清水峠〜七ッ小屋山
この週末、予報では新潟県の天気が良さそう。群馬から近い中越の山に登ろうと考えて、清水集落から謙信尾根(十五里尾根)で清水峠に登り、居坪坂(井坪坂)を下って周回するルートを思い付く。谷川連峰の主稜線では、まだ朝日岳〜清水峠〜七ッ小屋山の間を歩いたことがない(あと、三国山〜三角山も)。余裕があれば七ッ小屋山まで足を延ばすことにして、出かけてきました。
桐生を深夜、車で出発。関越トンネルを抜けて新潟に入ると濃霧に包まれるが、R291を走って清水集落に向かう頃には晴れて、青空の下に金城山や巻機山がくっきりと眺められ、テンションが上がる。清水集落を通り過ぎ、すれ違いが困難な幅に狭まったR291を奥に進んで、ゲート手前の路側に駐車する。既に駐車が1台ある。外の空気はひんやりと冷たい。朝食のパンを齧っているともう1台、群馬ナンバーの車が到着。3人パーティで、挨拶して話を伺うと、同じ行程とのこと。彼らが先行して出発する。
ゲートから先は一般車両通行止となっている。上流の砂防堰堤工事のため、大型車両が通行するので注意、との看板があるが、今日は休日なので通行車は全くない。ほぼ平坦な舗装道が、登川の右岸の高い所に続く。登川の河原は広大で谷は直線的に開け、奥はこれから登る謙信尾根まで見通せる。道端にはツリフネソウが昨夜の雨に濡れて繁茂している。
単調な車道の歩きだが、山奥深く入る雰囲気があり、随所で登川や対岸のスラブを交えた急峻な山々の景観もあって飽きない。涼しく、秋の気配が感じられるのも気持ち良い。
やがて道が緩く下って河原に近づくと、左の道端に水場がある。パイプから冷たそうな水が流れ出しているが、足場が水没して近づけない。すぐに洗い越しがあり、増水した流れをササッと通過する。その先で斜め右に未舗装の作業道が分岐する。道標に掲示があり、8/17〜11/4は工事中につき茂倉岳避難小屋・トイレは使用不可、とのこと。謙信尾根へはここで右の作業道に入る。
作業道を進むと右手に登川本流の巨大な砂防堰堤が現れ、その上には工事車両が作業を中断して残置されている。「←井坪坂登山口」の標識があり、左に登山道が分岐する。刈り払いはされているようだが、入口を見る限りは草叢が被さる踏み跡で藪っぽい。
作業道を直進し、登川の清冽な流れをコンクリの仮設橋で渡ると「←謙信尾根」の標識と「中部北陸自然歩道」の看板があり、左の草叢の中に登山道が分岐する。作業道はさらに支流の丸ノ沢の奥へ延びて、その先に建設中の砂防堰堤が見える。
謙信尾根の登山道に入り、緑深い樹林に覆われた尾根の末端に取り付く。最初は急斜面に付けられた細い踏み跡で、夜来の雨で濡れた土が滑り易い。急な分、グングン高度を上げ、やがて木の間から丸ノ沢の工事現場を俯瞰し、沢の奥に大源太山の岩峰を垣間見る。
山腹をジグザグに登って尾根に上がると、あとは傾斜が緩んで歩き易い尾根道となる。ブナや笹の尾根を登って行くと最初の送電鉄塔に着く。周囲の樹林が切り開かれ、行く手の尾根の上に2番目、3番目の送電鉄塔が見える。右には上越国境稜線の巻機山〜朝日岳の間の一座の柄沢山の頂が見える、頂上稜線は樹林がなく笹原に覆われて、豪雪地帯の山らしい景観だ。あの稜線はいつか歩いてみたい。
送電線の下の尾根は伐採されているのか、高い木がなくて、明るく開ける。3番目の送電鉄塔を過ぎると4番目までは間隔が空いて再び林に入り、ブナとササに覆われた尾根を辿る。
登り着いた4番目の送電鉄塔から、さらに展望が開ける。振り返れば登川の下流域を俯瞰し、魚沼盆地まで見通す。その右には巻機山の大きな山容が迫り上がって眺められる。
低木帯となって開けた展望を楽しみながら、次の送電鉄塔を目指して登る。ススキの穂が出て、木々の葉もほんのり色づき始めている。左前方には清水峠と朝日岳の大きな山塊がやや霞がかかって見え、右には七ッ小屋山のまろやかなピークと大源太山の荒々しい岩峰が連立してクッキリと眺められる。
5番目の送電鉄塔も眺めが良い。柄沢山と檜倉山の間の鞍部(檜倉乗越)から下るヒノキクラ沢の広い河原が白く目立つ。
6番目の送電鉄塔まで上がると上越国境稜線にたいぶ近づき、冬路ノ頭のササに覆われた円頂が現れる。また、左には檜倉山の大きな山容を望む。その山腹には旧R291の道型が真一文字に残っているが、樹林に覆われて微かで途切れ途切れ。遠目にも廃道となっている様子が見て取れる。
