長沢背稜
(2017-05-19追記)大血川〜酉谷山のルートは遭難が続発したため、現在、土地所有者によって登山目的での通行は禁止されています。
雲取山から芋ノ木ドッケ、長沢山、酉谷山、三ッドッケと続く都県境稜線を長沢背稜(ながさわはいりょう)と呼び、奥多摩では最奥の山々が連なっています。秩父側の大血川から酉谷山に登り、長沢山、芋ノ木ドッケを周回して来ました。
今回のコースは長丁場なので早立ちして、夜中の2時頃に桐生を車で出発。伊勢崎→児玉→皆野と走って、荒川を上流に向かう。三峰口を過ぎる頃、ようやく空が白み始めて周囲の山々の輪郭が浮かび上がる。R140から分かれて、大血川沿いの道を登山口の大日向に向かう。大血川渓流観光釣場と東谷林道入口を過ぎ、太陽寺の方へ300mくらい進んだ所に道幅が広くなった所があり、ここに車を置く。空は明るくなって来たが雲に覆われていて、轟々と瀬音が谺する峡底はまだ薄暗いままだ。準備を整えて出発する。
車道を少し戻って、東谷林道に入る。入口にはゲートがあり、「台風により路肩崩落のため通行止め/東京大学秩父演習林」という掲示がある。これは車の通行に関するものと解釈して、先に進む。未舗装の林道は確かにあちこちで崩れた形跡があるが、重機がたくさん入っていて修復が進んでおり、歩行には支障ない。
林道を40分程辿り、小滝をかけるクイナ沢を渡ると、林道は終点となる。道標の類いは全くなく、登山口を探してちょっと戸惑う。林道終点から山道に入るのだが、いきなり崩壊地のトラバースだ。張り渡されたロープを頼りに渡る。のっけからこの調子では先が思いやられる。
山道は急峻な山腹をジグザグに登って行く。良く踏まれているものの、とにかく斜面が急で気が抜けない。登り詰めると尾根の上に出て、一息入れる。周囲の森林は新緑がきれいだが、まだ薄暗いし、出だしは陰気な山歩きだ。
しばらく尾根上を登ったのち、右の山腹の杉林の中のトラバースになる。ザレた斜面をロープを手摺に通過し、丸太橋を渡る。その先も右斜面のトラバースが続き、どんどん尾根から離れて行くので、この道で良いのか疑問が湧いて来る。ところどころで樹林の間から見える周囲の山々はえらく急峻で、すごい山奥に入り込んでいる感がありありして、不安も増す。ロープや橋があったから、間違いはないとは思うんだけどなあ…
疑念を抱きつつ進んで行くと、なんと崩壊地に突き当たって、山道がぶった切れている。崩壊面はほぼ垂直で深く抉れているので、ここを通るのは不可能だ。高巻くしかない。でなければ撤退するか。周囲を見渡すと、崩壊地のすぐ手前から誰かが高巻いたらしい踏み跡がある。ここを行ってみるか。手足総動員で登り、崩壊地の上部を渡る。向こう側は下れるかな?小さなリッジを越えると小さな窪になっていて、下の方は傾斜が緩い。あそこまで降りればなんとかなりそうだ。頼りない枯れ木を摑んでバランスを取りながら泥々の斜面を下ると、再び山道に降り立つことが出来た。やれやれ。
(注意!ここの通過は危険です。さらに崩壊が進行することも考えられるので、このコースは避けるのが無難です。)
しかし、こんな危険個所がこの先も続くようならば、これはもう引き返した方が良いだろう。そもそも道は合っているのか?不安が高まりつつも、さらにトラバースしていくと、道標を発見!朽ちかけた木の板には、確かに指す方向に「酉谷」と彫り込まれている。道が正しいことが確認できて安心する。
