氷室山
山とんぼさんのHPの氷室山神社参道や、「日光連山ひとり山歩き」の山行記録を参考にさせて頂いて、旧葛生町(現佐野市)梅木の氷室山神社里宮から長い尾根を辿って氷室山に登って来ました。山中で誰にも会わない、静かな山歩きとなりました。
今日のコースは長丁場なので、早立ちして未明に桐生を車で出発。途中、田沼のすき家でとん汁牛皿定をがっつり食べて栄養をつけ、コンビニで昼食を調達して、朝霧漂う秋山川を上流に向かう。あきやま学寮の少し先に氷室山神社里宮があり、駐車スペースに車を置く。
氷室山神社は、小さいながらも地域の中心に鎮座まします風格のある神社だ。風化した石段を上がって、本殿に参拝する。登山道は本殿の左側から始まり、整備された遊歩道で裏山を登って行く。すぐに臼抜山神社の祠があり、♂と♀の象徴が祀られている。夜来の雨で湿気を含んだ道を登ると、葛生の昔話「ひむろばあさん」を紹介した案内板と東屋がある。
森林の中に差し込む朝日を背に受けて登り、ウッドランド森沢への道を左に分け、ちょっと急な坂を上がって奥の院に着く。奥の院の社殿の中には、龍の木彫りが立派な祠が置かれている。この祠が、かつて氷室山頂上にあった奥宮を移したものらしい。
奥の院の境内には、葛生の昔話「あそのあかべ」の案内板がある。それによると、江戸の大火(1829年)の際に下野国の宗対馬守の屋敷の火を一人の大男が消し止め、「あそのあかべ」と名乗っただけで立ち去ったとのこと。感謝した対馬守が何者だろうと調べたところ、氷室山神社に祀られた赤部という天狗様ということがわかり、朝廷に上申して1847年に正一位の称号を贈られたというお話。
そういえば、根本山にも、井伊家江戸屋敷を大火(1855年)から守り、「下野の黒弊」と名乗って立ち去った男がおり、井伊家の彦根公が調べたところ根本神社の天狗様であったという伝説が残っている(黒幣の天狗)。隣接する山に類似の話があるのが、興味深い。
奥の院までは歩きやすい遊歩道だが、ここから先、社殿の裏手から尾根を辿る道は判然としない。とはいっても、疎らな植林地で藪はない。流れる霧の中にブロッケン現象を見た。工事中の林道を横断すると右側が伐採地となり、尾出山の鋭峰や横根山を遠望する。
668m標高点へは急坂となるが、これを登り切ると緩やかな尾根歩きとなる。霧もすっかり消えて、木の間越しだが遠くに富士山まで見えた。風が強いという天気予報に反して、穏やかな日和だ。
送電鉄塔を過ぎると、そのすぐ先が東蓬萊山の頂上だった。三角点標石と擦れて文字が読み難い青い山名標、R・K氏の「807.2m」と書いたプレートがある。展望は木の間からのものに限られるが、延々と続く尾根の遥か向こうに氷室山が見える。ここで往路の行程の1/3くらいだろうか。先はまだまだ長い。休憩し、ポンカンを食べて喉を潤す。
東蓬萊山からは、痩せた稜線を一旦急降下し、ユルユルと登る。秋山川を隔てて右方に連なる山並は概ね緩やかだが、その中で尾出山の三角形のピークは目立つ。
右側が伐採された斜面になると東側の展望が開けて、筑波山の双耳峰まで遠望できる。振り返ると葛生の市街が朝日を反射して光っている。工場の煙がまっすぐ立ち昇っているのを見れば判るように、風は全くない。
一方、西側は木の間越しの展望しか得られないが、大戸川の深い谷を隔てて、熊鷹山周辺の1000m級の稜線が見える。この辺りからミヤコザサの生えた雑木林も現れて、山奥の雰囲気が漂う。道型は不明瞭だが、うまく拾うとピークを巻いて行ける個所もある。952mの三角点峰(地形図では陣地と表記)はいつのまにか巻いてしまった。1030m標高点の付近は道型が消える。藪を避け、落ち葉の急斜面を登って1030m標高点に上がった。
稜線上を歩いて右斜面の巻き道に入ると、急斜面をトラバースする細い踏み跡になり、慎重に歩く。途中に石祠があり、その先は崖だった。さらに急斜面をトラバースして稜線に戻り、鞍部に急降下する。このトラバースは険しく、気持ちはあんまり良くない。下り着いた鞍部にも、苔むした石祠(臼抜神社奥宮?)があった。
鞍部から雑木林のピークを一つ越えると、左から巻き道が合流する。ここから、落ち葉に埋もれているが、明瞭な道型が稜線を絡むように付けられており、格段に歩き易くなる。
やがて丈の低いミヤコザサが生えた緩い尾根となる。今回の尾根歩きで一番気分の良い区間だ。小さな小屋なら建ちそうな笹原の平坦地があり、越路館平と呼ぶらしい。以前歩いたことのある三滝を経由する道(山行記録)が左の谷から登って来て合流する。
尾根を緩く登って、熊鷹山〜氷室山の県境稜線上の縦走路に出た。県境稜線上も眺めのない所が多いが、ここは展望スポットで、袈裟丸山や雪雲に覆われた皇海山を望むことができた。眺めが良い分、北風も強い。しかし、稜線上にも雪はないし、袈裟丸山を見ても今年の冬はやはり雪が少ない気がする。
氷室山神社はこのすぐ先だ。ここを訪れるのは4回目、3年振り。静謐な佇まいは全く変わっていない。日溜まりを選んで腰を下ろす。樹林が風を遮って、上着を着れば十分暖かい。缶ビールを開けて、ラーメンを作って食べる。
昼食後、神社の裏手の1123m標高点に初めて登ってみた。氷室山とは一つのピークではなく、このあたり一帯の山の総称なので、山頂にはこだわりがなくて今まで登ったことがなかったのだが、今回は氷室山が目的地だしね。最初のピークに「氷室山1123m」の山名標があったが、1123m標高点は正確には次のピークだ。そちらには山部さん他2つの山名標があった。
下山は往路を戻る。越路館平から続く道型は、1030m峰の手前で西側に降りて、大戸川の左岸山腹の林道に続いているようだ(未確認)。行きに通ったルートなので、地図を見ずに記憶だけで歩いていたら、3回程道を間違う。この尾根を下るときはルートファインディングに注意。特に1030m峰の南で、東に尾根が曲がるポイントは迷い易い。
往路では952m峰を巻いてしまったので、帰りにしっかり踏んで行く。頂上は樹林に囲まれて展望はない。三角点と「陣ノ手952.4」という山名標があった。山名標の裏に「M.K 2008.11」と書いてあり、つい最近、設置されたものらしい。
帰りはついでに、東蓬萊山の南にある「日本列島の中心」を探索してみる。旧田沼町が制定・宣伝していたもので、佐野にはこれに由来する道の駅「どまんなかたぬま」がある。中心の定義はよく理解していないが、東経139度30分21秒、北緯36度30分54秒(日本測地系?)がその場所らしい。予めGPSに登録しておいた座標を頼りにほっつき歩いてみたが、なーんの変哲もない山腹の植林帯の中だった。まあ、当たり前か(^^;)
往復約9時間の長丁場で、氷室山神社里宮に戻ったときは、さすがに足がコリコリになっていた。帰途、佐野にあるスーパー銭湯「やすらぎの湯」に立ち寄り、ゆっくり温まって凝りをよくほぐしてから、桐生に帰った。