鶏頂山〜釈迦ヶ岳

2025年9月23日(火)
天気:☀️のち☁️
メンバー:T
行程:大鳥居登山口 8:15 …枯木沼 8:45〜8:50 …枯木沼分岐 8:55 …大沼 9:15〜9:25 …弁天池 9:40〜9:50 …鶏頂山(1765m) 10:25〜10:40 …釈迦ヶ岳(1795m) 11:50〜12:25 …弁天池 13:25 …枯木沼分岐 14:00 …枯木沼 14:10 …大鳥居登山口 14:35
ルート地図 GPSのログ(赤:往路、青:復路)を地理院地図に重ねて表示します。

栃木県北部にある高原山は、赤城山と同じく、複数の峰やカルデラからなる複合火山である。その主峰群は鬼怒川支流・野沢の源流域を半円状に囲み、西平岳(1712m)、中岳(1728m)、最高峰の釈迦ヶ岳(1795m)、鶏頂山(1765m)などのピークを連ねる。昨年5月に西平岳から釈迦ヶ岳へ縦走したとき(山行記録)、西平岳の頂上から野沢の深いV字谷の向こうに鶏頂山を眺めた。端正な三角形の山容ですっくと聳えて、格好いい。これは、いつか登りたい。

鶏頂山にはその前にも、鶏頂山スキー場跡からのコースで登ろうとしたことがある。しかし、このときは雷雲接近のため、大沼まで行って撤退した(おでかけ記録)。この週末はこのコースに再チャレンジして、高原山の主峰群の内で未踏の鶏頂山に登頂し、序でに釈迦ヶ岳へ縦走する計画を立てて、出かけてきました。

桐生を早朝に車で出発。R122、日光市街、鬼怒川温泉を経由し、日塩もみじラインを上がる。途中、鶏頂山の西口登山口を通過し、少し先の大鳥居登山口(鶏頂山スキー場への車道入口)の広いスペースに車を置く。他に車があちらこちらに2、3台。ここから登るハイカーは少ない模様。

車の外に出ると、既に標高1300mの高所ということに加えて、9月も下旬という季節になり、大変涼しく爽やかな天気だ。今夏の記録的な猛暑(8/5に伊勢崎で41.8℃の史上最高気温)もようやく過ぎて、高山でなくても快適に歩ける季節になった。かつてのスキー場への車道に入ると、前回にも増して路面が荒れていてガタガタ。「鶏頂山」の扁額を掲げた石造りの大鳥居を潜ると、その先に頑丈なゲートがあり、車両侵入禁止となっている。

大鳥居登山口
大鳥居(復路で撮影)

荒れた車道を上がると鶏頂山スキー場跡のベースエリアに着き、窓が破れ放題の鶏頂山荘がある。山荘の前の広い駐車場も舗装の繋ぎ目に雑草が繁っていて、荒廃が一層進んでいる。ここにある「鶏頂山登拝コース」の案内看板も、前回(7年前)はちゃんと読めていたが、今では半分塗料が剝がれ落ちて、ほとんど読めない。

鶏頂山荘跡
「鶏頂山登拝コース」案内看板

「鶏頂山登拝口」の看板を右に見て、かつてゲレンデがあった浅い谷に入る。前回は、この道が定かでなくて、左のゲレンデ跡の草に覆われた作業道を登った。今回も大きな水溜りがあったり、穂の出始めたススキに覆われたりで道は怪しい。しかし、奥へ進んで樹林を切り開いたゲレンデ跡に入ると、草地に微かだが確かに踏み跡が続いている。

登拝コースに入る
ゲレンデ跡を登る

スキー初心者向きの緩斜面だが、幅はちょっと狭いゲレンデ跡を辿って緩く登る。やがて、樹林に覆われた広く平坦な高みを過ぎると枯木沼の入口に着く。ここには「枯木沼」と大きな字が刻まれた立派な石標が建つ。

シロヨメナ
「枯木沼」の石標

枯木沼は、沼と言っても乾燥化が進んだ湿原で、狐色に色付き始めた草原が広がり、ところどころに小さな池塘がある。以前は湿原の中に老朽化した木道が通じていたが、今では撤去されて、草地の微かな踏み跡を辿る。湿原の中央まで行くと、文字が掠れてほとんど読めない道標がある。前回は、この地点は木道の十字路だった。ここで右折するが、木道がないと分かり難い。