道標で左に折れて登ると、再び尾根に出る。もう難所はなさそうだ。崩壊地の迂回路が尾根上にあるかも、と思って観察してみたが、スズタケの藪に覆われてはっきりとは判らなかった。ここからは傾斜も弛み、歩きやすい道となる。尾根を登って行くと、酉谷山と熊倉山を結ぶ稜線に出た。熊倉山に向かう稜線上にも明瞭な山道があるが、分岐点には道標はなく、テープ類と「山火事注意/東京大学」の看板だけが目印だ。
稜線を辿って酉谷山に向かう。ようやく日差しが出て、トウゴクミツバツツジの紫色の花もぽつぽつと見かけるようになり、気分も上向く。急坂を登り詰めると、酉谷山の前衛峰の小黒に到着する。黒木に覆われて、木の間から酉谷山が僅かに見えるだけだ。
小黒から一旦鞍部に下る。登山地図には大血川峠という名称が記載されているが、かつてはここが峠道として使われたことがあったのだろうか。鞍部から酉谷山へは標高差約100mの登りだが、既に3時間以上登り詰めなので足が重い。倒木の多い苔むした斜面を登ると、酉谷山の頂上に飛び出た。やったー。
酉谷山の頂上は樹林に囲まれているが、南側は開けていて、明るい緑に覆われた小川谷の向こうに奥多摩の山々が良く見える。酉谷山には1977年5月に登っていて、今回が2回目だ。頂上の様子はさすがに覚えていないが、こんなに展望が良かった印象はない。時間が早いせいか、まだ誰も登って来ていない。ゆっくり展望を楽しむ。
頂上から西へ稜線伝いの登山道もあるようだが、避難小屋に立ち寄るために東に下る。ここも、前回はスズタケの藪が酷かった記憶があるが、今は全く藪はない。木の間から北側に秩父盆地が見おろせる。こうして見ると、奥多摩の秩父側はずいぶんと急峻だ。酉谷峠で今日初めてのハイカーさんに会う。峠から僅かな下りで縦走路に出ると、すぐ下に避難小屋の屋根が見える。
酉谷山避難小屋は新しくて奇麗な建物だ。小屋からは頂上と同じく南面の展望が素晴らしい。入口には水場もあり、雨の後ということもあるが、冷たい水がバンバン流れていた。しかし、小屋の前にはロープが張り渡してあり、台風で小屋の直下の地盤が崩れたため使用禁止という掲示があった。また、小川谷の登山道も寸断されて通行止めとなっていた(七跳尾根が迂回路になる)。折角来たので小屋の中を覗かせて貰う。内部も奇麗で板の間があり、居心地が良さそうだ。WCもある。一度泊りたいなぁ。いつ、使用が再開されるだろうか。
縦走路に戻り、縦走路を西に向かう。酉谷山の南面をほぼ水平に巻いて進む。樹林に覆われて展望はないが、日差しに照らされて新緑が輝く散歩道だ。紫色のトウゴクミツバツツジも点々と咲いていて、新緑の中にアクセントを付けている。
稜線の南側をずっと巻き、滝谷ノ峰も巻いてタワ尾根の分岐点で一休み。雲取山荘を今朝出発したのだろうか、数パーティーのハイカーさんとすれ違う。道は相変わらずほぼ水平。左手には木の間から天祖山への稜線が見える。どこもかしこも緑の樹林の中、立岩の採石場だけが巨大な灰色の斜面を晒していて、場違いな感じだ。その先も展望はないが、所々から目指す芋ノ木ドッケや、雲取山、雲取山荘の赤い屋根が見える。
新緑とトウゴクミツバツツジ、アセビなどの花を見ながら縦走路を辿る。カエデの類いが多いので、秋の紅葉も良さそうだ。南面のトラバース道から稜線に出たところでは、秩父側に熊倉山が見えた。水松(あららぎ)山の南を巻く地点から踏み跡を辿って、水松山の頂上を訪ねる。三角点と達筆標識がある他には展望もなく、静かな頂上だ。
