和熊岳(ゴトミキ山)〜1743m三角点峰
昨年秋に、宮坂七郎著『新版信州の山』シリーズ3冊をまとめて購入した。南部326山、中部上巻217山、中部下巻181山、合計724山をイラスト地図で紹介しているという物凄い本で、長野で登る山を探すときに大いに参考になると思って買ったのだが、コロナ禍で遠出が億劫になり、眺めて楽しむだけで、まだ、実際の山歩きには活用できていなかった。
(この4月末にはシリーズ完成となる北部上巻217山、北部下巻134山が出版され、合計1075山となった。)
この週末は天気が良さそう。遠出する気力が湧いて来たので、久し振りに東信の山に登りに行こうかな。『新版信州の山』で良さそうな山を探して、上田市の角間渓谷右岸尾根にある和熊山(わくまやま)、別名:御刀御木山(ごとみきやま)に目が留まる。
和熊山は、打田鍈一編『ハイグレード・ハイキング[東京周辺]』(1993年刊)ではゴトニキ山として紹介されている。一方、信州山岳ガイドでは和熊岳と称して紹介している。山名の由来は「和熊川源頭の山から和熊岳(仮称)とした」とのことで、位置的に全く源頭じゃない点がモヤモヤするが、ヤマレコでも和熊岳が使われていることと、他にもある和熊山(後述)と一応区別して、この山行記録では和熊岳(ゴトミキ山)と記す。
和熊岳だけでも往復約5時間半と結構な歩き応えがあるが、さらに右岸尾根を上流に辿り、長野・群馬県境稜線上の1780m標高点峰まで足を延ばして往復することを企てる。
1780m標高点峰について、『群馬300山』では奥和熊山(おくわぐまやま)と称して山行記録を掲載している。また、その北の1620m圏峰は和熊山(大塚山)と記している。古い山の雑誌にスキーツアーコースとして載っていたそうで、奥和熊小屋なるものもあったらしい。他方、山と高原地図では、奥和熊山を小ヤリ、和熊山を大塚山と記載している。
1780m標高点峰の西隣の1743m三角点峰は、点の記によると点名が和熊山(かずくまやま)となっている。これらのピークの方が、位置的に和熊川の源頭に相応しい。なお、河川名は和熊川(わくまがわ)なので、点の記のよみはおかしい。
資料によって山名がてんでんばらばらで混乱するが、それはまあさておいといて、久し振りに遠出で長丁場の山歩きを楽しみに出かけてきました。
桐生を深夜に車で出発。上信越道を走って長野県に入ると、上空は雲で覆われるが、晴れ間が広がり始めている。東部湯の丸SAで休憩し、フードコートで朝食にポークカレーを食べる。SAで食事をするのも久し振り。遠出の楽しみでもある。
上田菅平ICで高速を降り、R144を菅平方面に向かうと、右前方に端正な三角形の山が見えてくる。これが今日登る尾根の末端のピーク(増尾山)で、右奥の馬の鞍のような双耳峰が和熊岳だ。R144から分かれて角間渓谷への道に入り、山懐に入った所にある観光用駐車場(駐車4台)に車を置く。車を降りると雨粒がパラパラ落ちて来たが、準備を整えて出発する頃には止んでいた。予報も晴れなので、天気は心配していない。
角間川を渡り、「市文化財 日向畑遺跡入口」の道標から山道に入る。すぐ上の柵に囲まれた一角が日向畑(ひなたばたけ)遺跡で、十数基の石塔が並ぶ。説明板によると、この周辺に真田氏の館があり、この遺跡は五輪塔や宝篋印塔を墓標とする中世の墳墓で、真田一族が葬られたと考えられているとのこと。
遺跡に隣接して、安智羅(あんちら)明神と阿弥陀堂がある。これも説明板によると、この地が真田家の古い屋敷跡で、アンチラとは薬師如来に仕える十二神将の一人だそうだ。神社の前には田植えが終わった棚田が広がり、角間渓谷を囲む急峻な山々を水面に映している。渓谷の最奥に小さく見えている山は角間山のようだ。
遺跡に戻り、松尾城跡への山道に入る。角間川の流れを見おろしつつ山腹をトラバースし、尾根の末端に上がる。尾根の反対側直下には墓地がある。ここから露岩が多い細尾根の一直線の登りとなる。
やがて岩場が現れるが、左に良く整備された巻き道が通じている。立派な松が立ち並ぶ岩尾根を登ると、石塔と祠に着く。これは何を祀っているのかな。岩と松が見事な尾根の登りが続き、ぐんぐん高度を上げる。