枯木沼
途中の標識で右折

湿原を抜けてゲレンデ跡を進むと、ゲレンデのY字路となり、右から来た西口登山道に合流する。この地点にも道標がなくて分かり難いから、帰りは要注意。ゲレンデ跡を緩く登ると、かつてのゲレンデ案内のブリキ製看板があり、鶏頂高原見晴スキー場、鶏頂山スキー場、メイプルヒル・スキーリゾートの地図が描かれている(後日調べると、鶏頂高原見晴スキー場はエーデルワイススキーリゾートと名称を変えて現在も営業。あとの2つは2000年に閉鎖されている)。

西口登山道に合流
ゲレンデ跡地を登る

さらにゲレンデ跡をゆるゆると登る。振り返るとゲレンデ越しに五十里湖周辺の山並が眺められる。やがて、鶏頂山スキー場(跡地)のトップに着く。誰が持って来たのか、一体成形の樹脂製チェアが何個も置かれている。

五十里湖周辺の山並を望む
鶏頂山スキー場(跡地)トップ

スキー場跡地から外れて、樹林中の幅広い山道に入る。緩く下ると「大沼入口→」の立派な石標がある。ここで登山道から右の脇道に入り、林間の薄い踏み跡を辿る。下草がなく、どこでも歩ける。この辺りは水気が多く、緑鮮やかな苔がもすもすと厚く繁茂して美しい。

大沼入口
苔が瑞々しい

程なく大沼の辺りに出る。樹林に囲まれて、岸辺には岩が散在する。水深は浅く、だいぶ水嵩は減っているが、透明な水を湛えている。前回は靄に覆われて周辺は見えなかった。今日は良く晴れて、鶏頂山が眺められる。湖面にも山影を映し、素晴らしい景観だ。これは再訪した甲斐があった。

大沼
大沼から鶏頂山を仰ぐ

登山道に戻り、鶏頂山に向かう。ここから先は初めて歩く。もう一つ「鹿沼」の石標もある。これは大沼の別称のようだ。大沼から流れ出した細い水流を一跨ぎして、薄暗い樹林中の緩斜面を登る。

大沼から流れ出た小川を渡る
緩斜面を登る

樹林が少し開けて、ぽっかりと草地が広がる平坦地に着く。ここが弁天池だ。草地に境を接する樹林中に、ちょうど神社の境内によくある弁天池と同じ様に、水辺に石祠を祀った小さな池がいくつか点在する。中央には「銭鋳乃宮」の石柱と新し目の石祠、小さな鐘や「栄明霊神」の石碑がある。

弁天池(復路で撮影)
弁天沼

近くには「奉誌記」の石碑がある。鶏頂山の方向には朽ちかけた木の鳥居が立ち、「左 釈迦ヶ岳」「右 鶏頂山」の石標がある。奉誌記には鶏頂山の山岳信仰について詳しく記されている。長い碑文だが興味深いので、macOSの写真AppのOCR機能を使って、テキストに起こしておこう。

奉誌記(復路で撮影)
鶏頂山に向かう

鶏頂山は今から約千七百年前に開山された歴史ある海抜一、七六六米の霊山である。別名を「金鶏山」といい、その昔、金の鶏に導かれ、開山に至ったと伝えられている。また、近年「関東近郊の山百選」に紹介された名山でもある。
山頂には天孫降臨した折、天津神々が日本平定のため東北に向かう途上先達としてその重責を担った「道祖猿田彦大神」が祀られている。猿田彦大神は夫婦和合をはじめ、農耕の神として、また商業や工業全般にわたりその威光を放っている。
鶏頂山は、古代のころより人々が信仰を寄せる山であった。それは、鶏頂山奥宮が伊勢神宮や日向国(宮崎県)高千穂の峰の方位に向けられて、建立されている。まさに神の山といわれる由縁であろう。また、源平の戦に敗れた平家の落人が、山中深くひっそりと暮らしたところでもある。
山頂には、良寛大僧都の高弟良縁大僧正が日光山繁栄安泰を祈祷するため、登拝して石造りの社を奉献なされた。山内に顕在する霊神碑は、中興の祖栄明霊神をはじめ猿田彦大神の威徳を偲び、大神の威徳を広く世に顕わし、人々を救済しようと修業を積んだ先達たちの碑である。そして、今なお行者や信仰心厚き人々が猿田彦大神の威徳にふれ、大願を成就し、さらなる大願を念じつつ山中において修業に励んでいる。
また、弁天池には弁財天や金運財運の守護神金山彦命が祀られ多くの参拝者が訪れている。
山頂に祀られている社殿は、(皇紀二、六五七年)平成九年九月九日、鶏頂山奉賛会および会員の並々ならぬ奉仕の心と、延べ日数一八〇日、延べ人数三千有余人の協力を得て完成した(平成大造営)。この平成大造営に併せて、鶏頂山奉賛会ならびに会員の手により鶏項山大鳥居(鶏頂山・一の鳥居)も完成し、信仰の山としての成容を顕わしている。
平成九年九月九日
宗教法人 下野巴教会 鶏頂山造営奉賛会

