丸山〜木津山
赤城山のまだ登っていないマイナーなピークを探訪するシリーズの第6弾。今回は六道の辻から西に延びる尾根と、その中間から北に派生して、小さいが整った三角錐のピークを擡げる木津山を歩く。この尾根は赤城山西面の凹地(いわゆる深山カルデラ)の南縁を成し、敷島駅から赤城山への古道「姥子峠通り」が通じる。既に姥子峠通りの上部(六道の辻〜姥子峠)は歩いているので、その下部も歩いて繫げたい。そこで、六道の辻まで車で入り、自転車で昨夏に全線開通した林道赤城白樺線を深山まで下ってデポ、そこから姥子通りに上がり、木津山を経て六道の辻に戻るという周回コースを最初に考える。
しかし、このコースでは歩き応えが今ひとつ足りない気がしなくもない。さらにネットで調べ、敷島駅から赤城山の裾野を登って深山に至る関東ふれあいの道があることを見つける。これを辿って最初に計画したコースに繫げると結構なロングコースとなり、歩き応えは十二分。関東ふれあいの道は古の姥子通りとはルートが少し異なるようだが、駅前から赤城山を目指した古の旅人の気分は体験できそうである。帰りは六道の辻から赤城道路に下れば、路線バスで前橋駅に出られる。
という訳で、当日の朝に計画を変更。電車の時刻を調べ、慌てて自転車で桐生駅に向かう。外は濃い霧が立ち込めて肌寒いが、今日は晴れの予報だし、朝霧だからそのうちに晴れるだろう。途中のコンビニで朝食に温かいあんまん、肉まん、ペットボトルお茶を買い、駅ホームのベンチで食べて、7:28発高崎行に乗車。新前橋で水上行に乗り換える。
ところが濃霧の影響で高崎線、両毛線から連絡する列車が遅れ、待ち合わせのため新前橋でしばらく足止め。十数分遅れて発車する。ところがところが、しばらく走ると突然濃霧を抜けてスコーンと青空が広がり、赤城山や榛名山、子持山がクッキリと眺められる。狐につままれた気分。敷島駅には17分遅れで9:14着。Suicaで改札を通ったら残額不足を警告されたが、無人駅で清算もチャージもできないのでそのまま出る。もちろん、帰りの前橋駅で清算したが、Suicaで借金が出来るとは知らなんだ(^^;)
駅前に出て、正面の通りの緩い坂を登り始める。北風が吹くも生暖かく、サンサンと日差しを浴びて、11月下旬とは思えないポカポカ陽気だ。少しピッチを上げて歩く。5分程で華蔵寺バス停があり、関東ふれあいの道の案内看板が建つ。バス停のすぐ先で道標にしたがい、斜め左の細い路地に入る。
路地を進むと赤城神社がある。本殿は安政三(1774)年に再建、平成十七(2005)年に改修されたもので、立派な彫刻は上田沢村(現在の桐生市黒保根町上田沢)の彫刻師集団の棟梁で、榛名神社や桐生天満宮の彫刻も手がけた関口文治郎によるものだそうだ。
夜来の雨で土が黒く湿った畑地の中の一本道を、子持山や榛名山を眺めながら歩く。やがて右に折れて、赤城山の紅葉した山裾に向かって進む。県道を渡ると八幡宮があり、社殿の左隣にキンメイチクという竹の林がある。説明板によると、キンメイチクはマダケの変わりもので、竹の根本から先まで、節ごとの窪みに平行に黄色の模様が規則正しく並んでいるとのこと。竹棹を見ると確かに黄色の模様があり、珍しい(国指定天然記念物)。
道は山の端に突き当たって左折。赤城山の裾野の急崖をつづら折りの坂道で上がる。振り返ると山麓や向かいの子持山に鮮やかな紅葉が散在する。
坂道を登り、関越道を跨道橋で越えると赤城山西面の広大な裾野に出る。周囲一帯は段々畑で、行く手には鈴ヶ岳や地蔵岳などの赤城の山々、左手には武尊山や遠く谷川岳を望む。車道歩きだが車通りは稀で、民家も疎ら。展望を楽しみながら一直線に登って行く。
