弓立山〜雷電山

天気:
メンバー:T
行程:明覚駅 7:50 …八坂神社 9:10 …弓立山(427m) 9:40〜9:55 … 弓立山男鹿岩登山口 10:30 …女鹿岩 11:15〜11:25 …雷電山(418m) 12:00〜12:30 …堂山(250m) 13:10〜13:20 …明覚駅 14:05
ルート地図 GPSのログ(赤:往路、青:復路)を地理院地図に重ねて表示します。

この週末の関東一円の天気は晴れだが寒いとの予報。前回に続いて、外秩父の低山を歩こう。新ハイキングクラブ浦和支部(現在はハイキングクラブ浦和)選定の埼玉百山の2座、弓立山と雷電山に登ることを思いつく。この2座は、ときがわ町を西から東に貫流する都幾川を挟んで南北に並ぶ。弓立山には男鹿岩(おがいわ)、雷電山には女鹿岩(めがいわ)と称する巨岩があるそうで、対になっていて興味を惹かれるから、これらも一緒に探訪したい。車道歩きが少し長くなるが、八高線明覚駅から周回することもできそうだ。という訳で、鉄道でアクセスして2座と2岩を巡る山歩きを計画し、出かけてきました。

桐生駅5:18始発の両毛線に乗車。高崎駅6:03着で、6:35発の八高線に乗り換える。八高線の列車は2両編成のディーゼルカーで、超ローカルだ。乗客は意外と多い。神流川を渡る頃に夜が明け、雲一つない青空の下、外秩父の山並みが朝日を燦々と浴びて眺められる。

明覚駅に7:40着、下車する。この駅はときがわ町の玄関口で、駅舎は赤茶色の八角屋根の瀟洒なログハウスだ。鉄道愛好家の姿もちらほら見かける。跨線橋の上から、これから登る弓立山と雷電山が眺められる。なかなか良い風景だ。


高崎駅で八高線に乗り換え


明覚駅の跨線橋から弓立山(右奥)を望む

明覚駅前には観光用の駐車場があり、車でアクセスしたとき使える。駅前ロータリーから県道大野東松山線に出て、長閑な農山村地域を眺めつつ西に進む。近道のため途中で脇道に入り、畑地や民家の間を進む。正面にはなだらかな山容の弓立山を望む。頂上直下に枯草色の斜面(草原?)が広がっているのが見え、山頂からの展望が期待できそうだ。

県道飯能寄居線に出て左折。「木のむらときがわ」農産物直売所の前を通る。営業時間前だが、地元の農家と思しき方々が軽トラで物品を搬入していて、活気がある。物産館を過ぎると、道端に大イチョウがある。ときがわ町の巨木のひとつで、説明板によると根回り約9m、807年(平安時代!)に植えられたと伝えられているとのこと。


関堀の大銀杏


県道飯能寄居線から右折

交通量の多い県道飯能寄居線の歩道を歩き、「さいたま梨花カントリークラブ→」や「いこいの里大附→」の看板のある交差点で右折して大附(おおつき)への車道に入る。車通りが少なくなり、正面に弓立山を見上げて、ようやく山間の静かな雰囲気の歩きとなる。


弓立山を見上げて歩く


大附へ広く緩い谷間を上がる

温泉スタンド・桃木方面への車道を右に分け、左に緩くカーブして浅く広い谷間を上がる。途中、標高158m三角点の近くを通るので立ち寄ってみる。道端に四等三角点の金属標が埋設されているだけで、山頂でもランドマークでもなかった。


標高158m三角点(点名:水境)


庚申塔「文化十三丙子(1816)年」

この先でY字路となり、左に越生梅林への道を分けて右へ。山腹を蛇行して登る。道端に立派な石碑がある。文字がくっきりと彫り込まれているが、達筆過ぎて読めない。台座に三猿らしき浮き彫りがあるから庚申塔かな。辛うじて「文化十三丙子年」の銘が読める。

弓立山入口バス停(ときがわ町乗合タクシー共通乗降所)で右に道を分け、杉林の山腹を斜上すると、明るく開けた尾根上の曲がり角に着く。右に簡易舗装の尾根道が分岐し、その入口には八坂神社の小社と大黒宮の石碑、出羽・月山・湯殿神社の石碑等が建つ。