低木帯を抜けると一面の笹原に覆われた尾根となり、冬路ノ頭と七ッ小屋山を望む。笹原を切り開いた登山道が冬路ノ頭に向かって延び、途中で分岐している。左は斜面をトラバースして清水峠に向かう巻き道、右は尾根上を登ってから下って巻き道に合流する道で、どちらも通行できそうだ。分岐点には道標があるが、倒壊寸前で文字が読めない。ここは左の巻き道に入る。
巻き道は笹原を切り開いて、ほぼ水平で明瞭な道型が続くが、幅が狭く外傾して、ちょっと歩き難い。道端にはオニシオガマやミヤマコゴメグザがポツポツ咲く。尾根経由の道と合流したのち、小さな窪を通過する地点に水場がある。ここで先行していた3人パーティに追い付く。水場と言っても、岩盤を流れ落ちるチョロチョロの流水で、コップの類がないと汲むのは難しい。
水場の先も外傾して歩き難い道が続くが、程なく広くなだらかな主稜線に出て縦走路に合流し、少し下って大きな三角屋根の送電線監視所に着く。群馬側から新潟側へ稜線を爽やかな風が吹き抜け気持ち良い。3人パーティはここで休憩してランチのようである。また、馬蹄形縦走中のハイカーさんも、ポツリポツリとやって来る。
送電線監視所は一般の利用は不可で施錠されている(東側すぐ先に避難小屋がある)。隣には発電用?の大きな風車があるが、風があるにも拘わらずビクとも回っていない。
周囲の山岳風景は素晴らしいの一言。新潟側は良く晴れて、巻機山や柄沢山を遠望する。群馬側は少し雲に隠れているが、谷川岳の頂上が眺められる。あそこは人が多くて賑わっているだろうなあ。こちらは1桁台の人しかいなくて静まり返り、明るい景観との対比で寂しさすら感じる。
私も展望を楽しみつつ、しばし休憩する。さて、このあとはどうしようか。時刻はまだ10時台で早いし、余力もあるので、七ッ小屋山(登り1時間)にピストンしてこよう。朝日岳もちらと考えたが、登りに2時間半かかるから、さすがにしんどい。
まず冬路ノ頭に向かい、広々とした笹原を真っ直ぐに切り開いた縦走路を登る。途中で、馬蹄形日帰り縦走中と思しきトレランの単独行者にあっさり追い抜かれる。凄い健脚😲。馬蹄形も一度通しで歩きたい気はあるが、日帰りは無理だなー。
送電線を潜ってさらに登ると、低木や草花に覆われた稜線の道となり、程なく冬路ノ頭の頂上に着く。山名標識はなく、群馬県知事名の国有林借受の標柱が建っている。
ここからは、終始正面に七ッ小屋山の頂上を眺めつつ、小さく上下する縦走路を辿る。この開放的な稜線の雰囲気が谷川連峰らしくて素晴らしい。右には大源太山の岩峰をやや低いところに望む。下り着いた鞍部の右斜面の少し下には猫池があり、窪地の中に湿地と小さな水面を見おろす。道端には石碑があり、故林五夫君遭難碑?と読み取れる。
鞍部から笹原の急斜面を登る。トラロープが固定された小さな岩場を越えると傾斜が緩む。振り返ると既に冬路ノ頭の頂上が低く、その向こうに2列の送電線が乗り越す清水峠や檜倉山〜朝日岳の稜線を遠望する。頂上稜線を辿り、大源太山からの登山道と合流。ちょうどそちらから3人グループのハイカーさんが来て、挨拶を交わす。
七ッ小屋山の頂上はすぐ先だ。ここは2回目の登頂で、前回は大源太山〜七ッ小屋山を周回した。ついさっきまで群馬県側も晴れていたのに、アッという間にガスが湧いて、朝日岳や谷川岳が見えなくなる。新潟側は相変わらず快晴で、湯沢市街や飯士山を遠望する。
ここで昼食休憩とし、鯖味噌煮と缶ビール、COOPカップ麺を食べる。3人グループもここで休憩して、賑やかな頂となる。やがて彼らは蓬峠方面へ出発。私も昼食を終えて一休みしたのち、清水峠に戻る。大体下り一方なので、展望を楽しみつつ、また道端の花をカメラに収めながら、のんびり歩く。
冬路ノ頭からは送電線監視所の三角屋根を見おろしつつ、一直線に下る。送電線監視所の周りにはもう誰もいない。少し先に白崩避難小屋が建つ。中を覗くと2階の板敷があり、手狭だが小綺麗にしていて、4人位ならばゆったり宿泊できそうである。
避難小屋の裏手には小さな神社の祠と鳥居がある。祭神は分からないが、山旅の無事を祈ってお参りする。避難小屋の先が、R291が上越国境稜線を越える清水峠で、明治時代に開削された切り通しの跡が明瞭に残っている。こんなに大きな切り通しがあるとは知らなかったのでビックリ。
