飯士山
この日曜日の関東甲信越の天気は、予報によると概ね曇りか、晴れのち曇りで、積極的に長丁場の山歩きをするには微妙な感じ。午前中で歩けそうな山を考えて、飯士山(いいじさん)を思いつく。
飯士山には一度、負欠(ふっかけ)岩コースから登ったことがある(山行記録)。負欠岩は飯士山西面の大スラブに突き出た奇岩で、この辺りの景観は一見の価値があった。
今回は別のコースにしようかな、と思ってガイド本(末尾参照)を開いてみるが、7つある登山コースの中では、やはり負欠岩コースが一番面白そう。前回登ったのはだいぶ昔で、細かい記憶は薄れているから、新鮮な感覚で楽しめるだろう。という訳で、再び負欠岩コースで飯士山に登ってきました。
桐生を朝5時前に車で出発。天気は上々。関越道を走って関越トンネルを抜けると、行く手に青空を指して飯士山の鋭鋒が聳える。関越道を湯沢ICで降り、R17を走る。五十嵐入口の交差点で右折して魚野川を渡り、すぐに右折。農村を抜けて山間に入り、右に分岐する道に入れば、あとは五十嵐登山口まで一本道だ。すぐにゲートがあり、鎖が張られているが、簡単に通過可能である。
ゲートの先はすれ違い困難な狭い道が続き、両側から繁茂したススキが被さって車体を擦る。道幅が広がって5台程駐車が可能な場所があり、この先はますますススキ藪が酷いので、ここに車を置いて歩き出す。行く手には朝日の逆光の中に飯士山(正確には西ノ峰)の三角形の山容が聳えている。周囲の山々も、豪雪に磨かれて峻険な山肌を見せる。
15分程で飯士山の五十嵐登山口に着く。車道の先はテニスコートに通じているが、使われなくなって久しいようだ。登山道は杉林の中を真っ直ぐに緩く登る。道端の草は僅かに色付いて雨に濡れ、空気はひんやりとして初秋の雰囲気。刈り払いされており、歩き易い。
杉林から自然林に入ると、「←負欠岩コース 尾根コース→ 」の道標のあるY字路に着く。帰りは尾根コースでここに戻ってくる予定。左の負欠岩コースに入ると、鬱蒼と茂る低木帯の切り開き道となり、少しずつ斜度を増していく。やがて小さな窪状を登るようになる。途中で右に折れ、隣りの窪状に移る個所が、間違って直進し易い。踏み跡と目印のテープに注意。滑り易い窪状を急登し、少し右に登ると小尾根上に出る。大峰とその奥に苗場山が眺められ、だいぶ標高を稼いだことがわかる。
小尾根上も急登が続き、石打丸山スキー場の展望を背にして、ぐんぐん高度を上げる。やがて、行く手に巨大な切り株のような負欠岩が見えて来る。
ひと登りで負欠岩の基部に着き、ザックを降ろして一休みとする。小尾根の左右は広く急な一枚岩のスラブとなっており、負欠岩は岩盤と一体で、あたかもスラブが変形して盛り上がったように見える。高さは約20mと言われ、大き過ぎて、私のコンデジの画角には収まり切らない。
負欠岩の基部の右側に、石碑が建っていることに気がつく。前回は見落としていた。岩場をトラバースして近づいてみる。足元はスラブへ切れ落ちて高度感があり、スリル満点だ。石碑の正面には「神立講中 利寛行者 関山講中」、側面には「明治九丙子(1876)年」と刻まれている。
登山道は、負欠岩の基部の左側のスラブをトラロープで越える。出だしは岩が乾いていて問題ないが、最後は染み出した水で岩がぬめってとても滑り易く、スラブの途中で次の一歩が踏み出せなくなる。気持ちを落ち着かせ、岩盤に垂直に足を置き、ロープを手繰って一気に登る。いやー、怖かった。
負欠岩を上部から眺めると、形が変わって鏃のように見える。鏃のエッジには転々とボルトが打たれ、鏃のてっぺんに登るクライマーもいるらしい。こっ、怖過ぎる……。
草や低木が繁茂するスラブの中に入ると、どこをどう通っているのか、道型が判然としなくなる。ふと横を見てみれば、濡れたスラブの上にトラロープが垂れ下がっている。こちらがルートか。
微かな道型を、草の根を踏んだ跡や、岩に付いた掠れたペンキの痕跡を頼りに辿り、頂上を目指してスラブの中を這い上がる。前回、こんなに道が怪しくて険しい個所があったかなあ。全く記憶にないが、これはえらいバリハイルートだなあ、などと思いつつ、必死に登る。
左寄りに登って、ようやく樹林に覆われた小尾根に辿り着くと、はっきりとした道型が付いていて一安心。しかし、どっと疲れて汗だくである。のろのろと小尾根を登ると小さな岩場の上に出、振り返れば登って来たスラブと、山稜の向こうに湯沢温泉街を俯瞰する。
