立処山〜小丸〜蓬萊山〜諏訪山

天気:
メンバー:T
行程:立処山登山口 8:15 …立処鍾乳洞 8:50〜9:00 …立処山(735m) 9:10〜9:25 …国道下降点 10:05 …明家 10:45 …オバンドウ峠 11:05 …1136m標高点 11:50 …小丸(1135m) 12:10〜12:30 …蓬萊山(1377m) 14:00〜14:15 …林道 14:45 …諏訪山(1207m) 15:15〜15:25 …猪平第二ダム駐車場 16:15 … 立処山登山口 17:25
ルート地図 GPSのログ(赤:往路、青:復路)を地理院地図に重ねて表示します。

先月23日に神流町神ヶ原(かがはら)から堂所山〜栗原山〜南小太郎山に登った際、神ヶ原から頂上直下に岩壁を擁する立処山(たとろやま)を仰いで、以前から興味を持っていたけれど、改めて登りたくなった。

立処山の登頂だけならば往復約2時間の軽い山歩きとなる。折角、桐生から車で2時間強かけて出かけるのだから、他の山も組み合わせて1日ガッツリ歩きたい。山と高原地図を見ると、立処山から南尾根をオバンドウ峠まで辿り、R299沿いの間物(まもの)集落に下る登山コースが記載されている。これは面白そうだ。しかし、もうちょっと歩きたいかな〜。

オバンドウ峠からさらに南下する尾根は、小丸(1135m標高点)を経て、蓬萊山(1377m標高点)に至る。この2座(に立処山を加えた3座)の山名はいずれも地形図にはないが、山と高原地図や山名事典には載っている。

蓬萊山は上武国境稜線上のピークではあるが、地形図を見れば判る通り、赤岩尾根〜八丁尾根の方が明らかに主稜線で、蓬萊山はその中腹に小さく突き出た前衛峰でしかないから、むしろ山名が付いているのが不思議な位で、これまで食指が動くことはなかった。

しかし、ネット検索してみると、立処山から蓬萊山まで通して歩いた山行記録(ヤマレコkinoe氏yamayutaka01氏)を発見。これらによると、蓬萊山への最後の登りは岩尾根となり、また、頂上は大展望とのこと。これはとても食指が動く。歩き応えも十二分だ。という訳で、これらのレコを参考にさせて頂いて、GWの中日に歩いて来ました。

桐生を朝、車で出発。立処山登山口に車を置くのと出発予定時刻は先月23日と同じだが、前夜、夜ふかししたせいで寝坊したので、歩き始めたのは2時間遅れの8:15となった。陽も既に高い。まあ、日が延びて18時半まで明るいし、最後の四半分の行程はR299の歩きなので、時間切れの心配はないだろう。快晴で絶好の山歩き日和。天気の心配もない。


立処山登山口
背景右に堂平山


立処山を仰ぐ

登山口の駐車場の奥へ進む。右下の神流川の河原では、バイパス道路の工事が進んでいる(本日休工)。カーブに「立処山頂 900m 60分→」の道標があり、まだ何も植っていない畑地の中の農作業小屋の脇を通って、杉林と新緑の雑木林に覆われた山腹の登りに取り付く。山道は急斜面を小さくジグザグを切って登って行き、小気味良く高度を上げて行く。


山腹を登る


石灰岩がゴロゴロ

苔むした石灰岩の転石が多い斜面を急登すると、やがて、頂上直下の大岩壁の基部に登り着く。ここに「鍾乳洞入口」の看板があり、すぐ脇の岩の裂け目が洞口となっている。

ヘッドランプを点けて洞内に入ってみる。洞は急傾斜で下に向かって延びており、固定ロープや梯子で下る。少し奥に進めば洞口からの光は全く届かない。天井は立って歩ける高さがあるが、頭上注意。岩に頭をぶつけてたんこぶが出来た。洞はさらに奥があるが、狭くなって来たので、探索を切り上げて戻る。見た範囲では鍾乳石等の奇観はなかった。


