかった周囲の山々も、木の間越しに眺められる。一本松茶屋は通過。山腹をトラバースして緩く下る。女人結界門を潜り、大橋茶屋に戻る頃にはすっかり晴れて、山上ヶ岳の頂上稜線が綺麗に眺められた。今回は最も手軽なコースで登頂したが、機会があれば吉野山から大峯奥駈道を歩いてあの稜線を再訪し、熊野まで縦走したいものだ。
大橋茶屋でソフトクリームを食べたのち、下市口の宿への帰途につく。途中、通り抜けた洞川温泉は観光客で大賑わいだった。
(奈良県の山最終日の竜門岳に続く。)