清澄山・烏場山
(この記事は房総の山1日目、高宕山からの続きです。)
前夜は鴨川グランドホテルに宿泊。夕食は海の幸を味わい、朝食は品数豊富なバイキングをがっつり食べて、9時頃にチェックアウト。今日は時間に余裕があるし、なかなか来る機会のない外房の海辺に来ているので、計画している軽い山歩きをする前に『分県登山ガイド 千葉県の山』で紹介されている海岸の景勝地「おせんころがし」を訪ねることにする。
おせんころがし
鴨川よりR128を東に向かう。鴨川シーワールドの前は、入園者の車で渋滞が発生して大賑わい。多数のトンネルを抜けて、JR外房線行川(なめがわ)アイランド駅の前を通過。この辺におせんころがしの入口があるはずだが、行き過ぎたようだ。Uターンし、トンネル手前の左側にある空き地に車を置く。奥から海岸に向かって道があるので、ここがおせんころがしの入口だろう。しかし、景勝地なのに道標の類が全くないのは、如何なものか。
ちなみに行川アイランドというと、昔、フラミンゴがなんとかと言うTVCMを見た覚えがあるのだが、後日調べてみると2001年に閉園。駅は改名せずに存続し、周辺に人家がないことから秘境駅扱いされているらしい。
さて、奥に向かうと車止めがあり、その先の谷間に歩道が通じている。周囲の斜面は強い海風に撫で付けられた照葉樹やカヤトに密に覆われ、風衝地帯の特徴が強く現れていて面白い。すぐに海に面して切れ落ちた断崖に突き当たる。左右の海岸には絶壁が続き、外房にこんな険しい場所があったとはビックリ。なかなか迫力のある景観である。
ここに「孝女お仙之碑」の銘のある石塔が建つ。説明板に「おせんころがし」の名称の由来が記されている。過不足なくうまく要約されているので、引用しよう。
高さ二十メートル、幅四キロメートルにもおよぶこの「おせんころがし」には、いくつかの悲話が残されています。豪族の一人娘お仙は日ごろから年貢に苦しむ領民に心痛め、強欲な父を見かねて説得しましたが聞き入れてくれません。ある日のこと、領民が父の殺害を計画し機会をうかがっているのを知ったお仙は、自ら父の身代わりとなり領民に断崖から夜の海へ投げ込まれてしまいました。領民たちは、それが身代わりのお仙であったことを翌朝まで知りませんでした。悲嘆にくれる領民たちは、わびを入れ、ここに地蔵尊を建てて供養しました。さすがの父も心を入れかえたということです。
どこまで史実かは知らないし、疑問点(夜でも男と女は間違えないだろとか、殺人を詫びで許すのかい、とか^^;)もあるが、ここからころがされたら死ぬのは、まず間違いない。
車に戻って、すぐ西の大沢集落付近まで移動し、海岸沿いの車道を散歩する。絶壁の中腹をトラバースする道で、こちらも絶景である。後日調べて知ったが、かつてのR128は、この道と先程のおせんころがしの左の断崖の中腹を通っており、交通の難所として知られていたそうだ。駐車が多く、ダイビングの格好をした人や、海にゴムボートを浮かべて遊ぶ人を見かける。
適当な所で引き返し、次は房総の古刹・清澄寺(せいちょうじ)のある清澄山(きよすみやま)に向かう。
清澄山は清澄寺大堂の裏山の妙見山を最高点とする。清澄寺バス停まで車で入れるが、ここの駐車場は有料なので、少し戻った所にある無料の市営駐車場に車を置く。ちょうど東京大学のヘルメットを被った中高年ハイカーさんの一団が出発するところであった。近くに東大の千葉演習林があるので、多分、一般公開の見学会とかがあるのだろう。
清澄寺バス停から清澄寺までは、数軒の土産物屋の前を通ってすぐの距離である。3連休中だが、参拝客の往来はちらほら。左手には山上の小さな集落が長閑な佇まいを示す。
仁王門を潜って広い境内に入ると、正面に「清澄の大スギ(千年杉)」が高々と聳えて威容を誇る。説明板によると、このスギは目通り約15m、樹高約47mで、国内最大級のスギの巨木とのこと。国の天然記念物に指定されている。
石段を上がると、杉の大木が鬱蒼と茂る妙見山を背景にして、清澄寺大堂(本堂)が建つ。清澄寺の創建は1200年前に遡り、虚空蔵菩薩を本尊とする。天台宗の寺として栄えたが、度重なる火災と戦により衰退。戦後、日蓮宗に改宗して復興したとのこと。日蓮上人は安房小湊の生まれで、清澄寺で出家したという深い縁があるが、お寺が改宗することがあるとは初めて知った。