立処鍾乳洞に登り着く


鍾乳洞入口

鍾乳洞から岩壁の基部に沿って急登すると、頂上稜線の一角に登り着く。左に稜線を辿ると「明家(みょうけ)→」の道標があり、南尾根への山道を分ける。頂上を構成する岩稜に突き当たり、溶食された石灰岩の岩場を一段登ると立処山の頂上に登り着く。


石灰岩の岩稜に上がる


立処山頂上

頂上には「立処山頂標高735M」と記された山名標柱が建ち、まさに360度の展望が開ける。北面は大岩壁となってすっぱり切れ落ち、神流川や恐竜センター、神ヶ原の集落、古鉄橋を足元に俯瞰する。その向こうには、随所に岩壁や岩峰を擁する東福寺渓谷と、それを取り囲む堂所山や栗原山、サスの峰、はさみ岩、城山などのピークを一望する。


東福寺渓谷を望む


城山を望み古鉄橋を俯瞰

西には叶山西陵の岩峰群、東には新緑に覆われた大平戸山や神流川を隔てて高反山、その右隣に大鷹岩の岩峰を望む。

そして南には、谷間にR299を俯瞰し、その右隣にはこれから辿る尾根が一旦高度を下げたのち、奥へ徐々に高まりながら続くのが見える。その遥か奥には八丁尾根から赤岩尾根、大ナゲシに至るスカイラインが青空をギザギザに横切って高々と連なる。これは素晴らしい山岳景観だ。ギザギザの左端(八丁尾根)の下、稜線が背景の山に溶け込んで判り難いが、三角形のピークが諏訪山で、蓬萊山はその右のさらに奥、ギザギザの手前だ。今日はあの辺りが最終到達予定の地となる。いやー、実に遠いな。気合を入れて行くとしよう。


高反山(左奥)を望む


八丁尾根、赤岩尾根、大ナゲシを遠望

頂上の岩稜を降りて少し戻り、「明家→」の道標の所から南へ尾根道を下る。最初は檜植林帯の広くなだらかな尾根を下るが、すぐに雑木林に覆われた細い尾根を小さくアップダウンしつつ辿るようになる。左右を谷が平行して走り、その間を仕切るように細尾根が延びて行く。左の間物沢川の谷底にはR229が通じ、ときおりバイクの甲高い走行音が微かに響いてくる。右には烏頭沢(うとうざわ)の谷を隔てて新緑に包まれた大平戸山を仰ぐ。


明家への尾根道を下る


新緑に包まれた尾根道

小ピークを越えると、ロープが固定された岩尾根が現れる。いずれも容易に通過。669m標高点を越えて鞍部に下り着くと、送電線巡視路の黄色標柱と道標があり、左はR299、右は烏頭沢沿いの林道にそれぞれ下る山道が分岐する。


669m標高点へ岩場を登る


国道下降点

「明家→」の道標にしたがって尾根を直進。すぐに送電鉄塔の脇を通過し、尾根を絡んでジグザグに付けられた山道を辿る。道型は落ち葉に埋もれているが、浅い堀割状で、昔から良く歩かれていた様子が窺える。


送電鉄塔を通過


古い道型を辿る

若い植林帯を囲む防獣ネットを開閉して通過。と思ったらすぐ先にもうネットがある😅。杉林やアセビ、雑木林に覆われた尾根を緩く登ったり、山腹を巻いたりして進む。やがて檜植林帯に入り、荒れ気味の作業道を辿る。防獣ネットも度々あり、その都度、開閉して通過する。


山腹をトラバース


右の作業道を辿る

右山腹の作業道を進み、伐採地を過ぎて少し下ると、数軒の廃屋のある日当たりの良い緩斜面に出る。ここが廃村となった明家だ。南側に眺めが開けて遠く赤岩尾根を仰ぎ、山村らしい景観と雰囲気が素晴らしく、廃村なので侘しくもある。廃屋は二階建ての立派な民家で、往時は大家族が住んでいたのだろう。まだ形は残しているが、壁は破れ放題だ。離れの家屋も無人だが、そちらは何となく、今も保全されているような様子が窺える。


