椀名条山〜根本山
18,19日の週末は、強烈な二つ玉低気圧による荒れ模様の天気。21日になって、ようやく寒気と強風が緩みそうな予報が出たので、安蘇にあってその名前が以前からちょっと気にかかっていた椀名条山(わんなじょうやま)に登り、氷室山から根本山までの県境稜線を歩いて来ました。
この山名のどこに興味を引かれたかというと、意味がありそうでわからないという点と、『三省堂日本山名事典』の後ろから3番目という点。因みに最後尾の二つは湾標山(わんぴょうざん)とヲボソ山。で、実際に歩いてみると、一部殺風景な伐採地はありますが、全体はゆったりとした尾根上の道で、のんびり歩くことが出来ました。
桐生を車で発ち、R122を沢入に向かう。途中、草木ダムあたりから、周辺の山々の梢に夜来の雪がうっすらと積もっている。沢入から黒坂石川沿いの道に入る。意外と新しい建物が並ぶ黒坂石バンガローテント村が現れ、すぐ橋を渡って三叉路の突き当たりが神社。その左隣に2台分くらいの駐車スペースがあり、椀名条山登山口という標識がある。ここに車を置いて出発する。
木の階段で急な山腹をジグザグに登り、杉林を抜けて尾根上に出ると、あとは大体、杉林と雑木林の境界を登って行く。随所に道標があって、良く整備された道だ。右(南)側には木の間から根本山から白浜山にかけての稜線が見える。左(北)側は杉林が多くて展望は効かない。ところどころから横根山、地蔵岳が見える程度。
尾根上を小さく登り降りして、ツガの木を見ると椀名条山の頂上は近い。山頂はいくつかの山名標に囲まれて三角点があるだけの静かな場所だ。展望も木の間にしかない。腰を下ろし、テルモスに入れて来た黒豆ココアを飲んで、しばらく休憩する。
椀名条山から先は標高差100mくらいの間で緩く上下する尾根歩きとなる。突然、右側が開け、広大な伐採地の上端に飛び出る。1月末に根本山から白浜山へ歩いたときも伐採地に出くわしたが(山行記録)、こちらの方はさらに規模が大きい。おかげで氷室山から根本山、白浜山にかけての山稜がよく見えるのはいいのだが、ちょっと無惨な光景ではある。
伐採地を過ぎると再び雑木林の気持ちの良い尾根歩きとなる。ササの下生えのある緩い尾根を登ると県境稜線上の1109m峰に到着。明るい雑木林の中に小さな石祠が祀られていた。ここから南に県境稜線上を歩く。左より前日光林道(大荷場木浦沢線)からの道を合わせる。前をハイカーさんが歩いていて、氷室山神社で追いついた。話を伺うと、前日光林道を車で上がって来たそうだ。
氷室山神社から先も緩い尾根道が続く。すぐに林道椀名条線経由で黒坂石に下る道を右に分ける(古い道標あり)。石碑から左に登ると氷室山という山名標と石祠のある小ピーク。県境稜線の縦走路は石碑から右に進む。次のピークを右に巻かずに稜線通しに登ると1154mの三角点のある宝生山だ。
宝生山を越えて縦走路に合流。あとは十二山までササ原と疎らな雑木林の気持良い道を辿る。途中に中ノ沢登山口への下降点の道標を見る。今日は根本山まで歩いて、そこから黒坂石に下るつもりにしているが、それがダメな場合はここから下山することになる。
十二山で熊鷹山への道を左に分け、右に向かうと小広い十二山根本山神社の境内に出る。根本山の山頂は寒いだろうから、ここで昼食にする。風が当たらず、ぽかぽかと暖かくて缶ビールもうまい。例によってもちスープでお腹を満たす。
ここは何度も通っているのだが、ゆっくり休憩したのは初めて。神社の傍らに石碑があり、じっくり読んでみたので引用しておく。
十二山根本山神社沿革
当社は大山祇命を祀る。古く山岳信仰盛んなころ修験道の霊地として開かれ、人々の深い信仰を集めて来た。明和八年(1771)小野清雲が小石祠を建立、寛政元年(1789)間口約五尺高さ六尺余の総欅造御本殿並に間口約三間奥行き二間半の木造拝殿を構社により建立、文化三年(1806)小野清典が本地仏薬師如来を守る十二神将を納めて以来十二山と呼ぶ。前面平地に間口約八間奥行き四間木造二階の籠堂が南向きに建ち、明治二十九年から昭和二年まで祀職永澤宗次郎親子が居住し、その西北すみに薬師如来と十二神将が納まる。昭和三年社殿共全焼、時に黒沢の有志が木造小宮と上屋を奉納、昭和六十一年九月石宮奉納、上屋はその万ま使用、当碑文は高崎寿著郷土史、黒沢古老の話、撰者九歳頃大正十三年当時の記憶に拠る。拙文多謝。
昭和六十一年九月吉日永澤種次七十歳撰併書
これによると、古くから昭和初期まで信仰で栄えていたことがわかる。十二山から神社の間には丁目が刻まれたの石碑もある。これを辿って根本山に参拝する古道を歩くのも面白そうだ。
神社から根本山山頂へは、中尾根十字路への巻き道を左に分けて稜線を真っすぐ登る。到着した頂上は、1月末に登ったときに較べると雪もなく、ずいぶん暖かい。
さて、下山ルートはどうしようか。勢多郡東村(3月27日に合併して「みどり市」になる)のHPの「根本山登山マップ」には、北の金山林道から根本山山頂に直接登るルートが記載されている。これを下るのが第1案だったのだが、下り口がどうも判然としない。
また、十二山神社に戻ると、石祠の脇にある古ぼけた道標には、擦れて微かだが「→山神社」と北を指し示した文字が書かれている。しかし、そちらの方向には道型やテープの類は全くない。結局、往路を中ノ沢登山口への分岐まで戻って下ることにする。
中ノ沢への下りは、最初に開けたササ原があり、椀名条山の稜線や遠く霞んで皇海山が見えて良い眺めだ。すぐに杉林に入ってジグザグに下り、小さな沢に出ると程なく中ノ沢林道終点に着く。あとは谷川沿いに4WDなら辛うじて通行出来そうな古い林道を下って行く。
立派な林道椀名条線に合流し、10分程歩くと山神社に到着。ここから金山林道が分岐して根本山の方に向かっている。林道入口には「根本山登山口1.9km」と書いた立派な道標がある。うーむ、このルートはどこをどう通って根本山に上がっているんだろう。気になる(^^;)。
林道をさらに下ると、道端に「御料木炭謹製之跡」という石碑を見る。この地域で昔から林業が盛んだったことを偲ばせる。黒坂石バンガローテント村の車を置いた場所に戻る頃にはすっかり暖かくなり、朝方の雪も消えて跡形もなかった。
帰りは例によって水沼♨に立ち寄る。今回は椀名条山に惹かれて計画した山行だったが、何度も歩いた根本山でもいろいろ発見があり、次への(楽しみな)課題ができたなぁ、と感じつつ帰桐した。