川手山
偏平足さん著「里山の石仏巡礼」は、山に祀られた多種多様な石仏を、一つの山につき一体ずつ取り上げて紹介した本で、読めば石仏を訪ねて山歩きがしたくなる好著である。
この本を読んで特に興味を惹かれた石仏の一つに、新治村(現みなかみ町)川手山の馬鳴(めみょう)菩薩がある。丸彫りの馬に乗った仏様という珍しい石像で、是非、実物を見てみたい。また、川手山は地形図に山名がない小さな山だが、山中には多数の岩屋があり、山岳信仰の石像が納められていると言う。これはなかなか面白そうだ。
暑さもようやく盛りを過ぎ、そろそろ県内の低山が歩ける時期となったので、群馬300山の川手山の記事をガイドにして、石仏同好の士のKさん、Mさんと共に訪ねてきました。
桐生を車で発ち、R17(三国街道)を走って布施で左折。赤谷川支流須川川沿いの道に入る。最奥の民家を過ぎると未舗装の林道となり、山間に分け入る感が強い。悪路のため、川手森林公園入口から先に乗り入れることは断念。車を置いて、歩き始める。
川手山登山口まで約2.5kmの林道歩きは予定外だが、途中の須川川の渓流はナメが奇麗だし、今日は快晴なので気分も明るい。おまけに、途中で山栗をたくさん拾ったから、一時間弱の余分な林道歩きも収穫大、結果オーライだ。
川手山登山口は意外と開けた谷間で、WCや東屋があって休憩に適している。林道を直進すれば、霧峠を越えて四万温泉に通じる。登山口には新治村が建てた「川手山光り苔ご案内」という古い地図看板や、「群馬県指定天然記念物 入須川のヒカリゴケ自生地 川手山の洞窟群及びズニ石」の説明看板がある。それによると、この地域一帯は、凝灰岩質堆積岩とそれに貫入した石英閃緑岩からできており、熱水変成や浸食によって多数の洞窟や石門、岩塔が形成された、とのこと。
登山口には注連縄が張られ、川手山を周回する遊歩道(というか山道)が左右に分かれる。左回りで周回することにして、右の道に入る。ササが生い茂る杉林の中の道はふかふかの草に覆われて、最近、人が歩いた痕跡がない。紅葉には早いので、まだこの山に登るシーズンではないのかな。少々荒れ気味だが、道型ははっきりしている。山向こうがヒルで悪名高い四万なので、足元を気にかけて歩くが、幸いここには進出していないようだ。
水の少ない沢に沿って登ると、雑木林に入って傾斜が増し、大岩が点在する。やがて「弥勒菩薩」の立て札があり、大岩の下に首が落ちた石像が祀られている。年代は不明だが、あまり古いものではなさそうな感じ。
ここからいろいろな見所が続く。少し登ると左に岩屋(大黒窟)があり、「光苔」の立て札がある。柵越しに岩屋の中を覗き込むが、それらしいものは見えない。登山口の説明板には「量と美観で全国的に有名」と書いてあって大いに期待していたのだが、残念。
踏み跡を辿って急斜面を登ると「産泰(さんたい)神」の立て札があり、岩壁の中腹に開いた岩屋に石仏が祀られている。風化が激しいが、子供を抱いているところから、子安観音のようだ。なお、後日調べたら、産泰神社は総本社が前橋市にあるそうだ。
馬鳴菩薩はこの直ぐ上の岩屋におわす。人の胸までの高さ程の円形後背から頭を下げた馬の半身が突き出し、天衣(てんね)を颯爽と靡かせて菩薩が乗っている。期待以上に立派で写実的、そして美しい像だ。新治村教育委員会が設置した「馬鳴菩薩」の説明板があり、いろいろ勉強になることが書いてあるので、長くなるが記録も兼ねて引用しよう。
仏教は大きく分けて如来、菩薩、明王、天の四…に分けることができます。
菩薩は勇猛精進する修行者の意味であって、最高級の如来に次ぐ階級の仏像で、在家俗人の姿で現わされています。
入須川の馬鳴菩薩は、養蚕機織の尊であって貧窮の人々に衣服を与える菩薩として祭られた。中国の民間信仰に由来するものであったが仏教的な信仰で伝えられた。
