嘉多山公園〜宇津野洞窟〜長坂山
先週末、アド山に登ったとき、頂上から東方の石灰石鉱山を眺めて、その中にポッコリと円頂を擡げる432m三角点峰(点名:天狗岩)に目がとまった。この山は安蘇山塊のあちこちからもその特徴的な山容が眺められ、前から気になっていた山である。この山についてネットで検索すると、 栃木の三角点を網羅している山部さんのサイト(2019-05-19追記:リンク切れ)の天狗岩の項が見つかり、地元の呼称はタカバタ山であることを知る。しかし、登頂の詳細は不明だ。
432m三角点峰の北面は稼働中の採掘場で、頂上近くまで切り崩された崖となっているが、南面は未採掘で山林が残っており、そちらからならば登れそうに思える。当然、一般登山道はないが、問題はそこではなく、鉱山内にあるので入山できるのかどうか、にある。
不明な点はあるが、それもまた面白い。とにかく行ってみよう。432m三角点峰だけなら短い行程と思われるので、嘉多山(かたやま)公園を起点とし、宇津野洞窟、432m三角点峰、佐野・栃木市境尾根を南下して会沢(あいさわ)峠、長坂山を周回するルートを考える。このルートはその筋の方の足跡と未知の区間の繫ぎ合わせで、ななころびさんの嘉多山公園〜アド山、しぼれさんの高富士山〜長坂山、等の記事を参考にさせて頂いた。
今回は始発バスの利用はないので朝はゆっくりして、8時に桐生を車で出発。R293を走って葛生市街に入り、嘉多山トンネルを出てすぐ左折、高台にある嘉多山公園の駐車場に車を置く。欅の大木とよく整備された芝生が綺麗な公園だ。今日は快晴で風も穏やか。朝の爽やかな空気の中、大勢のお年寄りが園内の散歩を楽しんでいる。案内看板を見ると、園内にはいろいろ見所があるようだ。せっかくの機会なので、幾つか見て行こう。
最初は公園の東端にある浅間神社。広い境内は高台にあるので、住友大阪セメントや吉澤石灰工業の工場が、水蒸気を濛々と上げて間近に眺められる。境内に建つ「移転建築記念碑」によると、当神社の創建は別の地。石灰石の埋蔵が判明して、採掘権を石灰工業関係者に移譲し、経済的には恵まれたが、工場からの粉塵の飛来が激しく、昭和43年に移転して来たとのこと。現在はどの企業も環境への配慮が求められているが、当時は大気汚染が社会問題となっていた頃で、被害も深刻だったのだろう。
公園の中心部には大きな石灰岩が露出して立ち並び、その上に「吉澤石灰工業発祥の地」の石碑が建つ。石灰石の採掘跡地を整備して公園を造ったそうである。
公園の西端には山神社がある。立派な木の鳥居を潜ると、玉砂利の境内の奥に木の祠が祀られている。こちらにも「遷宮の碑」があり、それによると、創建の地から昭和10年に長坂山の山腹に遷座されたが、参道が急坂で参拝が困難になったため、昭和61年にこの地に遷宮されたとのこと。山行前に読んだ『葛生の石仏』(昭和52年刊)には、山神社について次のような一文がある。
近年この山神祭を石灰業者間で統一して催し町の名物祭にしようという申し合わせがまとまり、長坂山腹に氷室山神社より神霊を分祀して山神社を設立し、五月七日を大祭と定めて、業界こぞって休山として盛大な祭典と催しを年々行うようになった。
この記述を読んで、今日のルートは最後に長坂山腹の山神社に立ち寄る計画にしていたが、件の神社は実は今ここにあるということらしい。なお、後日調べると、山神祭は「くずうフェスタ」へと名称を変え、現在も毎年5月上旬に開催されているそうである。
再び公園の中心部に戻って原人ステージの前を通り、石段をジグザグに登って展望台に上がる。嘉多山公園や葛生市街を俯瞰し、諏訪岳から唐沢山にかけての低い山並みを望み、(写真ではわからないが肉眼では)冠雪した浅間山を遠望する。
展望台からさらに尾根上の石段を緩く登り、木の鳥居を潜ると、檜林に囲まれてこじんまりとした社殿が建つ。扁額には「嘉多山稲荷大明神」とある。
社殿の裏手にもずっと歩道が続き、「山神」の石碑と「葛生生活環境保全林」の看板がある。左斜面の一帯が自然公園として整備されているようである。