赤城西麓広域農道を横切って、さらに車道を登る。民家がポツポツ現れ、十二宮の社のある辺りが芳ヶ沢の集落だ。道標に従い、集落の外れの十字路を左折。浅い窪を渡って杉林の中を登ると道標があり、左に深山への道が分岐する。ここで関東ふれあいの道から別れて右に進むのが予定のルートだが、その前に気まぐれで近くの714m三角点に寄り道してみる。深山への下り口から左の杉林の中に入って少し下ると、耕作されていない畑地と杉林の境界に三角点標石(点名:芳沢)がある。まあ、マニア以外は来ない所であろう。
分岐に戻り、関東ふれあいの道から別れて車道を上がる。裾野の耕地の上端から振り返って子持山を眺めたのち、樹林の間の車道に入る。木々はすっかり葉を落とし、道に積もった枯葉をカサコソと踏んで歩く。
GPSから、設定した分岐点に接近したことを知らせるピッという音がして、左手の杉林の中を見てみると、入口が判りにくいが作業道が分岐する。ここが地形図に記載されている破線路への分岐点のようだ。この作業道を辿ると、真っ直ぐ緩く登って杉林を抜け、雑木林に覆われた尾根の上に出る。右側は緩斜面だが、左側は急傾斜で落ち込んでいる。
尾根上には明瞭な道はないが雑木林の下生えの藪はなく、道型や微かな踏み跡が断続して至極快適に歩ける。これはお勧めできる尾根歩きのコースだ。展望はないが、左手の木の間越しに鈴ヶ岳が終始眺められる。やがて尾根が広がって進路に迷うが、とにかく高い方へ登っていけば良い。文献によると、この辺りに「羽端の一本松」がある(あった?)そうだが、それらしい木は見当たらない。
再び左側が切れ落ちた尾根上に登り着いた所に宮標石がある。ここから北へ少し下がると932m三角点(点名:花窪)があり、立ち寄るつもりだったが、あまりに気分の良い尾根歩きにウキウキして、三角点はうっかり通過する。
尾根を辿ると、右から未舗装の林道が上がってきて合流する。これが花窪林道のようだ。林道はすぐに尾根から離れるので、尾根上をそのまま進む。
雑木林の尾根の緩い登りが続く。踏み跡の中には二輪の轍もあるから、オフロードバイクやMTB(マウンテンバイク)が走っているようだ。確かにそれ向きの尾根と思う。また、花窪林道はそちらの方面で有名という話もネットで読んだ。六道の辻でMTBのグループに会ったこともある。彼らは多分この辺りをダウンヒルしたのだろう。ただし、今日はここまでバイクや自転車、他のハイカーさんにも会ってなく、実に静かな山である。
緩い登りが続くが、やがて行く手に一段高く丸山を仰ぎ、これに取り付くとちょっと急な坂となる。斜面には数条の轍がつけられ、これを見ると雪斜面につけられたシュプールを連想する(^^;)
急坂を登りきると再び緩やかな尾根となり、丈の低い笹原の中に三角点標石を見出す。これが1163m三角点(点名:鎌石)で、『赤城の神』ではこの辺り一帯を丸山と称しているから、ここを丸山頂上としても問題ないだろう。ただし、頂上は東西に長く平らで、最高点はもう少し東にある。
既に12時半を回り、しかも長距離を歩いて来たから腹がペッコペコである。ここで昼食にしよう、と思ったとき、爆音が近づいて来て、花窪林道にバイクの一団が現れて走り去った。あんなのが度々来ると耳障りだが、後続が来ることはなかった。さすがに風が冷たいので、稜線下に風を避けて腰を下ろし、上着を着込んで昼食とする。今日はレトルトパウチの鯖味噌煮と缶ビール、そして冬の定番の鍋焼きうどんである。寒い季節の鍋焼きうどんの美味しさはまた格別。
