小友沢の頭〜雷電山
前夜の雪が積もった桐生の里山を、ふと思いついて軽く歩いて来ました。
自宅をのんびりと徒歩で出発し、桐生川に架かる幸橋を渡る。風が強く、橋の上の街路灯から虎落(もがり)笛の音が聞こえる。上流に見える鳴神山脈は、薄く雪化粧をしている。朝方はもっと真っ白だったのだが、暖かいのと強風で急速に雪が消えているようだ。
途中のコンビニで昼食用にパンとペットボトル飲料を仕入れ、住吉峠を越えて小友川に出る。御嶽山(姥穴山)の山麓に民家が点在する長閑な場所だ。小友川の奥には、高萩山の端正な三角形のピークが斑な雪模様で佇んでいる。地元の方々が、自動車鈑金塗装工場の大きなガレージに三々五々集まっていて、中から何やら美味しそうな匂いが漂い出ている。先日、掲示板への書き込みで、この時間に近くの山の神でお祭りと宴会がある、という情報を石塚さんから頂いた(←今回の山歩きを思いついたきっかけ)。風が強く寒いので、宴会は屋内ですることになったのだろう。
小友川に沿ってさらに歩くと、道端に顔が半分欠けた地蔵と2基の石碑がある。石碑のひとつは天明八?年(1788年?)と刻まれた庚申塔で、もうひとつは判読し難いが、南無妙法蓮華経と書いてあるような気がする。
舗装道は右折して小友川を渡り、白葉峠へ登って行く。そちらの道は、馴染みのジョギングコースだ。今日は川沿いの砂利道を直進する。すぐに左手に岩場があり、基部に2基、中腹に1基の石祠がある。すぐそこまでは頻繁に来ているのに、ここに岩場と石祠があるとは気がつかなかった。
石祠の前は綺麗に整地され、新しい幣束や酒、魚、赤飯がお供えされていた。つい先程、神事があったのは間違いない。石塚さんの話によると、「桐生の街が機織で賑わっていた頃、この辺りも機屋の持ち山だった。山には多数の山師が出入りし、その安全を祈願するために、地元が委託されて山の神を祀った」そうだ。
山の神にお参りできたので、今日の山歩きの当初の目的は達成。ついでに、小友川の奥がどんなところか、林道をさらに上流へ辿ってみることにする。フェンスで囲まれた釣り堀の跡を左手に見て、雪の積もった林道を辿る。雪道に新しい轍があるのは、誰の物だろうか。この先には人家はないはずだが…
杉林を抜けると、大きな砂防堰堤がある。ここまでは、以前にジョギングで来たことがある。夏だったので、蚊に刺されまくって退散した。もちろん、今日は全然いない。堰堤のバックウォーターも水嵩が少ない。4WDが降りて来たので、轍の主はこれだろう。単に雪の林道が走りたかったようだ。
湖畔の道が終わると再び杉林に入る。4WDはこの辺で引き返したようだ。小さな流れとなった小友川に沿って、杉林の中の暗い林道を行くと、地形図に破線のある尾根の末端に着く。林道は谷沿いにさらに延びているが、ここから破線の踏み跡を辿って尾根を登ってみる。しかし、踏み跡はすぐに消え、急斜面を藪を摑んでよじ登ったら、なんと再び林道に出た。林道をそのまま進めば、ここまで来れたようだ。こんなところで藪を漕いでもしょうがないので、あとは大人しく林道を辿る。
すぐに林道の分岐点に着き、林道小友線の看板がある。吹き溜まりの雪が深くなって来たので、ここでスパッツを着ける。分岐を左に進むとわずかな距離で終点となり、ここから杉林に覆われた尾根を登る。藪は薄いが、枯れ木の小枝が煩わしい。
やがて傾斜が緩くなると、群馬・栃木県境尾根に着いた。登りと反対側の栃木県側斜面は大規模に伐採されていて、石尊山〜深高山の稜線が正面に見える。尾根上までキャタピラが入った痕跡があり、眺めが良いのはいいが些か殺風景だ。
吹きさらしの県境稜線を仙人ヶ岳方面に辿ると、伐採地が終わって雑木林と杉林に挟まれた尾根になる。やはりこういう風情でないと、里山歩きは楽しくない。雪を踏んで登って行く。右手の枝尾根の上には、ちょっとした鋭峰があって目を引く(あのピークには、何かありそうだなあ)。赤松の生えた急坂を登ると、一色展望台と仙人ヶ岳の分岐点に着く。今日はごく軽い山歩きのつもりなので、仙人ヶ岳まで行くのは止めて、左の一色展望台への尾根道に入る。
この道は昨年3月にも歩いている(山行記録)が、積雪があると様子が変わって新鮮だ。風が強いためか、稜線上の雪は波打って積もっている。しかし、南側の陽当たりの良い場所では、雪はすっかり消えている。急坂を登ると小友沢の頭に着く。正午を大幅に回ってお腹も減ったので、風を避けて頂上から少し下がった場所で昼食とする。
昼食を終えて、先に進む。右手には鳴神山脈と、厚い雪雲に頂上を覆われた赤城山が望まれる。標高の低いここでさえかなりの強風なので、赤城山の上の方は厳しいことになっていそうだ。
見晴らしの良いピークを過ぎ、雪に覆われた尾根道を快適に下って行く。途中の403m標高点では、木の幹の高いところに「403M」と書いた木製の古いプレートが掛けられているのに気が付いた。良く見かけるRK氏のものではないようだ。
稜線を緩く辿って、森山展望台に着く。すみれ山好会の立派な道標は健在だが、展望の方は成長した雑木の梢が邪魔になり、見えにくくなりつつある。
このすぐ先が一色展望台だ。こちらの展望は、桐生市街を見おろして相変わらず素晴らしい。八王子丘陵の茶臼山が、意外と鋭い山容を見せている。遠景には、西上州から奥秩父にかけての山々が霞んで見えている。展望台の登山ノートが補充されていたので、記帳させて頂く。相変わらず風が強く、うっかりするとノートを飛ばされそうになる。
ここから、でんべい山に続く稜線とは別れて、久し振りに雷電山に行ってみることにする。鞍部に降りて森山口への下山ルートを右に分け、登り返すと雷電山頂上に着く。頂上には3基の石祠があり、半分入った「赤城山」の酒瓶がお供えされている。石祠には、享和二壬戌年(1802年)二月吉祥日、元禄?奉建立、等と刻まれている。
頂上から急な赤松の尾根を、張られたロープを手摺にして下る。傾斜が緩むと、眺めの良い尾根道となる。ここまで下れば、山に遮られて風もない。
尾根の末端近くには貴船神社があり、高い石組みの上に貴船宮と刻まれた石祠がちょこなんと祀られている。このすぐ下にも3基の石祠が並ぶ。月山、羽黒山、文化二乙丑年(1805年)七月吉日、下野國足利郡小友村と刻まれているので、こちらは湯殿山神社だろう。
民家の庭先を通って、坂下橋の登山口に降り着く。ここには「菱町一色ハイキングコース案内図」の看板が立つ。以前は古い木製の看板だったが、近年、英訳付きの新しい看板になった。コースが判りやすく説明されていて大変親切なのだが、「下山ルート」が The shimoyama route と訳されているのは、外人さんに通じるかなあ(^^;)。あとはぽかぽか陽気の中、車道を歩いて帰宅した。