観音山
昨年12月に毘沙門山に登ったとき、帰り道で吉田川の右岸に小さいながらも急峻な岩山を眺めて、興味を惹かれた。これが埼玉百山№32の観音山で、中腹には秩父札所三十四観音霊場の31番札所鷲窟山(しゅうくつさん)観音院がある。
この週末は観音山に登ろう。一般的には、観音院駐車場から観音院を経て観音山に登り、牛首峠を経由して戻る周回ルートが多く歩かれているようだが、行程が3時間弱と短い。歩き応えを少し加えて、北麓の日尾集落から8の字形に周回するルートを計画し、出かけてきました。
桐生を早朝、車で出発。R140バイパス、R299を経由して小鹿野市街に入ると、両神山があまり遮られることなく、高く大きく見える。黒海土(くろかいど)で右折、巣掛(すがかり)トンネルで秩父市上吉田に抜け、合角ダムサイトを通って日尾の倉尾ふるさと館に到着。広い駐車場に車を置く。


準備を整えて出発。ふるさと館の右脇の車道を上るとすぐに「日尾城址登山口」の道標があり、ふるさと館の裏手の歩道に入る。吉田川を隔てて対岸の陽当たりの良い斜面に点在する日尾集落の民家が眺められる。薄暗い杉植林帯の山道に入って、しばらく山腹をトラバースし、右に折れて尾根上に出る。右折点はあまり明確ではないが、尾根上に出れば明瞭な道型が通じている。


杉林に覆われた尾根道を登ると「観音山見晴坂」の標識が現れる。標識に書いてある通り、この辺りから、左上に木立を透かして、観音山の険しい山容が眺められる。


細く急な尾根の上を登っていくと大岩が行く手を遮り、その手前から右斜面のトラバース道に入る。すぐに「屛風岩」という標識があり、どれが屛風岩かははっきりしないが、先程の大岩や大岩の背後に続く尾根上の岩場を屛風岩と称しているようだ。


急斜面の道型は微かで、手摺りのトラロープが張られている。小尾根の上に出て急登。急斜面をピンクテープを目印に左斜め上に登り、岩壁の基部を通過して小尾根を乗り越すと、明瞭な道型が現れる。道型を辿ると浅い窪の中に導かれる。




窪の中は柔らかい岩盤の上に落ち葉が深く積もっている。トラロープが張られているが、支点が頼りになるか怪しいので、なるべく荷重を掛けないように登る。上部は傾斜が緩まり、落ち葉に足首まで埋もれつつ登る。途中でピンクテープに導かれて窪から離れ、右斜面を登る。


落ち葉に覆われた急斜面を、ピンクテープとトラロープに導かれてジグザグに登る。ようやく平地に登り着き、ホッとする。ここには「城山天狗 危険」の標識がある。この先は幅広く緩い尾根なので、危険箇所はなさそうだが、屛風岩からここまでの間は確かに危ない難路だった。このコースは、登りはともかく、下りはルートファインディングも難しくなるから、使わない方が吉である。


緩やかな起伏のある尾根を登るとすぐに小平地に着き、石祠と「日尾城山八幡」の標識がある。また小平地の裏手の高みにも石祠と「馬上城山八幡」の標識(馬上は北麓の集落で「もうえ」と読む)、小鹿野町教育委員会が建立した「史蹟日尾城跡」の石碑がある。ここが日尾城址で、周囲の起伏が城の遺構のようだが、詳しくないので、何が何だかは判らない。


日尾城址のすぐ先で観音山〜牛首峠の登山道に合流する。この地点には「←牛首峠 観音山→」の古くて倒れた道標がある。牛首峠に向かい、杉林の平坦地(これも日尾城の廓だそうだ)を下る。「炭焼き窯跡」という標識のある石垣の前を通り、小尾根を下る。岩稜が現れ、その左を絡んで下ると、岩稜を断ち割ったようなギャップの底の牛首峠に着く。このような両側を高い岩壁に挟まれた峠はあまり見たことがなく、奇観だ。


牛首峠から観音院の登り口に向かい、南側の斜面をジグザグに下る。すぐに水のないV字谷の底に降り立ち、深く積もった落ち葉を踏んで下る。やがて右岸から細々と水流のある滑床の沢が合流し、「←岩神の滝」の道標がある。滝があるなら、行って見なければなりますまい。