やがて平石を積んだ石垣や段々に平地を切った曲輪が現れ、石垣に囲まれた小広い平地のピークに登り着く。ここが松尾城跡の本廓だ。奥に石灯籠と祠がある。松の大木が緑陰を作り、涼風が吹き抜けて居心地が良い。説明板もあり、真田氏ゆかりの地を巡るハイキングコースとして、ここまでは道も良く整備されている。
本廓の裏手は深い空堀で区切られている。この先はハイキングコースではないが、雑木林に覆われた尾根上に明瞭な踏み跡が通じている。藪は全くない。やがて左から、そして右から送電線巡視路が合流し、15号送電鉄塔の基部に着く。
鉄塔の周囲は樹林が切り開かれ、振り返ると真田郷や上田市街、塩田平が眺められる。また、雲間にはまだ雪を戴いた北アを遠望する。確りとは判らないが、爺ヶ岳辺りかな。
再び眺めのない樹林に入り、岩が散在する尾根を一直線に登る。10分程登ると、右斜面に巨石がゴロゴロと敷き詰められた石河原がある。石河原に出ると、角間渓谷を隔てて、ツンと尖った烏帽子岳のピークと、その右になだらかに裾を引く稜線が眺められる。
この先で尾根が平坦となり、石垣の囲いが現れる。これが遠見番所跡と称される遺構のようだ。なおも露岩が多い尾根をゆるゆると登って着いた最高点が増尾山の頂上だ。山名標識の類はない。樹林に覆われて展望がないので、休まず先に進む。
増尾山から短い急坂を下り、平坦な鞍部を辿って、和熊岳北峰へ標高差約200mの大登りに取り付く。ひたすら直線的に登って行くと頂上稜線の一角に着いて、何やら境界を表す標石がある。鹿に食べ尽くされた丈の低い笹原を進むと和熊岳北峰、別名:九竜(くりょう)の頂上だ。往路では見逃して、復路で気が付いたが、和熊岳の山名標識がある。
尾根上には帯状に笹原が続き、その中の薄い踏み跡を辿って下る。行く手には木立を透かして和熊岳南峰が高い。登りに転じ、シダや低木が生えるガレた斜面をザクザクと登る。木立が切れた個所があり、振り返ると北峰の頂が目の高さだ。その右には菅平も見える。
最後にガレた急斜面を強引に詰め登ると、和熊岳南峰の頂上に着く。頂上は平坦で広く、三角点標石とその傍らの立木に「御刀御木(ゴトミキ)山1644m」の山名標識がある。樹林に囲まれて、展望は木立の間から烏帽子岳や四阿山の山影が垣間見えるくらいだが、陽が明るく射し込んで、雰囲気の良い頂だ。
一休みしたのち、県境を目指してさらに奥へ。平坦な頂上稜線を東に向かう。少し先の右手には石垣に四角く囲まれた平地がある。もしかして番所のような遺構だったりして。
笹原の微かな踏み跡を辿ってダラダラと下ると頂上稜線の東端に着き、境界標石を見る。ここから急坂となってグングン下る。復路はこれを登って戻ることになるので、どこまで下るんだぁ、と下るに従って気が重くなる。
ようやく下げ止まって、1579m標高点へゆるゆると登る。相変わらず藪はなく、快適な尾根歩きが続く。最後は急斜面に突き当たり、右から回り込んで1579m標高点の頂上に着く。樹林と枯れたスズタケに覆われ、展望はなく、ちょっと藪っぽい。
ここからはほぼ平坦で小さなアップダウンのある細尾根を辿る。左側は切れ落ちて、和熊川支流の谷を見おろす。明瞭な踏み跡があるが、低木の枝が被さって、普段はけものしか通っていないことが察せられる。
程なく広く平坦な鞍部に着く。左斜面のすぐ下には沢が流れている。ここから1743m三角点峰の南西の鞍部へは、この沢を詰め上がる心算でいた。しかし、沢を覗き込んでみると、脆い土砂をV字に抉る流れで、中はかなり歩きにくそう。沢の左岸に明瞭なけもの道が通じているので、これを辿る。けものにとっても、最も楽で合理的な経路なのだろう。非常に歩き易い。未だかつて、これほどインテリジェンスを感じたけもの道はない。
ここまでは藪と言える程の藪はなく、快適に歩けた。しかし、けもの道を辿って鞍部に着くと、とうとう出現しました、密笹藪。けもの道も散逸して消え、笹藪に突っ込んで行くしかない。覚悟を決め、1743m三角点峰に向かって笹藪を登り始める。少し登ると笹が低くなり、微かなけもの道が復活して歩き易くなる。もしかして、このまま行けちゃうか?