明家(廃村)から赤岩尾根を仰ぐ


立派な民家が廃屋に

明家から「←立処山 間物→」の道標にしたがって、間物への峠道に入る。幅のある山道でほぼ水平に山腹を巻いて行く。途中に神社の参道入口らしき石垣と一対の石灯籠があり、上に神社がありそう。土砂に埋もれた参道石段の脇の踏み跡をジグザグに登ると小広い境内に着き、水盤や倒壊した石灯籠と共に傾いた覆屋が建っていて、木の祠が祀られている。何の神社だろう(後日調べると、後述の通り、産泰神社らしい)。


オバンドウ峠への峠道に入る


神社参道入口


石灯籠
嘉永六癸丑(1853)年九月吉日


神社の社殿

峠道に戻って先に進むと、道端に馬頭観音像が横たわっている。江戸時代後期の銘があり、かつての峠の往来を偲ばせる。すぐ先が峠で、小祠と「オバンドウ峠」の標識がある。間物側も山腹を巻いて幅のある山道が刻まれている。大変、風情のある峠である。

岩佐徹道著『群馬の峠』には、まだ明家に人が住んでいた頃(1970年)、野栗から野栗峠とオバンドウ峠を越えて間物に抜けた紀行が収録されている。明家の住人と著者との会話で、昔は野栗から志賀坂を越えて秩父に向かう道筋で7軒もあったが、3軒に減った。また、峠への途中に産泰様があること、などが語られている。


道端の馬頭観音像
寛政四子天(1792年)


オバンドウ峠

オバンドウ峠で峠道から分かれ、南の尾根に入る。最初は送電線巡視路の道型があり、巡視路を左に分けた後も雑木林とアセビに覆われて、藪のないすっきりとした尾根が続く。陽射しを透かして新緑が明るく美しい。小さくアップダウンしながらゆるゆると登る。放置された箱罠を過ぎた辺りから傾斜が増し、1136m標高点に向かって急斜面を直登する。


南の尾根道に入る


新緑の細尾根を辿る


放置された箱罠


1136m標高点への急登

ようやく稜線に登り着き、稜線を左に少し辿ると大岩がある。このピークが1136m標高点のようだ。小丸へは雑木林に覆われた細尾根を辿る。相変わらず新緑が綺麗だ。一部、左側の樹林が切れた所から間物集落を俯瞰し、二子山の東西の岩峰を眺める。両側が急斜面となった細尾根を緩くアップダウンする。小丸までそんなに距離はないはずだが、先程までの急登が応えたか、あるいはシャリバテのせいか、足が重くなって遠くに感じる。


稜線に登り着く


1136m標高点の大岩


間物集落を俯瞰し二子山を望む


稜線を緩くアップダウンして辿る

短い急坂を上がり、小さな瘤を越えてようやく小丸の頂上に着く。「小丸 1135m」の山名標識が木の幹に打ち付けられている。樹林に囲まれて展望は乏しいが、新緑の間から大ナゲシの鋭鋒がだいぶ近づいて見える。既に正午を回り、腹ペコだ。ここで昼食休憩とし、COOP 1食分の野菜 ちゃんぽん風ヌードルを食べる。これはなかなか美味いな。


小丸頂上


小丸から大ナゲシを仰ぐ

エネルギーを補給して元気を回復したところで、いよいよ蓬萊山に向かう。頂上から南へ尾根を下ると、右側が崩壊した斜面となって、稜線直下まで抉れている。右に寄り過ぎないように注意。その先は両側を深い谷に挟まれた細尾根を小さく上下して辿る。


崩壊地の縁を下る


新緑の回廊

尾根は徐々に傾斜を増し、右前方には、赤岩尾根がギザギザの稜線を高々と掲げながら迫って来て、険しい山の懐深く入って行く感覚がたまらなく良い。右後ろには大ナゲシや天丸山が、尖ったり台形だったり怪異な山容を連ねている。


新緑の尾根を登る


右後ろに大ナゲシを望む

露岩が多く、木の根が絡む細尾根を登って行くと、木の間越しではあるが、目指す蓬萊山のピークがようやく見えて来る。傾斜が強まり、岩尾根の急登に差し掛かる。木の根、岩角を手がかり足がかりにしてグングン登る。


