鼻曲山〜留夫山
桐生駅6:24発の両毛線に乗り、高崎駅で7:20発の金沢行き北陸新幹線に乗り換える。三連休の初日とあって、新幹線の車内は立ち乗り客も居て満員。しかし、高崎から軽井沢までは16分しか要しないから全く問題なし。
軽井沢で下車すると灰色の厚い雲が空を覆い、辺りは霧に包まれている。群馬は晴れていたのに、もしかして来る方面をミスったかなあ。駅前から7:45発草津温泉行きのバスに乗る。乗客は他に6人程で、小耳に挟んだ会話から中華系の観光客が多いようだ。
バスが三笠を過ぎて山腹をジグザグに上がると、霧が消えて日が差し込み、青空が広がってきた。天気が回復した訳ではなく、雲海の上に出たらしい。長日向バス停で下車。カラマツ林に囲まれて数軒の民家があるだけの物寂しい所である。男性の単独行ハイカーさんも降りて、同じく鼻曲山に向かう模様。おニューのリュックサックを背負って歩き出す。
車道を先に進み、「軽井沢ふれあいの郷」入口を右へ。別荘地を通り抜け、下生えに青々としたシダが点々と茂るカラマツ林の中の未舗装の林道を緩く登る(一般車両は通行不可)。カラマツ林を透かして見える県境稜線も緩やかなスカイラインを描く。この道をなぜ乙女コースと呼ぶかは知らないが、その名の示すイメージ通りの穏やかなコースであることは確かだ。
林道を横断すると「←きりづみ温泉」の道標があり、山道に入る。カラマツの落ち葉に覆われた道をしばらく辿ると、落葉した雑木林の中の道となり、右山腹をトラバースして山間に入って行く。やがて、鼻曲山への直登コースと鼻曲峠への巻き道コースの分岐に着くが、後者は崩壊のため通行止となり、廃道化している。
ここから道は斜度をちょっと増す。山腹を斜めに上がり、尾根上に出て冬枯れの明るい雑木林の中を登る。行く手に鼻曲山の頂上付近を仰ぎ、右手には鼻曲峠辺りの県境稜線が既に同じ位の高さに見える。
頂上直下のササとススキの草原の登りに取り付くと、背後に展望が開ける。眼下には雲海が広がって、八ヶ岳や奥秩父、富士山を遠望する。軽井沢は雲の下だから、まだ天気が悪いだろう。普通、山麓より山上の方が天気が悪いものだが、今日は珍しく逆である。ただし、上空にはうろこ雲が広がっているから、天気は下り坂だろう。
急坂を登り切ると県境稜線上の小天狗(1655m標高点)に着く。山名標の類は特になし。浅間山を仰ぎ、浅間隠山もよく眺められる。稜線を左に進んでみると国境平と二度上峠の分岐点となり、古い道標が立つ。
小天狗に戻り、稜線をさらに先に進むと鼻曲山(大天狗)頂上に着く。こちらの方が小天狗より明らかに低く、山名標の標高も1654mとなっている。でもまあ、鼻曲山の頂上は大天狗、標高は1655mで良いだろう。
頂上の北面は樹林に遮られて展望はないが、東面から南面にかけて眺めが開ける。東面は山名の由来となった岩壁が切れ落ち、烏川源流域の森林を俯瞰して、角落火山群の雨ん坊主、角落山、剣の峰の三座が並んで見える。いずれも登ったことのある山だが、また登りたくなるような怪蜂と言って良い個性的な山容をしている。その後ろには榛名山、遠くには赤城山の山影を望み、関東平野を見渡す。
南面には、これから縦走する県境稜線が逆光の中に黒々と連なり、少し左の奥には妙義山のギザギザの稜線を望む。展望を堪能したら、出発するとしよう。
「霧積温泉→」の道標を見て、頂上から急降下。下り着いた鞍部が鼻曲峠だ。右に分岐する乙女コースへの巻き道は前述のように通行止。振り返ると右側が切れ落ちた鼻曲山を仰ぐ。少し先で左に十六曲峠・霧積温泉への道を分ける。今日ここまでの行程は、1982年正月に霧積温泉に泊まって逆コースで歩いたことがあるのだが、30余年も前なので、ほとんど記憶にない。
