鋸山〜高畠山〜泉山
桐生を早朝に車で出発。関越道を月夜野ICで降りて、R17を三国峠方面に向かい、湯宿温泉で左折。赤谷川右岸の河岸段丘に上がると、須川平(すかわだいら)と呼ばれる平坦な田園地帯が広がり、その奥を画して三つの山が並び聳えているのが眺められる。中央の最も高い山が高畠山、右の小ピークを連ねた山が鋸山、左の双耳峰が泉山だ。今日は、『私が登った群馬300山』の高畠山の記事のコースをほぼそのまま辿って、この三山を周回する予定である。
たくみの里の道の駅にWCで立ち寄ったのち、泉山東麓の泰寧寺の山門前にある広い駐車場に車を置く。良く晴れて風もなく穏やかな天気だが、さすがに11月下旬ともなると冷え込みが強い。冬用の厚手の長袖シャツを着込んで、高畠山に向かって出発する。
高畠山の手前には、アイロンを立てたような三角形の大岩壁が突き出ているのが見える。群馬300山の略地図には駒形岩と記され、また、岩壁の基部には五番観音と付記された神社マークもあって興味を引かれる。まず、この神社マークまで行ってみよう。
なお、五番観音は、『ぐんま観音札所ぶらり旅』(上毛新聞社、2001年)によると、沼田横堂三十三観音札所第五番の駒形山観音堂と呼ばれるものだそうだ。
黄色い小菊が一面に咲く花畑の中、駒形岩に向かって道なりに車道を辿る。周囲の展望が開けて、これから登る鋸山、高畠山、泉山の山容が良く眺められる。
道角に社があり、中に馬頭観音の新しい石像が祀られている。願い事を書いた絵馬がたくさん掛けられ、厚く信仰されていることが窺える。賽銭箱には「駒形山 馬頭観世音」と書かれており、これから向かう駒形岩を麓から遥拝するための社のようだ。
道角を直進して山間に入ったところで猿の群れに遭遇。道に落ちた柿を貪り食っている。子猿も居て、なかなか可愛い。近寄らずに遠くからズームで撮影していると、軽トラに乗ったおじさんが機関銃を乱射しながら近づいて来て、猿を追い払った。機関銃(音が出るだけのおもちゃ)まで用意しているとは、余程普段から猿に手を焼いているのだろう。
笠原浄水場を過ぎると落ち葉の積もる林道となり、Y字路は右へ。「観音山方面」との道標が朽ちて倒れている。石柱と石碑のある参道入口から杉林の中の山道となり、山腹をトラバースして登る。途中に石祠や馬頭観音の石碑数基、石像数体がある。小尾根を絡んでジグザグに登ると石段があり、その上に朱塗りの堂が見える。石段の下には異形の石像が二体、門番のように並ぶ。偏平足さんの「石仏739高畠山(群馬)」の記事によると、左が倶生神、右が閻魔王の石像だそうだ。
石段を登ると「観世音」の扁額の懸かる立派な堂が建つ。背後には駒形岩の岩壁が伸し掛かるように聳え、木立を透かしてその頂を高く見上げる。岩壁を巻いてあの頂に登ってみたい気もするが、巻いた所で凄い急斜面が待ち構えているに違いないので、止めておく。
参道を戻り、浄水場の下手で左に分岐する林道に入り、高畠山の山麓を横切る。ところどころで眺めが開け、駒形岩の大岩壁が遮るものなく間近に仰がれる。スッパリ断ち切れた、ほぼ垂直のツルツルな岩壁で、その迫力に感嘆する。
山麓を横切ると、たくみの里の野仏めぐりの野仏7番(大黒天)があり、舗装された車道に出る。左折して車道を登り、黒御影石の「薄倉林道之碑」の建つ分岐を右へ。未舗装の林道に入り、二つある橋の下流側の高平橋を渡る。枯れた草藪がポサポサと生える林道を辿り、山腹を下り気味にトラバースして行く。
