蕎麦粒山
先週、奥武蔵のウノタワ〜有間山〜蕨山を歩いたとき、浦山川の大きな谷を隔てて都県界尾根の蕎麦粒山や三ツドッケ、大平山(おおひらやま)を眺めて、これらの山に秩父側から登るのも面白そうだなと思った。特に、蕎麦粒山(正確にはその隣りの仙元峠)から派生してゆったり長々と延びる仙元尾根が目を引いた。今週末も、土曜日は天気が良さそう。早速、仙元尾根からの往復で蕎麦粒山に登ってきました。
桐生を未明の5時に車で出発。先週と同じく、途中、深谷の松屋で牛丼を食べて、しっかり朝食を摂る。R140を走って秩父市街を抜け、浦山ダム、秩父さくら湖岸を経由して浦山川の上流へ。川俣の集落の外れにある浦山大日堂バス停の駐車場に車を置く。既に駐車が1台。ハイカーさんが歩き支度をしているところで、挨拶を交わす。バス停にはWCがあるが、3月4日まで冬季閉鎖中である。
大日堂へは車道を少し戻る。民家の軒先には薪が山と積まれ、煙突から薄紫の煙が立ち昇って、木が燃える良い匂いがする。大日堂入口には「浦山大日如来縁起」という立派な石碑(昭和50年建立)があり、次のような碑文が刻まれている。大日堂建立に纏わる言い伝えに加えて、初めて見る熟語がたくさんあって興味深いので、全文を書いておこう。
茲の地に大日如来尊の觀請されたのは大平年代末、今を去る事四百五十余年前の初秋、麻衣藤杖翁形の丹生明神の仙元越えに依ると伝えられる。後享禄元(1528)年秋十月、知々夫大宮郷廣見寺四世大雲宗守禅師が石雲山昌安寺を開山。天文二(1533)年秋の或夜丑三刻、禅師の夢枕に丹生權現立ち現われ宇宙の大中心に位さるゝ最高最善最美最智全能の理念佛大日尊の實相を説かれて帰依する衆生の壽命延伸業運隆昌愛縁和合子孫繁栄悪霊退散病難消除の諸徳に言及され更に尊像膝下の穀粒は一粒萬倍十方に供□て奇瑞無涯なるを訓え給いて夢覚む。同夜半、金倉耕地篤信の人源次郎亦同然夢の御告げを受け宗守師と語らいて家附の地に佛穀を下種するに及び御夢想稗玉の起源となる。天文二年旧八月廿五日、宗守師信徒と計りて仮如来堂を建立。文政三(1820)年七月、之を改築。後年数次の補修を加う。例祭は初め旧歴八月廿五日大東亜戦中新歴十月十五及び十六の両日に改められ今日に至る。
なお、句読点と西暦年は私が補足した。後日、ネットで調べると、丹生都比売命(丹生明神)を祭神とする丹生神社が日原にある。また、かつては日原から一杯水、仙元峠を越えてここに至る往還があり、秩父と多摩とを結ぶ唯一の峠道として往来があったそうである。今回は、この峠道の秩父側を辿る。
朱塗りの欄干の橋を渡り、階段を登ると、薄暗い杉林に囲まれて大日堂が建つ。堂の手前右手から登山道に入ると、仙元尾根末端の急斜面に取り付いて、のっけから急登となる。木の階段が整備されたジグザグ道を登ってグングン高度を上げる。やがて傾斜が緩み、送電鉄塔(新秩父線60号)を右手に見ると、広く穏やかな尾根上の道となる。
杉林の中をユルユルと登り、送電鉄塔59号を通過。冬枯れの雑木林に入り、木立を透かして周囲の山々が見える。予報に反して薄雲が広がる天気だが、風はなく、12月にしては寒くない。送電鉄塔58号を過ぎると尾根はやや細くなって、常緑のアセビが多い。
送電鉄塔57号では、樹林の切り開きから展望が得られ、右には三ツドッケ、左には有間山が眺められる。この先で、送電線巡視路の標識に従って左斜面の杉林のトラバースに入る。道型は細く、稜線から段々と離れて行くので、この道で良いのかな、と不安を覚えるが、すぐに古い道標を見つけて安心する。ここから左に広河原谷へ下る道がある。
仙元峠へは杉林の斜面を延々とトラバースする。道型は明瞭だが、落ち葉が深く積もり、獣道や作業の踏み跡が錯綜するので気を使う。右手の稜線はかなり上で、ゴツゴツした大きな岩場も見える。
