新柵山〜丸山〜大築山

天気:
メンバー:T
行程:慈光寺入口バス停 7:30 …新柵山(490m) 8:20 …越沢稲荷の大スギ 8:50〜9:00 …砥石のヒノキ 9:40 …檥峠 9:55 …丸山(833m) 10:00 …飯盛山(816m) 10:30 …飯盛山(795m) 10:40〜10:45 …もろどの廓 12:05〜12:40 …大築山(466m) 12:50 …車道に出る 13:40 …大カヤ入口 14:05 …飯盛山(364m) 14:30 …大カヤ 14:45 …児持杉 14:55 …慈光寺入口バス停 15:15
ルート地図 GPSのログを地理院地図に重ねて表示します。

成人の日の3連休、前半は風邪気味だったので静養し、体調が回復した最終日に日帰りで山歩きに出かけることにする。天気予報によると、この日は日差しはあるが、真冬の寒さとのこと。それなら、低山歩きにしよう。とは言え、ある程度の歩き応えは欲しいので、外秩父で未踏かつ長めの尾根を探し、ときがわ町西平から新柵山(あらざくやま)、丸山、大築山(おおづくやま)を周回して歩いてきました。

桐生を未明に車で出発。深谷、小川町を経由してときがわ町に入り、慈光寺入口バス停に隣接するときがわトレッキングコース専用駐車場に車を置く。他の駐車は1台。ここは堂平山へ通じるトレッキングコースの起点で、折しも件の車のソロハイカーさんがそちらへ出発したところだ。なお、慈光寺入口バス停は、予約制の乗合タクシーのみが運行しているようである。

ときがわトレッキングコース専用駐車場
慈光寺入口バス停

今日の天気は予報通り快晴。風はなく、放射冷却が効いて冷え込みが厳しい。ULDジャケットを着込んで出発する。上半身はこれで暖かいが、下半身が寒い。そろそろ、トレッキングパンツの下にもインナーを着た方が良い季節かも。宿(しゅく)交差点で左折し、都幾川を渡る。橋上から上流に眺められるゆったりとした山は堂平山のようだ。その左には剣ヶ峰の小さな鋭峰も見える。

都幾川と堂平山を望む
新柵山登山口

橋を渡った先で右折し、少し進んだところで左折。畑地の間の車道に入る。ここまで、道標の類はなし。緩い坂道を登って、すぐに尾根上に着く。水道施設のフェンスの角を曲がり、尾根を絡んで登る山道に入る。道型は明瞭で、良く踏まれている。ひと登りすると覆屋の下に社殿を納めた神社が現れる。「奉納八幡神社童輿御祭禮」と記された木札があり、八幡神社と言うらしい。社殿の左脇に子供御輿もある。坂道を登って身体が暖まって来たので、上着を脱いで衣類を調節する。

八幡神社
尾根を絡んで登る

八幡神社からさらに尾根上を進み、左斜面をトラバースする道に入る。杉植林に覆われて展望はないが、朝日が横から林間に差し込み、下生えの常緑樹やシダを照らし出して、雰囲気は明るい。

尾根上に復帰し、ゆるゆると登る。やがて、傾斜が増してひと登りすると、三角点標石のある新柵山の頂上に着く。山名標識もある。杉植林に覆われた平坦な山頂で、とても地味だ。写真だけ撮って、すぐに先に進む。

新柵山頂上直下の急登
新柵山頂上

平坦な山頂を進み、新柵峠へ急坂を下る。坂の途中で「10座周回 33/50km」と記された標識を見る。「1050 peaky distance cumulative elevation 3,000M」という小さなシールも貼られている。50kmは日帰りは無理だろうな。10座がどこの山なのかは、少々気になる。

「10座周回 33/50km」の標識
新柵峠

下り着いた新柵峠には道標あり。左には「多武峰・馬生・ふるさと農園→」の道標があり、山道を分ける(後日調べると、多武峰は「とうのみね」と読み、頂上に多武峰神社があるらしい)。尾根を直進すると小さな瘤の頂の立木に「刃爾の頭 482m」と書かれたビニテが巻かれている。この山名の読み方、由来は何だろう(ときがわ町HPの「椚平郷土絵地図」によると、刀禰の頭が正しい表記らしい)。

さらにゆるゆると尾根を絡んで進む。左斜面の大岩を過ぎると「長岩→」の標識があり、右に八木成への山道を分ける。長岩はどの岩だろう。さっきの岩場かしらん。

刃爾の頭(482m標高点)頂上
八木成分岐

なだらかな尾根の左斜面をトラバースすると、南面が開けて日当たりの良い斜面があり、山道を半ば塞いで杉の巨木が聳え立つ。木の脇には赤鳥居と稲荷社がある。この木が越沢(こえざわ)稲荷の大スギだ。説明板によると幹周り6.05m、萩日吉神社(西平)の児持杉に次ぐ大きさで、地面に着くほど垂れ下がった枝に特徴がある、とのこと。

