波遊山〜葛老山
最近、栃木県北西部の山に度々出かけている。次は栃木百名山の葛老山(かつろうざん)に登ろうかな。
葛老山には道の駅湯西川からハイキングコースが通じている。道の駅湯西川には日帰り温泉が併設され、また、野岩鉄道の湯西川温泉駅と直結しているので、電車で出かけて登山後に温泉に入り、宴会をして帰宅という理想的😅なハイキングができる。それも大変魅力的だが、往復約3時間半と行程が短いので、もう少し歩きたい。
近隣の山を調べると、地形図に山名は無いが、八汐湖(川俣ダム湖)北岸の1178m三角点峰を波遊山(はゆうざん)といい、葛老山から縦走した山行記録がネット上にある。これは面白そう、と言う訳で参考にさせて頂き、この2座を繋いで歩く計画を立てて、出かけてきました。
因みに「遊」を含む山名は珍しく、興味を惹かれる。全国でも他には遊楽部岳(ゆうらっぷだけ)、御前ヶ遊窟、遊泉寺砂山、鹿遊(しかあそび)しかない。閑話休題。
桐生を4時半頃、車で出発。R122、日光市街、R121を経由し、6時半頃に道の駅湯西川に到着。駐車場の一番奥に車を置く。天気は快晴で冷え込みが厳しい。今日はここから電車とバスで波遊山の南麓まで移動し、波遊山、葛老山を縦走して、ここへ戻って来る予定だ。
7:33発の電車まで1時間程あるが、WCを済ませたり、五十里湖や湖に架かる野岩鉄道のトラス橋を眺めたり、出発準備をしたりしているうちに発時刻が近づく。湯西川温泉駅のホームは葛老山トンネルの出口にある。無人の改札を通り、階段を下って、トンネル内の単式ホームで一人、上り列車を待つ。やがて橋を渡って列車が到着。乗車する。
列車は2両編成で、乗客は通勤と思しき人が数名。乗車券は車内で車掌さんから買う。次の駅まで4分間、ずっとトンネル内を走り、トンネルを抜けてすぐの川治湯元駅で下車する。運賃は300円也。こちらの駅はホームが橋の上にある高架駅である。
駅前には駐車場があり、また、近くには浅間山の登り口や日帰り温泉「薬師の湯」があって、ここを起点とした山歩きの計画も考え得る。駅から5分程歩いてR121に出、川治湯元駅入口バス停で7:56発の女夫渕行き日光市営バスを待つ。
定刻通りにやって来たバスに乗車。大型バスなのに乗客は私だけ。運転手「どちらまで?」私「小指(こゆび)バス停まで」運転手「?」私「あ、こさしかな?」運転手「💡あ、おさしですね」とお察し頂いたやりとりがあり、小指(おさし)バス停で「お気をつけて」と声を掛けられて下車する。運賃は350円也。
走り去るバスを見送る。その先の鬼怒川の大きく開けた谷の遥か奥には、女峰山の膨大な山容が眺められる。これば素晴らしい山岳風景だなあ。しばし女峰山に見惚れる。
小指バス停から車道を八汐大橋西詰まで戻り、そこから尾根末端に取り付く。しばらく、杉植林の尾根の急登が続く。丈の低いミヤコザサが疎らに生え、藪はなくて歩き易い。
やがて冬枯れの雑木林の尾根となって傾斜が緩み、ふかふかの落ち葉を踏んで登る。短い急坂を登ると972m標高点のピークに着く。木立を透かして波遊山の山頂を仰ぐ。
972m標高点から少し下りとなる。尾根上に道型が現れ、屋根と塔身が転げ落ちた石祠の跡を通る。右手の木立を透かして、八汐湖の湖面やそれを取り巻く山並みが眺められる。
道型は登りに転じ、トタンや一斗缶の残骸が散らばる小平地まで通じている。神社か何かがあったのかな。この先は細くなった尾根を急登する。大岩が現れ、岩と岩の間を登る。北斜面には薄らと雪が残る。波遊山の南の小ピークまでは急登が続き、そこからひと登りで三角点標石のある波遊山の頂上に着く。
頂上は広くなだらかで、冬枯れの樹林に囲まれ、一面の落ち葉に覆われる。日が差して、雰囲気は明るい。木の間越しに僅かに展望があり、明神ヶ岳や女峰山を望み、八汐湖の湖面を俯瞰する。「波遊山」と達筆で記された山名標識が木立に架かる。
まだ10時で時間は早いが、昼食休憩とする。朝食が4時だったので腹が減ったし、南から灰色の雲が一面に押し寄せて、女峰山まで来ているのが気に掛かるので、ここで食べてしまおう。寒いので缶ビールはなし。鍋焼ききつねうどんを食べて、身体の芯から温まる。
昼食後、葛老山への稜線に踏み入る。最初はなだらかな稜線で、サラサラの雪が落ち葉の上に薄く積もっている。枯れたスズタケがぽさぽさと残っているだけで、藪は全くない。行く手には、波遊山とほぼ同じ標高の1177m標高点がちょこんと盛り上がって見える。