分岐に道標はあるが、滝への登山道はなく、沢沿いに微かな踏み跡が断続する程度。ほとんど傾斜がなく、水量も少ないので、沢の中を進む。分岐から5分以上進んでも、滝らしきものはなく、どこまで行けば良いのか、少し不安になる。浅くV字に抉れた滑床を通過し、沢が右に折れると滝が出現\^o^/。落差は5mくらいか。水量は少ないが立派な滝だ。落水点の流木には飛沫が凍り付いていて、最近の冷え込みの厳しさが窺える。


分岐に戻り、本流(岩殿沢)沿いの登山道を下る。古い石垣の護岸が現れ、道はその上に通じている。左岸は大岩壁となり、ゴルジュ状の沢の底を下る。だいぶ昔に遊歩道として整備された様子があるが、大きな倒木が道に横たわっていたりして、全体的に少々荒れ気味。通行に支障はない。周囲の景観は変化に富み、水量も増えた渓谷を下って行くと、今度は「←昇龍の滝」の道標があり、右岸から小沢が出合う。滝があるなら、行って見なければなりますまい(2回目)。


本流にはご丁寧にも橋が架り、小沢に入ってしばらくは沢沿いに踏み跡もあるが、すぐに道が尽きる。沢の中を進むと、行く手を累々と積み重なった巨石が塞ぐ。岩を巻いたり、岩の間を登ったりして巨石帯を越えると昇龍の滝が現れる。落差は15mくらいか。見上げる様な高さの岩壁を、黒く濡らす様に水が流れ落ちる。水量は少ないが、険悪な雰囲気のある滝だ。また、左岸は尾根に達するくらい高さのあるスラブ状の大岩壁となり、上部には日が燦々と当たって、イワヒバらしき植物が繁茂している。これは凄い岩壁だ。


あまり下調べしていなかったので二つも滝があるとは知らず、探勝できて良かった。登山道に戻り、本流沿いの道を下る。少し谷が開け、道幅も広くなると、程なく観音院登り口の駐車場に着く。広い駐車場には車が数台。新しいWCもあるが、なぜか使用禁止になっている。


観音院の登り口には山門が建ち、石造の大きな仁王像が左右に立つ。石の仁王像としては日本一の大きさとのこと。山門を潜り、参道の石段を登る。参道の脇には多数の石碑や石仏があり、それらを眺めながら長く急な石段をゆっくり登っていく。石段の終点はT字の分岐となる。左は西奥の院への道だが、落石の恐れがあるため立入禁止となっている。


T字分岐から右に進むと、左と正面に高い岩壁を巡らせた小広い境内があり、岩壁を背にして観音院本堂が建つ。本堂の左奥には「聖浄の滝」と呼ばれる滝があり、岩壁の上の落口から細々と水を落としている。これは山水画の世界の風景だなあ。昨年12月に釜ノ沢五峰に登った際に訪れた法性寺(秩父札所32番)も岩山で絶景だった。秩父札所巡りをするのも面白そうだ。滝の左手の岩壁には鷲窟磨崖仏があり、高さ10cm程の小さな浮き彫りの仏が無数に刻まれている。


本堂右手の納経所の脇を通って、東奥の院に向かう。細い石段道で尾根上に出ると十字路となり、左は観音山、直進は馬の蹄跡洞窟に至る。右の尾根道を進むと、「矢抜け穴」の案内看板がある。1km遠方に畠山重忠の家臣本田親常が矢を射通したという岩穴があるそうだが、そちらの方向を眺めても、穴の場所は良く判らん。(後日、このとき撮った写真を良く見ると、やはり穴の存在までは判らないが、稜線直下に帯状に広がって、如何にも穴が開いていそうな岩壁が写っていた。)
このすぐ先に東奥の院のお堂と東屋がある。既に正午を過ぎて腹が減ったし、東屋もあるので、ここで昼食休憩。お湯を沸かし、カップ麺を作って食べる。


昼食後、東奥の院の先の尾根を進む。右手には観音院上部の大きな岩壁を望み、その右奥には観音山の尖った頂を仰ぐ。尾根の突端は切れ落ちて、石祠がある。さらに切り返して尾根の南斜面をトラバースすると、歩道に沿って長い岩屋がある。ここが馬の蹄跡洞窟で、多くの石仏がある。洞窟を過ぎて登ると、一周して尾根上の十字路に戻る。




