飯山・入沢の滝
前回の山歩きの後、血豆ができた右足の中指の爪が剝がれた。血豆(爪下血腫というらしい)自体はよくあることで、いつもは新しい爪が生えて、古い爪が自然に取れて治るのだが、今回は浮き始めた古い爪をうっかり引っ掛けてバリバリと剝がしたせいで、痛い目をみた。長時間歩行は少々不安なので、この週末は軽い山歩きにしておこう。
という訳で、神流町万場の北山で、半日行程で登れる飯山(めしやま)を行き先に選ぶ。広報かんなH23年2月号の「生利の3つの天狗岩」の記事によると、飯山の南麓、水神岩から登った所に天狗岩と呼ばれる岩峰があり、祠が鎮座するとのこと。ネットで調べると、楽しい群馬の山歩き「飯山」に、この岩峰と祠を通った山行記録がある。
また、飯山の西面にはかつて御荷鉾山への登山道が通じていたそうで、ヤマレコyamadanuki氏「飯山」に、現在は廃道となった御荷鉾登山道を辿ったレコがある。岩峰と祠、廃道を巡って飯山に登頂すると面白そう。これらの記録を参考にさせて頂き、ついでに近くの滝の探訪も加えて、歩いてきました。
飯山
桐生を朝のんびりと車で出発。R462で本庄、鬼石を経由し、神流湖北岸を走る。途中、長井屋製菓に立ち寄って、名物のまんじゅうを土産に買う(帰りでは売り切れていることが多い)。店舗が改装され、店内の様子が新しく変わっていた。
R462から生利(しょうり)大橋で神流川右岸に渡り、集落の外れで見つけた路側スペースに車を置く。対岸に飯山を仰ぐ。飯山から落ちる尾根の先端は神流川に岬のように突き出して、高い擁壁の下をR462が通る。あの辺が水神岩だ。尾根の途中に大きな岩場が見える。あそこが三つの天狗岩のうちの東天狗だろう。残り二つ、中天狗と西天狗と思しき岩は、ここからは見当たらない。
生利大橋を渡ってR462に戻り、生利バス停の右斜向かいの路地に入る。坂道を登った突き当たりから奥へ山道が通じている。最奥の民家の方が偶々表にいらして挨拶を交わす。この山道は飯山への作業道で、今は歩かれていないとのこと。祠までは道があるそうだ。
山道は落ち葉や枯れ枝に覆われて荒れ気味だが、道型ははっきりしている。小さな祠を過ぎ、ジグザグを交えて急な山腹を斜めに登って行く。尾根上に出て乗り越すところで、体が温まってきたので上着のフリースを脱ぐ。ここから分岐して尾根上に通じる山道を登る。
山道は尾根の右斜面を絡んでジグザグに登る。途中、岩場を穿った浅い穴を3つ程見る。山師の仕事跡かな。やがて尾根上に建つ祠に着く。
祠の前はオーバーハングして切れ落ちた岩壁となり、ここが東天狗岩だ。神流川や生利大橋、周辺の集落を俯瞰し、なかなかの展望。駐車地点のマイカーも見える。また、群馬・埼玉県境の土坂峠から父不見山辺りの山並みも眺められる。
祠と見えたのは覆屋で、中には石積みの上にほとんど朽ちかけた木の祠がある。鍔の部分が反り上がった形の錆びた鉄剣や金属製の手鏡が奉納されている。
東天狗岩の先も山道が続き、右斜面をジグザグに登る。ところどころに石垣が残る。再び尾根の上に出たところで山道は尽きる。中天狗岩はどこだろう。それらしい岩場は見当たらない。
ここからは道のない尾根を直登する。道がないとはいえ、杉植林に覆われて藪はなく、そこはかとなく踏み跡があって登り易い。潰れた小屋の屋根の脇を通るが、林業関係のもので、祠ではなさそう。
やがて飯山の南の670m圏ピークに登り着く。ここからは広くなだらかな尾根となり、杉林が陽射しを遮ってヒンヤリと冷え込んだ空気の中、ゆるゆると登る。最後は傾斜が増して、小さな岩場を一段越えると飯山の頂上に登り着く。
頂上は小広い平地で、樹林に囲まれているが陽が差し込んで、雰囲気は明るい。展望は冬枯れの木の間を透かして東西の御荷鉾山の山影が見える程度。平地の真ん中に三角点標石がある。昔の山行記録を見ると達筆標識があったそうだが、山名標識の類は全くない。
小腹が空いたのでブラックサンダーを齧って休憩した後、北へ尾根を辿る。なだらかな尾根の右側は浅く窪んで、二重山稜のようになっている。小さな瘤を越えると、木の間から東御荷鉾山とゴツゴツした愛宕山が見える。やがて尾根が細くなると、右側が崩壊した斜面となり、城峯山が眺められる。
崩壊地から痩せて急な尾根を登り、アセビが繁茂した小ピークを越えて下って行くと、下方に太陽光発電のパネル群が見えて来る。
太陽光発電所に下り着いた所に「御荷鉾登山道 万場町」と記した道標が建つ。これが見たかった。パネルの周囲には金網が張り巡らされ、網越しに西御荷鉾山を仰ぐ。ここはかつてはゴルフ場で、登山道はゴルフ場の中を通っていたそうである。
後日調べると本庄ゴルフ場として1987年に開設されたが2003年に破産。かんなゴルフ倶楽部に営業を代えたが2007年に閉鎖。2014年から太陽光発電所が稼働しているらしい。2005年に西御荷鉾山に登ったときに、山頂からゴルフ場を眺めた写真を撮っている。当時は知らなかったが、既にゴタゴタの渦中にあったんだねえ、と時の流れに感慨を覚える。
