大日山
(この記事は石川県の山1日目、医王山からの続きです。)
前日は医王山に登ったのち、金沢駅からJRで大聖寺(だいしょうじ)駅に来て、駅前のアパホテルに投宿した。なぜ、大聖寺に泊まるかというと、ここを根城にして加南三山に登ろうという目論見を立てているからである。
加南三山とは、大日山(だいにちざん、1368m)、富士写ヶ岳(ふじしゃがたけ、942m)、鞍掛山(くらかけやま、478m)の三山で、加賀三山、江沼(えぬま)三山とも呼ばれている。三山とは言っても、互いに10km以上隔たった個別の山だが、石川県まで来る機会はそうそうないだろうから、この際、三山まとめて登りたい。
加南三山の近辺には山代温泉や山中温泉など有名な温泉があり、温泉宿に泊まろうかとも考えたが、お値段が少々高級なのでアパホテルにした。こちらも最上階に大浴場と露天風呂があり、山歩きの後、ゆったりと湯船に浸かれるから、登山目的には十分だ。
土曜の朝、大聖寺駅7:44発のJR普通列車で隣りの加賀温泉駅に行き、駅前のレンタカーでVitzを借りる。加南三山はどれも登山口へのアプローチが不便で車が必須だ。今日は三山中、最も行程の長い大日山に登り、明日、残りの二座に登って、桐生に帰る予定である。
車を走らせて山代温泉、山中温泉を抜け、我谷(わがたに)ダムで左折。富士写湖畔を走る。明日、登る予定の富士写ヶ岳の登山口を過ぎ、次は九谷ダムの五彩湖畔を走って、大聖寺川の上流に向かってずんずん山奥に分け入る。最後は未舗装の林道となり、大日山登山口の真砂(まなご)集落跡に着く。3台分の駐車スペースがあり、既に奈良ナンバーの車が1台。さらに奥まで車で入れるが、悪路なのでレンタカーで無理するのは止めておく。
車外に出ると、このところ雨が降り続いたのか、傍を流れる大日谷は水嵩が多く、地面はしっとりと水気を含んで、空気もジトッと重い。上空は雲に覆われている。しかし、天気予報は悪くなかったから、雨が降ることはないだろう、と楽観的に考え、とにかく出発。
林道を辿ると、「大日山登山詳細図 2000年山中山岳会」と記され、文字が掠れた案内看板と駐車スペースがあり、既に4台の車で満杯となっている。さっきの場所に駐車して正解だった。林道を進むと左に草叢に埋もれた鳥居があり、さらにすぐ先が徳助新道入口で、左に登山道が分岐する。下山はそちらから降りて来る計画である。
渓流を左岸に渡ると草深く、朝露にズボンの裾を濡らしつつ泥濘を避けて歩くワイルドな雰囲気の山道となる。ミゾソバの花が一面に咲き、所々にテンニンソウも群生している。
やがて池洞新道入口に着き、ここから右手の樹林の急斜面を直登。小さな沢を渡ると左にトラバースして、杉林の尾根に乗る。
あとはひたすらブナ林や杉林の尾根道を登る。途中「中又谷のぞき(行き止まり)」という道標があり、展望が得られそうなポイントだが、笹藪が酷くて行くのは止める。展望のない尾根の登りが続き、僅かに右側の木の間から加越国境の名前を知らない山々が見える程度だ。しかし、見える範囲には人の活動の気配がなく、原始的な雰囲気に包まれる。
途中、道端に綺麗に色付いた実をつけたナナカマドがあるので、写真を撮ろうとカメラを構えて近づいたら、枝に絡まって、茶色く長いものが…。ギェ〜!びっくりした。5月に西上州でクマに遭遇したときより肝が冷えた。目には半透明の膜がかかり、気持ち良く昼寝していたようだ。起こさないように、そっと通過する。
さらに尾根を登って行くと、男性単独のハイカーさんが休憩中で、挨拶して先に行かせて貰う。樹林が段々低くなって傾斜が緩んで来ると、ポンと平坦な笹原に飛び出て、少し先に小屋の屋根が見える。ようやく加賀甲(かがかぶと)の頂上に登り着いたようだ。足元の道型は明瞭だが、最近刈り払いがされていないのか、身の丈程の笹原が覆い被さる。
