硯石山〜六道の辻〜姥子峠
先月は台風や前線の影響で晴れ間の少ない天気が続き、10月に入ったこの週末も日曜日が辛うじて曇り時々晴れという冴えない天気である。遠出はやめて、軽く登れる近場の低山にしよう。
という訳で、以前から興味を持っていた赤城山南西面の六道の辻にある六面地蔵と、序でにその周辺の硯石山、大箕山(おおみやま)、穴山というマイナーな小ピークを訪ね、赤城山への古の登路「姥子峠通り」の上半部を辿って姥子峠まで歩いてきました。
桐生を車で朝遅くのんびりと出発し、赤城道路を上がって、新坂平駐車場に10:00着、車を置く。上空は灰色の雲に覆われているが、鍬柄山の稜線はくっきり見え、その向こうには青空が覗いている。今の所、雨が降る心配はなさそうだ。
当初の計画では、ここから硯石山への登り口と目している林道入口まで、赤城道路を自転車でダウンヒルする予定で、車にマイバイク Radon I 号を積んで来た。
しかし、現地に来て見ると交通量は多いし、下りが長く急でブレーキの過熱が心配。赤城道路は、9/25にヒルクライム大会が開催された程、元々サイクリストが多いが、皆、本格的な装備+ヘルメット着用で安全を図っている。私はノーヘルだしなー。ここは安全策をとって路線バスで下ることにし、新坂平バス停でバスを待つ。ところで、このバス停の時刻表の文字が削り取られているのは悪戯?予めバスの時刻を調べておいて良かった。
定刻通りやって来た10:20発の前橋駅行のバスに乗車。乗客は他に若者のハイカーさんが一人。桃畑バス停で下車(ちなみに、このバス停の時刻表はちゃんと書いてある)。運賃は660円也。バス停に隣接して広い駐車場があり、ここに車を置くこともできる。
赤城道路をさらに少し下り、道路の右脇を流れる赤城大沼用水を渡って、林道に入る。舗装されているが、路面は荒れている。その上、最近の長雨のせいか酷い泥濘もあり、林内には湿気と共に饐えた臭いが立ち込めていて閉口する。これで藪漕ぎなんかあったら確実に撤退するなあ、などと内心ぼやきながら、林道を辿って山腹を斜めに上がる。
尾根を回り込んだ所が十字路となり、右に作業道が分岐する。辿ろうと考えていた地形図上の破線路だ。入口には関係者以外立入禁止との看板があるが、徒歩で通行するだけならば、まあ問題ないだろう。作業道は、浅く緩い窪状の中を真っ直ぐに続いている。藪漕ぎがなくて良かった。少し進んだ所に「平成27年度 ぐんま緑の県民基金水源地域等の森林整備事業」との看板があり、この作業道は県民税で建設したと書いてある。ということで、納税者として大手を振って歩く。
なお、後日調べると、この窪状には沼の窪沢という名があるらしい。右側の尾根が低く、ほとんど平らになった個所もあって不思議な地形だ。前方に一頭のシカが現れ、近づくとピョンピョンと軽やかに駆けながら、先導するかのように逃げていく。この辺りはシカが多く、その後も何頭も見かけたり、ケンという警戒する鋭い鳴き声を聞いた。
窪状を詰めると「改植記念之碑」の石碑があり、ここで作業道は終点となる。石碑は昭和58年の建立で、以前はカラマツを植林していたが、外材に圧迫され、ヒノキに改植した旨が刻まれている。
作業道終点の先も広く刈り払いされた山道が続く。窪状の終点で山道も途絶え、左の斜面に取り付く。道型はないが藪もなく、適当に登れる。
尾根上に出て高みを目指すと、樹林に囲まれた小平地に登り着き、硯石山の山名標が木の幹に掛けられている。尾根上には明瞭な道型が通じ、頂上はその途中という感じだ。
硯石山という山名については、今井善一郎著『赤城の神』213頁に次の記述がある。
穴山の西南にある。一体この名前の硯石という名はここから二里半も下の北橘村の赤城横野にある。明治の初め赤城山の地質を調査した学者がこの辺の岩塊を硯石岩塊と名付けた。その最頂点の山が硯石山である。
この地質調査の結果を纏めたと思われる論文の19頁や巻末の絵図に硯石山の名が記載されている。地元が呼称する山名ではなく、この論文が起源となったようである。