越沢稲荷から南面の展望
越沢稲荷の大スギ

大スギの傍らには日溜まりがあり、ベンチもあるので、ここで一休み。仮面林道ライダーさんのサイトのトップページに写真が掲載されているバス停もある。ここに実物があったのかー。もちろん、会社名は架空で、バスは来ない。

南斜面から大スギの全景の写真も撮ってみる。神社の鳥居と思しき木造物には○○農園と書いてあった。この大杉は見応えあり。山村風景も良くて、お勧め。後日調べると、すぐ近くにはくぬぎむら体験交流館をはじめ、いろいろ見所があるようである。

山猫電鉄バス停
大スギ全景

大スギのすぐ先で道は三方に分かれ、進路が少し分かり難い。ここは水道施設の角を右折。するとすぐに新旧の道標があり、「←⑤砥石のヒノキ 約2.1km」の道標にしたがって左折。幅広いが路面が荒れた未舗装車道(地形図上の軽車道)に入る。なお、ここを直進する道は「巨木の里・大野」に通じるようである。

軽車道は尾根の左斜面を絡んで、杉林の中を緩く登って行く。深く抉れて、岩盤が露出した区間が続く。途中でまた「10座周回 31/50km」の標識を見る。風早山(667m三角点峰)の急な北西斜面をトラバースし、再び尾根の直下まで上がる。伐採した丸太を積み上げて通せんぼされており、「無断立入禁止」のプレートが掲示されている。私有地につき、オフロードバイク・4WD車両は乗入禁止だが、ハイキング・ウォーキングはOKのようである。「←⑤砥石のヒノキ 約0.7km」の道標もあり、次の巨木まであと少しである。

水道施設の角を右折
幅広く抉れた道を登る
伐採した丸太で通せんぼ
オフロードバイク・4WD車両乗入禁止

現役の作業道らしく路面が平らになり、簡易舗装された区間もある。尾根を越えて吹き抜けていく北風が強烈に冷たい。低山とはいえ、平地とは寒さが段違いだ。植林の下生えにアセビの林が現れ、植生も変わってきた。直線的な車道歩きが続いて、ちょっと飽きて来た頃、ようやく砥石のヒノキが現れる。

幅広い道を登る
砥石のヒノキ

このヒノキは、周囲の植林から抜きん出て高い。2本のヒノキの間に注連縄が張られ、砥石山の神の小社がある。祭壇には何故か木彫りの子猫が置かれ、下の物をジッと窺う姿勢をとっている。かわいい。

「砥石山の神」の社
子猫の木像

説明板によると、このヒノキは幹周り3.72m。前を通る道は檥(ぶな)峠への旧道を拡幅したもので、かつては峠越えで吾野との交流が盛んだった、とのこと。砥石のヒノキのすぐ先には「おそよの墓」という看板とともに、墓碑と「文化四卯(1807)年 施主村中」の銘のある地蔵菩薩がある。峠越えで横死した女性の墓だろうか。

ふるさと伝説「おそよの墓」
丸山の東斜面のトラバースに入る

道はやがて尾根から左に外れて、丸山の東斜面を横切って行く。尾根を直登する道はないが、冬枯れの雑木林の緩斜面なので、丸山にショートカットして行けそうと思ったが、今日は風当たりが強くて寒いので、直登は止めておく。平坦な未舗装道を辿ると檥峠に到着し、奥武蔵グリーンライン(以下、奥武蔵GL)に合流する。今日は寒過ぎて観光日和ではないせいか、車の通行は全くない。

檥峠
丸山登り口

檥峠から丸山を往復する。登り口には「山毛欅峠 波郷の碑」の石柱、登り始めてすぐの所に「万緑を顧みるべし山毛欅峠 波郷」と刻まれた石碑が建つ。後日検索すると、石田波郷(はきょう)という俳人の句碑らしい。私としては、句碑の前にある仏が浮き彫りされた石標が気になる。風化して文字は読み取り難いが、これも後日調べると、神山弘著『ものがたり奥武蔵』にスケッチがあり、子の権現や高山不動への道を示しているらしい。

