有戸山〜唐沢山〜大鳥屋山〜愛宕山
先週、閑馬岩峰群を歩いたとき、旗川を隔てて大鳥屋山に連なる山並みを眺めて、次はあちらの山々を歩いてみようと思った。田沼町史によると、この(旗川と秋山川に挟まれた)山系には秋山(807m)、愛宕山、大鳥屋山、唐沢山があると書かれている。
秋山は地形図に山名の記載がなく、代わりに東蓬萊山の山名で知られている。また、大鳥屋山は栃木百名山に選定されている。この2座は登ったことがある。
未踏の愛宕山と唐沢山についてネットで調べると、先達の山行記録が多数あり、唐沢山の峰続きに石尊山、浅間山(せんげんやま)、有戸山(ありんどさん)があることを知る(参考URL:栃木の山紀行さんの「唐沢山〜不動岳」、しぼれさんの「有戸山」の記事。2019-12-14追記:いずれもリンク切れ)。有戸山から唐沢山、大鳥屋山を経由して愛宕山まで歩き通すと丸一日行程のコースとなり、歩き応えがあって面白そう。という訳で、3週連続で安蘇山塊の山歩きに出かけてきました。
桐生を車で未明の5:30頃に出発。老越路峠と近沢峠を越え、蓬山ログビレッジに6:15頃に着く。ログビレッジの駐車場は早朝は閉鎖されているので、少し手前の県道の路側スペースに車を置く。蓬山ログビレッジバス停6:55発の「さーのって号」に乗車。さーのって号は早朝に始発の便があるので、山歩きにも大変使い勝手が良い。
御神楽バス停で下車。集落を通り抜け、水が枯れた旗川を渡ると、右に御神楽農村公園(駐車場、WC有)と宇都宮神社があり、その背後にこれから登る尾根末端のピークがこんもりと盛り上がっている。宇都宮神社は参道石段が旗川に面しているのが珍しい。岩根の上の木組みの台座に鎮座する拝殿も古色蒼然とした佇まいがあって立派なものである。
神社裏手の車道の適当な所から、尾根末端に取り付く(最初、中妻集落から有戸山への参道を辿ろうとしたが、出入り口のない防獣フェンスに阻まれて断念)。けもの道を辿って急斜面をジグザグに登り、尾根末端の標高180m圏のピークに着くと3基の石祠がある。胴体部は比較的新しいが屋根は古く、再建されたもののようだ。
注連縄代わり?の紐を潜って尾根道を東に向かう。少し下ったところの鞍部で、左から登ってきた踏み跡(これが多分、中妻からの参道)を合わせる。杉林を抜けて雑木林の尾根を登ると、有戸山の頂上に着く。
山頂の小広い平地には石祠があり、石灯籠や石柱が倒れて散乱している。石灯籠には「奉納山神宮 願主 葛生町 内田甚右ヱ門」と嘉永の年号、石祠には「明治廿四(1891)年五月再建」、石柱には「奉献根本山 氏子中」の文字が見える。樹林に囲まれて展望に乏しいが、木の間から石尊山と浅間山の鋭峰が並んで眺められる。田沼町史の「有戸山の根本山神社」の記事によると、山荒れや農作物の災害を防ぐ神として、上岡と中妻の両字で祭りをしていたとのことである。
有戸山から、樹林中に篠竹がポサポサと生えた尾根を緩やかに辿ると、古越路峠からの尾根が合流する380m圏峰の山頂に着く。「嘉永二酉(1849)年三月吉日 世話人 立川忠蔵 石川紋蔵 落合沢右ヱ門」と彫られた石祠1基がある。この石祠は台座と胴体の向きが合っていない気がする。3.11で倒れて、立て直したときに間違えたのかも(後日、2009年の写真を見つけて較べると、やはり胴体の向きが逆だ)。
