大明神山・高尾山

天気:
メンバー:K,T

昨年の暮れに多高山(栃木県佐野市)と高尾山(東京都八王子市)に登って山行記録をアップしたところ、高崎市在住のSさんから、倉渕町にも高尾山がありますよ、というメールを頂いた。地元では「たこやま」と呼ばれ、頂上には3基の石祠があるとのこと。漢字表記はミシュラン三つ星の山、地元での呼称は多高山と同じとは、面白い偶然だ。

また、近くに大明神山という山があることもSさんからご教示頂いた。ネットで調べると、山麓には青面金剛像を一石に百体刻んだ百庚申があるらしい。文字で「百庚申」とか「千庚申」と刻まれたものは多いが、像が百も刻まれたものは珍しく、青面金剛ファンとしては是非見てみたい。

以来、この二つの山を訪問する機会をうかがっていたが、軽ハイキングに適した季節となったので、青面金剛に蒐集魂を燃やすKさんに同行頂いて出かけて来ました。Kさんの記事はこちら → 大明神山高尾山

大明神山
行程:駐車場 9:45 …浅間神社 9:55 …大明神山(570m) 10:15〜10:35 …駐車場 10:50
ルート地図 GPSのログを地理院地図に重ねて表示します。

今日は軽い山歩きなので、桐生をのんびり8時に車で出発。R50、R406を経由して倉渕町権田へ向かう。権田の手前で左折、烏川を渡って右折、右岸の山の端と烏川の間の車道を少し走ると、浅間神社の入口に着く。路側の広い所が参拝客用の駐車場に指定されているので、車を置かせて貰う。


浅間神社の大カエデ
(帰りに撮影)


浅間神社の石段参道の入口

「村社淺間神社」という石柱の横から浅間神社への石段参道を登り始めると、すぐにお目当ての百庚申が左手に現れる。方錐角柱の各面に25体、総計百体の青面金剛が浮き彫りされているのは壮観だ。青面金剛が肩車するように縦に3列ならび、足があるのは一番下の像だけ。このデザインも斬新で秀逸だ。一番上には月と日も刻まれている。台座の文字は読み取れないが、説明板によると「寛政六寅天六月如意日」(1794年)の紀年銘があるそうだ。この百庚申は一見の価値ありと思う。


浅間神社の百庚申


百庚申の青面金剛像

石段参道を登り詰めると、大明神山の中腹に浅間神社の立派な本殿が建つ。参道入口にあった説明板によると、木花咲耶姫命と磐長姫命を祭神とし、元は川浦桑元の富士山(ふじやま)山頂にあったものを、老者女童の参詣が難儀なので江戸時代初期に現在地に遷宮したとのこと。ところで、桑元の富士山ってどこだろう。興味が湧く。

神社の裏手の奥には大きな岩壁がある。崩落防止のためにワイヤーやコンクリで補強されており、確かにここで地震に遭ったらヤバい。岩壁の基部には数基の石祠、朝間大明神の石碑、富士浅間信仰の開祖とも言われる役行者の石像が祀られている。


浅間神社の本殿


石造の神々がおわす岩壁


朝間大明神


石祠と役行者像

神社の裏手と岩壁の間に大明神山への登山口があり、手摺と偽木の階段が整備された遊歩道が通じている。しかし、道の上にフワフワに積もった腐葉土には獣の足跡が点々と付いていて、あまり人は歩いていない模様。


大明神山への登山道


ササバギンラン

新緑の森をジグザグに登ると、20分程で頂上に着く。ここは戦国時代後期に真田昌幸が築いた山城の跡で、別名駒形城というらしい。頂上は本丸の跡で平坦な広場となり、石祠が祀られている他、説明板やベンチがある。緑に囲まれて展望はないが、樹林の間から吹き上がって来る風が爽やかだ。


頂上直下の登り


大明神山頂上(砦跡)