さらに少し登って、小ピークに到着。「←尾根コース 負欠岩コース→」との道標が立つ。帰りはここから尾根コースを下る予定。すぐ先が西ノ峰の頂上で、黄金色に色付き始めた魚沼盆地を背にして石仏がおわす。右手に剣、左手に宝珠を持っているようだが、何の仏様かは判らない。急登でかなりバテて、10分程も休憩する。
西ノ峰から飯士山頂上へは、一旦小さく下って、樹林に覆われた尾根を登り返す。鞍部付近は左側が崩壊して、滑落注意の看板があるが、特に危険はない。
飯士山頂上は南北に細長く、その中央の十字路に登り着く。道標が見当たらないと思ったら、ベンチのように地面に置かれた太い角材が、倒れた道標だった。三体の石仏が並んでおわすが、風化が進んで何の仏様かは判然としない。
飯士山の三角点標石はすぐ南の小平地にある。2人組ハイカーさんが休憩中。北側は低木に遮られるが、三方が開けて大展望が得られる。北には岩原スキー場、越後中里辺りの平野を俯瞰し、その奥に谷川連峰を望む。中央の整った三角形のピークが万太郎山だろうか。
西には湯沢温泉街と昨年登って懐かしい大峰、その向こうにはゆったりと稜線を広げる苗場山が眺められる。大峰の右は緩やかな稜線が高津倉山に続き、そちらに目を向けたら、手前に先程踏んだ西ノ峰の頂上が見えることに気がつく。
東には岩原スキー場トップの稜線を見下ろし、どっしりと高い巻機山を遠望する。巻機山から左に延びる稜線は金城山、坂戸山と高度を下げて魚沼盆地に落ちる。その向こうに見えるギザギザの稜線は八海山だろう。
大展望を楽しみながら、今日は下山時間が短いのでノンアルコールビールで乾杯。まだ10時なので、昼食は下山後にして、レトルトパウチの鯖味噌煮だけを肴に食べる。頂上周辺の樹木は色付き始めており、ナナカマドの実も朱色が鮮やかだ。また、大群と言って良い数のアカトンボが飛び回っていて、秋の訪れを感じさせる。もう少し後になれば紅葉も盛りを迎え、素晴らしいのではないかと思う。
急登の疲れを癒して30分程休憩したのち、下山にかかる。西ノ峰に戻り、左の尾根コースに入る。急峻な小尾根を真下を目指して一直線に下る。所々にロープが張られ、道型ははっきりしている。滑らないように、あまり余所見をしては歩けないが、左に見える鋸尾根は名の通りギザギザで目を惹く。鋸尾根には飯士山から神弁橋に下るコースが通じ、ガイド本によると5月頃にはシャクナゲが咲いて美しいと言う。あちらも面白そうなコースだ。
途中、針葉樹の大木が生えたところで傾斜は一息つくが、この先も急降下がまだまだ続く。右側の樹林の切れた所から、スラブに這いつくばる怪獣にも見える負欠岩を望む。
小尾根の左側も、鋸尾根との間の谷が深く抉れ、スラブが広がって、なかなかの景観である。ひとしきり急降下して、小さく右に折れると灌木に覆われた尾根となり、ようやく傾斜が緩んでホッと息をつく。
もう一度右折して尾根を離れ、山腹をトラバースして、スラブ下の浅い谷を渡る。ここからも負欠岩を仰ぐことができる。灌木と草叢の中の細い踏み跡を辿り、ブナ林の中を緩く下ると「風穴へ→」という標識がある。興味が湧くが、どれくらい距離と時間があるか不明だし、道もあまり良さそうではないので割愛する。
この辺りから傾斜がすっかり緩んで、所々で道を塞ぐ倒木を巻いたりするが、小さな沢を渡ったり、美しいブナ林の中を降ったり、のんびりした道程が続く。
負欠岩コース・尾根コース分岐に戻れば、後は杉林の中を一直線に降って、五十嵐登山口で車道に出る。駐車地点へ車道を下りながら振り返れば、今は正面から日差しを浴びた飯士山が眺められ、右側に広がる急峻なスラブや、中腹に屹立する負欠岩を見ることができる。あんな所を登り降りしたのだなあ、と改めて今回のコースの急さを確認。行程は長くないが、非常に面白いコースで、再訪して良かった。晴天は午後も続きそうだが、今日はこれでもう大満足である。
帰りはまず越後湯沢温泉の外湯の一つ「駒子の湯」に立ち寄り、さっぱり汗を流す。今日は午前中に越後湯沢でマラソン大会が開催されたようで、湯船にのんびり浸かっているうちに、レース後のランナーさんが大勢入って来た。
それから温泉街で昼食にしようと思ったが、やはりランナーさんで混み合っていそう。関越道に乗り、赤城高原SAで昼食とし、トンカツ定食(今日は急登で足の筋肉を酷使したので、良質のタンパクが必要である)を美味しく頂いて、帰桐した。
参考ガイド:『新・にいがたファミリー登山』(新潟日報事業社)。地名の表記・読みはこのガイド本に拠っています。