(2022-05-05追記:硯石山の読み仮名について、岩沢正作は『赤城山大観』p.36で硯石山を訓読みして「けんせきざん」とルビを振っているが、山名の由来となった硯石は「すずりいし」と呼ばれているので、「すずりいしやま」で良いと思う。)
山名について考えるのは面白いが、山頂自体は趣に乏しい。長居せず次の大箕山に向かう。明瞭な道型を北東へ辿り、鞍部に下る。尾根から外れる道型と別れ、尾根上を進んで丈の低い笹原の踏み跡を登る。藪はないが、蜘蛛の巣が顔にかかって煩わしい。
急坂を登ると、三角点標石のある大箕山頂上に着く。ここにも硯石山にあったものと同タイプの透明山名標がある。自然林に囲まれて趣はまあまああるが、風通しが悪いせいか虫が多くて、居心地はいまいち。もう少し進んだところで昼食にしよう。
丈の低い笹原が下生えの尾根を下り、カラマツ林を抜けると舗装された林道に出る。この林道を左に辿り、山腹をトラバースして緩やかに登る。道の上には山栗がたくさん落ちているが、毬(いが)の中は既に空。雲間から日が差し、そよ風が吹いてきて気持ち良い。
登り着いたなだらかな峠が六道の辻で、道端に目当の六面地蔵がある。六面の地蔵のうち、お顔まで判るのは一面だけで、他は風化が進んでいるが、とても立派な石造物である。台座には「文久三癸亥(1863)年四月吉日 赤城山」や多数の寄進者の銘がある。
六面地蔵の横に広い駐車スペースがあり、1台のピックアップトラックが置かれている。腹が減ったし、腰掛けるのに良い岩もあるので、ここで昼食にしよう。鯖味噌煮を肴にドライゼロを飲み、お湯を沸かしてカップ麺の鴨出し蕎麦を作ろうとしていると、自転車を4台もサイクルキャリアに積んだ小型SUVがやって来て、サイクルウェア姿の4人のおじさんが降りる。マウンテンバイクでクロスカントリーを楽しみに来たらしい。
4人組はバイクに乗って颯爽と出発。私も蕎麦を食べ終わったので、出発するとしよう。
まず、穴山に登る。と言っても標高差は30m位しかない。深く抉れた山道を登って、すぐに穴山頂上に着く。特に山頂の目印になるものはない。明瞭な山道が山頂を越えて南西の尾根に続いている。これが姥子峠通りの下半部で、現在もからっ街道まで降りられるようである(やまの町桐生の記事)。
六道の辻に戻り、駐車場奥から姥子峠通りの上半部に入る。とても良い山道が広く緩い尾根の上に続いている。ネット情報では地蔵岳・六道辻コースとして紹介されている。
樹林が切れて日当たりの良い場所ではススキが被さってくるが、藪の範疇には入らない。赤く熟れた木の実を啄んでいた鳥の群れが一斉に飛び立つ。丈の低い笹原の中の気分の良い道が続く。左側から浅い窪が近づく。その辺りを鳩清水というそうだが、特にそれらしいものは見つけられない。
笹原とカラマツ等の高い木の林の中を歩く。やがて浅い窪に入ると少し傾斜が増す。道型は尾根を乗り越し、折り返すように下っていくので、道型から分かれて尾根を辿る。
尾根上にも明瞭な踏み跡が続く。だんだん傾斜が増して、この辺りを姥子坂と呼ぶようである。周囲の樹林は色付き始め、秋山の気配が感じられる。
急坂が終わって傾斜が緩み、ツツジの林を抜けると姥子峠に登り着く。ここはこの夏、鈴ヶ岳に登った際に訪れたばかりの場所だ。そのとき、峠道の入口を覗いて藪っぽいと思ったが、歩いてみたら実に良い道だった。おすすめ。時期が合えば紅葉も楽しめると思う。
後は新坂平まで、すぐの距離だ。地蔵菩薩・奪衣婆の前を通り、短い急坂を下ると赤城道路に出る。そのまま、総合観光案内所まで歩いてソフトクリームを食べ、駐車場に置いた車に戻る。雲が厚くなって来たが、雨に降られなかったのは幸いだった。富士見♨に立ち寄って汗を流した後、帰桐した。
参考URL:計画の際、やまの町桐生の「穴山」と「大箕山」、爺イ先生のブログの「赤城・六道の辻付近の低山」の記事を参考にさせて頂きました。