平成九(1997)年に大鳥居や鶏頂山頂上の社殿が完成したとのことで、比較的新しいが、それでも28年も前である。後日調べると、下野巴教会では5月と11月に登拝祭を行なっているようである。

木の鳥居を潜って、鶏頂山に向かう。疎らな樹林に覆われた緩斜面を進み、急斜面に取り付く。途中に「霊泉御助水授所」との標柱がある。そこから少し右手に入った所に小さな新しい不動明王像が祀られ、塩ビパイプから水が湧き出している。

霊泉御助水
急坂を登る

登山道に戻って、さらに苔むした転石が散在する急坂を登る。「弘嘉霊神」や「歌明霊神」などの霊神碑を過ぎると、釈迦ヶ岳と鶏頂山を繋ぐ稜線の上に飛び出る。

「歌明霊神」石碑
稜線上に出る

稜線の反対側は野沢の深い谷に面して切れ落ち、源流部を囲繞する高原山の主峰群(御岳山、釈迦ヶ岳、中岳、西平岳)がずらりと並んで眺められ、壮観である。

御岳山と釈迦ヶ岳
釈迦ヶ岳、中岳、西平山を望む

ここから稜線を右に進んで、鶏頂山を往復する。樹林と丈の低い笹原に覆われた細い稜線を急登すると、鶏頂山神社奥宮の建つ鶏頂山の頂上に着く。神社の横手の小広い平地から眺めが開ける。野沢の深い谷を挟んで釈迦ヶ岳、中岳、西平岳の稜線を望み、南西には矮小な針葉樹と笹原の斜面の遥か下に鬼怒川温泉郷を俯瞰して、なかなか高度感がある(逆に、鬼怒川温泉郷から鶏頂山の円錐形の山巓も良く見える)。釈迦ヶ岳の左奥には少し隔たって前黒山が眺められる。名の通り黒々とした樹林に覆われた山容が目を惹く。次はあれに登ってみようかな。

鶏頂山へ急登
鶏頂山頂上
前黒山(左奥)を望む
釈迦ヶ岳を望む

頂上からの好展望を楽しんだのち、稜線を分岐まで戻って釈迦ヶ岳に向かう。稜線は意外と細くて険しく、右側は野沢に向かって崩壊した斜面が続き、笹原の中のか細い山道を辿る。奥山の雰囲気があり、野趣に富む稜線歩きが楽しめる。

野沢源流域と中岳、西平山の展望
御嶽教石碑

「御嶽教……」と刻まれた石碑を過ぎると、行く手に御岳山が小高く聳える。その手前の鞍部(井出沢峠)で、左に弁天池へ下る道を分ける。そちらの道は釈迦ヶ岳からの復路で歩く予定。鞍部の右は赤茶けた崩落斜面が広がって、野沢の谷に落ちている。

御岳山へ向かって、雨水で抉れた急坂を登る。傾斜が緩み、稜線を小さく上下して進む。どこが最高点か定かでないが、石祠のある辺りが御岳山の頂上らしい。

御岳山を仰ぐ
御岳山の石祠

石祠のすぐ先で、左へ明神岳(1627m)への踏み跡を分ける。行く手に釈迦ヶ岳の円頂を見上げる。一旦、短い急坂で小広く平坦な鞍部に下り、いよいよ釈迦ヶ岳の登りに取り付く。細尾根を進み、崩壊地を迂回すると、急斜面の一直線状の登りとなる。この急坂を頑張ると稜線上に登り着いて、大間々台からの登山道に合流する。

