多高山
やまの町桐生のKさんから、多高山に登りたい、とのリクエストを頂いた。多高山(たこうさん)は老越路峠(おいのこうじとうげ)からの往復で登られることが多いが、それだと往復1時間位しかかからなくて、かなり物足りない。飛駒側の足利カントリークラブを起点にして、多高山から老越路峠へ周回する予定で出かけてきました。
のんびり10時に車で出発。紅葉が見頃の梅田湖を通り、老越路峠を越える。足利CCの入口には「関係者以外立ち入り禁止」の看板があって、少し躊躇したが、中に入る。不景気だからゴルフをする人も少なくなったかと思ったら、クラブハウス前の広い駐車場は車でほぼ満杯で、ちょっと吃驚。なかなか活況のようで、慶賀の至り。
駐車場の一番奥の隅に車を置き、近くにいたゴルフ場の従業員の方に「多高山に登るので駐車してもいいですか」と尋ねたところ、快諾頂いた上に登山口まで親切に教えて貰った(私有地に進入・駐車するので、許可を得ることが必要。常識と思うが、念のため)。
作業道に入り、猪除けの柵をゲートを開閉して通過。ゲートの前には「多高山登山口」という小さな道標がある。最近歩いた痕跡が皆無な荒れた道を辿り、小さな谷を登る。
実は、足利CC〜多高山のルートは、下りで一度通ったことがある(山行記録)。記憶が定かでなく、そのときとはなーんか様子が違うなとは思いつつも、雑木林の紅葉を楽しみながら作業道を歩くと、伐採された谷間に出て、多高山と思しきピークが頭上に仰がれる。これはやっぱり道を間違えた。ゲートから左の尾根に取り付くのが正解だった。まあでも、ここから左寄りに登れば正しい尾根に復帰できるかも。
ということで、作業道から左の小尾根に取り付き、杉林の中を急登する。道を間違えて杉林を急登する展開は、愛宕山の二の舞だ。幸い、小尾根の上部は藪のない雑木林で、傾斜は急だが、登るのに大きな困難はない。
正規ルートの尾根は左に見えているのだが、登っている尾根が合流する様子はなく、どんどん高度を上げる。ここで初めてGPSの地図を見る。頂上直下まで尾根は分れたままで、このまま登るようだ。ええい、ままよ。両側の斜面は結構急で、里山らしからぬ険しさ。雑木林の紅葉もきれいだし、バリエーションルートとしても面白いかも、などと道を間違ったことを棚に上げて悦に入る(^^;)。邪魔になる枝が鉈で切られて、古い切り口があるところを見ると、登る人が皆無という訳ではなさそう。振り返ると、樹林越しに足利CCが俯瞰できる。既にかなり高度を稼いだな。越えられない様な岩場や崖が現われないかどうかだけが気がかりだ。
幸い難所もなく、登山道のある尾根に合流する。頂上は右上のすぐそこに見えている。そちらに向かうと、岩壁に行く手を遮られる。前回、下りで結構危ないと感じた個所だ。岩壁の基部には不動明王像が祀られている。これは前回は見落としていた。風化が進んで銘は読めないが、かなり古そうな不動様だ。
テープに導かれて、岩壁のバンドを斜上する。危険な箇所にはロープが張られているが、当てにならない。Kさんも何とか登るが、ここを下るのは止めた方が良さそうだ。岩壁の上には、石祠と土台だけの石灯籠がある。松林の間から、山麓の飛駒盆地の眺めが良い。
石祠の裏手を少し登れば、三角点のある多高山の頂上だ。ここにも土台だけの石灯籠がある。以前は石祠もあったが、元から崩れかけていた上に先の震災で完全に崩壊し、石垣だけが残っている。小広い頂上は乾いた枯れ葉と枯れ草に覆われて、気持ち良く休憩できる。早速、腰を下ろして昼食とする。今日は行程が短いので、ビールはなし。Kさんが持って来た駅弁の焼鯖寿司(これは美味い)、ゆで卵、トマト、柿などをご馳走になる。
昼食後、老越路峠へ尾根道を下る。こちらの尾根の雑木林も、終盤を迎えた紅葉がきれいだ。向こうの山から、突然大きな銃声が響いて驚く(銃猟は来年2月末まで解禁だそうなので、この山域を歩く時は要注意)。急な坂をジグザグに下り、さらにプラスチックス製階段を下って杉林の脇を通ると、老越路峠の切通しの手前でフェンスに突き当たる。
ここには宗教モニュメントが多数あり、石祠(明治六癸酉年三月吉日)や根本山神、峠山神、庚申の文字碑、石仏(三十三度?寺?養)、三面六臂の馬頭観音像がある。馬頭観音像の側面には「天明二壬寅年十月吉日」、「下野國安蘇郡佐野飛駒邑中」と刻まれている(天明2年は1782年)。峠周辺にあった石像が、車道の開通でここに集められたようだ。
フェンスに沿って右に進むと、老越路峠の車道に出る。ここには「多高山登山口」の道標があるが、登る際は入口が藪っぽくて判り難い。車道の反対側には「番山記念碑」という大きな石碑がある。周辺の山での林業に関係する碑らしい。
老越路峠から飛駒側へ車道を辿る。車では何度も通った道だが、歩くのは初めてだ。見上げると、紅葉した山腹の上に多高山の頂上まで望まれる。少し進むと、二体の地蔵がある。これも車で通りがかる際に見ていた。車道脇のコンクリ吹付法面に据え付けられているので、最近の交通事故の慰霊像とかかなと思っていたが、よく見ると結構古い物だ。
地蔵の先の曲がり角から、車道と分れて幅広い山道に入る。地形図にも破線が足利CCまで描かれている道だ。破線路は得てして当てにならず、廃道だったりすることが多いのだが、この道を通ることができれば車道を歩かずに済むし、近道だ。という訳で、試しに歩いてみるべ。
しばらくは雑木林の中にはっきりとした道が続いていて、山腹をほぼ水平にトラバースして行く。途中から荒れてくるが、藪はほとんどなく、道型を辿ることは難しくない。杉林の中に入ると、道端に数段の石段があり、その上に苔むした石仏が祀られている。側面には「寛政七乙卯天霜月吉祥」との銘がある(寛政7年=1795年)。古い石仏があるということは、この道は近年開かれた作業道等ではなく、かつての峠道ではないかと思う。
旧峠道を辿ると足利CCの車道が見え、猪除けのフェンスに突き当たる。フェンスに沿ってしばらく歩き、駐車場のところでフェンスを跨いで越える。誰かに見られたら、完全に怪しい輩だ(^^;)。
車に戻って、出発からちょうど3時間。大変短い行程だったが、未知の登路を(道間違いで結果的に)開拓しちゃったり、岩場を攀じ登ったり、石仏、石祠を見たり、紅葉を愛でたり、旧峠道を辿ったりと、手軽な割に盛り沢山で楽しい山行だった。これだから地元の里山歩きは面白いよねー、とKさん共々に満足して、帰途についた。