御嶽山〜桂山〜雷電山・鳶山

天気:
メンバー:M,K,T
ルート地図 GPSのログを地理院地図に重ねて表示します。

やまの町桐生の関係者で連れ立って、菱町の御嶽山(おんたけやま)、別名、姥穴山(うばなやま)に登り、御嶽講の石像・石碑群を見学したことがある。このとき見た三笠山大神は台座のみで、石像はなかった。4年前のことであるが、疾うの昔に破損して失われてしまったのだという。

先日、この三笠山大神の石像の頭部を含む破片を付近の土中から発見したとの情報が、やまの町桐生の掲示板に寄せられた。発見したのは今年の春で、現物は現地に置いたままらしい。これは是非見たい、とのKさんのリクエストにお応えし、Mさんにも同行頂いて御嶽山を再訪しました。

残念ながら、頭部はどこに行ったのか見つけることができず、対面はかないませんでしたが、御嶽山から藪尾根を縦走して桂山、雷電山を周回し、雷電山の富士講の石造物を探訪。帰りがけに峰続きの鳶山にも登って、桐生地域百山の未踏の3座を一気に巡る充実した山歩きの一日となりました。Kさんによる記事はこちら→姥穴山〜桂山〜雷電山鳶山

御嶽山〜桂山〜雷電山
行程:駐車地点 9:05 …御嶽山(380m) 10:30〜10:55 …桂山(281m) 11:50〜12:30 …雷電山(225m) 12:45 …庚申塔 13:45 …駐車地点 13:50

御嶽山南麓の米沢集落から山間に入り、数基の庚申塔や石祠が建ち並ぶ路側の広いスペースに車を置く。右手にはネット越しにゴルフ場の芝生が広がるが、正面に御嶽山を仰ぎ、左右を山に挟まれて、なかなか鄙びた感がある。今日はここを起点に、いにしえの御嶽講の参道を登ろうという算段である。

駐車地点から少し戻ってY字路を左に入ると、ゴルフ場の境界柵に突き当たり、門扉はあるがガッチリ施錠されている。Mさんによると、ゴルフ場が公道を勝手に通せんぼしているそうだ。という訳で、ここはゲートを乗り越えて罷り通る。プレー中のゴルファーが居り、飛んで来たボールが当たりでもしたら大トラブル必至なので、進入は自己責任で。

駐車地点より仰ぐ御嶽山
ゴルフ場内を突っ切る

車道を直進して反対側の境界柵の手前まで行くと、ゴルフ場敷地内の小さな沢の岸に不動尊と竜頭(たつがしら)が置かれている。参考URL(下記)で写真は見たことがあるが、やはり実物を拝むと立派で有り難みがある。竜頭の下の石垣の間にも小さな不動尊が祀られ、御嶽山までの道程の「五丁」を刻んだ標石もある。

不動尊
竜頭
竜頭の下の不動尊
五丁の標石

ここから境界柵の外に出る門扉も施錠されているので乗り越えて、小さな沢の左岸の尾根に取り付く。登る人がなくて藪に覆われているが、やがて尾根上に参道らしき道型が現れて、少し歩き易くなる。疎らに松が生える尾根は明るく、桂山の丸い頂きが眺められる。

御嶽山参道跡を辿る
桂山を望む

尾根上の旧参道を登って、前回も見た倒れた石碑を見つけると、これを手始めに御嶽講の石造物が次々に現れる。石像の足部だけが残り、台座に「真精 明治三午年三月大吉日」と刻まれたもの(神変大菩薩のようだ)や、「明治四未年六月吉日 願主 久保政吉」と刻まれた「金比羅神社」の石碑、倒れた像の一部と台座が残る八海山大神を見る。

金比羅神社
八海山大神

さらに尾根上の旧参道を登ると三笠山大神があり、露岩の上に「真精講」と刻んだ台座が残る。石像の破片はあるが、発見されたという頭部は周辺を探しても見つからなかった。ご尊顔を拝することができなくて、ちょっと残念。

この後は、小ピーク上に火産(ひむすび)神社、小鞍部に大江女護神、頂上直下の坂の途中に武尊大権現の石碑がある。

三笠山大神
火産神社
「明治四未年 當山 久保政吉」
大江女護神
武尊大権現
「上州新田郡前小屋村 明治四年三月吉日」

御嶽山の頂上に登り着いて一休み。ここの座王大権現は健在である。石祠は、向拝の支柱の片側が折れていたものを、岩をあてがって応急的に修復されていた。

御嶽山から桂山への縦走は、ネット上の数少ない山行記録によると、凄い藪とのことであるが、まあ、行ってみましょー。最初は頂上稜線を西へ緩く下る。疎らな雑木林に覆われた明るい尾根で、藪もなく快適に歩ける。

御嶽山(姥穴山)頂上
石祠と座王大権現
頂上稜線を西へ辿る

頂上稜線の西端で進路を南に変え、木の間から桂山を見おろしながら、落ち葉の積もった急斜面を降りる。幹に太い棘が密生した凶悪な木(カラスザンショウ?)が多く、うっかり幹を摑もうならば酷い目に遭うこと必定。

