船坂山
船坂山は西上州の最奥、上信国境のぶどう峠付近から神流川源流域へ派生した尾根上にある一ピークだ。一般にはまだあまり知られていない山と思うが、打田鍈一氏が著した『薮岩魂』で取り上げられ、ネット上にも多くの山行記録がある。現在では北面の林道から登路があり、頂上を往復するだけなら容易に登れるが、薮岩魂にガイドがある「ぶどう峠〜船坂山」のコースは、途中に二つの険悪な岩稜を秘めている、とのことで、恐ろしげだが魅力的、こちらのコースを歩いてみたい。6年前に品塩山から眺めて以来、登りたいと思っていた懸案の山でもある。という訳で、この週末に出かけてきました。
なお、どーでも良い余談だが、ヤブには藪、薮の二つの漢字(異体字)があり、どちらも使える。打田氏は薮を用い、本サイトでは(固有名詞や書名を除いて)藪に統一している。籔、䉤という良く似た漢字もあるが、これらは別物で「米をとぐのに用いる竹製の器」の意。漕ぐ物ではないので注意。
桐生を早朝、車で出発。出掛けに外気が妙に生暖かいことに気づく。上信越道で八風山トンネルを抜けて長野県に入ると一面の濃霧に覆われるが、中部横断道を終点の八千穂高原ICで降りる頃には霧が晴れて青空が広がる。R141から相木川沿いの道に入り、北相木村の山村を通り抜け、ぶどう峠に上がって車を駐める。峠からは長野県側の眺めが良く、雲海の上に横岳〜蓼科山のシルエットが浮かび、四方原山の平坦な稜線も右手に眺められる。
ぶどう峠の群馬県側へ下り口は厳重に塞がれて、全面通行止の看板が立つ。この状況は9月に新三郎〜四方原山を歩いた際、帰りにここに立ち寄って偵察済み。昨年の台風19号の被害で、ぶどう峠〜中ノ沢林道分岐の区間8.9kmは通行止になっている。船坂山の登り口(ぶどう峠林道起点)はそのちょうど中間にあり、当面は徒歩でしかアクセスできない。
車両の通行は工事用を含め、全くなさそうなので、通行止のゲートの前に車を置く。峠からの展望をカメラに収めたのち、群馬県側へ車道を下る。全面(=歩行者を含めて)通行止なので、自己責任で(=自分の安全は自分が確保して)歩く。
車道は急な山腹をトラバースして大きく蛇行するので、距離は延びるが、眺めは良い。少し低いところに船坂山を眺め、その向こうに諏訪山や帳付山〜滝谷山の稜線、一番奥に両神山を展望する。道路の状況は地盤が緩んであちこちに路面の亀裂や陥没、路肩の崩壊、土石の押し出しがあり、惨憺たる有様だ。これ、復旧できるんだろうか。歩行には支障なく、周囲の紅葉や西上州の山々の展望を楽しみながら下る。
正面に船坂山とその右に続く鋸歯状の稜線を仰ぎ、谷に降りるとぶどう峠林道起点のゲートに着く。通行止がなければ、ここまで車で来て、ゲート付近に駐車できる。
林道に入り、船坂山の北斜面をトラバースして緩く登る。やがて行く手の枝尾根の上に送電鉄塔が現れ、送電線の下を潜って尾根の鼻を回ると林道は終点となる。
送電線巡視路の黄色標柱を見て右へ、土砂と薄の藪に埋もれかけた階段道を登って、送電鉄塔に上がる。鉄塔の基部から、南を除く三方に眺めが開け、右には船坂山の東尾根、正面にはマムシ岳が、それぞれ岩稜を連ねて目を引く。マムシ岳は未踏で、登りたい山の一つだ。左にはぶどう峠とぶどう岳を高く仰ぐ。
送電鉄塔から尾根を辿る。樹林中に明瞭な踏み跡が通じ、藪はない。冬枯れでほとんど葉は落ち、終盤の紅葉が僅かに残っている。
常緑のアセビやシャクナゲを交えた樹林を緩く登る。途中、一本の黒松の大木が生えた岩場があり、展望が開ける。