杉植林の緩やかな尾根を辿ると、378m三角点峰の頂上に着く。三角点標石(点名:不動入)とR.K氏の標高プレートの他には何もない。展望も木立を透かして、東麓の秋山川沿いの集落が見えるくらいである。
次の不動岳との鞍部には峠道らしい微かな道型がある。不動岳の頂上は灌木と篠竹の薄い藪に覆われ、平坦で山頂らしくない。参考URL(前掲)を読むと、昔は五つも山名標があったようだが、現在は赤テープがあるだけ。うっかり気づかず通り過ぎるところだった。地形図に山名が掲載されている割に、随分と地味な頂である。
不動岳から緑陰が多い鞍部に緩く下る。鞍部付近に、たそがれさんの記事以降、どういう訳かネットの山行記録で定点観測されている立ち木を通る(^^)。後日調べると、褐色腐朽菌にやられるとリグニンが残留してこんな色になるそうである。
石尊山への登りに転じると、露岩の多い急坂となる。途中、南麓を見おろす岩場がある。小さな岩場を越え、急登をこなすと石尊山頂上に着く。
頂上は樹林に囲まれているが小広く、常緑樹の下に3基の石祠がある。左右の石祠は胴体部が潰れている。銘は確認できなかったが、石尊・大天狗・小天狗の三社だろう。
石尊山から北東の枝尾根上の浅間山を往復する。頂上から急坂を下り、しばらく平坦な尾根を辿る。途中、大鳥屋山に向かって4つのピークを連ねる稜線が眺められる。
短い急坂を上ると、朱塗りの覆屋が建つ浅間山頂上に着く。覆屋の中には木の社があり、神酒や榊が供えられて、良く手入れされている様子が伺える。覆屋を囲んで外向きに7つの石祠が建つ。神さびた雰囲気のある頂である。
石尊山に戻り、大鳥屋山に向かう。石尊山から急坂を下ると露岩の多い細尾根となり、458m標高点の登りにかかる。雑木林の間から、先週歩いた金原山や閑馬岩峰群、遠くに真っ白な富士山を望む。
458m標高点付近は小さいが急な登り降りが多く、どこが主峰か判らず通過。杉林に覆われた広い尾根を登ると、左右に平坦な尾根を延ばす468m標高点の頂上に着く。頂上から先のルートが分かりにくいが、斜め右前の杉林を下ると、すぐに明瞭な尾根筋が現れる。
左が杉林、右が雑木林の尾根を辿り、小ピークをいくつか越えると唐沢山の頂上に登り着く。頂上は狭く、三角点標石がぽつねんとあるだけで、ここも山名標の類は何もない。しかし、東西の斜面は急で、木立を透かして山麓の集落を見おろす。不動岳と比べれば遥かに山頂らしい山頂だ。
唐沢山から下ると左側が伐採斜面となり、行く手に576m標高点が眺められる。急坂を登って576m標高点に着くと、「榛名山」と刻まれた石祠がある。なので、このピークを榛名山としている山行記録が多い。以前は榛名山の山名標もあったようだ。
576m標高点から少し下ると、岩屑が散乱し、左斜面が若い植林帯で開けた稜線に出る。眺めが良いし、陽だまりもあるので、ここで昼食とする。今日は久しぶりに鍋焼きうどん。そう寒くないと予想して、缶ビールと鯖味噌煮レトルトパウチも持ってきた。先週歩いた三床山から閑馬岩峰群にかけての山並みをずいーっと眺めながらビールを飲む。
ここは右斜面も急崖で、大鳥屋山や遠くに冠雪した男体山と女峰山も眺められる。まったりしていると、山麓から正午の時報が聞こえてきた。腹も満ちたし、出発するとしよう。
大鳥屋山との鞍部へは土が湿って滑り易い急坂となり、注意して下る。大鳥屋山の西麓を大きく切り崩している石灰採掘場は土曜日も操業中のようで、重機の動く音が響いてくる。白岩柿平林道の深い切り通しの上に出て左に下り、舗装された立派な道に降り立つ。