腹を満たして温まったのちに出発。すぐに花窪林道に合流して辿る。左側に三本の指を立てたような大岩があり、これが『赤城山花と渓谷―沢あるき/滝めぐり30選』に記載されている人面岩だ。そう言われて見れば、右の岩が人の顔のように見えなくもない。
林道脇に軽トラがあり、人はいなくて荷台でビーグル犬が大人しく留守番をしている。私を見ると荷台から飛び降りて擦り寄って来たので、よしよし可愛いのう、と撫でてやる。しかし、この軽トラはハンターの車では。と、左の谷底でパーンという甲高い銃声。もう狩猟が解禁されているのか…。
雑木林を透かして木津山への尾根を確認しようとするが、背景の山々に溶け込んで判別し難い。この辺りだろうと思われる急斜面を下り、無事に木津山に繫がる尾根に乗る。最低鞍部にはオレンジのジャケットを着て、折り畳み椅子に腰掛けた人が一人。ハンターだ。銃を持っている。驚かせてこちらに向かって発砲されてはたまらないので、物音を立てつつ(熊鈴を付けて来れば良かった)近寄って、こんにちはと声を掛けたら、ジロリと一瞥された。しかし、これで誤射される心配は減った。
鞍部から尾根を急登する。ツツジの小枝がちょっと煩いが藪というほどではない。木の高い梢には大きくて丸いヤドリギがいくつも付いている。赤い実がたくさんなっていて綺麗だ。クリスマスの飾りに良さげである。
登り着いた木津山頂上は小広く、雑木林に囲まれて展望には乏しいが、木の間から鈴ヶ岳や地蔵岳、荒山を望む。硯石山や子双山でも見かけたアクリル板製の透明山名標が木の幹に取り付けられている。
ピーナッツブロックチョコを齧って休憩したのち、山頂を辞して戻る。鞍部にはまだハンターがいて、今度は挨拶された。急斜面の微かな踏み跡を辿ると、人面岩の脇で花窪林道に登り着く。ビーグル君はもう一人の年配のハンターと一緒に居た。頭を撫でて別れる。
花窪林道を辿ると尾根上を進んで、程なく林道赤城白樺線に出る。幅広い林道で、まだ舗装が新しい。この道を辿り、穴山を回り込んで六道の辻に着く。ここには先月来たばかりだ。六面地蔵にも再会する。敷島駅からここまで木津山に寄った時間を除けば約4時間、ここから姥子峠を経て新坂平まで2時間だから、計6時間か。駅前から赤城山に登るのは片道で1日行程となり、やはりなかなかの長丁場である。
前回は雲が多い天気で、大箕山しか見えなかったが、今日は鍋割山の長々と横たわる山容もバッチリ眺められる。赤城道路へは旧道の花窪林道を下る。入口には立入禁止の看板がある。既に崩壊が始まっていて、簡易舗装の路面には落石が散乱し、落ち葉に厚く覆われている。歩くには良い道で近道にもなるが、そのうち完全に廃道化するだろう。
赤城白樺線を横断し、旧道をさらに下る。こちらはまだ現役で利用されている。ほぼ真っ直ぐの坂道を緩く下って赤城道路に出、右に少し下って「さくらの広場入口」バス停に到着する。いやー、さすがにたっぶり歩いたなあ。姥子峠通りは気持ち良い尾根歩きが楽しめて、とても良かった。
今回は事前に時間の余裕がなくて、バスダイヤは調べていない。さて、何時のバスがあるかな。バス停の時刻表を見ると、白く塗りつぶされてな〜んにも書いてない。困ったなあ。以前、新坂平でも同じ目にあったが、何か訳があるのだろうか。幸い携帯が通じるので、関越交通の営業所の電話番号を検索し、電話をかけて問い合わせる。30分程の待ち合わせで、教えて貰った通りの15:37に来たバスに乗車。10名程の乗客は全員ハイカーさん。富士見温泉に16:00に着き、16:05発の前橋駅行に乗り継いで帰桐した。