水松山から稜線を西に向かうと、二重山稜のような浅い窪地を下って縦走路に合流する。ここから、秩父側の深い樹林帯を巻く。北から吹き上がって来る風が涼しくて気持ち良い。
稜線に戻ってトラバース道は終わり。稜線をゆるゆる登ると長沢山の頂上に到着した。道標があるだけの、登山道の途中という感じの頂上で展望もないが、今日のコースの中間点でもあるし、腹も減ったので昼食のための大休止とする。気温が上がったので缶ビールが美味い。昼食はレトルトカレーに餅を投入したもので、エネルギー充塡完了。
休憩を終えて、長沢山から稜線を下る。行く手の芋ノ木ドッケにはだいぶん近づいて来たが、なかなか高く見える。鞍部から登り返した小ピークでは、シャクナゲが咲き始めていた。黒木の根が入り組んだ痩せ稜線を急登すると柱谷ノ頭に着く。ここのシャクナゲも奇麗だ。眺めも北側が開けて、遠くに両神山のギザギザの稜線も見えた。
さらに急登して、コメツガやシラビソ等の黒木の樹林帯を抜けると、倒木帯に出て緩い登りとなる。ここは(白岩山の頂上にある説明板によると)伊勢湾台風の被害に遭ったらしい。鷹ノ巣山や天祖山の展望が開け、振り返ると木の陰になっているが酉谷山から三ッドッケにかけての稜線も遠くに見える。
再び樹林に入ると雲取山〜三峰山の登山道に合流した。地形図上の芋ノ木ドッケ(芋木ノドッケと表記されている)の1946m標高点はこの左にあり、立ち寄ってみたが黒木に覆われて何もない所だった。分岐に戻って、三峰山への山道を辿る。新しい倒木が多く、道が一部不明瞭になっている。
大ダワから芋ノ木ドッケを巻く道と合流する地点に「芋ノ木ドッケ」という大きな山名標があるが、これは本来の位置ではない。ここからお清平までは、三峰神社から雲取山に登った時に歩いた道だ。ハイカーさんの行き来も多い。
わずかに登るとベンチと三等三角点のある白岩山の頂上。ここは通過して下って行くと白岩小屋に着く。缶ビール(500円)を売っていたので、思わず購入。小屋の前のベンチで寝転がっていると、すぐ近くにシカが現れて、逃げることもなくこちらの様子を伺っている。何かおねだりしているのかな?
前白岩山へ少し登ったあと、急降下してお清平に着く。三峰神社への道と別れて、太陽寺に向かう。最初は霧藻ヶ峰の山腹を巻き気味に下って行く。時々、木の間から長沢背稜を眺めるくらいで、ひたすら歩く。途中には水場がある。霧藻ヶ峰の頂上からの道を合わせると、杉林をジグザグに下って、三峰神社と大日向を結ぶ大血川線の車道に出る。ここに車を置いて雲取山に登るハイカーさんもいるようだ。
車道を横切って登山道を下る。また水場があり、車道を横切ってさらに下ると太陽寺に着く。西上州の黒滝山不動寺もずいぶん山奥にあるが、ここはさらに山奥だ。古く大きな本堂があり、縁側に上がり込んだ女性2人が若い住職さんと話に興じていた。ここは江戸時代から女性の参拝が多かった(山岳信仰の社寺はほとんど女人禁制だったが、ここは認められていた)そうで、なんとなく雰囲気が判った気がする(^^)
太陽寺からは参道を大日向に下る。古い丁目石と石仏(十三仏石像)が点々とあって、往時の参拝客の賑わいが偲ばれる。最後は大規模な伐採地の横をジグザグに降りると、観光客で賑わう大血川渓流観光釣場の前に下り着いた。
車に戻って、周回コース踏破完了。歩行時間11時間40分は今年一番のロングコースでした。両神♨薬師の湯に立ち寄って、疲れを癒してから桐生に帰った。