大堂の左奥に妙見山への登り口がある。杉大木の林の中、良く手入れされた木の階段の参道を登る。頂上のすぐ手前には八面の石幢(せきとう)が建つ。高さ約2mの大変立派なものだ。応永三十一(1424)年の創建とのこと。このすぐ先が妙見山頂上で、妙見堂が建つ。樹林に囲まれて展望はないが、静かで落ち着いた雰囲気の頂である。
往路を戻って車に帰り、R128沿いの蕎麦屋で昼食をとったのち、次は烏場山(からすばやま)へ向かう。
烏場山
鴨川からR128を南下して、和田町花園付近で右折。「花嫁街道」の道標に従って林道花園線を走り、長者川を平倉橋で渡って左に分岐したすぐ先に多数の駐車がある。ここが烏場山登山口の花嫁街道入口で、WCも有り。ガイド本によると、烏場山は南房総で最も人気のある山だそうだ。また、岩崎元郎氏の『ぼくの新日本百名山』にも選定されている。
花嫁街道に入り、樹林に覆われた緩斜面の浅い窪状を登ると、やがて緩く広い尾根を辿る道となる。この道ならば嫁入りで歩くことも、そう大変ではなさそう。道は和田浦歩こう会によって良く整備されており、とても歩き易い。道標も要所に設置されている。
第一展望台は樹木が育ったためか全く展望なし。ブナ科の常緑樹のマテバシイ(トウジイ)が段々多くなる。第二展望台(標高202m)にはベンチがあり、海側の展望が得られる。緩い登りが続いたが、いつの間にか標高を稼いでいて、高い視点から海岸線が眺められる。海を眺める山歩きは結構好きである。
第二展望台の西側斜面にはマテバシイの見事な純林が広がる。少し登ると経文石で、木の根に包まれた大きな露岩がある。
道は少し下り気味となり、樹林の間から烏場山を望む。頂上はまだまだ遠い。コースタイムでは花嫁街道入口〜烏場山が1時間20分だが、時刻は14時半を過ぎて、既に出発から1時間10分が経過。頂上まであと1時間くらいかかりそうだ。もう日が長い季節なので日没はまあ心配ないが、余裕はあまりない。寄り道でのんびりし過ぎた(^^;)
道は西へ向かい、浅い窪を登って尾根上に復帰すると、自害水の標識とベンチがある。水場がありそうな地名だが、それらしいものは見当たらない。北へ尾根を辿ると駒返しで、北麓の五十蔵(ごじゅうくら)への道を左に分ける。
この先で稜線は東に向きを転じ、あとは烏場山頂上へ一直線。南面が芝で開けた地点があり、「見晴台(カヤ場)」の道標とベンチ、WCがある。海も眺められる休憩適地だが、頂上まであと0.6kmだからがんばろー。
少し進むと第三展望台で、こちらは北西の眺めが得られ、五十蔵付近の山村が眺められる。遠くのゆったりとした山容の山は、千葉県最高峰の愛宕山(408m)のようだ。
再び五十蔵への道を左に分け、最後に急な階段道をひと登りして、三角点標石のある烏場山の頂上に着く。頂上は小広く、山名標と周辺の展望を示す矢印看板が設置されているものの、樹林に囲まれてスッキリした展望は得られない。しかし、ベンチもあって落ち着ける頂だ。既に日が傾き始めているので、少しだけ休憩して、下山にかかる。
復路は烏場山の南尾根を下る花婿コースを辿る。稜線を東へしばらく下ったのち、鋭く切り返して南尾根に乗る。あとは緩い下りが続き、こちらのコースも大変歩き易い。
やがて「旧烏場展望台」の道標とベンチのある地点に着くが、名称からお察しの通り、樹木に遮られて展望は得られない。温暖の地なので、樹木の成長が速いのかも。さらに尾根を下り、少し登り返すと「見晴台」に着く。ここは南の眺めが開けて、ゆったりと広がる山地の先に海が眺められる。
木の階段を下り、尾根をゆるゆると下ると「金毘羅山 海抜121M」の標識がある。展望は得られない。頂上直下に石祠があり、ここから急斜面をジグザグに下る道となる。
急坂を下りきって、木橋で川を渡る。橋のすぐ下流に滝の落ち口があり、これが黒滝のようだ。滝下にハイカーさんが見え、川沿いに遊歩道があるようだが、夕刻が迫ってきたので林道花園線を辿って車に戻る。川沿いの遊歩道は「はなその広場」で林道に合流する。
駐車した花嫁街道入口に戻った時は、17時を少し回っていた。さすがに他の車はもうない。所要時間の見積もりが甘くて、最後は少々急ぎ足になった。低山にしては意外と山深く、マテバシイ林など自然も豊かで雰囲気が良い。道が急な箇所は金毘羅山の下り位で非常に歩き易く、なかなか良い山であった。岩崎氏が新百名山に選定したのも納得である。
今晩の宿は安房勝山にある安房温泉紀伊乃国屋。携帯で到着が遅れるとの連絡を入れ、急ぎ宿に向かった。
(房総の山3日目の鋸山に続く。)