小屋(=大日山避難小屋)に辿り着いて一休み。小屋の内部は綺麗で、十分に泊まれる。1967年正月に6名の若者が亡くなった遭難を機に建てられた避難小屋だそうだ。
小屋の前から、笹原の向こうになだらかな大日山の頂上が眺められる。休んでいると、先程のハイカーさんがやって来て、ここが大日山の頂上ですか、と尋ねられる。あそこですよ、と大日山を指差すと、うわー、遠いなあ、とおっしゃっていたが、元気に大日山に向かって行った。私も少し後から大日山に向かうと、笹原の中に先行するハイカーさんの頭だけが僅かに見えている。笹深いなー、ワイルドだなあ。
雲が多くて遠望は遮られるが、時折雲の切れ間から近くの山々が眺められる。右(南)側に雲間から見おろされる平野は、福井県勝山市の辺りらしい。
鞍部から少し登り返して小さな沢を渡り、灌木帯を緩く登ると、小広い平地に山名標柱や展望盤のある大日山頂上に着く。展望は360度に開けているが、今日は残念ながら大部分は雲の中だ。まあ周囲の山と谷は見えて、奥深さが実感できたから御の字だろう。
先に到着して休憩中のハイカーさんに話を伺うと、地元の方で、大日山には初めて登ったとのこと。知り合いがここに新しい山名標柱を建てたので、見に来たそうだ。山名標柱には「平成二十九年九月 山中山岳会」と刻まれ、確かに真新しくて立派だ(山中山岳会ブログ「大日山山頂新標柱設置」2022-07-16追記:リンク切れ)。良く見ると柱の角にササクレがあり、焦げ茶のゴワゴワした毛がたくさん付着している。クマはニスやペンキの臭いが好き?だそうで、どうやら早速、標柱をカジカジしたようである。
さて下山にかかるとしよう。徳助新道の入口が分かり難くて、少し混乱する。元来た道に入って直ぐ左に折れる道が往路、直進が徳助新道である(加賀甲から頂上に来たとき、頂上直前で左から徳助新道が合流したことに気づかなかった)。ハイカーさんは、往路の池洞新道を戻るとのことで、ここで別れる。
中低木帯の尾根をほぼ一直線に下る。ところどころの滑り易い急坂にはトラロープが張られている。色付き始めた樹林の尾根を登り返すと冷水の頭の小ピークで、さらに緩く登ると小大日山(こだいにちざん)の頂上に着く。
この頂は周囲の樹林が低く、眺めが効く。アキアカネの群れが飛び回り、秋の深まりを感じさせる。しばらく休んでいると雲が切れて、大日山と加賀甲がまろやかな頂を並べて姿を表した。展望を堪能できたので、先に進むとしよう。
少し下ると小大日山の三角点標石(点名:小大日)がある。尾根を緩く下って、僅かに登り返した小ピークが徳助ノ頭だ。
ここから大日谷に向かってほぼ一直線の大下りとなり、ブナ林に覆われた小尾根をとっとこ下る。ここも滑り易い急坂にはトラロープが張られている。瀬音が聞こえて来て、ようやく徳助新道入口に下り着く。枝沢の水で顔を洗っていたら、頂上で別れたハイカーさんがちょうど下山して来た所に会った。どちらを下山コースに使っても、時間はほぼ同じということのようである。
駐車場の車は朝と変わらず4台で、内1台はハイカーさんの車。山中で他のハイカーさんには会わなかったから、残りは釣り師の車らしい。
往路では気づかなかったが、大日山登山詳細図の裏側に「つぶやき」という題の一文が書かれている。これは、山村の雪深い冬の生活の厳しさをつぶやいてるいるのか、それとも過疎と高齢化で住人が少なくなっていく寂しさか。なんとも物悲しく、心に残る。
加南三山の盟主は奥深く静かな名峰であった。あとは林道を歩いて駐車地点に戻り、車で大聖寺駅前の宿舎に帰る。まず、大浴場で汗をサッパリと流し、それから日の暮れた市街に出て、中華料理店で生ビールと餃子、焼き飯の夕食をとる。宿舎に戻り、ネットで少し遊んだのち、心地良い疲れと共に就寝した。
(石川県の山3日目の鞍掛山・富士写ヶ岳に続く。)