林道を少し西に辿り、法面の階段から山道に入る。若い杉植林帯の中は枯れススキ藪が酷い。斜面をトラバースして一回切り返し、尾根上に出ると石仏と石塔がある。石仏は宝珠を持った地蔵菩薩だろうか。木漏れ日を浴びて穏やかな笑みを湛えておられる。石塔には、一部欠けているが「奉加造立 天明乙巳(1785)年七月吉日」の銘がある。
ここからもしばらく酷い枯れススキ藪を搔き分けての登りが続くが、杉林に入ると藪は消える。道型が現れ、雑木林の尾根を快適に登る。再び杉林に入り、急坂を登って大鳥屋山の東の尾根上に出る。ネット情報によると、東に少し登ったピークに石祠があるそうだが、割愛。鬱蒼とした杉林に覆われた尾根を登り上げると大鳥屋山の頂上に着く。平坦な笹原の中に一等三角点標石と石祠、御嶽大神の石碑がある。
大鳥屋山から岳ノ山までは、既に歩いたことのある一般的な登山道だ。大鳥屋山から杉林の中を急降下。前沢への下山道を右に分け、尾根上を緩くアップダウンする。前回(2012年1月中旬)は吹き付ける寒風に震え上がりながら歩いたが、今日は暖かいくらいの陽気で、のんびり稜線を歩く。
岳ノ山の登りにかると様子が一変し、岩場と固定ロープを交えた急登となり、グイグイ高度を上げて頂上に登り着く。
岳ノ山頂上には石祠と山名標がある。前回、不動明王の石像があった場所は、台座だけになっていた。これも3.11の影響か。石像はどこに行ったのだろうか。樹林に囲まれて展望に乏しいが、木の間から北面の展望が得られ、尾出山の鋭峰や横根山のなだらかな頂を眺め、その奥に少しだけ白い男体山を遠望する。
ここで東に下る一般登山道と分かれ、北西にほぼ平坦な稜線を辿る。北西の肩に着き、愛宕山との鞍部に向かって下り始める。愛宕山は遥か下で、出だしは尾根筋が判然としないが、少し下ればはっきりする。地形図の等高線の詰まり具合を見ての通りの凄い急勾配だ。標高差約150mを一気に下り、ようやく傾斜が緩くなって、牛の沢出原林道に着く。
林道を少し東に進むと「峠の照花園入口」との標識があり、ここから山道に入る。すぐにつつじが植えられた園地があり、WCや丸太ベンチ、東屋が設置されている。佐野市の市民活動参画支援事業との看板があり、それでつつじが植樹されているようだ。
園地の脇を通り、明瞭な山道を辿って杉植林と雑木林の境界を緩く登ると、愛宕山の頂上に着く。頂上は灌木藪に囲まれ、山名標や赤テープが小枝にぶら下がり、落ち葉に埋もれて三角点標石がある。折から日差しも傾いて、訪れる人も稀な寂峰の雰囲気が強い。
頂上の片隅に石碑が建ち、右手に戟を携えて馬に跨る甲冑の武将の見事な線画と「享保十三戌申歳(1728年) 副忠筆 秋山村中」の銘が刻まれている。これはなかなか興味深い。後日調べると、線刻画は愛宕権現(勝軍地蔵)を現したものらしい。
後は下山して、蓬山ログビレッジに戻る。頂上からの最短ルートも考えたが、灌木藪が酷いし日没(16時半)が近いので、無理せず往路を林道まで戻る。それから西へ林道を辿り、途中からショートカットして、杉林に覆われた枝尾根を下る。沢に降り立つと荒れた作業道があり、これを辿ると民家の脇を抜けて、首尾よく旗川沿いの県道に出る。駐車地点までは県道を歩いて僅かの距離である。まだ日が沈む前に桐生への帰途についた。