木立の間に桂山を俯瞰
鞍部に向かって急降下する

桂山との鞍部に近づくと、今度はスズタケの藪が現れ、深いところでは身の丈を没す笹藪となる。微かなケモノ道を利用して藪を抜けると、伐採地に出て桐生市街の展望がポッカリと開ける。赤城山の頂きには雪雲がかかり、この様子では高山はかなり寒そうである。

鞍部付近の笹藪
桐生市街の展望

鞍部から低木の藪を右に左に避けつつ登り、桂山の頂上に到着する。御嶽山から桂山までの藪が深いのは先達の記録の通りだが、まあそんなに凄い部類の藪(=通行不能)ではなかったのは幸い。

頂上は落葉した雑木林に囲まれているが、切り払いから御嶽山や南麓のゴルフ場、小俣の石尊山が眺められる。もうすぐ正午なので、ここで昼食とする。レジャーシートを広げて腰を降ろし、Kさん差し入れのパンやハム、ゆで卵を美味しく頂く。

桂山頂上
頂上から石尊山を望む

昼食後、雷電山に向かう。スズタケの深い藪を抜けると、寄棟造(よせむねづくり)と流造(ながれづくり)の石祠が左右に並ぶ雷電山の頂上に着く。寄棟造の方は塔身に刻まれた文字が逆さまだし、(後日、写真を見て気付いたが)屋根の向きも変だ。倒壊した祠を戻すときに、向きを間違ったのだろう。雷電山の祠のすぐ先には、焚火の跡が残る小さな広場がある。御嶽山も眺められて、雷電様に詣でた人が一服しそうな場所である。

雷電山への稜線
雷電山頂上の石祠
雷電山頂上から御嶽山を望む
雷電山頂上の広場

雷電山の先は岩と松の多い尾根となり、正面に城山や彦谷湯殿山、右側には広沢(八王子)丘陵や小俣辺りの平野を眺めて、低山らしからぬ開放感がある。僅かに下ったところに立派な台座に乗った石祠がある。破風に「富士山」の銘があり、確かに富士講の石像物である。また、台座正面には右横書きで「國家安全」と刻まれている。

岩と松の尾根
富士山の石祠

この先は、山麓のゴルフ場と集落を俯瞰しながら急な尾根道を下る。富士講の石碑、石祠や合目石などが多数残っており、一つ一つ訪ね歩くのは面白い。途中の大きな岩根の基部には「七合五勺」の標石があり、岩の陰に「亀磐龍神」の石碑がある。

食行(じきぎょうみろく)身禄霊神
「明治三十五年十一月吉日」
八合の標石
御嶽山を望む
亀磐(七合五勺)
七合五勺の標石
亀磐龍神

少し下った所の岩場には石祠があり、塔身に「大先達 寶山傳行 講社中」、台座に「北口講」の文字が見える。樹林の中に入ると尾根が不明瞭となって踏み跡も散逸しがちだが、「高尾山飯縄善神」の石碑、「五合」の標石、「冨士森稲荷大神」の石碑、「三合」「二合」の標石と、富士講に関わる石造物を多数見ることができる。

石祠
高尾山飯縄善神
冨士森稲荷大神
二合の標石

最後は庚申塔5基と石仏2体が建ち並ぶ地点に出て、車道に下り着く。逆コースで登る場合も、ここが参道入口となる。ここから駐車地点へは、車道を歩いて僅かの距離である。

庚申塔
駐車地点へ戻る

参考URL:やまの町桐生「菱の御嶽山を登る」、「菱・御嶽山」、「富士山」の各記事。

鳶山
行程:菱風園バス停 14:05 …作業道終点 14:20 …鳶山(210m) 14:25〜14:35 …菱風園バス停 14:55

鳶山は桂山から南西に派生した尾根上の三角点峰で、桂山、雷電山とセットにして菱町米沢三山とでも呼びたいような位置関係にある山である。この三山は、いずれも桐生地域百山に選定されている。今日は、桂山と雷電山に登ったので、ついでに鳶山にも登ることにする。南麓の県道小俣桐生線の横山坂付近から登れば、往復1時間弱の小山である。

横山坂の菱風園バス停付近に広い路側スペースがあり、ここに車を置く(あとで分かったが、ここは近隣住民の駐車場になっており、駐車は遠慮した方が良さそうである)。

菱風園バス停の角を折れて菱町横山公園の右を上がり、住宅地を抜けて切り開かれた斜面に付けられた作業道をジグザグに登る。途中の斜面には、太陽光発電パネルがぎっしりと敷き詰められている(帰りに気がついた)。南向きの斜面で、太陽光発電には適しているのだろう。斜面の上部は奇麗なススキ原に覆われて、広沢丘陵の眺めが良い。

菱町横山公園
斜面に付けられた作業道を登る
斜面を覆う太陽光発電パネル群
ススキ原から広沢丘陵を望む

作業道を忠実に辿ると、樹林に入って終点となる。ここから短い距離だが藪を搔き分けて、三角点標石のある鳶山頂上に着く。

頂上は冬枯れの雑木林に覆われて、展望には恵まれない。木の間を透かして、なんとか桂山が眺められる。桂山は結構遠くに見え、そこに続く尾根はなかなか藪が深そうである。

作業道終点
鳶山頂上

鳶山は頂上に三角点標石しかない地味目の山だが、静かで落ち着ける雰囲気が好ましい。しばらく休憩した後、往路を戻って下山した。