唐沢山〜三国山
桐生を深夜3時半頃、車で出発。関越道を月夜野ICで降り、R17を三国峠方面へ。猿ヶ京温泉まんてん星の湯の第一駐車場に車を置く。この駐車場は本館から道路を挟んで隔たったところにあるので、長時間駐車しても迷惑にならないだろう。時刻は5時を少し回ったところ。夜明け前に加えて曇天で、外はまだ真っ暗。温泉情緒を醸し出す為に街路に飾り付けられた提灯の列が、橙色の光を茫と放つ。
今日は『群馬300山』の「峠越えの昔を偲ぶ森の道 − 三国峠から唐沢山」の逆コースをとり、ここから唐沢山、三国峠を経て三国山に登り、法師温泉に下って、みなかみ町営バス(法師線)で戻ってくる予定。法師温泉を午後に発つバスの時刻は15:10と最終の15:55なので、余裕をみて15:10に間に合うように逆算したら、こんな未明の出発となった。
猿ヶ京温泉から北に向かい、人家が途絶えて薄暗い山林の中の車道を歩くと、草原が広がる緩斜面に出る。日の出の時刻を過ぎ、相変わらずどんよりと曇ってはいるが、空が少し明るくなった。「大田和花の山」の標識があり、広い駐車場やWCもある。かつての猿ヶ京スキー場の跡地で、通称「うだっぱら」といい、牧場跡地でもあるらしい。
車道の舗装が尽きた所に「←三国峠11.0km 猿ヶ京温泉0.5km↓」の道標がある。猿ヶ京温泉へ0.5kmは近過ぎだろと思うが、それはまあいいや(実際は1.5km)。ここから草原の中の幅広い歩道を緩く登る。行く手には山があるはずだが、霧に覆われて見えない。カラスの寝ぐらがあるらしく、カアカアと鳴き声が谺する。こちらの気配に気づいて一斉に飛び立ったらしく、鳴き声を追って上を見たら、物凄い数が猿ヶ京の方へ飛んで行った。
やがてススキ原の刈り払い道に入る。穂の出た丈の高いススキの間を歩いていると、草藪の中を重量物が動くようなガサガサという音がする。手を叩いたり、ヤッホーを叫んでも立ち去る様子がない。高原情緒を楽しむ余裕は霧散し、真剣にビビる。しかし、正体不明の物から逃げるという選択肢は、それこそ「幽霊の正体見たり枯れ尾花」かも知れないので、無しだ。用心して進むと音は聞こえなくなり、草藪を抜けてある程度見通しのある樹林帯に入り、ようやく緊張が解ける。
山腹をジグザグに登り、雑木林に覆われた尾根を急登する。地面にはドングリがたくさん落ちている。「↓猿ヶ京1.5km 三国峠9.0km →」の道標(距離合計が前と違う^^;)で右折し、送電鉄塔を過ぎると、程なく上ノ山(うえのやま)頂上に着く。主三角点標石とGさん山名標識、古い山名標識がある。樹林と霧に覆われて展望は全くなし。まあ、今日の山歩きでは、初手から天気と展望には期待していない。
上ノ山頂上から短い急坂を下ると、広く平坦な尾根の道となる。「↓猿ヶ京2.5km 三国峠8.0km →」の道標(後日、GPS軌跡で調べると、猿ヶ京〜三国峠間は約12kmだった)があり、左から登って来た幅の広い山道に合流する。山道を右に辿ると、左山腹をトラバースする道がずっと続く。平坦で楽だ。三国峠へ7.0kmの道標をすぎる。1km毎に道標があり、進み具合の良い目安になる。
大きくジグザグを切って登り始めると三国峠へ6.0kmの道標があり、右山腹を斜めに上がって、唐沢山北西の稜線上に登り着く。
ここから唐沢山に往復する。稜線上の微かな踏み跡を辿り、シャクナゲの林を抜けると唐沢山頂上に登り着く。達筆山名標が三角点標石の脇に落ちている。頂上は樹林が繁茂して狭く、のんびり休憩できるスペースはない。早々に山頂を辞して戻る。