短い急坂を上ると左に眺めが開け、新しいベンチが設置されて、道端に228m三角点(点名:片山)の標石がある。この先の尾根もよく整備された遊歩道がしばらく続く。行く手に送電鉄塔を見ると、左に下る遊歩道と別れて、尾根上の細い山道に入る。
鞍部に建つ送電鉄塔を過ぎ、270m圏ピークへの急登に取り付く。こんなところも庚申塔があり、かつては鞍部を越える行き来があったのだろう。270m圏ピークからは主に杉植林の中の地味な尾根歩きとなり、小さくアップダウンする。アド山の林道(小室正雲寺線)の手前で、東に折れて宇津野洞窟に通じる尾根を下る。電柱が建ち、その側に石碑があると思ったら、「会沢地区テレビアンテナ竣工記念」碑だった。昭和46年竣工とのこと。
雑木林の尾根となり、小さな尾根の分岐が続く。短い急坂を下ると、木の間を透かして石灰石鉱山が近い。平坦な尾根となり杉植林を抜けると展望台がある。展望台の階段の鉄板は錆びて穴が開き、老朽化している。展望台に上ると、タカバタ山のお椀を伏せたような山容と、周囲に広がる石灰石鉱山を大迫力で望む。気のせいか、空気が微かに硫黄臭い。
展望台から二手に遊歩道が分かれ、どちらを下ってもすぐに宇津野洞窟に着く。洞窟前の広場には東屋や水飲み場がある。洞窟はごく小規模のもので、すぐに奥に突き当たるが、それなりに鍾乳洞。狭くて天井が低いので、頭をぶつけないように注意(ぶつけた^^;)。
洞窟から石段を下って、山麓の埃っぽい車道に出る。散歩中のおばあさんから「今日は暖かいですね」と声を掛けられて立ち話。あの山はなんと呼ぶかとお尋ねすると、やはりタカバタ山であった。ただし漢字は判らない。子供の頃に登ったことがあるそうである。
車道を下って、会沢地区コミュニティセンターに立ち寄る。旧校舎を改装した建屋に入ると管理人がいらして、いろいろ話を伺う。タカバタ山の漢字表記はやはり不明。登ってみたいと言うと、鉱山内で道がなく、難しい。入口に鉱山の事務所があるので、そこで許可を得た方が良い。ただし、事務所は土日は休み。発破の時間は鉱山によって決まっており、その時間帯に部外者が入り込んで行先不明だと大騒ぎになる(実際にあったらしい)等のアドバイスを頂く。今日は登れなさそうだが、取り敢えず行ってみよう。
大型ダンプが往来し、白い粉塵を被った車道を歩いてタカバタ山に向かう。山麓の少し手前に「この先、鉱山内への立入を禁止します。※立入は鉱業所事務所の許可を得て、係員の指示に従って下さい。」と書いた看板がある。やっぱりダメかー。すぐ手前にある事務所にも立ち寄ってみるが、やはり施錠されていた。今日の登頂は残念ながら断念する。
タカバタ山を経由して佐野・栃木市境尾根に出るつもりだったので、代替案として、立入禁止区域を通らず直接に市境尾根に上がることにする。車道を戻ってすぐ、民家の脇に山道の入口を発見して、入ってみる。入口には、芝に囲まれた石灰岩の上に、タカバタ山を背にして一体の青面金剛像が建つ。一面六臂で左手にショケラを下げ、台座に彫り込まれた天邪鬼を踏みつけ、その下に三猿がいる。これは立派な尊像である。タカバタ山に登れなくてがっかりしていたが、良い物が見られて、何が幸いするかわからない。
すぐ先には3基の新しい石祠もあり、側を通って杉林に入る。山道はやがて途絶えて、篠竹が繁る尾根の登りとなる。冬枯れの雑木林となり、左手に木立を透かしてタカバタ山を見ながら登ると市境尾根の上に出る。市境尾根上には意外と良い山道が通じている。会沢峠、長坂山方面は右(南東)だが、せっかくの機会なので左(北)に市境尾根を辿り、地形図に峠道が記載されている地点辺りまで往復してみよう。
良い山道はユルユルと上下する尾根上にずっと続き、ポサポサと篠竹藪のある区間にもはっきりとした道型がある。しかし、展望も変化も乏しい尾根で、こんな所を歩く人はいないよなー、などと若干マイナーな気分で歩いていると、なんと2人組の男性ハイカーさんにぱったり行き会う。こんな超地味尾根で山歩きの人に会うと予期していなかったのはお互い様のようで、双方びっくりして挨拶を交わす。ずっと南から尾根を辿り、この先の切り通しまで行って引き返して来たそうだ。これはその筋の方々に違いないな(後日、ブログに記事がアップされて、みつまんさんのご一行であることがわかる)。