しかし、小平地を通過して、1743m三角点峰へ標高差約100mの急斜面に取り付くと、けもの道は痕跡も残さず消え、一様に密な笹藪に突入する。これは超久し振りの本気の笹藪漕ぎだ。左はカラマツ林、右は雑木林で、その境界を急登する。
ようやく傾斜が緩まって頂上稜線の一角に登り着き、さらに笹藪を漕いで、1743m三角点峰の頂上に着く。やれやれ。境界標石はあるが、三角点標石は探しても見つからず、ギブアップ。もちろん、標識の類はない。樹林に囲まれて展望は乏しい。笹藪を漕いで少し先に進んだ地点から、群馬県側嬬恋高原がチラリと見える程度だ。
最終目的地の1780m標高点峰(小ヤリ)へは、緩い尾根を辿って残り少しの距離だが、密笹藪を下生えとする唐松林に覆われて、見るだけでゲンナリさせられる。帰路が長丁場だし、これ以上、笹藪漕ぎをする根性もないので、ここで撤退しよう。一応、区切りとなるピークまでは踏破できたので、十二分な達成感がある。
幸い、笹藪の中に鹿が笹を押し伏せて寝床にしたと思われる平地があり、そこに腰を下ろして昼食とする。笹藪漕ぎの後は、缶ビールが格別に美味い。それから、カップ麺の横浜もやしそばを食べて、帰り道のエネルギーを補塡する。
帰りの笹藪漕ぎは下りなので、かなり楽だ。調子に乗って尾根を一本間違え、下りかけて気付いて登り返す。笹藪の鞍部からけもの道に入れば、笹藪から解放される。
広い鞍部に戻って一休み。ここから細尾根を辿る。復路は様子がわかっているので緊張が緩み、花の写真をたくさん撮る余裕も出て来る。
少し登って、1579m標高点を越える。行く手に木立を透かして、和熊山南峰のどっしりとした山容が高い。南峰への急登はきつく、頑張りどころだ。頂上稜線の東端に登り着けば、南峰へは緩い登りだ。この辺りにたくさん生えている若木はレンゲツツジのようだ。開花には早く、蕾を付けた株がちらほらある。
南峰の頂上に到着し、水を飲んで一休み。既に14時を回って暑く、プラティパスの残りの水は0.5ℓくらいで心許ないが、下山まで何とか持つだろう。あと、大きな登りは北峰を越えるところ位だ。南峰の下りから菅平を眺める。往路では隠れて気が付かなかった菅平湖が小さく見えている。
北峰に登り返して頂上に着く。これも往路では気付かなかったが、「和熊岳」の山名標識が、熊の爪痕が大きく刻まれた木の幹に掲げられている。もちろん、今日は全行程、熊鈴をつけて歩いている。
北峰で尾根は左に向きを変える。帰路が木の幹に赤ペンキの「←」で示されている。その他の要所の分岐にもマーキングがあり、登山口まで道案内が整っている。
増尾山を越え、15号鉄塔を通過して急坂を下る。標高が下がるにつれて気温が上がり、エゾハルセミがオーギィ、オーギィと合唱して賑やかだ。途中でセミの声を聞いている軽装の単独男性を見かけたのが、今日、山中で会った唯一のハイカーさん。松尾城跡を過ぎ、日向畑遺跡を経て駐車場に戻る。朝方の曇り空から一転、晴れ上がって、青空の中に浮かぶ白い雲と共に増尾山と和熊岳を仰ぐ。陽気はすっかり初夏の候だ。
帰りは真田温泉「ふれあいさなだ館」に日帰り入浴で立ち寄り、さっぱり汗を流す(500円)。それから上信越道に乗って桐生に帰るが、高速は休日には珍しい程、ガラガラに空いていた。
参考URL:上小30山「九竜(くりょう) ゴトミキ山 途中まで」