再び左山腹をトラバースする道となり、平坦なのでどんどん進んで、三国峠へ5.0kmの道標を過ぎる。色付き始めた広葉樹が徐々に多くなる。すると、唐突に平坦なトラバース道が終わり、左折して短いが滑り易い急坂を下る。
坂を下った所に樹林に囲まれた広場があり、旧三国街道と交差する十字路となる。左は永井宿、右は三国峠、直進はR17・法師温泉に下る道だ。十字路を中心に東屋と石造物、案内板が建ち並び、史跡スポットとなっている。以下に列挙して、現地案内等を要約する。
- 大般若理趣分供養塔(大般若塚)
- 正面に卍と「大般若」、他の三面に「理趣分」「一万𫝶」「供養塔」と刻まれた石塔。風雪等でこの峠に命を落とした人々の霊が妖怪となって旅人を嚇(おど)かしたので、三国権現神主の田村越後守に乞い願い、死者の冥福を祈って建てたとのこと。
- 戊辰戦争古戦場
- 慶応4年4月24日未明、会津軍130余名と、県内諸藩の兵からなる官軍1140名がこの地で交戦。会津軍は不意を突かれて三方から砲撃を受け、越後小出島(現在の魚沼市)に敗走したが、官軍にも6名の死傷者がでた。
- 吉田善吉政明之墓
- 官軍の戦死者、吉井藩人足百姓善吉の墓石。後に姓を与えられ、士分となった。泰平の世が続いた後の戦争で民間人が亡くなったのだから、当時の大事件になって丁重に葬られたのではないか、と想像を巡らせる。
ここから旧三国街道を辿って三国峠に向かう。往時の主要な街道らしく、アップダウンが少なく、幅広い山道が続く。
右側に笹原が刈り払われた斜面があり、何かと思って見れば墓石や石仏が建ち並び、山中に突然現れた墓地に驚く。安永や嘉永など、江戸時代の年号の銘がある。すぐ先に「三坂の茶屋跡」の案内板がある。田村越後守が茶屋を営んでいたところで、当時は三国権現の賽銭を毎日馬で運んだ程、往来で賑わったが、戊辰戦争で焼失したとのこと。
沢(昌子清水)を渡ると左にR17・法師温泉への道を分ける分岐点で、WC付き東屋が建つ。三国峠まであと1.8kmだ。
緩く幅広い道を進むと、「長岡藩士なだれ遭難の墓」がある。元文5年2月5日、江戸で捕えた犯人を唐丸籠に入れて長岡に護送中の長岡藩士8名が表層雪崩で遭難死し、犯人と人足4人は助かったとのこと。厳冬期に峠を越えようとしたことに驚く。背後の斜面は緩やかなブナ林で、斜面に積雪があれば雪崩は起こり得るとは言っても、ここで雪崩が起きたとはちょっと考えにくい。後日調べると、やはりここではなく、500m先で三国峠手前の「てうすヶ谷」が遭難現場だそうだ(厳冬、三国峠での長岡藩士遭難実録)。
このすぐ先で馬頭観音を見ると、道の様相は一変して、三国山南面の険しい山腹を斜めに下る細い山道となる。ここは街道の難所だ。豊富に水が流れる沢を渡り、谷間から見上げると山腹の紅葉やブナの黄葉が広がり始めた青空に映える。今日は青空は期待していなかったから、この眺めは嬉しい。
三国峠の方を眺めやれば、樹林の間から上越国境稜線の長倉山(1439m)が見える。紅葉が始まっているようだ。三国峠への緩い登りに転じ、左にR17上越橋に下る山道を分ける。切り返して短い坂を登り、すっかり晴れた三国峠に到着する。
三国峠に来るのは、稲包山から縦走して訪れたとき以来だ。その時、倒れていた石灯籠は元通りになっている。立派な石鳥居と御阪三社神社の社殿兼避難小屋が、色付き始めた三国山を背にして建つ。峠下のR17から登ってきた多くのハイカーさんが休憩中だ。三国山を見上げると、そこにも登っているハイカーさんが見える。
神社に入ると由来が記された額が掲げられている。弥彦神社(越後一の宮)、赤城神社(上州一の宮)、諏訪神社(信州一の宮)の大神を祭神とすることから、三国権現と呼ばれているそうだ。三国境でもないのに三国の名があるのは、そういう訳なのか。今更ながら知って納得(^^;)