こんなに下っていいのかな、と不安になる頃、少し登り返して林道は終点となる。そこから、微かな踏み跡を辿り、落ち葉に覆われた斜面をジグザグに登って、鋸山の稜線上に出る。群馬300山の略地図で峠と記された地点だ。まず、稜線を右へ僅かに進んだところの鋸山1峰(646m三角点)を訪ねる。頂上の直下には覆屋があり、中に壊れた木の祠がある。
峠へ戻り、次の鋸山2峰に向かうと、背丈を没する篠竹の藪に突っ込む。篠竹の間のけもの道を辿ると程なく藪を抜け、冬枯れの雑木林と落ち葉に覆われた歩き易い稜線となる。
登り着いた小ピークが鋸山2峰で、木立を透かして正面に3峰、右手には赤谷湖の湖面、左手には横向きの駒形岩を望む。鋸山3峰へは傾斜が増した細尾根を登る。4峰の先は小さなアップダウンが続く。右斜面の真下には相俣ダムのダムサイトが見えて来る。
やがて岩場が現れ、落石防止のワイヤーネットが張り巡らされている。右斜面は赤谷湖に切れ落ちて、万一滑落したら湖にダイブしそうだ。稜線上の傾斜も増し、ところどころでワイヤーネットを摑んで、岩場を急登する。
ワイヤーネットが終わってもしばらく岩場が続き、小ピークに登り着く。行く手に赤松に覆われた鋸山5峰が見え、眼下に赤谷湖の湖面が広がる。5峰への登りの途中、大岩を乗り越そうとしたところ、岩の左下に石像があることに気がつく。近寄って見ると不動明王像だ。群馬300山にもネットの山行記録にも記載されていないもので、この発見は嬉しい。
最後に赤松の生えた岩場を攀じ登ると鋸山5峰に着く。2基の石祠があり、その内の一つに「明治廿三年七月吉祥日 笠原氏子中」の銘があるのは群馬300山に記載の通り。ここまでの鋸山の縦走は予期していなかったスリルがあり、頂上に着いてホッとした。石祠の前には小平地があり、須川平を見下ろして眺めも良いので、腰を下ろして一休みする。
この先は赤松の多い痩せ尾根が続く。右側は切れ落ちているが、尾根上の傾斜は緩むからスリルはそんなにない。途中、右側に突き出した岩場があり、岩頭から赤谷湖を俯瞰し、猿ヶ京温泉や吾妻耶山、冠雪した谷川連峰が一望できる。登り着いた6峰にはダム管理用の反射板があり、東面に眺めが開ける。反射板脇の標柱には「観音山」の文字があり、このピークはそう呼ばれているのだろうか。
ところどころで開ける赤谷湖と谷川連峰の眺めを楽しみながら、細尾根を小さく上下して辿る。鋸山7峰はいつの間にか過ぎ、石標のある8峰に登り着く。石標には3面にそれぞれ「字初越」「乙壹」「字高ハタ」と刻まれている(壹は壱の旧字)。
ここで左折し、初越峠への尾根を急降下する。冬枯れの雑木林で藪はない。行く手には高畠山が高く聳える。あの山の手前の尾根を登る訳だが、見るからに急だ。小さな瘤から左に下って、幅広の未舗装林道が通る初越峠に着く。
峠からは、まず、すぐ上に見えている送電鉄塔に登る。ここは藪が酷い。イバラに引っ搔かれないように枯れススキを搔き分けて、鉄塔下の切り開きに出る。北西に延びる送電線の先には、唐沢山や仙ノ倉山辺りの谷川連峰が眺められる。
もう一度、枯れ草藪を漕いで雑木林に入ると藪はなくなるが、強烈に急な斜面の登りとなる。幸い、地面は適度に柔らかくて、足場はそう悪くはない。グングン高度を上げる。振り返ると、もう鋸山の高さを超えている。