ベンチでゆっくり涼んだのち、往路を浅間神社に戻る。参道入口で樹齢350年の大カエデを見たのち、車に乗って次の高尾山に向かう。

高尾山
行程:駐車地点 11:20 …高尾山(884m) 12:15 …奥のピーク 12:30 …(昼食) …高尾山 13:25 …駐車地点 14:05
ルート地図 GPSのログを地理院地図に重ねて表示します。

高尾山に向かう途中、近くの猪毛(いもう)の道祖神に立ち寄る。お地蔵さんが二体あるように見えるが、別々に丸彫りされた道祖神で、三河型と呼ばれるものとのこと。倉渕には全部で100を越える道祖神があるそうで、主なものは機会を得ておいおい訪ねてみたい。

三沢川沿いの車道から分岐して山の尾を巡る道を走ると、丘の上の畑地に民家が点在する集落に出る。東側は緩斜面となって烏川に落ち、対岸には緑に覆われたなだらかな山々が広がる。長閑な山村風景だなあ。西側は徐々に尾根へ高まって、その奥に高尾山が丸いピークを擡げている。そこそこ登り応えがありそう。路側の広いところに車を置く。


猪毛の道祖神


東麓の集落から高尾山を仰ぐ

高尾山に向かって砂利道に入ると、すぐに民家に突き当たって左へ。畑地とビニルハウスの間の細い道を行く。短い間だがルートが判りにくい。やがて尾根の上を進むようになるとルートがはっきりし、山道が杉林と新緑の雑木林の境界に続いている。途中、ユキザサやチゴユリ、ウツギなど白い花が多い。いくつか分岐があるが、尾根上を進む。やがて最初の石祠が現われる。文化元甲子年八月吉日(1804年)のもので、なかなか古い。


山麓の山道を緩く登る


最初の石祠


ユキザサ


ウツギ

杉林に覆われた緩い尾根を辿る。踏み跡や古い作業道が錯綜するが、赤テープに導かれて尾根伝いに進む。急に傾斜が増して、笹藪を搔き分けて獣道を登る。疎らな雑木林の尾根を急登し、再び笹藪が濃くなると二つ目の石祠が現われる。石祠が祀られているということは、辿った尾根がかつての参道ということで間違いないだろう。宝暦…という銘があり、(これは帰りに気がついたのだが)屋根の上に雨降山小天狗と刻まれている。


獣道を辿って尾根を急登


頂上直下の石祠(雨降山小天狗)

すぐに三つ目の石祠(屋根に石尊大権現の銘)があり、笹藪を搔き分けて緩く登ると高尾山頂上に着く。割竹に高尾山と書かれた山名標が掲げられ、その脇に三角点標石と四つ目の石祠(雨降山大天狗)がある。樹林に囲まれて展望はなく、笹藪の中は居心地もいまいちなので、休憩適地を探して先に少し進むことにする。


高尾山頂上の山名標


頂上の石祠(雨降山大天狗)

稜線をさらに西に辿ると笹藪が消え、木立が疎らな雑木林となる。新緑が美しい。北側は烏川に向かって急斜面で落ち込み、木の間から山麓の集落が見おろせる。緩く登って着いたピークは高尾山より少し標高が高い。ヤマツツジの赤い花があちこちで咲いて見頃だ。この先の稜線は木立が密で歩きにくそうなので、ここで引き返して、途中の開けた平地で昼食とする。新緑を吹き抜ける風が心地よい。まずは少量の缶ビールで乾杯。Kさん差し入れのゆで卵やボイルドソーセージ、野菜に果物、パンを頂いて、お腹が一杯になる。


新緑の雑木林の稜線


ヤマツツジ

昼食ののち、往路を戻って下山する。高尾山頂上直下の急登も、下りは速い。尾根が緩くなると既に山麓で、最後まで直進するとはっきりした山道に合流して、山麓の車道に出た。今日は軽い山歩き二つだったが、神社や城跡、石造物と見所いろいろ、新緑と花も楽しめた。Kさん共々満足して、桐生への帰途についた。