登り口の石仏
波郷の句碑

ちょうど奥武蔵GLを飯盛峠方面から歩いて来たハイカーさんが先行して、丸山へ登って行く。尾根をゆるゆると登り、約7分で丸山頂上に着く。山頂は広く平坦で、樹林に覆われて薄暗く、展望は全くない。関東ふれあいの道の道標の脇の立ち木に小さな山名標識があるだけだ。新柵山に輪をかけて地味な頂である。先行ハイカーさんの姿はなく、この先の刈場坂峠方面に向かったようだ。

尾根をゆるゆると登る
丸山頂上

檥峠に戻ると4、5台の車が来ていて、多数のハンターが集結している(狩猟期間は11/15〜3/15)。峠の一角に「←大仁田山」の道標を見つけ、それに従って稜線を辿る。約3分で頂上着。小さな山名標識がある。展望は木の間越しに武甲山が見える程度。小さいピーク過ぎて、何故、山名が付いているのか、由来が気になるレベルだ。

檥峠の「←大仁田山」道標
大仁田山(782m標高点)頂上

山頂を過ぎ、奥武蔵GLや並走する山道を辿って飯盛山に向かう。この区間は関東ふれあいの道(コース名はまんまグリーンラインに沿ったみち)で、要所に道標が設置されている。車道の大きなカーブをショートカットし、道標に従って尾根道に入って登ると、すぐに飯盛山の頂上に着く。ヒノキ林に囲まれて展望は全くない。近くの林間には大きな電波塔(NACK5の飯盛峠送信所)が建っている。三角点峰(点名:北川)だが、標石は確認しそびれた。

奥武蔵グリーンラインに並走する
「関東ふれあいの道」道標から山道に入る
落ち葉がふかふかの坂道
車道から再び山道へ
飯盛山への登り
飯盛山(816m三角点)頂上

山名標柱に「飯盛山の表記について」と題した掲示があり、この先、飯盛峠を挟んでもう一つ飯盛山があるから、道迷い等のないように、との注意が書かれている。それは確かに、漫然と歩いていたら道を間違えそうだ。

頂上から電波塔の接続道路の脇を下り、奥武蔵GLに合流した地点が飯盛峠。ここで数組のハイカーさんとすれ違う。「飯盛峠」の大きな峠名標柱の脇に山道の下り口があり、「野末張見晴台→」と「←林道梅本線 大築山 ?賀山」の道標がある(野末張は「のすばり」と読むそうな。?賀山は羽賀山か)。大築山への道はこちらだが、もう一つの飯盛山が気になるので、折角の機会だし、立ち寄って行こう。

飯盛山の表記について
飯盛峠

奥武蔵GLを進むと行く手にちょっと急な小ピークが現れ、「飯盛山 越生町最高峰→」の道標から小ピークに登る山道に入る。途中、小さな岩場を越えるが、登り始めて3分とかからずに飯盛山の頂上に着く。超、お手軽だ。

次の飯盛山への登り口
小さな岩場を登る

植林に囲まれた狭い山頂には「越生10名山 飯盛山795m」や「飯盛山(龍ヶ谷富士)越生町最高峰795.2m」といった山名標識があり、地元が一押ししている山らしい。手軽な山だが、今日、ここまで登頂した山の中では、一番、山頂の雰囲気が良い。西面を少し下ると木立が薄く、武甲山から奥多摩にかけての山並みが眺められる。また、富士山の展望写真も掲示されていて、その方向に目を凝らすと確かに富士山の真っ白な頂が見える。辰年の登り初めで龍の字が付く山に登れたし、富士山も拝めたしで、めでたし、めでたし。

飯盛山(越生町最高峰)頂上
頂上から武甲山を遠望

飯盛峠に戻り、大築山に向かって薄暗い植林帯の緩斜面の山道を下る。右手は先程登った飯盛山の北面で、かなり急な斜面だ。やがて車道(林道梅本線)に出るが、すぐ先で文字が掠れた道標に導かれて尾根上の山道に復帰する。

飯森峠から大築山へ向かう
杉植林帯を下る
車道に出てすぐ山道に戻る
683m標高点過ぎで左折

683m標高点を過ぎた辺りで、やはり文字が掠れて辛うじて「←城山(大築城?)」と読める道標に従って左折。傾斜が増し、少し下って右折。露岩が多く、ザレて滑り易い坂を下る。この辺り、概ね高原状の奥武蔵のイメージにはない険しさがちょっと感じられて、変化がある。左手は都幾川支流氷川の源流域で、奥山の雰囲気。今日、登った丸山のゆったりとした稜線も眺められる。小さな岩場を下ると、左に林道経由で飯盛峠に上がる山道を分ける。急坂が終わり、広く平坦な植林帯に入ると「馬場」の標識がある。