やがて、斜め上に登り始め、小さく折り返して稜線上に出たところが大楢と呼ばれる地点である。道標と、名の通りの一本の大きな楢の木がある。相変わらずの曇り空で、稜線上は風も出始めて、さすがに寒さを感じ始める。少しだけ休憩して、先に進む。
尾根を辿って緩く登る。木立を透かして、行く手に仙元峠のピークがだいぶ近づいて見える。展望には乏しいが、途中、左側が崩壊地となって眺めが開け、先週歩いた有間山や滝入ノ頭を眺める。右側は雑木林を透かして三ツドッケと大平山を望む。
段々と傾斜が増し、柱だけとなった道標を過ぎると若い杉植林帯の急坂に取り付く。やがて雑木林の斜面となり、尾根上に出て登る。左の木の間越しに蕎麦粒山をすぐ隣りに眺めながら登ると、都県界尾根に達して仙元峠の頂上に登り着く。
頂上は樹林が一部枯死して疎らになり、折から青空が広がってきて明るい雰囲気。日原を向いて石祠(大正六年三月吉日の銘あり)が祀られ、その背後には蕎麦粒山のピークがある。道標の他に「仙元峠(天目背稜)」の案内板があり、それによると、この峠はかつては秩父と多摩を結ぶ唯一の峠で、三峰講で秩父へ、富士講で奥多摩へと信者の往来があった。峠から富士山が拝めることから、祠には木花咲耶姫命を祀るとのこと。ただし、今日は残念ながら富士山は見えない。
ここから蕎麦粒山はすぐの距離だ。都県界尾根を下ると鞍部で巻き道と合流。すぐに巻道と別れて、稜線を辿って登る。冬枯れの雑木林を透かして石尾根辺りの奥多摩の山々が眺められる。
登り着いた蕎麦粒山の頂上には、意外なことに誰もいない。樹林に囲まれているが、東は防火帯となって開け、都県界尾根を俯瞰し、日向沢ノ峰や川苔山の展望が良く、関東平野を遠望する。
蕎麦粒山に登ったのは小学生の時、家族で奥多摩側から登って以来、二回目だ。その時の記憶はあんまりないが、頂上に露岩がたくさんあったことは覚えている。その露岩の一つに腰掛けて昼食とする。フリースを着込み、まずはさんま味付けレトルトパウチとWHITE BELG、それから鍋焼きうどんを作って食べる。食べ終わって後片付けにかかる頃、ようやく単独行のハイカーさんが登って来た。入れ替わりに頂上を辞し、往路を戻って下山にかかる。
仙元峠から仙元尾根の下りは、(今回は登りで通っているから問題ないが)初めての場合、迷い易い地点が二個所ある。まず、尾根を真っ直ぐに下り、右に折れるところ(地点①)。右斜面を下るのだが、道が落ち葉に覆われて分かり難い。
次は、地点①で右折して下り、今度は左折するところ(地点②)。ここも道が落ち葉で覆われていて、判然としない。この2個所をクリアすれば、あとは多分大丈夫である。天気が良くなって、青空の中に三ツドッケと大平山が眺められる。次はあの山に登ろう。
大楢から道は右斜面のトラバースに入る。ここもうっかりすると迷う地点だが、現在、尾根を直進する方向はトラロープで通せんぼしてあるので、間違うことはないだろう。
トラバース道を快調に飛ばして尾根に戻る。送電鉄塔58号と59号の間で、登りでは見過ごしていた三角点標石に気がつく。尾根の途中にあり、ピークではないので、特に山名もなさそう。
4つの送電鉄塔の最後の60号を通過すると仙元尾根末端の急降下となる。木の階段をトントントンと下って、大日堂に降り着き、車を置いた浦山大日堂バス停に戻った。
一般登山道としては一部に道の不明瞭な個所があるが、良く整備された歩き易いコースだった。登り約3時間と適度な歩き応えもあったし、満足、満足。あとは温泉に入り、温まって帰ろう。
今回は皆野の秩父川端♨梵の湯に初めて立ち寄ってみる(3時間880円)。関東でも屈指の重曹泉とかで、内湯はすごくヌルヌルのお湯だ。温泉成分表の掲示がなくて少々胡散臭いが、この泉質はすごい。露天風呂もあり、こちらはサラサラのお湯である。ゆったり温まったのち、児玉、伊勢崎経由で桐生に帰った。