像の形は、馬にまたがり、雲の上をゆっくり歩き、各手には糸わく、まゆ、布、桑の枝を持ち、蚕卵紙より掃き立てております。
願主は、布施 月桂山千手院(十九世)月海法印本名は信七郎、享和年間に生まれ、明治五年九月、七十一才で寂滅された。
生涯信仰にあつく、大峯山、川手山でそれぞれ千日間の仏道の行を修められた。
現存する行者窟で天徳寺(旧沼田町)の弟子と共に護摩行を勤修して、その灰で多くの大黒天の像を造り、村人に配り勤められ現存している。
また川手山の千日の満願の日にお祝いに登った村人は、法印の御体から御光がさしているのを見たとの話がいい伝えられている。特に光苔(天然記念物)もあり神々しく感じられたのだと考えられる。
彫刻は、月海法印の弟子原沢忠五郎氏(大塩)が法印の書かれた絵をもとに明治元年に完成した。川沿いの分れ道までは村人により運ばれ、それより信者の力士金ヶ崎(大影の人、越後の生れ)が一人で一夜の中に現在のところまで運んだといわれている。
馬鳴菩薩から落ち葉に埋もれた階段を登り、ロープを伝って岩壁の基部をトラバースする。まだ緑が鮮やかな樹林の中を登ると不動明王の岩屋があり、狭い岩屋の奥に風化した不動明王像が祀られている。
不動明王の近くに、月海法印が勤行したという行者窟がある。ガイドによると、ここにズニ石があるはずだ。数mmの結晶らしいので探してみたが、それらしい物は見つけられなかった。ヒカリゴケとズニ石は、残念ながら空振りだったなあ。
次は「妙石洞」の立て札のある岩屋で、女性が横向きに祈っている石像が祀られている。岩塔を左に見て階段を登り降りすると「見晴台」の立て札があり、左に踏み跡を辿って、崖っぷちの小平地に出る。眺めが良くて寛げるので、ここで昼食とする。
早速、林道歩きで拾った山栗を茹でて食べる。山栗は現地で茹でて食べるのが美味しいよ、とは、4年前の熊鷹山で今は亡きつれづれさんから教わったことだ。今日の山栗もホクホクして甘く、大変美味しい。それから焼きそばを作って食べ、お腹いっぱいになった。
のんびり休憩したのち、川手山の頂上に向かう。「蔵王権現」の立て札がある岩場には、どう見ても招き猫の新しい石像がある。「二十二夜様」の立て札のある岩屋には石像はなし。「大日ヶ岳」という立て札は、背後の岩の小ピークを指しているらしい。
「石南花(しゃくなげ)の群落」という立て札から右へ道のない樹林に入り、僅かに登って川手山の頂上に到着する。樹木に囲まれた狭い頂上は、立ち木にGさん山名標があるだけで、展望はない。少し北に降りると林が切れ、北側の雨見山辺りの山々の眺めが得られ、ここならば腰を下ろして休憩できる。
山道に戻って、川手山周回コースの復路に入る。尾根を階段で下り、少し登り返すと「十二山神」の立て札。傍の岩屋の中に「十二山神」の小さな石碑が置かれている。
さらに下ると、復路のハイライトの石門が現れる。屛風のような岩稜にぽっかりと大穴が開き、中を悠々と通って下る。振り返って下から眺めても、なかなかの奇観である。
杉林と雑木林の混じる山腹を下ると、最後に「月海法印」の立て札のある岩屋の前を通る。中にある二つの石像は新しく、(作者には失礼だが^^;)素人の作とお見受け。片方は胸像で「天然記念物 数々発見者 笛木弥一郎先生」と刻まれている。
笹原が奇麗な雑木林を下り、登山口に降り着く。あとは林道を歩いて駐車地点まで戻るだけだ。途中でアケビを見つける。アケビを食べるのは久しぶり。良く熟した中身は、ほの甘くて美味しい。皮も調理すれば酒の肴になるそうで、Mさんのお持ち帰りとなる。
帰りは奥平♨遊神館に立ち寄る(550円→JAF割引で450円)。設備が奇麗で快適。400円で入れる優待券も貰ったので、こっち方面の山に登ったらまた寄ろう。軽い山歩きだったが、石仏に自然の造形美、秋の山の幸、温泉を一同満喫して、桐生への帰途についた。