ザレた急坂を下る
左手に丸山(左)を仰ぐ
小さな岩場を下る
馬場

馬場からは尾根の右斜面を絡んで、ゆるゆると直線的に下る。楽だが眺めがなく、少々単調。麦原分岐では、右へ麦原への道を分け、さらにY字に分岐する。ここはGPSと地形図で確認して左の道へ。さらに山腹をトラバースして行くと「硯水」の古い標識がある。辺りに水がありそうな気配は全くない。

麦原分岐
硯水

硯水のすぐ先で、ルートは尾根の鼻を回って左折。ここは右にも明瞭な道型があって、危うくそちらに行きかけたが、木の幹に巻かれたビニテに「→大築山→」と書かれているのに気が付き、事なきを得た。この分岐は迷い易いので要注意。

ここは左へ
山腹をトラバース

大岩や崖を交えた急斜面をトラバースすると猿岩峠に着く。左に椚平、右に麦原への峠道を分け、尾根を直進する。このまま大築山まで行くつもりだったが、「もろどの廓」への道標を見かけて気が変わる。そろそろ昼時で腹が減ったが、頂上は風が強くて寒く、休憩どころではないだろう。南面のもろどの廓ならば風が避けられて、寒さは凌げるかも。

猿岩峠
大築山の南面をトラバース

大築山の南面をトラバースし、南の小尾根を越えるところに多数の道標があり、左に頂上への道が分岐する。右に平坦な小尾根を少し分け入ったところに「もろどの廓」と書かれた切り株があり、簡易な丸太のベンチが置かれて、切り開かれた木立の間から南面の眺めが開ける。遠くには、さいたま新都心の高層ビル群が乱杭歯のようなスカイラインを描く。風のない日溜まりで、昼食休憩には打って付けの場所だ。ベンチに腰を下ろし(座り心地は少しお尻が痛い)、鯖味噌煮と缶ビール、カップヌードル謎肉まみれを食べる。ところで、謎肉は初めて食べたけど、何の肉?

大築山(城山)南の三叉路
もろどの廓
もろどの廓からの展望
ズームした展望

昼食後、小尾根を登って大築山に向かう。右にトラバースし、途中で分岐して急斜面を一直線に直登。稜線に出て左に登ると平坦な頂上に一角で、「大築城跡(おおづくじょうあと)」の説明板がある。それによると「大築城は、小田原北条氏の家臣、上田朝直(ともなお)が、一山七五坊を有し関東屈指の大寺院であった慈光院を攻略する際に、北方5kmに慈光院を望むこの山頂に築城し、その後、慈光院を焼き討ちした」とのこと。確かに西平辺りの集落の眺めが良く、慈光院も見えそうだが、それにしても焼き討ちのために、こんな山奥に城を築くとは、戦国武将はやることが恐ろしい。

大築山への急登
頂上稜線に乗る
大築城跡の説明板
大築山から北面の展望

頂上は東西に長く平坦で、どこが最高地点か判然としない。西の端に倒れた道標と共に小さな山名標識があるのみ。引き返して、稜線伝いに隣りの小築山に向かう。南面の巻き道に合流し、小鞍部から軽い登りで小築山の頂上に着く。こちらの山頂も平坦で広く、樹林に囲まれて展望はなし。「小築山448m」の小さな標識があるのみである。

大築山頂上
南面巻き道に合流
小鞍部から登り返す
小築山頂上

あとは杉林に覆われた広くなだらかな尾根をゆるゆると下る道が続く。尾根の右斜面をトラバースする箇所は、下生えにシダ類が繁茂して緑が綺麗だ。再び、右へ麦原への道を分け、「大附・西平→」の道標に従って直進する山道を辿る。

下草の緑が鮮やか
大楠・山入分岐は左へ

やがて竹林に入り、「←大附」の道標に従って左折。直進する道は大楠・山入に至る。ここはもう人里の雰囲気が漂う。竹林を抜け、緩く下ると石仏のある分岐に着く。ここが広見越のようだ。石仏は三面の馬頭観音で、かなり風化が進んでいる。左の顔は口が開いた阿、右は口が閉じた吽となり、中央の顔は無表情。メデューサのような髪型が異形だ。ここから緩く下ること僅かで、車道に出る。

広見越の馬頭観音像
車道に出る

あとは車道を歩いて駐車地点に戻るだけだ。ゴルフ場のフェンスに沿ってしばらく歩くと、右に大附への車道を分ける。さらに進み、数軒の民家が点在する宮尾根集落を通過。杉林の斜面に日当たりの良い畑地がぽっかり開け、既に遠ざかって飯盛山(816m)が眺められる。頂上に電波塔が建っているから、判別し易い。その左のちっさい突起が飯盛山(795m)だろう。

宮尾根の集落
飯盛山を望む

乗合タクシーの宮尾根バス停を過ぎ、杉林の山腹をカーブして下ると、右に「大カヤ入口」の道標があり、幅広い石段道が分岐する。「巨木大カヤ(埼玉県指定文化財)この先約180メートル」とのプレートがあり、その距離ならば近いので、行ってみることにする。

石段道を登るとY字の分岐があり、「大カヤ分岐」の道標が建つ。左の道は「←落合峠0.9km・女鹿岩登山口2.2km」の古い道標が指し示している。「巨木大カヤ この先→」のプレートがあるから、大カヤは右の道かな?