明神岳への山道
釈迦ヶ岳を仰ぐ
釈迦ヶ岳へ急登
大間々台からの登山道に合流

針葉樹と丈の低い笹原に覆われた稜線を緩く登ると、程なく釈迦ヶ岳の頂上に着く。

広い頂上には休憩中のハイカーが2組ほど。御影石製の山名標識や大己貴命像、高原山神社の鳥居と石祠があるほか、南斜面の笹原の中に新たに数基のベンチが設置されている。ベンチの一つに腰掛け、展望を楽しみながら昼食休憩。レトルト鯖味噌煮をつまみに缶ビールを飲み、お湯を沸かしてカップ麺を食べる。

頂上稜線を辿る
釈迦ヶ岳頂上

頂上からは360度の展望が開けるが、今日は雲が多くて遠望は効かない。南面に土上平(どじょうだいら)放牧場を俯瞰し、目を左に転じて大間々台やミツモチのなだらかな山稜が眺められる程度。そのうちに雲が押し寄せてきて、頂上は真っ白なガスに閉ざされ、何も見えなくなった。午後は晴れる予報だったんだがな。天気は早めに下り坂のようだ。まあ、ここからの展望は昨年5月に登ったときに堪能したばかりだから、あまり惜しくはない。

大間々台、ミツモチを望む
南麓の放牧場を俯瞰

下山にかかり、往路を戻る。頂上稜線から鶏頂山への登山道に入り、急降下。途中、ソロハイカーとすれ違って、ここは急で大変ですね、と挨拶を交わす。鞍部から御岳山に少し登り返して、しばらく緩い稜線を辿る。御岳山から再び急坂を下って鞍部(井出沢峠)に着く。ここからは急峻な鶏頂山のピークが仰がれる。

鶏頂山への稜線
鶏頂山を仰ぐ

鞍部から右に下って弁天池への近道に入る。下草がなく、落ち葉に覆われた緩斜面はどこでも歩けてしまい、道型が不明瞭。マーキングを追ってゆるゆると下る。やがて木立が薄くなり、シダに覆われた平地に出ると弁天池に下り着く。あとは往路と同じ道を戻る。

弁天池への下り口
緩斜面を下る
弁天池に下り着く
トリカブト

薄暗い樹林の中を下り、明るい草原が広がる大沼入口に着く。草原の中にトリカブトが咲いているのに気が付く。夏と秋の狭間の季節は花が少なく、今日見たのはシロヨメナとトリカブトくらいだ。

スキー場跡のトップに出て、ゲレンデ跡を下る。枯木沼分岐ではY字に分岐するゲレンデ跡を右へ進み、枯木沼を横断する。

枯木沼分岐
枯木沼

再びゲレンデ跡に入ると、また分かり難い分岐があり、間違って右へ下りかける(ルート地図のGPS軌跡に残っている)。ここは左へ。あとは真っ直ぐ下って、スキー場基部に着く。荒れた車道を下って、駐車地点の大鳥居登山口までは僅かな距離だ。

ここは右に行きかけたが左へ
ゲレンデ跡を真っ直ぐ下る
スキー場基部に下り着く
駐車地点に帰着

今日のルートは、登山口から弁天池までは緩斜面の登降で楽だし、途中に3つの沼があって変化に富む。一方、弁天池から稜線に上がるとなかなか険しい縦走となり、展望も楽しめる。行程はほどほどだが、思ったより歩き応えがあって楽しめた。

帰りは鬼怒川温泉の仁王尊プラザに日帰り入浴で立ち寄る(700円)。東武鬼怒川線と鬼怒川に挟まれた閑静な場所にあり、小佐越駅が近い。表はあまり高級感のない😅ホテルだが、裏手に鬼怒川に面した広い庭園があり、3つの風呂が離れて点在する。まず、内湯の岩風呂で汗を流したのち、名物の屋形船露天風呂に入る。深い渓谷を見下ろし、眺めが良い。お湯は透明でぬるめだが、ぬるぬるして温泉らしい。ゆっくり浸かったのち、日光市街、R122を経て帰桐した。