ようやく傾斜が緩むと痩せ尾根となり、小さな瘤を越すと岩稜が現れる。登るのは難しくないが、両側は切れ落ちて高度感があり、なかなか緊張する。さらに岩場を交えた急傾斜の痩せ尾根が続き、気が抜けない。
最後はトラロープのかかる急斜面となる。丈夫なロープには見えないので、なるべく頼りたくないのだが、頼らざるを得ないほど急。息を切らして頂上の平坦な肩に這いあがり、ようやく一安心する。登って来たルートを見下ろすと、崖に近い斜面にロープが垂れ下がっていて、降りられる気がしない。
広く緩い稜線を登り、杉林に覆われて平坦な高畠山頂上に着く。須川平に面した東側は雑木林の急斜面となっている。雑木林と杉林の境界に三角点標石がある。山名標識の類は珍しいことに見当たらない。雑木林の一部が伐採されて、駒形岩や泉山、須川平を俯瞰できるが、木が育っているので、そのうち眺めは得られなくなるだろう。陽だまりに腰を下ろして昼食にし、鍋焼きうどんを食べる。
腹が満ちたところで、次の泉山に向かおう。まず、頂上から南面の高畠牧場に向かって下る。特に道型はなく、枯れ葉の積もる雑木林の急斜面をけもの道を利用して適当に下ると、広大な牧場の上端に出る。牧場の周囲には防獣ネットが厳重に張り巡らされ、私も獣とおなじく牧場内には侵入できないので、ネット沿いに下らざるを得ない。
やがて防獣ネットの近くは藪が煩くなってきたので、藪が薄そうな左寄りに進んで、浅く広い窪に入る。落ち葉の緩斜面が広がり、足任せに下れて快適、楽しい。そのまま下って行くと谷に降り始めたので、右寄りに進路を修正すると深い掘り割り状の道型に出る。
道型を左に辿るとすぐに尾根に乗り、錆びた鉄パイプだけになった看板が立つ。してみると、ここが群馬300山に記載されていた硯水だろう。左側は小さな窪となっているが、冬枯れなのか流水は(確認していないが)なさそうだ。
この道型は、最近歩かれている様子はないものの明瞭で、盛り土された個所もあり、かつては要路であったことが窺える。なだらかで広い稜線を下り気味に進むと、左に折れて下り始めるので、ここで道型と分かれ、稜線を直進する。
稜線上に道型はないが藪はなく、容易に歩ける。最後に短い急坂を登ると泉山(836m標高点)に着く。頂上は狭く、山名標識等はない。また、木の間から駒形岩と高畠山が見える程度で展望もあまりなく、地味な頂だ。
泉山の東峰(828m三角点)との鞍部に下ると、右から上がって来た作業道に出る。この作業道を辿るとすぐに終点となり、少し登って三角点標石のある頂上に着く。泉山より8m低いが、少し広い頂なので、こちらの方が落ち着ける。小休止したのち、泰寧寺へ向かって北東の尾根を下る。この尾根も大概急だ。
途中の小さな瘤の先は左の尾根へ。杉林に入ると傾斜が緩み、竹藪を避けつつ適当に下ると泰寧寺本堂の南側に着く。由緒書きによると、泰寧寺は鎌倉末期1309年の建立で、本堂は江戸後期1795年に再建されたものとのこと。また、寺を復興開山した月夜野の三峰山玉泉寺の和尚に因み、山号を泉峰山と称している。泉山の山名は、この山号が由来だろう。
本堂から石段を下って立派な山門(1775年竣工)を潜り、紅葉に縁取られた池を渡って駐車場に戻る。泰寧寺は雰囲気の良い古刹なので、訪れる観光客もチラホラいた。
今回の三山の周回は低山と思えない険しい所もあり、変化もあって、とても楽しめた。帰りは奥平♨遊神館に日帰り入浴で立ち寄る。今日はまだ厳冬ではないものの、一段と寒かった。湯船にゆっくり浸かって良く温まったのち、帰途についた。