八坂神社


八坂神社脇の石碑・石仏

尾根道に入って登ると、杉林を抜けて芝生の斜面に出、左(南西)側の展望が開ける。弓立山南面の緩斜面に広がる大附集落の果実園や畑地、点在する民家を眺め、その奥に関八州見晴台から、先日歩いた飯盛山2座〜丸山にかけての奥武蔵の主稜線が遠望できる。この眺めは長閑で良いなあ。飯盛山2座は、左の峰(龍ヶ谷富士)は小さな鋭峰、右の峰は頂上に電波塔が立っているから同定しやすい。丸山は、登頂したときは地味な頂と思ったが、遠くから望むと左右になだらかな稜線を広げ、なかなか存在感がある。


大附集落から奥武蔵の主稜線を遠望


「馬頭觀世音」石碑
宝曆十一(1761)年四月吉日

右から上がって来た車道に合流し、杉植林の広くなだらかな尾根を蛇行して上がる。弓立山下バス停のあるY字路は右へ。「弓立山頂上方面→」の道標もある。道端には「馬頭觀世音」と深く刻まれた石碑。古くから人が住み着いていた山らしく、石碑の類が多い。


弓立山下バス停


「馬頭觀世音」石碑

「長谷川芳男記念館」の看板のある立派な別荘の前を過ぎると、弓立山中バス停があり、ここまでバス(要予約)でも来られるようだ。カーブを一つ曲がると「弓立山登山口→」の道標があり、山道が分岐する。登山口には5台分程の駐車スペースもある。確認していないが、車道はすぐ先にゲートがあり、行き止まりとなる。


弓立山登山口


少しの間、山道を歩く

山道を上ると、すぐに弓立山の頂上の一角に登り着く。頂上は南北に長く平坦で、東斜面は高木がなく、一気に大展望が開ける(後日調べると、かつては頂上にパラグライダースクールの事務所や離陸場があったが、2014年に休業→閉鎖・撤去されたらしい)。


頂上の一角に着く


弓立山頂上

北端の小高い地点に新しく立派な山名標柱やベンチ、四方を展望説明板に囲まれて三角点標石がある。展望は素晴らしいの一言。東から南にかけて開け、ときがわ町の中心市街を俯瞰し、関東平野を一望。冠雪した日光表連山から筑波山、東京スカイツリーまでぐるりと遠望する。西から南にかけて奥武蔵の主稜線が連なるが、西は木立越しの眺めとなる。

ちなみに山名の由来について。弓立山には、とある豪傑(源経基、源為朝、畠山重忠など諸説あり)が頂上で蟇目の法(妖魔を調伏する鳴弦の作法)を行ったとか、四方固めの遠矢を射た、という伝説があり、それで弓立山と呼ばれるようになったそうである。


冠雪した日光表連山を遠望


ときがわ町を俯瞰

頂上からの展望を堪能したのち、数組のハイカーさんが登って来たのと入れ替わりで、北尾根を桃木方面へ下り始める。檜植林の尾根道を下ると、角張った大きな露岩が列をなす。ここが男鹿岩だ。岩石は緻密な層状のチャートで硬い。樹林がぽっかり開けたところにあり、一際大きな岩に攀じ登ると足元はすっぱり切れ落ち、北側の眺めが良い。


桃木方面への下り口


樹林の尾根道を下る


男鹿岩


下から男鹿岩を仰ぐ

この男鹿岩と都幾川をはさんで相対する女鹿岩には七夕伝説がある。男鹿岩には雄の大蛇、女鹿岩には雌の大蛇がいて、年に一度、七夕の夜にだけ、都幾川の越瀬橋で逢瀬をしていたとのこと。というか、鹿じゃなくて蛇なのか😅

男鹿岩から植林帯のなだらか尾根道を下る。良く整備されたハイキングコースで歩き易い。途中、右にときがわ幼稚園(2020年閉園)へ下る道を分け、「10座周回 46/50km」の標識を過ぎる。最後に階段道を降りて「弓立山男鹿岩登山口」の道標のある山麓に下り着く。すぐ前には川遊び・弓立山登山向けの有料駐車場(9時〜17時営業、500円)がある。


