梵天山〜623m三角点峰
以前、大畑山〜荒神山の稜線を歩いたとき、谷一つ隔てた東側に、こちらの稜線と同じ位の高さを保って平行に連なる稜線があるのを見て、ちょっと興味を持って眺めた。
地形図を広げて見るとこれは大畑山から南下する稜線で、一旦、標高を600m以下に落とすが、等高線で数えて660mのピーク(最高地点)と623m三角点峰を起こしたのち、緩やかに高度を下げて、大間々町浅原辺りに落ちるそこそこ長い山稜である。
623m三角点の点名は東山麓の集落の名をとって瀬見というが、山名は不明だ。登ったという記録もネット上にはない(R.K氏は登頂しているに違いないが、氏は記録を公開していない)。まあ、多分藪か植林の山なので、普通の山歩きの対象になっていないのだろう。
しかし、これだけの標高がある三角点峰は、桐生近郊にあっては貴重である。果たしてどんな山なのか、一度は訪れてみなければなりますまい。という訳で、数年来の宿題になっていた山を、これも気になる山の一つの梵天山と結んで登ってきました。
桐生の自宅を遅目の8時頃に車で出発。県道小平塩原線を走って、登山口の小平の大杉の駐車スペースに車を置く。ここに来るのは3回目位だが、この大杉の偉容には毎度感嘆する。
梵天山の登路は、やまの町桐生やオッサン、ハイトスさんの記事が参考になる。それによると、梵天山の南面を巻いて西側を登るようであるが、地形図を見ると東側の窪も等高線が緩くて登れそうな感じである。まず、東側を試してみよう。
駐車スペース裏手の杉林の中の踏み跡を直上すると、すぐに巻き道に出る。これを辿って左に行くのが通常ルートだが、ここは突っ切ってさらに杉林を直登すると、お目当ての窪が見えて来た。しかし、両岸は高くて脆い岩壁で、正面は急なナメ状の滝だ。水量は湿る程度で、冷え込みで氷柱が下がっている。鎖があるとしたらこの滝に架かっていそうだが、ちょっと見では見当たらない。いずれにしてもこの滝を越えるのは危険極まりないので、あっさり引き返して南面の巻き道に入る。
巻き道も庚申と刻まれた石があり、かつての参道のようである。東側から登って西側に下る周回ルートがあったのかも、と想像。西側の沢に沿って岩棚をトラバースし、少し進むと笹藪に突き当たって巻き道は終了する。ここから右側のガレた急斜面を直登する。すぐ頭上に稜線が見えるので、そこを目標に頑張って登る。
這い上がったところは梵天山の背後の鞍部で、右に僅かに登って梵天山の頂上に着く。枝振りの良い松の木の下に庚申塔が立ち、その周りにいくつかの庚申の石碑がある。この庚申塔は六面に文字が刻まれた立派なもので、素晴らしい出来である。頂上は三方が断崖絶壁となり、小平川の谷を見おろして深山幽谷の雰囲気がある。
梵天山で一服したのち、最高地点に向かって尾根を登る。鞍部に下って登り返すと、開けた岩場の上に石祠が祀られている。
石祠を過ぎると岩稜が現れる。ボロボロの岩質で崩れ易く、最初にホールドにしようとした岩が剝がれそうなのを見て、直登は嫌になる。右の谷に降りて杉林の斜面を登ると、岩稜を容易に巻いて稜線に復帰できる。しばらく杉林の中を登ると、明るい雑木林に覆われた尾根に出る。
やがて樹林が切れて展望が開けた小ピークに登り着く。低い松の梢越に大畑山や丸山方面の山々が眺められる。眼を南に転じれば、小平川の谷と細かな山並みの向こうに関東平野が霞んで見える。今日は良く晴れて風も穏やかで、1月にしては暖かい。
展望ピークから小さなピークを2つ程上下して、松と雑木の明るい尾根を辿る。最高地点の登りにかかる手前には、尾根を横切る道型がある。最後に短い急坂を登り上げて最高地点に着く。疎らな雑木林に覆われて陽射しはあるが、少々藪っぽくてパッとしない山頂だ。この山稜の盟主とするには、ちょっと物足りない。