十字路から、いよいよ観音山に向かう。杉林に覆われた山道に入り、階段道を急登する。段差が高くてなかなかきつい。水子地蔵寺への分岐に着くと階段道の急登は終了。左へ山腹をトラバースする道を進むと、程なく牛首峠と観音山の分岐に到着。ここから観音山の頂上を往復する。




杉と下生えのシダに覆われた斜面を斜めに登って行く。途中、岩が山積した小平地に「仁王像細工場跡」の標識がある。山門の石造の仁王像は、観音山で採掘された凝灰質砂岩(岩殿沢石)を使っているそうで、ここがその現場らしい。


細工場跡から急斜面を階段道でジグザグに登って、観音山の頂上稜線の上に出る。稜線の反対側を眺めると、木立を透かして合角ダム湖(西秩父桃湖)の湖面が俯瞰できる。右の稜線にも登山道が通じ、倒れた古い道標には「カラ松峠」と記されている(写真の標識は「彩の国まごころ国体 山岳縦走コース(少年男女)」の道標)。


観音山の頂上は稜線を左へ。稜線を絡んで登ると再び「仁王像細工場跡」の標識があり、岩場に四角く切り出された跡がある。頂上はこのすぐ先だ。


頂上は東西に細長く、三角点標石や山名標識、一段下がった平地に小さなベンチがある。少し先に進むと岩場の上に出て、正面(西)に毘沙門山、両神山、二子山が眺められる。北面はすっぱり切れ落ちた岩壁となり、眼下に日尾集落を俯瞰する。低山とは思えない高度感があり、素晴らしい。


展望を楽しんだのち、分岐まで戻って、牛首峠に向かう。山腹をトラバースすると、左に西奥の院への道を分ける。特に通行止めの標識はなく、(たぶん、岩壁の上にある)西奥の院まで往復できそうだが、今回は割愛。


西奥の院の分岐を過ぎると、滑り易いザレや落ち葉に埋もれた急斜面のトラバースがあり、慎重に通過。尾根の鼻を回ったところに石仏がある。文久年間の銘があり、なかなか古い。さらにトラバースして石祠のある小尾根を越え、少し進むと右に山道が分岐する。「中央湖畔ルート」と記された古くて倒れた道標があり、山道の方向には「←湖畔・展望休憩舎」と記されている。


分岐から尾根道となり、次の小ピークは岩壁の左側を巻いて登る。小ピークを越えると鎖場の下りがある。程なく日尾城址の分岐に着く。分岐から牛首峠までは、往路で歩いた区間だ。




牛首峠から北に下る。急斜面に階段道がジグザグについている。周囲は岩峰や岩壁に囲まれ、良くこんな険しいところに道を作ったなあ、と感心する。谷底に降りると、岩殿沢と同じ様な、護岸の石垣の上に通じた登山道となる。


水のない沢(牛首沢)に沿って登山道を下る。ようやく水流が現れて程なく、藤倉集落に下り着いて車道に出る。この地点には「←山野草の里・カタクリ自生地」と「←牛首峠・日尾城址」の道標がある。カラクリ自生地はどこか、気がつかなかった。
ここから倉尾ふるさと館へは吉田川沿いの車道を歩いてもそう遠くないが、地形図の破線路を辿って距離短縮を図る。吉田川に架かる馬上橋の手前で右折。右岸の車道を進み、突き当たりを右に登って最奥の人家の前を通り、山道に入る。「新岡部線6号」の黄色標柱があり、破線路が送電線巡視路であることが分かる。木の階段が整備されているが、通る人が稀なようで少々藪っぽい。


小尾根上に登り着き、送電鉄塔の横を通過する。こんなところにも「彩の国まごころ国体 山岳縦走コース(少年男女)」の標識があり、このコースはどこをどう通っているのか、ちょっと興味が湧く(後日調べると、彩の国まごころ国体は2004年に開催されたらしい)。


小尾根を越えた反対側の下りは道型が微かで、黄色標柱も見当たらない。最後は杉林の中で道を失い、GPSを見ながら適当に下って、未舗装の車道に出る。車道終点にも国体の道標があるから、一応、道は通じているようだ。車道に出れば、倉尾ふるさと館の駐車場までは僅かな距離だ。


帰りは吉田元気村に日帰り入浴で立ち寄る。ここで入浴するのは、毘沙門山の帰りに続いて2回目。シーズンオフは客が少ないのか、ゆったり湯に浸かれたのが気に入って、リピートした。今回も良かった。温まったのち、小鹿野、皆野、県道秩父児玉線を経由して桐生へ帰った。