行く手に目指すピーク


岩尾根の急登が始まる

振り返ると樹林が切れて、辿って来た小丸からの尾根と、攀じ登って来た岩尾根を見おろす。爽快な登りだ。さらに岩稜が続くが、一ヶ所、邪魔な倒木を越えるのにちょっと梃子摺った他は、ガバチョホールド&ステップで快適に登って行く。


登って来た岩尾根を見おろす


岩尾根を登る

岩尾根が終わり、低木の合間に咲き残りのアカヤシオを眺めつつ最後の坂を登って、文字が掠れかけた山名標識が建つ蓬萊山頂上に着く。


最後の急登


蓬萊山頂上

頂上は北面が開け、一大パノラマが展開する。まず、登って来た尾根を目で追うと、一旦下ってのっそりと小丸を起こし、さらに右奥へ降って行く。写真では分かり難いが、新緑に覆われた山中に明家の廃屋の赤い屋根が見え、さらに遠くには、台形の頂稜から灰色の岩稜を覗かせる立処山も視認できる。今日はあそこから遥々歩いて来たんだなあ、と感慨に浸る。背景には赤久縄山をはじめ、神流川流域の山々を眺め渡し、左奥にはうっすらと浅間山の山影を遠望する。


蓬萊山から浅間山(中央奥)を遠望


登って来た尾根を俯瞰

右に目を転じると諏訪山の丸く穏やかな頂を俯瞰し、その奥に二子山や御荷鉾山を望む。

一方、北側の眺めは樹林に遮られるが、木立の間から赤岩尾根のP1を仰ぐと、とんでもなく険しい。ここからP1への県境稜線は壁を登るようなもので、かなり困難だろう(山が一番さんの山行記録。蓬萊山の山名標識は、このとき設置されたもの)。


諏訪山、二子山を望む


赤岩尾根P1を仰ぐ

展望を一通り楽しんだ後、諏訪山に向かう。頂上からの下りは、レコで急と読んでいたとおり、ちょっとビビる程の急さだ。立木を頼りに急降下し、左に急斜面をトラバースする。今回の山行では、ここが一番緊張した。


蓬萊山頂上からの下り口


急斜面をトラバース

危険箇所は長くはなく、すぐに程々に歩き易い尾根の下りとなる。最初の尾根の分岐は右へ。雑木林と植林の境界の尾根を一直線にズンズン下る。


この先で最初の尾根の分岐


良い尾根道を一直線に下る

やがて右斜面が伐採された尾根となり、眼下に山腹を蛇行する林道金山志賀坂線を望む。振り返れば、八丁尾根が峩々として高い。さらに急降下して、林道金山志賀坂線に出会う。なお、この林道は令和元年度台風19号の被害のため、この地点を含む志賀坂峠〜上落合橋の区間で当面通行止めとなっている。


伐採地から八丁尾根を仰ぐ


林道金山志賀坂線に出会う

再び尾根上の山道を辿り、1212m標高点のピークを越える。振り返ると赤岩尾根を背景にして、蓬萊山の端正な三角形のピークが聳り立っているのが見える。


1212m標高点


蓬萊山と赤岩尾根を振り返る

鞍部から登り返して、右側が伐採された斜面を急登し、諏訪山の頂上に着く。諏訪山は14年ぶり2回目の登頂だ(山行記録)。諏訪大明神の祠と三角点標石、山名標柱があるのは前回と同様だが、山頂近くの樹林が伐採されて、八丁尾根から赤岩尾根P1、そして蓬萊山が良く眺められるようになっている。


諏訪山への登り


諏訪山頂上


諏訪山頂上の山名標柱


諏訪山から八丁尾根(左)
赤岩尾根、蓬萊山を望む

あとは歩いたことのある一般登山道だから、安心だ(と、このときは思っていた)。木の階段道を下って、諏訪山頂上の北側直下を巻く登山道に出る。ここには「←R299 志賀坂峠駐車場 3km 70分」「九十の滝 1.7km 35分→」との見覚えのある道標がある。後者の方がR299を歩く距離が短くなるので、迷わず九十の滝コースの方へ向かう。


