御嶽山(菱町)
土曜日の朝、良く晴れているし洗濯でもするべ、と寝ぼけ眼を擦っていたところ、桐生山野研究会のMさんから、これから菱町の御嶽山に行くので来ませんか、とのお誘いの電話が掛かって来た。二つ返事で承知して、急いで洗濯を済ませ、集合場所の桐生山野研究会のYさん宅に向かう。「やまの町桐生」代表幹事代行のKさんも参加して、一行4人で白葉(しらっぱ)峠まで車で移動する。
峠まで旧道を歩いてみるとのことで、峠の手前のカーブの路側に車を置き、Yさんの先導で出発する。旧道と言っても、この辺りには最近、大々的に山林作業が入っていて、道型はほとんど残っていない。昨夜かなり降った雨でぬかるむ山肌をずり上がる。
白葉峠から御嶽山(別名、姥穴山)への稜線に入ると、すっかり冬枯れの雑木林の中の快適な山道となる。稜線を緩く登り降りして進むと、桐生市街の眺めが開ける場所がある。雨上がりで空気が澄んでいて、吾妻山の向こうに赤城山がくっきりと見える。
立派な道標のある城山分岐を過ぎ、頂上へ最後の急登となる。かなりの急斜面で、比較的新しいトラロープが張られているのを頼りに登る。
急坂を登り切ると、東西に細長い山頂の一角に出る。右に進むと、石祠と座王大権現の石像、「姥穴山(御嶽山)380.2m」と書かれた山名標がある。ちなみに、この山は御嶽山、姥穴山の他に障子山、桐生富士という別名も持つそうな。
頂上で飴玉を嘗めて暫く休憩したのち、南麓の城山カントリー倶楽部に落ちる尾根を下る。この尾根にある御嶽講の石像・石碑群を見るのが今回の山行の主目的だ。麓から登る道はゴルフ場によって遮断されて通行出来ないので、石像を見たら御嶽山まで登って引き返すことになりそう。
枯れ木の小枝が少々うるさい急な尾根を下ると、すぐに武尊大権現の石碑がある。なおも下ると小ピークとの鞍部に着き、遠く秩父山地まで見晴らしが利く。ここにも大江女護神という石碑がある。さらに小ピークまで進むと、火産(ひむすび)神社という石碑もあり、宗教モニュメントが点在する。
三笠山大神の石像は、小ピークから緩く下ったところの大きな露岩の上にある。残念ながら上部は欠けて失われ、台座を残すだけだ。露岩の傍らには「三笠山大神」の石碑があるが、これも上部が欠けて「立山大神」になっている。
次の八海山大神を目指してさらに尾根を下る。左には小俣の石尊山が意外と立派な山容を見せている。そちらへ伸びる尾根は、春先のアカヤシオが見事だそうだ(Yさん談)。このあたりは露岩や松を交えた、如何にも石祠とかがありそうな尾根なのだが、どうもルートを逸れていたらしく、右に進路修正を図って、山麓のゴルフ場をちら見しながら、落ち葉の斜面をトラバースして下降する。
ひとつ西の正しい尾根に辿り着くと、そこに倒れた石碑があった。比較的新しいものらしい。近くには一心霊神の石碑もあった。この間、Kさんは一行とはぐれてゴルフ場まで下ってしまい、ゴルファーを驚かせたそうだ。しかし、無事に合流。尾根を登って御嶽山に戻りながら、残りの石像を探す。
こちらの尾根上には、そこはかとなく道が残っている。すぐ上には「真精」「明治三午年三月大吉日」と刻まれた台座があるが、その上の石像は欠けて失われている。また、金比羅神社の石碑もあり「願主 久保政吉」と刻まれている。
道端に四丁の石碑が倒れているのを見つけたのを機に、昼食とする。正午をだいぶ過ぎていることもあり、お腹が減った。Yさんの奥さんに頂いた山椒入りのおにぎりがうまい。
お腹が満足したら探索を再開。尾根を10分程登ると、大きな露岩の上に八海山大神の石像がある。石像は足元で折れ、胴体部分が横になって台座に乗った状態だった。写真は像を立てた状態で撮影したもの。頭も失われているが、右手に剣、左手に珠を持っていることがわかる。
これで、御嶽講の三座神の石像を見ることができた。これまでも山歩きの途中で石像や石碑を見かけることは多かったが、今回のようにそれらを探して山を歩くのも、なかなか面白い。像が台座から転げ落ちないよう、元通り横倒しにして、往路を戻る。御嶽山からの急な下りを注意して下れば、あとは白葉峠までは楽な道のりだ。峠からは車道を下り、車に戻った。
参考URL:桐生山野研究会「菱の御嶽山を登る」。