なおも尾根上の踏み跡を登る。左から近づいて来る船坂山の東尾根はかなり険しい岩稜だ。稜線に登り着いて左へ。地形図の等高線からは読み取れない小さなアップダウンと岩場を経て、船坂山の頂上に着く。
頂上には三角点標石と達筆標識がある。標識には赤字で「400回登山」という掠れた文字が見える(重鎮さんの船坂山の記事に、この標識の設置の経緯が書かれている)。
頂上は樹林に囲まれて展望はないが、少し東に下ると樹林が切れて、神流川を中心にして左右に眺めが開ける。左には鹿岳や妙義山を遠望。烏帽子岳も尖った頂を覗かせている。右には品塩山、諏訪山、両神山が折り重なって眺められる。品塩山に登ったとき難儀した頂上直下の急な稜線もそれと判り、あのときは怖かったなー、と思い出して懐かしむ。
頂上で少し休んだのち、稜線を西へ向かう。右(北)斜面にはシャクナゲが多く生息し、ところどころで稜線上に出しゃばってきた奴は左に回避。最初はなだらかな下りで、行く手には木立を透かして国境稜線が仰がれる。
大岩が現れ、左斜面を巻いて小さな鞍部に下る。ここから薮岩魂が称するところの第二岩稜が始まる(薮岩魂では国境稜線から船坂山へ向かったときの順で第一岩稜、第二岩稜と名付けている)。薮岩魂のルート図を印刷して携帯はしているが、あまり当てにせず、現地の状況を見てルートを判断する。微かな踏み跡があるが、マーキングの類はほとんどない。岩場に絡む木の根を摑んで登り、岩頭に立つ。
岩稜の上を辿るのは難しいので、右斜面をトラバース。再び岩稜上に出ると、先に続く岩稜や国境稜線のぶどう峠、ぶどう岳が眺められる。
右(北)斜面のシャクナゲの藪の中の踏み跡を急降下し、岩稜を大きく断ち割ったキレットの底に降り立つ。キレットの中を通り抜け、南側から岩壁を登って岩稜の上に出る。
この先の岩稜も辿るのが難しいので、右側の岩壁の狭いバンドを伝ってトラバースする。高度感があり、岩角を摑んで蟹の横這いで数歩進む所もあって、慎重に通過する(このバンドのトラバースは今回の山行中、一番緊張した)。
さらに岩稜を辿り、一段高い岩峰に攀じ登る。ここが薮岩魂が称するところの坊主岩だ。行く手に国境稜線、振り返って越えてきた第二岩稜とのっそりした船坂山の頂を望む。
坊主岩の下りは階段状の岩場で容易だ。振り返って坊主岩の名付けに納得。さらに、木立に覆われた稜線を下る。急な岩場に突き当たるが、立木を手掛かりにして問題なく下れる。これで第二岩稜は無事通過できた。
しばらくなだらかな稜線が続き、奥山の雰囲気を楽しみつつ、のんびり歩く。木立を透かすと、ぶどう峠がだいぶ近づいて見える。やがて緩い登りに転じ、シャクナゲの間の踏み跡を辿る。
1502m標高点への登りはシャクナゲの密度が濃くなり、踏み跡が途絶える。シャクナゲ藪を回避しようとして南面に回り込むが躱し切れず、ちょっとナゲ藪を漕いで1502m標高点の頂に着く。樹林に囲まれて展望はない。
1502m標高点から、露岩とシャクナゲを交えた尾根を下る。冬枯れの明るい樹林を透かして、行く手に国境稜線の1645m標高点を間近に仰ぐ。登りに転じてシャクナゲ林に入ると、見上げるように高い岩頭に突き当たる。これが第一岩稜だ。
岩頭へは左から登れそうな感じを受けるが(ネット上の山行記録にも、容易に登れたという記述がある)、左へ巻いて岩稜の基部を下る明瞭な踏み跡があるので、安全策を採って巻き道に入る。途中で見上げると、オーバーハングした大絶壁が聳えて、恐ろしい。