なだらかな尾根道を下る


山麓に下り着く

次は女鹿岩と雷電山を目指す。都幾川に沿って、県道大野東松山線を西進、上流に向かう。この辺りの都幾川は三波渓谷と呼ばれ、夏には川遊びで賑わうそうだが、今はシーズンオフなので閑散としている。両岸から山が迫ってちょっとした渓谷となり、上流に堂平山辺りの稜線を遠望する。越瀬橋で左岸に渡り、関根バス停を過ぎた辺りで右手の山に分け入る山道(地形図上の破線路)に入る。ここから女鹿岩までは、ルートが不明瞭だ。


越瀬橋上から都幾川上流側の眺め


ここから破線道に入る

山道を辿ると、すぐに廃屋が現れる。酷い笹藪を迂回すると、その先は藪のない山道が続く。道型は明瞭だが、水が染み出して泥濘んでいたり、落ち葉が深く積もっていたりで、廃道化している。徐々に傾斜が増し、斜面を小さく蛇行して登ると「←女鹿岩」の小さな道標のあるT字路に着く。ここまでのルートが怪しかったので、道標を見つけて一安心。


廃屋が現れる


笹藪の奥に道型が続く


微かな道型を辿る


道標が現れる

T字路を左折すると、すぐに新し目で立派な道標が忽然と現れ、ちょっと面食らう。かつて登山道が整備されたが、利用者が少なくて廃れかけているパターンだろうか。道標にしたがって右折、落ち葉に埋もれて崩れかけた階段道を急登する。


その先に立派に立派な道標あり


落ち葉に埋もれた階段道を直登

やがて岩壁の基部に着く。これが女鹿岩だ。規模は男鹿岩より高く大きいが、縦横に大きな亀裂が入り、今にも割れそうで危なっかしい。


女鹿岩


女鹿岩正面

岩壁の基部を右側に回り込むと、大きな裂け目があり、その隙間の上の方には多数の岩が挟まっている。裂け目を向こう側に通り抜けてみるが、万が一、岩が落ちて来たらアウトである。ここでソロハイカーさんが到着したのでご挨拶。男鹿岩より大きいけど、人は少ないですねー、など感想を話し合う。


チョックストーンだらけ


女鹿岩の上からの眺め

先に出発してハイカーさんと別れ、女鹿岩の左側の急斜面を登って、岩上に出る。さらに踏み跡を辿って少し登り、墓地を通り抜けると車道に出る。女鹿岩から車道まで、僅か5分程の距離である。


岩上の尾根を登る


車道に出て左へ

車道を左(西)に進むと、すぐに民家が見えてきて、その手前の道端に3基の庚申塔と林道開設記念碑が建ち並ぶ。記念碑の左脇から踏み跡を辿って、杉林に入る。


林道開設記念碑の左脇から山道に入る


なだらか尾根上の踏み跡を辿る

広くなだらかな尾根をゆるゆると登る。地図上の破線路を辿っているが、微かな踏み跡が続くのみ。植林帯で下生えに常緑の低木が繁るが、藪はない。大した登りもなく、雷電山〜堂山間の登山道に合流する。この地点には「←堂山(天王山)1.1km 雷電山 0.6km→」の道標がある。ここから雷電山に往復したのち、堂山に向かう。


藪のない尾根を辿る


雷電山〜堂山間の登山道に出る

雷電山へは尾根道を登る。僅かに下った小鞍部に「←公園下バス停2.0km・慈光寺2.8km 雲河原分岐」の道標があり、左に道を分ける。雷電山へは、雑木林に覆われているが日当たりの良い山腹を斜め右上に登る。すぐに小尾根上の分岐点に登り着く。直進する道には「日影バス停2.0km・雀川ダム2.0km→」の道標あり。雷電山へは左折する。ここでは1組のハイカーさんが日溜まりで昼食休憩中。多分、頂上は寒いのだろう。