(ノートの登山日誌に記した当時の山行記録を読み返すと、鼻曲峠直下の天狗坂が凍っていて難儀したこと、乙女コースの下りが延々長かったこと、霧積温泉の飼い犬が長日向までついて来たこと、行き帰りの急行列車がガラガラだったことなどが書かれている。霧積温泉の様子は覚えているので懐かしい。いつかまた泊まりたい。)
鼻曲峠から短い急坂を上って着いたピークには「金山 1602m」の山名標がある。雑木林とミヤコザサの稜線を緩く下り、鞍部から留夫山(とめぶやま)へ標高差150mを登り返す。登り着いた留夫山頂上は小広い平地となり、真ん中に一等三角点標石(点名、長倉山)が鎮座ましましている。疎らな樹林に囲まれて展望はないが、雰囲気は明るい。腰を下ろし、クラッカーを食べて小腹を満たす。
留夫山からは大下りとなる。疎らな雑木林に覆われた尾根の下りは最初は急だが、やがて広い斜面の緩い下りとなる。行く手には一ノ字山がこんもりと盛り上がり、振り返れば留夫山が端正な金字型の山容で聳える。高原的な雰囲気のある鞍部から1419m標高点まで少しの登りがあるが、その先は広く平坦な尾根を直進してゆるゆると下る。足にお任せで歩ける楽な道で楽しい。
登山道が左にカーブして降り始めた地点で、右側の雑木林に入って一ノ字山の三角点標石(点名、一ノ字)を探す。GPSに登録しておいた三角点の位置がいい加減だったので、探すのにあちこち歩き回って手間取ったが、積もる落ち葉の中にようやく見つけ出す。
登山道に戻り、斜面を緩く下ると旧中山道に降り着く。思婦石(おもふいし)という歌碑があり、案内板によると群馬郡室田の国学者、関橋守が1857年に建てたとのこと。「ありし代に かえりみしてふ 碓氷山 今も恋しき 吾妻路のそら」という歌が刻まれている。
旧中山道を右へわずかに上がれば旧碓氷峠に着く。ここは安政遠足のゴール地点。私も以前、参戦したことがあり、ヘロヘロになってここに辿り着いた。熊野神社にお参りして行こう。参道入口の狛犬は室町時代中期の作で長野県最古のものとのこと。神社の参道と境内の中心を県境が通り、群馬県側に熊野神社、長野県側に熊野皇大神社の社殿が県境を挟んで並び建つ。熊野と言えば八咫烏ということで、八咫烏の御札・御守に加えて、JFA日本代表エンブレム入りの御守が頒布されていたりする。
昼食場所は旧碓氷峠見晴台がいいかな。見晴台に行くと関東平野や妙義山を一望。観光客も三々五々やってきて、展望を楽しんでいる。少し風があるが、東屋でWHITE BELGを飲み、鍋焼きうどんを作って食べる。熱い物が美味しい季節になった。ガソリンストーブのバルブを回すと燃料が少し漏れるので、帰ったらメンテナンスしなくては。
見晴台から遊覧歩道で旧軽井沢に下る。しばらく稜線に絡んで進み、折り返して車道を歩道橋で渡ると大きくジグザグを切って谷間に下る。遊覧歩道というだけあって、急坂のない歩き易い道である。
渓流に架かる橋を渡ると別荘地に入り、車道を下る。雲海は既に消え、弱い日差しが差し込む。「中部北陸自然歩道」の他に「中山道」の道標があるから、この区間も旧街道なのだろうか。
矢ヶ崎川に架かる二手橋を渡ると、かつての中山道の軽井沢宿、近代は外人宣教師の避暑地、現在は旧軽井沢メインストリートとして知られる繁華街に入る。避暑の季節はとうに過ぎているというのに、内外の観光客でごった返している。さすが三連休。しかし、こういう賑わいはお祭りのようで嫌いではない。お土産にタルトと地ビールを買い、ソフトクリームを舐めつつ軽井沢駅に向かう。
軽井沢駅に着くと、上り新幹線が直前に発車したところだった。駅前の土産物屋兼食堂でフライドポテトをつまみつつビールを飲んで小一時間待ち合わせたのち、15:05発の新幹線に乗車。ガラガラの自由席にゆったり座って、桐生への帰途についた。