天狗山・東山
天狗山は、草木湖東岸にあると言われながら忘れ去られて、どこのあるのかが不明となっていた山である。したがって、今までに公にされた山行記録はない。
白浜山(1124.9m三角点峰)の地元での別称ではないかという説もあったが、桐生山野研究会のMさんが天狗山に登ったことがあるという同会A氏から聞いた話によると、天狗山は白浜山の中腹にあり(つまり別の山)、草木湖から見てすぐにそれと分かる岩峰で、その頂きには黒木が生えて神さびた雰囲気がある、と言う。
先日、Mさん、Kさんと三境山・田黒山に登った帰りに草木湖ドライブインに立ち寄り、草木湖東岸を山々をつらつらと眺めていたところ、白浜山の中腹にそれらしい岩峰があるのを見つけた。これが本当に天狗山かを確かめるために、翌週に早速登ってきました。
同行するはずだったKさんが当日の朝になって熱を出したため、残念ながら不参加となり、Mさんと2人で桐生を車で発つ。草木湖に架かる草木橋の袂に着くと、対岸に白浜山がのっそりと稜線を広げ、その中腹に件の岩峰が望まれる。岩峰の正面は険しい岩壁で、そちらから登ることは難しそうだが、左右のどちらかの谷を遡って岩峰の背後の稜線から登ることはできそうだ。登頂ルートの目星をつけて麓に向かう。
対岸に渡って湖岸沿いの道路から仰ぐと、背後の稜線を抜いて岩峰が聳り立っているのが眺められる。頂上は黒木に覆われ、小粒ながらなかなかの山容だ。この景観を見て、これが天狗山であるとの確信を深める。
湖岸道路を走って天狗山の下を流れる谷川を渡ると、道端に1台分の駐車スペースがあり、ここに車を置く。僅かに戻った地点から作業道が分岐して、山腹を斜めに上がっているので、とりあえずこれを歩いてみる。
作業道を辿って杉林に入ると、左手に大岩があり、その上に木造の祠が置かれている。何を祀っているのかは不明だ。Mさんによると、天狗山が描かれた足尾通見取絵図には、山麓に天狗之宮の記載があるので、この祠がそれではないか、とのこと。
このすぐ先の作業道右手には石造の鳥居が建つ。作業道は谷川に沿って上流に続いているが、鳥居を潜った先にも細い道型があり、もしかしてかつての参道かも知れないので、こちらを辿ってみることにする。道型が枝沢を渡る所には石組みの橋台の跡があり、昔の道であることは確かなようだ。
しかし、この道型は途中で途切れる。左の山腹を登ると廃屋の裏手に出、表に回って石鳥居で分かれた作業道に合流した。この廃屋はかつての石材店らしい。再び作業道を辿ると、やがて山腹をジグザグに登り始める。作業道は荒れていて、一部に道型が分かりにくい個所があるが、ずっと続いている。
この作業道は、かつて石材を運び出すために造られたものらしい。周囲には花崗岩がゴロゴロ転がっている。冬枯れの雑木林の中をジグザグに登って高度を上げて行くと、行く手に天狗山の岩峰が現れる。頂上直下の岩壁が高くて険しく、なかなか立派な岩峰だ。
転石の多い作業道を辿って山腹を斜めに上がり、岩峰の右の鞍部のすぐ近くまで行く。右に曲がる作業道から分かれて鞍部に向かうと、稜線直下に水流があり、大岩を流れ落ちる水が小滝を成している。稜線直下の滝という、ちょっと珍しい景観だ。
深い落ち葉を踏んで鞍部に上がり、露岩の多い稜線を左に登ると、あっさりと天狗山の頂上に着く。檜に囲まれた頂上には、比較的新しい石祠が建つ。特に銘はなく、何を祀っているのかも不明。多分、石切り場の安全を祈念して建てられたのでは、とMさん。石祠の由来はさておき、確かに天狗が舞い降りそうな磐座である。GPSで標高を読むと748mであった。
下山はちょっと冒険して、西に落ちる尾根を降りてみることにする。木立はあるが頼りないし、傾斜がきついので、念のために持って来た30mザイルを使って降りる。登りならば、ザイル無しでもなんとかこなせるかな、というところ。
少し下ると傾斜が緩まり、草木湖に向かって眺めが開けた場所に出る。時刻は少々早いが、山で食べた方が食事は美味しいので、ここで昼食とする。ビールで乾杯(下山時間が短いので私は一口だけ)して、キャベツがたっぷり入ったラーメンを作って食べる。
昼食後、さらに尾根を下る。この尾根は藪が薄くて歩き易く、登りに使うことも可能だ。しかし、登りながら天狗山の岩峰を仰ぎ見ることはできないので、登路としてはいまいちかも。
末端まで尾根を辿ると、最後は石鳥居のところで作業道に降り着いた。ここから駐車地点までは、作業道を下って僅かの距離だ。
まだ正午を少し過ぎた時刻なので、軽い山ならばもう一山行けそうだ。『桐生市ことがら事典』に掲載されている上田沢の三峰山(678.0m)と同じ標高の名無しの標高点峰が地形図上にあるので、三峰山かどうか調べるためにちょっくら登ってみることにする(実はこの標高点峰は東山と呼ばれていることが判明するが、それは登った後の話である)。
車で移動して上田沢に向かう。栗生神社入口を過ぎ、枝道に入って、山腹の集落の一角に車を置く。地元の方がいたので、そこの裏山の名前はなんですかね、と尋ねるも、名前はないよとのお答え。登るならそこから林道がずっと上まで続いている、との話を聞く。
林道の入口にはいくつかの石像、石碑があり、その中の一つには「百番供養、左山、右沢入、道」、「安永三年甲午七月吉日」と刻まれている。安永三年は1774年、江戸時代後期だから結構古い。また、石像・石碑群の背後には、八坂神社の石祠が祀られている。
左 山道の案内に従って、林道に入る。枝道があるが、道なりに直進して杉林の中をジグザグに登ると尾根の上に出る。
尾根の上には深く掘れた山道が続いている。石祠を過ぎると杉林が伐採された個所に出て、先日歩いた旧村界尾根が眺められる。
尾根を絡んで続く山道を登ると、松の木の根元に二つ目の石祠が祀られている。何か文字が彫られているが読み取れなかった。このすぐ先が678m標高点の山頂だ。
山頂は雑木林に囲まれた平地で、展望に乏しく、木立を透かしてもっこり聳える栗生山が見えるくらいだ。残念ながら、三峰信仰に関わりのありそうなものは見当たらない。ここから先は冬枯れの雑木林に覆われた広く緩やかな尾根が続いており、名のついたピークでもあればちょっと歩いてみたくなるところだ。今日は偵察なので、ここから往路を戻る。
下山して車で帰る途中、道端で庭いじりをしているおばあさんを見かけて、件の裏山の名前を尋ねると、東山と教えて頂いた。その上、ご自宅に招じられて、居間の炬燵でお茶や漬け物を頂きながら、この辺りの山や生活について話を伺った。東山の登り口の集落は東原(ひがしっぱら)といい、我々が探している三峰山は栗生山の南にあるらしい(多分、ことがら事典の三峰山の標高は誤記だろう)。いろいろ興味深い話を伺ったのち、ご馳走のお礼を述べて辞し、帰宅の途についた。