お二人と別れ、深い切り通しに着く。地形図で峠道の通る地点だ。両側ともはっきりした峠道が残る。ここで遅い昼食とし、陽だまりに腰を下ろして缶ビールを飲み、レトルトパウチの鯖味噌煮とラーメンを食べる。今日は暖かいので、ビールが美味い。
ここで引き返して、市境尾根を南下する。良い山道が続く尾根を辿ると、突然行く手が開けて、大規模な砕石場の掘削された崖の上に出る。市境尾根から東に外れて、327m標高点に来てしまった。これは大失敗だが、これから向かう会沢峠から390m標高点(大きな電波塔が建つ)、長坂山にかけての稜線を眺めることができたから、ま、いいか。
少し戻って、市境尾根を会沢峠に向かって下る。山道を辿り、尾根の右側をトラバースして会沢峠に着く。かつてはR293が通る主要な峠で、広い道幅や深い切り通しにその片鱗を残すが、土砂が崩壊し、太い倒木が折り重なって、ここまで凄い廃道っぷりはなかなか見ない。後日調べると、峠下に会沢トンネルが開通したのは1968年なので、供用されなくなってほぼ半世紀が経過している。旧峠の下には大型ダンプが行き交う現国道が見える。
切り通しの法面が高くて登り難いので、旧道を右(西)にしばらく辿り、小尾根の踏み跡を登って市境尾根に復帰する。市境尾根上には相変わらず良い山道が通じ、「栃木市寺尾財産区」の標柱がずっと道脇に並ぶ。左側は採石場となり、尾根上にも地割れが見られる。384m標高点へは急坂となり、結構疲れるが、登り着けば後は緩やか尾根が続く。
やがてモノラックが現れ、並行して尾根を辿る。巨大な電波塔が現れると、左(東)側に関東平野の眺めが開け、双耳峰の筑波山から加波山にかけて薄紫に霞む山影を遠望する。
390m標高点を過ぎ、ほぼ平坦な尾根道を進む。そろそろ陽が傾いて来たが、日没まで2時間あるから大丈夫だろう。再び電波塔が現れると、今度は右(西)側の眺めが開けて、葛生周辺の石灰石鉱山やタカバタ山、アド山、戸叶山、大鳥屋山など安蘇山塊の山々、遠く日光連山や袈裟丸山、赤城山を一望する。安蘇山塊の谷はどれも北西から南東に向かってほぼ真っ直ぐに流れ、山並みもそれに並行する。ここからの展望は山と谷の並行線を少し斜めに見ることになり、安蘇山塊の地勢の特徴が良くわかる。
電波塔のある頂が長坂山の山頂で、奥の電波中継所を囲む金網フェンス際に三角点標石と「長坂山389.3m」の山名標がある。
金網フェンスの間を抜けて、市境尾根を進むと送電鉄塔が建つ小平地(352m標高点)に出る。市境尾根上にはさらに山道が続いているが、今日はここから西へ枝尾根を下る。深く抉れた掘割道がずっと通じて、往時は繁く往来があったことを示す。しかし、掘割の中は落ち葉や倒木で埋まり、完全に廃道化して歩き難い。掘割道の脇を進むが、低木藪の小枝が煩わしい。今日、一番でほとんど唯一の藪漕ぎとなる。
杉林に入ると多少歩き易くなり、やがて作業道と合流するが、今度は篠竹藪に突入。尾根は左に曲がり、作業道の跡に出る。この辺りは住友大阪セメントの工場の裏山にあたり、木の間を透かして工場を間近に見おろす。
杉林の中を下ると、篠竹藪の中にブロック造の小屋がある。こりゃなんだと思って周囲を見回すと、倒木が覆い被さった石垣の台座を発見。これが山神社の跡地だろうか。嘉多山公園に遷宮したのが31年前だから、こんなに荒廃するのももっともなことではある。
さらに藪を下ると、葛生町上水道配水場があり、そこから良い山道となって山麓に下り着く。右手の山斜面に2基の青面金剛があり、無事下れたことを感謝して手を合わせる。
あとは葛生の市街地を抜けて嘉多山公園に向かう。東武会沢線の軌道跡を横切り、右手にセメント工場のプラント群を見る。水蒸気が上がっていないから、今日はもう終業か。葛生の大通りに出て北へ。最後に原人ロードという石灰岩を配した歩道があり、嘉多山公園に到着。石段を登って駐車場に戻った。
今日は葛生の裏山と言える山々を周回し、地味でマニアックな山歩きとなったが、物見遊山的見所や意外な出会いもあり、なかなか楽しめた。タカバタ山はいつか登りたいが、難しいかなあ。帰りは佐野やすらぎの湯に立ち寄り、ゆっくり温まったのち、桐生への帰途についた。