水を飲んで一息入れたのち、稜線を南に辿る。ヒノキの植林帯と雑木林の境目を進み、道型は全くなくて小枝が煩い個所も多少あるが、歩き易い。緩やかで小さなアップダウンしかなく、楽チン快適な稜線歩きだ。展望には恵まれないが、一部のヒノキ林の切れ間から赤城山が大きく眺められるほか、雑木林を透かして鳴神山稜が見える。
やがて稜線が広くなって高い松林が混じり始めると、程なく623mの三角点に到着する。ヒノキ林と雑木林に覆われ、落ち葉が散り敷いた小平地の中央に三角点の標石があり、傍の立ち木にはやっぱりR.K氏の標高プレートが架かっている。三角点標石の周囲は木立に陽射しを遮られて薄暗いが、稜線を僅かに進んだ所は雑木林の明るい緩斜面で休憩適地だ。落ち葉の上に腰を下ろして、定番メニューで昼食とする。
この山頂から、稜線は二手に分かれて南に下っている。今回は西側の稜線を辿ってみる。稜線は緩く広がり、進路を定めるのが難しい。気持ち良さそうな雑木林の緩斜面に引き込まれて、西側の斜面を間違って下りかけた。失敗、失敗。進路を修正する。
雑木林に覆われた広くて緩い稜線をずんずん下る。これはなかなか気分が良い。やがて、稜線が細くなってヒノキ林に入り、鞍部から小ピークに登り返す。東側が伐採された斜面で展望が開け、振り返ると623m三角点峰がなかなか風格のある山容を見せている。その右側には、高鳥屋山から赤地山辺りの山々が意外と険しくて高い稜線を連ねている。
次の小ピークが421m標高点で、こちらも伐採地からの眺めが良い。眼下の谷には、月下沢(つきげさわ)という雅な名の集落の民家や耕地が見える。
421m標高点から少し下がった所に、大間々町基準点の栄えある?No.1標識がある。標高が下がって来たため、この辺りから灌木藪が段々煩くなる。枯れて倒れた松の木も多い。
稜線の末端近くまで降りて来ると、稜線を横切る山道に行き当たる。これを西側に辿ってみたが、藪が酷いので諦めて稜線に戻る。稜線をさらに下ると、すぐに高い松や常緑樹が寄り集まって生える一角があり、その中に石祠が祀られている。参拝する人が絶えて久しいのか、木立に這い入らないと近づけない。銘はないようだ。
石祠から左寄りに下る。参拝の山道らしい道型はあるが、杉の植林の下枝と笹藪が煩い。
里山らしい藪に閉口して下って行くと、林間の開けた場所にポンと降り着いた。ここには多数の石祠があり、数えてみると石碑1つを含めて10基の石祠が祀られている。新しいものと古いものがあり、正月にお参りする人があったのか、各石祠の前には御幣がお供えされている。その内の1基には、屋根の破風に「愛宕山」の銘があり、側面には「文政十一戌子(1828)…月吉日 世話人請中」と刻まれている。ここからは広い山道があり、すぐに月下沢の谷に通じる車道に出る。
下山地点からは車道を歩いて小平の大杉まで戻るが、すぐ近くにみどり市指定史跡の浅原百観音があるので、立ち寄ってみよう。屋根の下にずらーっと観音様が祀られた様はなかなか見事だ。どの観音様も端正な容姿で、保存状態も良い。説明板によると、天保十(1839)年より2年の間に彫られたものとのこと。
また、隣りのお堂の中には水場があり、説明板によると「湯ノ入り山の薬師の霊泉」というところから700mの距離を引いてきたものだそうだ。飲んでみたら、気のせいか微かに苦みが感じられる。約600年前に浅原村大平に湯ノ入鉱泉が見つかり、鉱泉宿が営まれて栄えたとのこと。湯ノ入り山がどの山を指すのか、興味を惹かれる。
あとはひたすら車道歩き。トレーニングのつもりでピッチを上げる。途中、小平鍾乳洞の前を通るので、八王子山にも立ち寄ろうかと思っていたが、さすがにそんな元気は残っていない。1時間半程で小平の大杉に置いた車に戻り、桐生への帰途についた。