大カヤ入口
大カヤ分岐

と思って右の道を進むが、180mは軽く超えたはずなのに大カヤに着かない。そのうち「飯盛山中腹点1」「←大カヤ分岐0.3km 飯盛山南入口0.4km→」との道標、続いて「飯盛山中腹点2」の道標が現れる。最初は今日、登った飯盛山の別の登り口があるのかな、と思い込んでいたが、ここでようやく第3の飯盛山がある可能性に思い当たる。で、地形図を見てみると、これは364m標高点に登る道に違いない。同心円状の等高線が表す山容が、山名にぴったりだよ。ここまで来たら、頂上まで行くしかない。

山腹をどんどん登る
「←飯盛山南入口 大カヤ分岐→」の道標

山道をさらに辿り、なだらかな尾根上に登り着くとゴルフ場が広がる。「飯盛山頂→」の道標があり、水道施設の脇に急な尾根に続く山道の入口がある。ここが確かに南入口だろう。大附分岐から大附へ通じる車道を辿れば、登りがほとんどなしでここまで来られるが、ゴルフ場の中を通行可能かどうかは分からない。

飯盛山南入口
階段が埋もれた急坂を登る

南入口から急坂を登る。笹藪が少し被さるが、石段が半分埋もれていて、かつては良く歩かれた登山道だったようだ。大した標高差ではないが、6時間以上歩いて来たあとなのでさすがに足が重い。頂上は広く平坦で、樹林に覆われて眺めはなく、ゴルフ場が垣間見える程度。北端に廃神社と倒れた木の鳥居、木の幹に架けられた「飯盛山」の小さな山名標識がある。それにしても、一日に同名の山3座に登るとは、稀なケースではなかろうか😅

本日3座目の飯盛山頂上
頂上の廃神社

往路を戻り、大カヤ分岐に近づくと、右手の斜面に大カヤが見えて来た。やはり往路で大カヤ分岐は左が正解だった。石碑の文によると推定樹齢千年、幹の周囲6.6m、張り出した枝の差し渡しは25mとのこと。曲がりくねって広がる枝振りが妖しく尋常でない雰囲気を醸し出す。リアルなトレント(架空の樹木型の怪物)。実に見事で感動。これは寄り道した甲斐が大いにあった。

大カヤ
大カヤ(県指定天然記念物)

車道に戻って下ると、山麓に下り着いたところに萩日吉神社がある。杉の巨木の神社林に囲まれているが、中でも神社入口にある児持杉は大きくて見事だ。男杉と女杉があり、それぞれ根回りが6.47mと8.89m。樹高は約40m、樹齢は約800年とのこと。太さは今日訪れた巨木の中でも群を抜いていて、しかも2本。これも見応えがある。この木に祈念すると子宝に恵まれると言い伝えられているそうである。

萩日吉神社の社殿
児持杉

萩日吉神社の前の車道をまっすぐ進んで西平の集落を通り抜け、車を置いた駐車場に戻る。今日は山は高くないが距離は長く、しかも予定外の1座にも登って、なかなか歩き応えがあった。また、事前に調べて計画した訳ではないが、巨木を4ヶ所巡り、飯盛山3座にも登頂したので、結果的になかなか面白い山歩きができた。ときがわ町や越生町は、調べてみると他にも訪問してみたい所があるので、次の機会も楽しめそうである。

西平集落を通って駐車場へ
駐車場に帰着

帰りは都幾川四季彩館・都幾の湯に日帰り入浴で立ち寄る(休日880円)。古民家風の瀟洒な建物で、食堂も併設されている。内装や設備は綺麗で新しい。浴室はそう広くはないが、オフシーズンだからか空いていて、ゆったり湯船に入れる。山歩きで冷え切った身体を、のんびり浸かって温めるのは最高。退館の際、(今日は特別で?)福引があり、次回の入浴の割引券を貰う。また、こちらに来る機会もあるだろうと思いつつ、桐生への帰途についた。