清水峠から新潟側のR291を辿る。100年以上も前の国道の跡(政令上は現在も国道)で、現在は登山道としてのみ歩ける点線国道となっている。細かい山襞を縫って平坦で幅のある道型が続き、歴史を感じさせる。途中にまた、倒れた案内看板があり、清水街道(国道291号線)について次のように書かれている(参考:山さ行かねが「国道291号 清水峠 新潟側」)。
清水越えの新道開発は江戸時代の初期から関東へ抜ける近道として注目されていました。明治3年(1870年)政府は全国の街道に設けられていた関所や口留番所を廃止し、交通を自由にすると同時に、越後の米を関東へ輸送するための清水峠の開発を計画し、明治7年に居坪坂コースを完成させました。さらに明治14年から明治18年9月かけ政府は清水街道(現国道291号線)を開通させました。しかし、同年10月の長雨で各所に土砂崩れが起き、翌年も雪崩や雪解け水による大きな被害を受けたそうです。その上、清水から湯檜曽に至る新道は旧道(居坪坂コース)に比べ5里(約20km)も遠回りのため利用者もなくなり廃道になってしまいました。
この看板の少し先から、登山道は左に折れて下り始める。R291は水平に続くが、現在は完全に廃道化し、密藪に覆われて入口がどこだかわからない。以前は地形図に波線路として記載されていたが、それも抹消されている。
登山道は樹林に覆われた急斜面を丁寧にジグザグを切って下って行く。往年の街道らしく、非常に歩き易い。途中で、ソロハイカーさんに追い越されて、この道良いですねー、と声を掛けられる。全くその通りで、秋らしく爽やか気候の中、気持ち良く歩ける。
途中、分岐があり、道標はあるが例の如く倒れて読めない。地面にトレッキングポールで書いたと思しき矢印が、右の道を指し示している。先行したソロハイカーさんが書き残してくれたのだろう。左の道は送電線巡視路のようである。
分岐で登山道は東に方向を変え、さらにジグザグを切ってブナ林の斜面を下る。途中、小沢を横切る。自然歩道の倒れた看板を過ぎると、登川本谷に下り着く。本谷は水量は少なくないが、飛び石伝いで容易に右岸に渡れる。
あとは本谷に沿って右岸のほぼ平坦な道を進む。すぐに、深い滝壺を持った小滝をかけるナル水沢に着き、滝の下を横断する。
右岸の斜面をトラバースして進むと、やがて河岸段丘の上の樹林に覆われた平地の道となり、送電鉄塔の基部を通過する。登山道はその先でしばし水流の中を進む。
樹林が切れると、本谷を隔てて謙信尾根を仰ぐ。尾根上に送電鉄塔が立ち並んでいるのが見えるから、識別し易い。道端にまたまた自然歩道の案内看板が倒壊している。この辺りを「兎平の元屋敷」と言い、かつては通行者の宿泊茶屋があって賑わったが、冬は8mもの積雪があり、生活は楽でなかった。明治41年には3軒あった宿泊茶屋も店を閉じた、とのこと。ここに人が住んでいたとは、現在の様子からは想像が難しい。
兎平の先で登山道は右へ大きくカーブして、広くガレに埋め尽くされたヒノキクラ沢の谷間に入る。沢に降り立つと、上流に大きな砂防堰堤があり、その上方に上越国境稜線と柄沢山の鋭鋒をダイレクトに仰ぐ。なかなか唆られる景観だ。
対岸に渡ると簡易舗装された車道がここまで通じていて、軽トラとバイクが駐車している。登山道は本谷沿いに続いているようだが、既に8時間歩いて疲れて来たし、車道を歩いた方が楽だ。車道は本谷右岸の高いところをトラバースしているので、眺めも良い。展望を楽しんでいるうちに謙信尾根分岐に着く。あとは往路の車道を戻る。
途中、往路では気づかずに通過した追分という地点で、かつてのR291が分岐する様子を撮影する。入口は丈の低い草に覆われた林道という風情で、轍も付いているが、R291の廃道区間を踏破した前掲のサイトによると、この奥は激藪だそうである。さもありなん。
往路で朝見た道端のツリフネソウの群落は草刈りされて、綺麗さっぱりなくなっていた。ありふれた雑草だけど、哀れを感じる。ゲートに帰り着くと、私の車だけが残っていた。
帰りは日帰り入浴で金城の里に立ち寄る(350円)。ここに来るのは昨年6月、金城山に登った帰りに立ち寄って以来、2回目。さっぱり汗を流したあと、R17沿いの金澤屋酒店という店で白瀧の純米酒と越後ワインの赤をお土産に買って、桐生への帰途についた。