木の階段道を下る


「九十の滝→」へ下る

登山道は檜植林に覆われたなだらかな尾根を下り、さらに山腹にジグザグを切ってワタド沢に下る。ワタド沢も新緑に覆われ、そろそろ傾き始めた陽射しに緑が照り映えて、とても良い雰囲気。しかし、沢沿いの登山道は、道型は明確だが転石が多く、苔やハシリドコロが繁茂して、久しく歩かれていない感じがする。


杉林の尾根を下る


新緑に覆われたワタド沢へ下る

やがて、板面がほとんど消えかけた案内板と道標が現れ、わたど橋へ九十の滝経由とシオジ林経由の二手に道が分かれる。ここは右の九十の滝経由の道へ。木橋を渡って谷を下ると、無惨に倒壊した東屋がある(前回はちゃんと建っていた)。その下では、木橋が崩落している。ここを通過するとき、少し負荷がかかる姿勢で屈んだ拍子に足が攣って、急いで芍薬甘草湯を服用する。気のせいかも知れないが、これはすぐに良く効く。


倒壊した東屋


崩落した木橋

登山道は土砂が流出した急斜面の高い所をトラバースする。右下には木立を透かして九十の滝の落水が見える。ここは一般登山道としては危ない。やがて小尾根上の登山道となり、ベンチが現れる。ここも見覚えがある。赤い吸い殻入れが昭和レトロを感じさせる。


九十の滝を横目に下る


小尾根上のベンチ

小尾根上を小さくジグザグを切って下り、左から谷コース経由の道を合わせる。ここの道標には、谷コースは崩落して危険なため、九十の滝経由のコースを利用して下さい、と表示されている(前回の山行記録を見ると、谷コースはそのとき既に通行止め)。これだけは鉄製で頑丈、一点豪華的な「わたど橋」を渡り、橋上から上流に九十の滝を眺める。


わたど橋


橋上から九十の滝を仰ぐ

大きな砂防堰堤の脇を擬木の階段で下る。ここも大きな落石が散積している。階段を下って、堰堤下の駐車場に着くと、なんと登山道入口が立入禁止の黄色いバリケードテープで塞がれている。道理で登山道に歩かれている様子がなかった訳だ。諏訪山頂上直下の分岐では、こちらのコースが閉鎖されているとは判らなかったから仕様が無い。一度、歩いたことがあるから、改めて下調べもしていなかった。


猪平第二ダム駐車場に下り着くと
立入禁止のテープ


R299に出る

駐車場から車道を下ってR299に出る。さらにR299をショートカットして、間物集落の中を通り抜ける。集落内には出梁造りの養蚕民家があり、山村らしい風情がある。川を渡る電線に注連縄が巻かれ、紙垂と竹筒が架けられているのは、何かのまじないだろうか。


間物集落


電線に注連縄と紙垂

あとはR299を歩いて神ヶ原まで戻る。途中の有名な観光スポットに、恐竜の足跡(瀬林の漣痕)がある。左上の大きな窪みの他、右下の連続する小さな窪みも恐竜の足跡だそうだ。さらに下って、間物沢川本流に逢瀬の滝がかかる。車道から僅かに見えるだけなので、観光の価値はあまりない。


恐竜の足跡


逢瀬の滝

なおもR299を歩くと、行手に立処山が見えてくる。右には叶山西稜に突き出た「中岩」の岩峰を高く仰ぐ。立処山の山裾の岩壁の基部を通り、ようやく神ヶ原に帰り着いた。


叶山西稜「中岩」を仰ぐ


神ヶ原に帰り着く

今日は1日ガッツリ歩いた。天気が良く、クリアな展望にも恵まれたし、小丸〜蓬萊山は奥山の雰囲気が横溢して、予想以上に良い山であった。大満足。先人の山行記録に感謝である。GWで日帰り温泉は混み合いそうだし、今日は気温が低めで汗をそうかかずに済んだので、温泉には立ち寄らず、直行して桐生に帰った。