急斜面を這い上がって稜線に復帰し、少し戻ると簡単に第一岩稜の上に立てる。岩稜の上には幅広い砂礫地があり、展望も開けて、休憩適地だ。ザックを下ろし、カメラを持って岩稜の先へ少し進む。先端は切れ落ちており、そこから下降するならロープが欲しい。
岩稜の下から延びる稜線の先には、黒木に覆われた1502m標高点と、その奥に鍋を伏せたような船坂山が眺められる。背景に神流川中流域の山々を遠望し、視線を右に転じると、諏訪山や両神山、滝谷山を望む。さらに神流川源流域の山々が連なって、一番高く見えるのは大蛇倉山のようだ。
素晴らしいパノラマを一通りカメラに収めたのち、時刻も正午を回ったところだし、見晴らしの良い岩稜の一角に腰を下ろして昼食にする。穏やかな快晴で、日向に居ると暑いくらいだ。缶ビール(小)がうまい。それからカップ麺の鴨だし蕎麦を食べる。
この先に難場はない。国境稜線に向かって、枯れたスズタケがポソポソと立ち並ぶ急坂を登る。小さな岩場を越えると、程なく国境稜線に登り着く。ここには「一五七」と刻まれた石標がある。稜線を右へ下るとぶどう峠だが、少し左に登って1654m標高点の山頂に立ち寄って行く。
頂上は樹林に囲まれて、展望はあまりない。北西の木立の隙間から四方原山の平坦な稜線が見えるのと、南の木立を透かして御座山や国境稜線の赤火岳が見える程度。南に向かう国境稜線上には非常に良い道が続いている。機会があれば赤火岳を越えて大蛇倉山まで縦走してみたい。
あとは北に向かって国境稜線を辿る。こちらも良く踏まれた道だ。急坂を下って、1599m三角点のピークに登り返す。頂上付近には一群の若いスズタケが生えている。かつては国境稜線に繁茂して登山者を阻んだと言うスズタケ藪は、近年は枯死したそうで、ほとんど見なくなった。しかし、次世代が育ちつつあり、再び覇権を握るときが来るのかも。
1599m三角点峰の頂上には「切丁」という点名を記した山名標識がある。なだらかな稜線に良い道が続き、右後方には木立の合間から第一岩稜を望む。左端が切れ落ちた、なかなかすごい岩場だ。
最後は急坂を下って、ぶどう峠に下り着く。久し振りに西上州の山らしい岩場のある山歩きを堪能した。第二岩稜を巻いたのでクライミング要素はなかったが、道標・マーキングの類がほとんどないためルートファインディングが難しく、面白いコースだった。コロナ禍で出歩けない間に鈍っていた「山勘」もだいぶ戻った感じがする。
余裕があれば、ぶどう岳にも往復して登ってくるつもりがあり、時間的には十分可能だが、船坂山の岩稜で山歩きは堪能したし、結構疲れたので割愛。サクッと帰途について、9月にも立ち寄った滝見の湯に向かう。秋の観光シーズンもピークを過ぎたのか、前回よりもお客さんは少なくて、さらにゆったり湯船に浸かって温まる。
温泉を発ってもまだ明るい時間帯なので、途中の「立岩の滝」にも立ち寄る。車道から相木川を隔てて立岩が眺められる地点があり、路側スペースに駐車。「←立岩の滝 100m」の道標から遊歩道で谷へ下る。渓谷の中に二つの滝が続き、上流は優美な斜瀑、下流は高い壁に囲まれて迫力がある。上流で工事中なのか、水が濁っているのが少々残念だ。
帰りの上信越道は、渋滞までの込み具合ではないが、行楽帰りと思しき車の列が途切れない。関越道上り線には渋滞発生中の案内が出ていた。コロナ禍の終息はまだ見えないが、世間の休日の過ごし方は元に戻りつつあるのかも、と感じつつ桐帰した。
参考ガイド:薮岩魂―ハイグレード・ハイキングの世界―(山と渓谷社、2013年)