ベンチに腰掛けて水を飲んだりして一休みしたのち、三国山に向かう。広い斜面を木道階段で登って行く。周囲の眺めが開け、群馬県側には山腹を横切るR17や谷間に佇む法師温泉の建屋を見下ろす。振り返れば、長倉山から稲包山にかけての稜線と、その向こう遥かに上ノ倉山を眺める。
中腹の笹原で緩んだ傾斜は、頂上に向かって再度急登となる。ツツジの紅葉が鮮やかだ。左に平標山への巻道を分け、木道階段を一直線に登って頂上稜線に着く。右に僅かに進んだところが、三角点標石のある三国山頂上だ。
頂上は小平地となり、南側が開けて眺めが良い。しかし、朝食が早かったせいで腹ペコなので、まずは昼食だ。レトルトパウチのサンマ味噌煮を肴にDRY ZEROを飲み、カップ麺の鴨だしそばを食べる。
腹を満たして、さて、じっくり展望をカメラに収めようと思ったら、いつの間にか上ノ倉山の頂稜は雲の中だ。さっき見えていた時に撮っておいて良かった。紅葉の樹林越しに猿ヶ京へ延びる尾根や赤谷湖の一部が俯瞰できる。猿ヶ京遠いな、ここまでよく歩いた。
下山は三国峠へ戻り、峠下の分岐から笹とブナに覆われた谷間を降りて、上越橋の袂=三国トンネル口に下り着く。上越橋には歩道がなく、トンネルからビュンビュン車が走って来て、ちょっと怖い。橋を渡ると対向車線側に駐車スペースがあり、ハイカーさんの車が5,6台ある。
R17を少し下ると、道路脇にクロソイド曲線記念碑なるものがある。道路の直線部(曲率ゼロ)と曲線部(曲率一定)の間に、緩和区間としてクロソイド曲線(曲率が弧長に比例する曲線)を1959年に日本で初めてR17で採用した記念碑とのこと。これにより、カーブを曲がるときに一定角速度でハンドルを切れば良くなる。これは運転豆知識ですな。
記念碑の先で法師温泉へ下る山道が右に分岐する。これに入ると、木の階段道を急降下して、送電鉄塔の脇を降りる。見上げると三国トンネル口とその上の三国山が眺められる。
山道は法師ノ沢の深い谷の左岸山腹を斜めに下る。ところどころで送電鉄塔への道が分岐する。急斜面をジグザグに下り、大きな支流を木橋で渡る。橋板は老朽化して苔に覆われ、当面は大丈夫でも寿命はそう長くない感じ。
谷に落ち込む急斜面をトラバースすると、まず草藪に覆われた崩壊地の横断となる。お気楽なハイキング道が続くと予想していたが、これは意外と大変だ。先行きを危惧していると、折良く下から登って来たハイカーさんと交差する。悪路はこの区間だけで、その先は良い道だそうだ。あちらも道を心配していたが、情報を交換して安堵していた 。
しばらく崩壊したトラバース道が続く。この辺りの渓谷はかなり険しい。しかし、そのうちに情報通り良い道となり、本流の法師ノ沢を右岸へ、すぐに左岸へ木橋で渡る。
谷は開けて緩やかな道となり、のんびり下る。丸木橋で本流を渡ると作業道に出、振り返るとなかなか高く立派に三国山が仰がれる。ここまで来れば、法師温泉はもう近い。
散策路として手入れされている法師温泉裏手の園地を通りぬけ、13:55に法師温泉長寿館に着く。ここは山奥のレトロな一軒屋の秘湯で、人気が高い。明日は平日だというのに、宿泊客(日帰り入浴は13:30までで、もう過ぎている)が三々五々到着して、人気の高さが窺える。私も泊まりたいなあ。まあ、今回は指を咥えて、バス停でバスを待つだけである。
7名程の温泉帰りの客と共に、15:10のバスに乗車。他の乗客は乗り換えのため猿ヶ京バス停で、私は終点のまんてん星の湯で下車する。早速、温泉へゴー。三連休の最終日だからか、そんなには混んでない。ゆったり湯船に浸かって温まったのち、桐生への帰途についた。