雷電山に向かう


雲河原分岐


山腹をトラバース


日影バス停・雀川ダム分岐

最後の急坂を登ると、三角点標石と小さな社のある雷電山の頂上に着く。樹林に覆われて展望は全くないが、風は吹き抜けて寒い。社は二つあり、それぞれ北と南を向いている。新しい道標の他、「都幾川村→」の古びた道標も残る(後日調べると、都幾川村がときがわ町になったのは2006年)。


頂上へ最後の坂を登る


雷電山頂上


都幾川側の社


古い道標

頂上は案の定、寒くてゆっくり休憩できない。少し下って戻ったところの平地で昼食休憩とし、お湯を沸かしてカップヌードル カレーを食べる。


昼食地点


往路から分かれて左へ

昼食後、堂山に向かう。途中まで往路を戻り、往路の踏み跡を右に分けて尾根上の登山道を辿る。ヒノキ林を抜けると前方の眺めが開け、これから辿る尾根やときがわ町の市街を見渡し、関東平野を遠望する。ここも弓立山の頂上に次いで、なかなか良い展望地だ。


展望が開ける


常緑樹に覆われた坂を下る

ここから常緑樹の林間の急坂を下る。ザレてちょっと滑り易く、最後はロープも張られている。急坂を下り切ると杉植林の平坦な尾根となり、「←東光寺0.8km・日影バス停1.4km 日影下降点」の道標のある地点で左に道を分ける。


下って来た坂を振り返って仰ぐ


日影下降点

堂山へは平坦な尾根道が続き、のんびり歩ける。「別所下降点 別所・都幾の湯1.1km→」の道標で、右に道を分け、さらに左に日影バス停への道を分けて直進すると、堂山(天王山)の頂上に着く。展望はなし。平坦な登山道の途中で、あまり山頂という感じがしないが、広さはあるので休憩適地だ。倒木に腰を下ろし、水を飲んで一休みする。帰りの列車は明覚駅16:05発(その前は13:49発)で、余裕で間に合うから、のんびり行こう。


平坦で気持ち良い尾根道が続く


堂山(天王山)頂上

登山道は道標の脇から続く。植林のなだらかな斜面をゆるゆると下ると眺めが開け、配水施設に着く。配水施設はいくつかあり、未舗装のアクセス道路を緩く蛇行して下る。やがて舗装された車道に出て、右に下る。


ゆるゆると下る


配水場の脇を通過


配水場の作業道を下る


車道に出る

車道を下ると、ときがわ町の市街地に入り、「本郷旧県道分岐 第2庁舎バス停 0.8km」の道標のあるT字路を右折。住宅の間を通り抜け、県道飯能寄居線に出てこれを辿る。都幾川を渡ると県道大野東松山線と交差する田中交差点に着く。ときがわ町役場第2庁舎があるので、この辺りがときがわ町の中心地かな。町役場の前にはコンビニやバス停もある。あとは県道大野東松山線を明覚駅までてくてく歩く。


本郷旧県道分岐


雷電山を振り返る

明覚駅には14:05に到着。帰りの列車の発時刻まで2時間ある。駅舎には町観光協会の観光案内所があり、暖房の効いた休憩室もある。時間があるので、駅周辺を少し散歩。都幾川に架かる川北橋を渡って、愛宕山(160m標高点)に登ってみたりしたが、藪里山で特筆すべきことはなし。川北橋上からの弓立山の眺めは、なかなか絵になって良い。


明覚駅に帰り着く


都幾川に架かる川北橋から弓立山を望む

駅に戻り、16:05発の列車を待っていると、突然、駅舎に構内放送が入る。なーんと、明覚駅〜小川町駅の間でトラックとの踏切事故が発生し、八高線は全線運行ストップ。復旧の見込みは立っていないとのこと。なんたる不運。その後、X(旧Twitter)で情報収集すると17時頃復旧見込みとなったが、大幅な遅れが出るらしい。

明覚駅で列車を待つか迷ったが、取り敢えず他の乗客と共に16:22発の路線バスで小川町駅に移動。さらに東武東上線17:27発で寄居駅17:44着、秩父鉄道17:58発で熊谷駅18:31着と乗り継ぎ、高崎線、両毛線を経由して、桐生駅に20時半過ぎに帰着。いやー、参った。