足の調子は問題ないので、西御荷鉾山まで往復しようか、とも一瞬思ったが、太陽光発電所内は立ち入り不可で旧登山道を辿ることはできないから止めておく。
尾根から西側の杉林の斜面を下って行くと作業道が現れる。作業道をジグザグに下ると、曲がり角や分岐毎に旧登山道の道標が残っている。三つの道標を過ぎると、山腹をトラバースする細い山道となり、これを延々と辿る。道型ははっきりしていて、至極歩き易い。
斜面の傾斜が少し緩むと耕作地跡(こんにゃく畑だったらしい)や石垣が現れる。土砂の押し出しで道が怪しい区間もあるが、多分、けものが踏んだ跡が道型となって、斜面を横切って続いている。やがて広くなだらかな尾根の上に出て、深く抉れた堀割道を下る。
緩斜面の堀割道を下って行くと生利の集落を見渡す地点に出、短い坂を下って車道に出る。あとは車道を下る。左に往路で登った尾根を見上げると、中腹に顕著な岩場が見える。あれが中天狗岩のようだ。たぶん、山道が尽きたと思った地点から山腹を横断する道があったのだろう。ここからだと逆に東天狗岩は木立に隠れて判別し難い。
R462に出た所の道角に旧登山道の石の道標がある。「明治二十八年」「御荷鉾山入口」と刻まれており、昔の登山事情を知る上で結構貴重な物ではなかろうか。
駐車地点に戻り、車でR462を少し戻って柏木集落に移動。R462沿いにある「いろり」といううどん屋に入って昼食とする。店はおばちゃんが一人で切り盛りしていて、客はバイクのあんちゃんの他は地元のおばちゃんが5人程。地元民の集会所と化していて、ワイワイと賑やかだ。ご飯はもうないよ、と言われたが、うどんが食べられればOKなので問題なし。天ぷらうどん(600円)を注文する。天ぷらの量が多くて満足。うどんも大変美味かった。
昼食後、まだ午後の早い時間帯なので、入沢の滝に向かう。
柏木集落から車で入沢谷川沿いの林道に入り、急な坂道を登る。周囲の山肌はなかなか急峻だ。程なく林道入沢線と愛宕山線の分岐に着く。道標あり。愛宕山線はこの先、全面通行止め。入沢線を進むとすぐに未舗装道となり、やがてとんでもない傾斜と路面の荒れ具合の悪路となる。それでも突き進むと、ついににっちもさっちも行かなくなり、バックで転回可能な地点まで戻って車を置く。冷や汗かいた。普通車の場合は、林道の分岐点に駐車するのが吉である(2台分程の駐車余地あり)。
気を取り直して、歩き出す。左下を流れる渓流は岩盤を抉り、小滝もかけている。大水が出た跡が片付いた林道を登ると「←投げ石峠 150分3.4K 入沢の滝 20分0.4K→」の道標があり、右に簡易舗装の急な坂道が分岐する。道標の後ろには「御瀧不動尊入口」「右是ヨリ約三町」と刻まれた立派な石の道標がある。
右の道に入り、支流の不動沢川に沿って急坂を登る。渓流は水量がグッと減って、滝に水があるかちょっと心配だ。程なく、杉林の中に建つ木造の建物(籠堂)に登り着く。谷はここで左に折れ、籠堂のすぐ先に入沢の滝がある。
眼前には巨大な岩壁がドーンと聳え、見上げるような高さから水が細々と中空を落ち、下段の岩盤を叩いて水飛沫を上げている。落差は30〜40mだろうか。時期的に水量が少なく、豪瀑の印象はないが、高く覆いかぶさるような岩壁が壮絶で、見事な滝だ。訪れた時間帯も運が良く、谷間に午後の太陽が差し込んで、滝全体を明るく照らし出している。滝身の裏に参道が通じているので、もちろん登ってみる。
岩壁の基部まで登ると数基の立派な石灯籠が建つ。濡れて滑り易い岩棚を、鎖を手すりに歩いて落水の裏に入る。岩盤に跳ね返る水が陽光を反射して綺麗だ。
終点には岩壁の窪みに二つの石碑が祀られ、錆びた鉄剣が奉納されている。石碑の一つは摩訶不思議な形状の溝があるもので、身削り不動といい、剣で削り煎じて飲めば病気が治るとの言い伝えがあるらしい。もう一つは風化が進んだ不動明王だ。「應永四年納立」の文字がはっきり刻まれているが、後日調べると、応永四(1397)年は室町幕府の時代だ。古過ぎて、ホントかなと思う。
不動尊から見上げると、真上から水が霧状に広がって落ちてくる。いやー、綺麗だ。これはこれで佳いものだが、水流の多い時期も見てみたい気がする。
最後にもう一度、滝の全景を眺めたのち、駐車地点に戻る。期待以上の滝で、立ち寄って良かった。戻る途中で、滝見にやって来た若者三人組とすれ違う。元気があって宜しい😀。彼らの車は賢明にも林道分岐にあった。
帰りは桜山♨絹の里別邸に日帰り入浴で立ち寄る。本格的に寒い季節となり、山行で冷えた身体を湯船にゆっくり浸かって温めると極楽。帰路、16時半を回ると早くも日が暮れて、とっぷりと暗くなった中、帰桐した。