1177m標高点に近づくと急な下りが現れ、薄雪が積もって滑り易い。今日は迂闊にも足元の滑り止めは持って来ていない。チェーンスパイクがあった方が良かったかも。1177m標高点の手前には小ギャップがあり、薄雪に覆われた急坂を慎重に下って、鞍部に降り立つ。登り返しは崖で、左側から登る。上部もかなり急で、四つん這いで登って稜線上に出る。
なだらかな稜線から、ザレた急坂となり、ひと登りして1177m標高点の頂上に着く。特に何もなし。少し進んだところに主図根点の標石がある。
さらに尾根を辿る。右手には木立の間から八汐湖の水面を俯瞰し、その向こうに高原山を望む。薄く雪が積もった坂道は摑める木立もなく、滑ったら止まれないので、恐る恐る下る。何とか坂道をクリア。ホッとして周囲を眺める。左手には湯西川湖の水面が見える。その向こうは持丸山、遠方は荒海山のようだ。
やがて、稜線の左をトラバースする明瞭な道型が現れる。この道型を辿ると、1124m標高点の手前から左斜面を大きく巻き始める。地形図を見ると、1124m標高点を越えると標高差約150mの急斜面の下りとなり、やばそうな雰囲気を感じる。先達の山行記録には、この道型を辿って1124m標高点を巻いたものがあり、そちらの方が危険度が少ない気がする。
巻き道に入ると、最初は切れ落ちた急斜面をトラバースする。ここは落ちたら一巻の終わりだが、道型は広く、明瞭に刻まれているので、問題ない。北斜面の日陰に入り、一面に薄く積雪している。崩壊斜面に入り、道型が薄くなるが、なんとか辿れる。急斜面をジグザグに切り返して高度を落とす。斜面が緩くなり、緊張も少し解ける。しかし、転石が多く、落ち葉と雪の下に隠れていて、歩き難い。石車に注意。
微かな道型を辿り、ようやく稜線に復帰して、ホッとする。1124m標高点を振り返ると、逆光となって精細に見ることはできないが、そっくり返って見上げる程の急斜面。登りならばともかく、下れる気はしない。
道型はさらに稜線上に続いている。953m標高点の前後の稜線は小さな屈曲と上下が連続し、両側は切れ落ちた崖が断続して変化に富む。途中に石祠がある。1124m標高点と葛老山の間は、稜線が大きくV字に断ち切られたような変な地形で、興味を惹かれる。稜線を絡んで斜面をトラバースする道型は、崩壊して靴幅しかない箇所もあり、気が抜けない。
石祠を過ぎる辺りから、行く手に葛老山を仰いで、稜線は段々と傾斜を増す。やがて、かなりの急坂となり、道型は拡散消失する。逆コースの場合、この急坂もあんまり下りたくない所だ。
ようやく傾斜が緩み、広くなだらかな稜線を気分良く登って、誰もいない葛老山の頂上に着く。あとはハイキングコースを下るだけなので、ホッと安心する。頂上は広くなだらかで、三角点標石や山部氏作の山名標識がある。東屋やベンチもあり、とても落ち着ける。
東屋の脇に木彫りの像が建ち、説明板に「寿老人」とある。湯西川のキャラクターの河童を七福神に見立てたものだそうだ。ニタァリと浮かべた怪しげな笑みが寿老人のイメージを完全に破壊して😅、河童らしさを醸し出している。
ベンチに腰掛けて休憩したのち、下山にかかる。頂上から広くなだらかな尾根を下る。これは良い散歩道だなあ。「大黒天」の木像を過ぎ、北側の日陰の急斜面に入ってジグザグに下る。急坂には階段が整備され、とても楽。「恵比寿」と「弁財天」の木像を過ぎ、小さな窪をジグザグに下って、尾根上の道となる。
尾根上には「毘沙門天」の木像があり、その背後は五十里湖に向かって切れ落ちて、湖岸を通るR121や海尻橋を俯瞰する。江戸時代、大地震により葛老山の東斜面が大崩落して海尻橋辺りで男鹿川を堰き止め、旧五十里湖が出現したとの歴史がある。何度も何気なくR121を走っていたが、曰く因縁のある場所を通っていたんだなあ。さらに、旧五十里湖は出現から40年後に大雨で決壊し、未曽有の大洪水を起こしている。
東屋とベンチのある第一休憩所を過ぎ、尾根を下ると送電鉄塔が建つ。北側の眺めが開けて、高瀬山が眺められる。
尾根から離れて北斜面を下る。「福禄寿」の木像の前を通り、急斜面の階段道を下る。七福神最後の「布袋和尚」は木像が行方不明。杉林と雑木林の間の階段道を急降下して行くと、やがて道の駅湯西川の建屋の屋根が見えて来て、最後に道の駅の駐車場に下り着く。
ザックを車に置き、登山靴をサンダルに履き替え、着替えを持って道の駅の温泉「湯の郷」にゴー。今日は一層寒かったから、ゆったりと湯に浸かって身体を温めるのは極楽、極楽。その後、売店で2点ほどお菓子を土産に買い、桐生への帰途についた。